「映画館で観る価値のある1本!」劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来 くろこさんの映画レビュー(感想・評価)
映画館で観る価値のある1本!
映像もストーリーも、想像以上の迫力と深み!
まず、映像が素晴らしい!
あの「無限城」が、うようよと動く!動く!
原作を読んでいた時は
ここまでダイナミックに動くイメージはなかったので、
とても新鮮な驚きがありました。
これこそアニメーションならではの表現!
また、戦闘シーンは言わずもがな。
「どうやって描いてるの!?」と思うほど
激しい戦闘シーンが展開し、目が離せません。
鬼滅ファンの多くが
納得する仕上がりだったのではないでしょうか。
一方で、賛否が分かれているのが回想シーン。
確かに、アクションを観たい人にとっては
退屈に感じるかもしれません。
しかし、物語として
「なぜこのキャラクターは命懸けで戦っているのか?」
「なぜこんな言動を取るのか?」
を描くためには、
回想はある程度必要な要素だと思います。
それがないと、ストーリーやキャラに深みがなくなり、
ただのドンパチ映画になってしまう。
鬼滅の刃は、鬼殺隊だけでなく、
鬼になった者にも過去や人生があることを丁寧に描く作品。
無惨によって鬼にされた者たちにも、必ず回想シーンがあります。
それは、なぜ彼らが残酷な行動を取るのか、
その根源にある出来事や感情を語る大切なパートだから、
だと思って見ています。
原作では、猗窩座の最後はややあっけなく感じ、
「え?なんか都合よくない?」と思った記憶があるのですが、
しかし今回の映画では、猗窩座の葛藤が丁寧に描かれ、
めちゃくちゃ納得できました。
猗窩座が常に「弱い奴が嫌い」と叩き潰してきたのは
それは自分の中の“弱さ”を他者に投影して叩き潰してきたから。
ずっと「大切な人を守れない弱い自分」に囚われ、
それを“強さ”で塗りつぶすことで自分を保っていた。
けれど、弱さがあるのは他人じゃなくて
自分だったんだ、ということに気づき、
恋雪に謝った瞬間、自分の弱さを心から受け入れ、
そんな弱い自分への囚われから
脱皮する姿があの最後だったのかな~、
と映画を思い出しながら思いました。
そして映画で改めて気づかされたのは、
猗窩座は自分から鬼になったわけではない、ということ。
無惨によって突然鬼にされたのであって、
望んだことではなかった。
だからこそ、最期に鬼であることに執着しなかったのだな、
と、これもまた、
映画ならではの説得力ある描写でした。
回想シーンは確かに長かったかもしれません。
しかし、猗窩座という人物を語るためには
必要な時間だったんじゃないかと個人的には思います。
映像・演出・物語の厚み、すべてが高水準で、
映画館で観る価値がある一本でした!
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