シビル・ウォー アメリカ最後の日のレビュー・感想・評価
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何とも言い難い
この映画の主題が何なのか、どんなメッセージを送りたいのかを観た人が勝手に考えてねという感じの映画だった。
とにかくストーリーに関する説明が少ないのだ。
内戦が起きた国では国民同士が戦っているわけで本当の意味での敵味方を判別するのは難しい。普段は人権人権と叫んでる国でも恐ろしく簡単に国民が国民を殺す。
見分けが付かなければ自分を守るために殺すしかないのだ。
ジャーナリズムも真実を伝えるという本質から逸脱して手柄をあげることに固執し始める。
ラストの若いカメラマンが自分の身代わりで撃たれた先輩カメラマンに見向きもせず先に進もうとする場面が象徴的だ。
観終わった後に思い出しながら考えると色々浮かんでくるのだが映画ってそういうものなのか?
戦争を扱った映画は反戦のメッセージを送るものとエンターテイメントとして楽しむものに大きく二つに分けられるのだがこの映画はどちらでもなかった。
正直なところ見終わった後に不快感しか残らなかった。
果たして我々は銃を向けることができるだろうか。
果たして我々は同じ国民同士で銃を向けることができるだろうか。
国が違えば。
州が違えば。
肌の色が違えば。
宗教が違えば。
信じるものが違えば。
殺すことができるのか。
(同じ高校出身でも)
what kind of American?にいろいろ考えさせられた。
今現在も中東やウクライナでは殺し合いが続いている。
同じ地球に生きる者同士なのに。
戦場カメラマン(ウーマン)と彼女に憧れる若い写真家、
中堅のジャーナリストと足が不自由な老いたジャーナリストの4人が、大統領のインタビューを撮るために内戦状態のアメリカをニューヨークからワシントンD.C.まで旅をするというお話し。若い写真家(エイリアンの女の子)が行く先々で遭遇する事件(戦闘)や巻き込まれる出来事によって成長していくロードムービーという形を取っているため、緊張感が途切れるのが惜しい。
無茶苦茶怖いシーンもありました(ディアハンターのロシアン・ルーレットのシーンくらい怖かった)。
彼女の飛び出し方と、彼女の飛び出し方が、もっとアッ!というふうに描かれてたらなぁ。みえみえ。
そもそも大統領のインタビューを撮りに行くのに動画じゃなくて写真のカメラマン(ウーマン)て。?
吐瀉物には日本のバラエティー番組みたいにキラキラ入れればいいのに。
これが戦場か
ちょっと想像していたのと全然ストーリーが違いました。てっきり大統領が分断を煽り、その結果内戦が勃発するそのストーリーを描く映画だと思っていたんですが、既に内線状態からこの映画はスタートしました。
偶然IMAXシアターで鑑賞したのですが、描写の多くが本当の戦場地のような描写で、結果IMAXシアターで見たことがとてもリアリティーを増してくれました。
よくテレビで戦場カメラマンが登場されますが、まぁ映画とは言え、戦場カメラマンの仕事場はおおよそこの描写のようなのかもしれませんね。
残酷な殺戮が多かったのですが、全編にわたり、小鳥のさえずりや草原の描写が緩衝材となり、少しストレスを和らげてくれました。人間以外の生き物にとっては、人間のやる戦争なんて、全く関心のないことでしょうね。
つくづく戦争は愚かだなと感じさせる一作でした
独立戦記を分裂戦記にした作品。
歴史の独立戦争を逆にして、舞台は現代にしたようなこの映画。アメリカで本当に起こったらをフィクションにしたものだけど、特撮か実機があるのかわからないけどスケールはデカい。レポーターをメインに置いて、戦争には
切り詰めると非常となる人のサガがよく表現されていたに思う。
自分はなんか名作、リビングデッドのストーリー(驚異はあるが淡々と物語が終結)をなぞってるの?って感じがした。
で、戦争映画というより若いレポーターの成長映画のような気もした。
かなり、製作者はドキュメント系にするか物語にするか迷ったような気もする。
……ジョーカーのあとこの作品を観たが、
こっちはインパクトはあるけどあまり印象が残らない作品に思えた。
告知Vに想像を膨らませた結果は、、
映画が終わったあとの空虚感は割と大きかった。
戦場カメラマンの「命がけの戦い」は伝わって来たが、、、
ここまでしなくても描けたのではないか、、と思う。
ではなぜそう感じたか、、、いくつかのことを考えてみた。
戦場の残酷さや現実が伝わってきたのは良かった。
ただ、他の人のレビューでもあったが、、、
この映画には訴えるテーマが小さい。
どうして戦うのか、何のために戦うのか、
そういうラストイメージがあるべきでは、と思う。
ホワイトハウスに隠れていた情けない大統領を
情け容赦なく抹殺したが、、その結果どこに向かうの、
ということは何も見えない、というか想像すらさせてくれない。
1人の報道カメラマンを目指す少女が
成長し、戦場カメラマンとはなんなのか、、学んでいく、
結果、内容はそれだけ、、、しか感じない。
タイトルの
アメリカ最後の日
は全然連想できないが、これは私だけ?
メッセージ性が乏しく、立ち位置が曖昧な映画
結論を先に述べると、鑑賞した後の充実感・満足感がほとんどない映画だった。
私は、沢山の映画を見るようなハードウォッチャーではないが、今まで鑑賞した映画に比しても、かなり下位に位置する。
そして、自分なりに何故そのように感じたのか色々と模索してみた。
まず、感情移入や没入感がほとんど得られない点があげられる。
映像は、無駄な効果音や音楽などはほとんどなく、響くのは、銃声、大砲の音、叫び声だったりして、戦争をリアルに表現している。だけど、ただそれだけ。
一番大事な、戦争を行うに値するだけの大義というか理由が、必要最低限しか説明されていないため、なんとも、感情移入がしづらく没入感が得られにくいのだ。内戦なので、おおよそ政治的な問題であることは想像できるが、この点をもう少し深く掘り下げて丁寧に表現すれば良かったのではないだろうか。
正直、腕のいいプロゲーマーが遊んでいる、出来の良い戦闘ゲーム真っ最中の画面を見せられているようで、とても無機質に感じた。
次に、映画内容が、タイトルの「シビル・ウォー(内戦)」にそぐわない。もしくは、その逆で、「シビル・ウォー」というタイトルが、内容と合致していないように思う。
この映画は、大統領へ取材をするために、ホワイトハウスへ向かう道中、内戦に巻き込まれる師弟関係の報道カメラマン二人の体験が主体となっている。この二人の報道カメラマンが、内戦を通して、徐々にお互いの関係性や距離を縮めていき、一人前の報道カメラマンへ成長していく描写やストーリーとなっている。
私は映画への集中が途切れるので好きではなかったが、戦闘シーンのところどころで、カメラマンの撮影写真がスクリーン上に、スナップショットのように白黒で写し出される場面あった。これも報道カメラマンが映画主体であることを物語る要素でもあると思われる。
なので、私のように、何の予備知識もなく、タイトルから内容を想像して鑑賞すると、「ちょっと違う」「梯子をはずされた」ような感覚が芽生えてしまうように感じた。
「タイトル」・「内容」・「テーマ」の三つが上手に機能せずにバラバラで曖昧のような感じを強く受けた。
私自身は、カメラマンの「成長物語」だと感じたが、人によっては、タイトルどおり「戦争映画」だと思うだろう。
ミステリーやサスペンス映画、ホラー映画とは違うジャンルなので、受け手側、鑑賞側が色々考察・推理するというよりも、もう少しわかりやすいメッセージを込めた作りになっていればと感じた。
どういう人種の人間!狂気
久しぶりに、狂気を多分に感じる世界感を味わってしまいました。
戦争は駄目、核装備駄目と言っても現実の世界は駄目ではない。
この映画は、何で戦っているのか?、観ていて分からなくなりした。
ベイビー、夢を見よう
「シビル・ウォー アメリカ最後の日」前情報を取らずに観たので、カリフォルニア&テキサス連合軍vs政府という構図に混乱。デラ・ソウル、スーサイド、ビリーアイリッシュらの楽曲が不穏に使われる中、誰が誰と戦っているのかわからないまま殺戮が続くひたすら恐怖の109分。
観ていくうちに反ファシズムで反レイシズム、そして反トランプの映画なんだと分かるけど、それは正義としては描かられていなくて、クライマックスのワシントン決戦もカタルシスは無い。それでつまらなかったのかと聞かれれば無茶苦茶面白かったです。居心地の悪い傑作。
恐怖のピークはやはり、ジェシー・プレモンスの登場シーンで、トラウマになるので要注意。どれくらいのトラウマかと言えば、ウォーキング・デッドでグレンがニーガンに◯◯されたシーンぐらい。プレモンスはこの役を撮影5日前にオファーを受けたそう、すごいな。俺なら受けないぞ。
お前は、どの種類の◯◯◯?
対敵国ではなく国内が荒れるとはこういう事なんだなと思わせられた。
同国民による私刑など何が基準なのか分からず「お前は、どの種類の◯◯◯?」のシーンは何が正しい解答なのか全く分からず不気味さに寒気がした。特にドラマチックな展開もない戦闘シーンも実際はこういう物なのかなと私にはかなりリアルだった。ラストシーンも色々考えさせられましたね。
なさそうで、ありそうな未来。
アメリカでCivil Warと言えば、“南北戦争”であったわけですが、これは二回目の南北戦争?カリフォルニアとテキサスの同盟による“西部軍”と言っているので、東西戦争か?
連邦政府と闘っているのはカリフォルニアとテキサスの同盟による“西部軍”な訳ですが、アメリカ連邦政府から離脱したのは19州という設定なんですね。南北戦争の時でも、離脱したのは南部11州だったので、それよりも多くの州が離脱したという事になります。
でもね、この離脱組が、即反乱勢力かと問われると、直ぐにはそうとは言い切れないのではない気がします。というのも、アメリカ独立宣言では“政府が暴政に転じた場合の人民による抵抗の権利と義務”を宣言しているんですよね。なので、“西部軍”は、その権利と義務を遂行しているにすぎないという解釈も可能なんですよね。その前提として、連邦政府の大統領は“3選目”であるらしいし、“FBIを解散した”と言う描写もあるんですよ。そう言う視点で見ると、非常に興味深いです。
あと、やっぱり暴走する勢力も出るんですよね。途中、どういう勢力で、どういう理由なのかは不明ですが、住民を虐殺している勢力が描かれています。あれは、民兵なんですかね?
いやぁ、でもな。マヂで『なさそうで、ありそうな未来』な気がします。
保守とリベラルが手を組んだら国が壊滅しちゃった
2021年にアメリカで起きたトランプ支持者による議事堂襲撃事件、その規模を大きくしたような話。
「共和党大好き」テキサス州と「民主党大好き」カリフォルニア州が手を組み、ワシントンD.C.制圧を目指す。
「そんなわけあるかい」とつっこまずにはいられない面白い設定ではあるが、この映画が「思想の対立」を描く気が全く無いことの宣言にも思えた。
戦争を描く場合、「国を攻撃する側」か「国を防衛する側」のどちらかの視点(または両方の視点)で描かれていくのが普通だと思うけど、この映画は「戦場カメラマン」からの視点で話が進んでいくのが独創的。
兵隊に同行して戦闘の中に入り込んではいくが、何が起きても場面には関与せず、惨状をカメラで記録していくだけ。
この作りのおかげで、映画を観ているだけなのに、まるで銃撃戦の中に放り込まれたような臨場感。
鑑賞中はずっと張り詰めた緊張感が漂っていて、途中から軽い身震いが止まらなかった。
凄い映画体験だった。
内戦によって秩序が崩壊したアメリカ各地を転々と旅していく感じは、TVゲームの『The Last of Us』っぽいと思った。
無理矢理訳せば『アメリカ最後の日』。
副題をつけた人も同じことを思ったのかな?と勝手に妄想。
ゾンビが出てこない『The Last of Us』。
主人公は銃では戦わず、写真を撮るだけではあるが。
映像が凝りまくっていた印象。
人物の配置の仕方など、全ての場面において画面の構成がよく練られていて、どの場面で画面を静止しても報道写真として通用しそう。
さすが『エクス・マキナ』の監督。
美術センスゼロの人間が思ったことなので、もしかしたら気のせいかもしれないが…
音楽演出も独特。
人々の怒りが頂点に達して暴動が起こってしまっている場面でノリノリなヒップホップ、悲劇が起きてみんなが絶望的な気分に落ち込んでいる時に穏やかなカントリー音楽。
その場の雰囲気に微妙にそぐわない選曲の数々。
この表現で合っているのかわからないが、目を血走らせて必死になっている人間たちを、ちょっと小馬鹿にしているような音楽の使い方に感じた。
「人間同士の争いってマジでくだらねー」という監督からのメッセージ。
そんな気がした。
音楽知識ゼロの人間が思ったことなので、もしかしたら気のせいかもしれないが…
中盤発生する、衝撃的な人種差別展開。
個人的には関東大震災朝鮮人虐殺事件のことを考えてしまった。
社会の混乱に乗じて、力を持つ者がヘイトを向けていた社会的弱者を排除していく社会。
移民や難民に対して陰湿な活動をしているレイシストが実在する今の日本で、もし社会の情勢が不安定になる出来事が起きた時、どんな恐ろしいことになるのやら…
この映画最大の見せ場は、ホワイトハウス攻城戦。
『コール オブ デューティ』みたいな、戦争が題材のTVゲームで見たことあるやつが、そのまま再現されていて度肝抜かれた。
A24史上最大の予算も納得のド迫力。
新米カメラマンだったジェシーが兵隊の列に混じって戦場に突き進んでいく姿を見て、一人前の戦場カメラマンに成長したことを喜びつつも、狂人にも見えて少し怖くもなった。
活気盛んな若者が猪突猛進した結果ピンチを迎え、それを年長者が体を張って尻拭い、みたいな展開が多かった気がする。
そもそも映画全体が「若者中心の武装した市民が、高齢者中心の国家権力を倒そうとする話」であることを考えると、この映画は「新陳代謝」についての映画のように感じた。
戦争によって「新陳代謝」が起こると考えれば、自然の摂理としてはそれは当然のことなのかもしれない、と映画を観て思った。
だからって人を殺して良いわけ無いが…
近未来なアメリカ
ジャーナリストが主役(スパイダーマンの彼女)のアメリカの内戦を淡々と写真におさめていく、ジャーナリスト目指す若い女性と、内戦な残酷さもヒヤヒヤするけど、日本が平和なので(戦争は一応現在ない)共感できずにいた。
ドンパチの銃撃合戦とジェシーのわがまま
正直なところ、私には響きませんでした。監督が何か強いメッセージを伝えたかったのは分かりますが、映画全体が銃撃戦に終始しており、その奥にあるテーマやメッセージが希薄に感じられました。
特に主人公のジェシーには終始イライラさせられました。若さや無知というよりも、単なるわがままで、人としてどうなの?と疑問を感じました。彼女の態度や選択が物語をより面白くするどころか、逆にストーリーの進行を邪魔しているように思えました。
そして、クライマックスのシーン、ジェシーが女性報道カメラマンのリーさんの最期を撮影する場面はあまりにも予想通りで、驚きもなく安直すぎる印象を受けました。そして最後は大統領が命乞いをしてあっけなく終了。
全体を通して、映画は観た人に「何かを感じ取れ」と言っているようですが、私にはその「何か」が曖昧で、印象に残るものがほとんどありませんでした。メッセージ性を重視する映画は大好きですが、エンターテインメントとしても、テーマ性としても物足りない作品だと感じました。
…っえ?なんでこんな評価高いんだろ
確かに最近で一番銃撃戦シーン良かったし、カメラのフォーカス合わせる感じの映像とかすげーって思うとこあったけど中身なかった。
随所随所にある人種差別とか貧困とか、人々の残酷な無関心さを描いていたから評価高いの?
ただただ、ジェシーが邪魔。若さとか無知とかそんなのじゃなく“無謀”。
最初から最後までずっとイライラしかなかった。
余韻に浸りたいと思える映画じゃない。
最近観た映画全て“あー観なきゃよかったー”って感想が頭にくるから悲しい(´・ω・`)この映画もそう。
申し訳ないですが、自分はダメな映画でした
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作は自分にはダメな映画でした。
鑑賞前はアメリカの分断社会の現実の中で、遂に内戦状態に陥り、双方の戦闘が主張と共に繰り広げられる内容を期待していましたが、ほぼ全くそういう内容ではありませんでした。
今作のストーリーは簡単に言うと、著名な女性報道カメラマンのリー・スミス(キルステン・ダンストさん)らと、彼女に憧れている女性報道カメラマンの卵であるジェシー・カレン(ケイリー・スピーニーさん)との4人が、権威主義的な大統領(ニック・オファーマンさん)にインタビューを試みる為に、内戦の中、ニューヨークからワシントンD.C.のホワイトハウスへ向かうロードムービーです。
すると、著名女性カメラマンのリー・スミスのカメラマンとしてのポリシーが映画の初めの方で伝えられます。
リー・スミスは女性カメラマンの卵のジェシー・カレンと共に、道中のガソリンスタンドの裏で武装した男に吊るされて半死になった2人に遭遇します。
しかし、リー・スミスは特に感情を動かすこともなく、武装した男を吊るされた2人の真ん中に立たせて、報道写真を撮影します。
リー・スミスは、暴行されて吊るされた2人を救うことなく、カメラマンの仕事は記録に徹することだとジェシー・カレンにその後の車中で伝え教えます。
私は(映画の1観客としても)、この報道カメラマンとしてのリー・スミスの報道ポリシーは(それがリアルだとしても)受け入れることは出来ません。
なぜなら人命を超えて報道が優先される考え方に、私は反対で同意出来かねるからです。
そんな私のような感想はさて置かれ、女性カメラマンの卵のジェシー・カレンはリー・スミスの報道ポリシーを受け入れて、例えば戦場であればジュネーブ条約違反の国際法違反である、人質を処刑する場面の報道撮影を心を動かすことなく遂行して行きます。
物語は進んで、4人の内の1人のジョエル(ワグネル・モウラさん)の報道仲間の車と遭遇し、走行している互いの車の窓を伝って移動遊びをしたりしている内に、1台だけがはぐれて、いわゆる権威主義的なアメリカを信奉しそれ以外の人間はアメリカ人とは認めず虐殺を続けている集団にジェシー・カレンらが捕らえられます。
リー・スミスやジョエル達は、捕らえられたジェシー・カレンらを助けに行くのですが、結局はジョエルの友人の香港出身のジャーナリストやその同僚が、純粋のアメリカ人でないということで権威主義的なアメリカ信奉の人間に殺害されます。
この場面は、もちろん現在の極右思想の持ち主が差別的に排外的に振舞っている帰結が大量虐殺であることを現わしていて、個人的にもその短絡思想の延長線上の殺戮に対し、激しく嫌悪する場面でした。
ところでその後、4人の内の1人のベテランジャーナリストのサミー(スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソンさん)が、機転で車を権威主義的なアメリカ信奉者にぶつけて倒し、銃殺された2人以外の、リー・スミスとジェシー・カレンとジョエルの3人を救い出すことに成功します。
しかし、サミーもその救出の過程で凶弾に倒れ命を落とします。
そしてその後、リー・スミスとジェシー・カレンとジョエルの3人は、テキサス州とカリフォルニア州の同盟からなる「西部勢力」の陣地に合流し、その部隊に従軍することで、ついにワシントンD.C.のホワイトハウスの大統領に迫ります。
しかし、大統領に会う直前にリー・スミスはホワイトハウス内で凶弾に倒れ、3人の内、大統領に到達出来たのはジェシー・カレンとジョエルだけでした。
そして大統領は命乞いだけをして、「西部勢力」の兵士に殺害されて映画は終了します。
で、さてこの映画はいったい何を伝えたかったのでしょうか?
そして、この映画が伝えている内容の趣旨に対して、私は全く同意出来ないなと思われました。
おそらくこの映画で言いたかったことは、戦場あるいは無秩序な空間での報道カメラマンは感情を殺して記録することが出来るぐらいしかない、事だったと思われます。
では、その事でその先に一体何を伝えたかったのでしょうか?
感情を殺して記録に徹することで人間性が壊れていくリー・スミスを通して、このような非人道的な戦闘や戦争を起こしてはならない、だったのでしょうか?
その割には、ホワイトハウスに乗り込んで、大統領の周囲の人間や大統領の条件を伝えていた報道官などを簡単に「西部勢力」の兵士は殺害し、命乞いをする大統領も簡単に殺害し、ジョエルも大統領の殺害を喜んでいたと思われます。
この「西部勢力」による大統領や周辺に対する一方的な殺害は、道中の差別的で権威主義的なアメリカ信奉者による香港出身の人間などを一方的に敵とみなしていた殺害と、何か違いはあったのでしょうか?
それぞれの自身の陣営の思考を正当化し、相手に対する殺戮を正当化している時点で、他者を抹消したい欲動の帰結の点では(コインの裏表の)全く同じ思想だと思われます。
感情を殺して記録に徹することで人間性が壊れていくリー・スミスを通して、とてもこの悲惨な戦場や戦闘における殺害を、この映画は否定しているとは思えませんでした。
この映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』で描かれていたのは、(権威主義的な思想の信奉者であろうが、それに対峙する「西部勢力」の人間であろうが)敵とみなしたものに対する容赦のない殺害であり、一方の側の殺戮に加担するか、あるいは、それを否定することなく感情を破壊して記録する報道機関の姿でした。
私は、他者への想像力を抹消し他者の存在を消滅させようとする思想には(それが右派的であろうと左派的であろうと)組することは出来ません。
そして、それを記録する事を感情を消すことで可能にし、相手の蛮行に対して異議申し立てをしなくて良いとする報道機関の考えに同意することも出来ません。
報道機関の人間が感情を殺している事を1人になった時に苦悩されても、目の前に存在する他者に対して想像力を辞めたことで起こっている問題の責任から、免れることなど出来ないだろうと、映画を観ていて思われました。
であるので、徹頭徹尾、この映画が提示している考えに合わず、申し訳ないですが僭越ながら個人的にはダメな映画だったと思われました。
意表を突きたい監督のラストは亜流脚本。 途中からネタバレ ★2.9
まず、よくこんな大層なタイトルを付けれたもんだ!
私が内容から付けるなら、せいぜい「新人戦場カメラマンの欲望」だ! (欲望と付くのはラストに起因)
恐らく多くの方とは真逆の評価に。
内戦というぐらいだから、序盤から時事がドンドン進行すると予想したが、本筋以外の描写シーンに時間をとり、物語がタイトルの様にシリアスに進まない・・。
そして描写とは相違なる、アッケラカーンとしたBGM。 シリアスシーンにあえて "明るい曲調" を使うというのは、黒沢明監督が「野良犬」や「生きる」で使った "コントラクンプト" という斬新な手法。 だが、本作はそれを模倣してるだけで、そこだけミュージック・ビデオの様に見えてしまう違和感が。
そして物語はほぼ、カメラマン達のロードムービーに、
小規模戦闘が挟まれる形で進行し、その戦闘描写がややシリアスというだけで、内戦の実情説明はなく、西部勢力がワシントンに侵攻するという稚拙で大まかな物だけ。
作品の全体像が、かなり中途半端でまとまりなく感じて、ぶっちゃけ大いに期待外れ。中盤まで私的に★3.2~3.3ぐらいに感じた。 (最近、鑑賞中にその時点での★点数が、頭をよぎる癖が♪)
それに、戦場最前線で敵建造物に侵入するという、最も生死が分かれる瞬間に、足手まといになるプレス関係者が、ほぼ一緒に行動してるのにも、違和感・・。
ショッキング映像を単純物語に挿入して、さも奥深い作品です、という誤魔化した様な浅はかさが私には伝わる・・。
が、終盤ホワイトハウスへの大規模攻撃シーンで、ようやくハリウッドらしくなり、★がやや上がった時、ラストシーンに唖然・・・。
その、観客を欺きたいだけの描写にあきれた・・。
★が2点台に急降下・・。
唯一、キルスティン・ダンストは、DCヒロインから年月を経て、女優では稀少なしっかり顔になって、重厚な演技を示せる存在になっている。 この様な役が自然に演じる事ができれば後年も活躍するだろう。
↓ ネタバレ含む
ラストシーン
ジェシー役のケイリー・スピーニーが、通路の真ん中にまで出てカメラを構えた時、ああ、やはりこんなエンディングか・・。
それをダンストが、かばって犠牲になる・・。
と瞬間に悟った。
ラストに誰かの死を持って、作品に奥深さを増す私的に、“逃げの脚本”だと。
ダンストが、ほぼ撃たれに行ってるような不自然な動きも、わざとらしいし・・。
が、それだけに終わらず、なんとジェシーはそのダンストを写真に撮り、彼女を無視してまだ撮ろうとする・・。
唖然を通り越し、なんと無謀で亜流な脚本か。
自身の欲望のみで動く姿は、常人として100%あり得ない行動。
憧れを持って近づいた人物が、自分を助けて目前で絶命したのに、人の死で嘔吐していた者が、突如心のない機械の様に無表情で次の行動なんて、まさにフィクション描写。
この監督は、意外性を濃く描写して、観客を驚かせたいだけと感じて、一気に冷めた。
私が敬愛するハリウッド俳優・監督である、イーストウッド、デンゼル・ワシントン、スタローンなどが、もしこの作品の制作に関わっていたら、絶対こんな恥ずかしいラストにはしていない。
彼らは自分の作品に誇りを持っていて、あり得ない様ないい加減な人物像は絶対描かない。
昨今、こういう意外性や曖昧性が強調された作品が多く、
それを評論家が高尚な作品と言わんばかりに絶賛し、アカデミー候補にもなったりする・・。
が、それらの作品はTVで何度、再放送されても、それなりの視聴率を獲る名作・・には当然至っていない。
シビル・ウォー アメリカ最後の日上映中
政治的意図で作られたプロパガンダ映画! よって、くそな映画です。
ふ~ん、なるほど、そういうことか!と冒頭から思った。
この映画が、大統領選挙前に作られて上映されたことが何を意味しているか。
「選挙行動を一定方向に導くため」・・・です。
報道カメラマンは、西部アメリカ=つまりは民主党側、
善良で真摯に状況をとらえようとする誠実な人間集団。
対するワシントンDC側=共和党、というよりトランプ側。
情け容赦なく人殺しをして差別感に満ち溢れた蒙昧な人間集団。
さあ、あなたはどちらを選択するのだ?!と幼稚なまでにプロパガンダ性に染まった作品だ。えげつないったらありゃしない。
それから笑えること。
若い女性が「NIKON FE2」で白黒写真を撮る、という設定。フィルムカメラを使ったことがあればわかるはずです。あの暗い状況で撮れるものではない。バカバカしい。絶対フィルムカメラを使ったことのない人間がシナリオを書いたか、演出におぼれたかのどちらかだ。
アメリカの分断をもっとまじめに描いた映画かと思って期待して観たが、何のことはない,単なる民主党応援のエンターテイメント映画だった。
全687件中、261~280件目を表示