「ホワイトハウス侵攻の場面は、本当に怖い。」シビル・ウォー アメリカ最後の日 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
ホワイトハウス侵攻の場面は、本当に怖い。
もしもアメリカで内戦が勃発したら…という戦争アクション映画かと思ったら、二人の女性戦場カメラマンの目を通して、内戦下のアメリカを客観的に見せていくシリアスな映画だった。
彼女ら取材クルーがワシントンD.C.に向かってニューヨークを発つと、ロード・ムービーが進行する。
そこで映し出される理由なき殺人、無関心を装う市民など、アメリカン・ニューシネマを想起させ、音楽(歌)の斬新な使い方などは『イージー・ライダー』のようではないか…。
ワシントンD.C.へ向かう車に乗っているのは、著名な戦場カメラマン・リー(キルスティン・ダンスト)、リーに憧れる新人カメラマン・ジェシー(ケイリー・スピーニー)、リーの相棒でロイターの記者・ジョエル(ヴァグネル・モウラ)、リーとジョエルの先輩でニューヨーク・タイムズの老記者・サミー(スティーヴン・ヘンダーソン)の4人。
ケイリー・スピーニーは『プリシラ』『エイリアン∶ロムルス』に続く2024年3本目の大活躍。(撮影時期は知らないけど)
冒頭のニューヨーク市街地での暴動・爆破場面から、最後のホワイトハウス攻落の場面まで戦闘シーンがいくつもあるのだが、映像も音もリアルだ。
戦場にいない我々に戦場の恐ろしさを伝える映像として、おかしな言い方だが、本物の映像よりも臨場感がある。…それが演出というもの。
本作の特徴は、カメラマンの目としてモノクロの静止画を挿入したことだろう。
写真はある瞬間を切り取ったもので、それが返って動画よりもインパクトを強くしたりする。その効果を利用して、写真を撮るカメラマンの状況と重ねて見せる手法が上手く、緊迫感を増している。
アメリカには州兵がいたり、州ごとの防衛軍があったりするので、いくつかの州が連合を作るとそれなりの軍備で戦争を起こすことも可能なのかもしれない。
とはいえ、合衆国軍に戦力で圧倒するとは思えない。
この映画では、大統領(なぜか3期目…)がFBIを解散させている(理由は不明)くらいだから、連邦の力が落ちていたのだろう。
終盤の首都攻防の場面では、攻撃ヘリが都会のど真ん中で建物の2階くらいまで高度を下げてロケット弾を撃ち込む。
SF映画なら珍しくない気はするが、なぜかこの映画では衝撃的だった。
この映画をジェシーの成長物語と捉える向きもあるが、肝が据わっていくのを成長と言ってよいのだろうか。
場数を経験しているはずのリーが身をすくませ、興奮状態のジェシーがシャッター切りまくるホワイトハウスのシークェンスは、戦場が狂わせるのは兵士だけではないと言っているようだ。
実際の戦場カメラマンは命が危険なところまでは行かないという話を聞いたことがあるが、戦闘に巻き込まれて亡くなった戦場カメラマンがいるのも事実。
ジェシーがリーを一瞥しただけで、大統領が隠れている部屋へ急いで向かう場面は、本当にショッキングだ。
私もこれを「ジェシーの成長物語」と捉えることに、異を唱えたいです。
成長、というより、肝が座っただけ、「一流戦場カメラマン」として進むべき道を体感しただけだと思います。
人間性を持っていたら、一流にはなれないんですよね。
彼女にはその、資質があると思いました。人でなしの資質と言っていいと思います。
モノクロの静止画と写真の効果がとても活きていたとのご指摘、同感です!
戦場では何かを麻痺させなければならないと想像します。シャッターを押し記録に残すのが使命のカメラマンは殺人はしない。殺人画像を残すことで戦場に居ない世界中の人達に伝えるためにリーは働き彼女の思いはジェシーに伝わったと思います。
殺らなければ殺られると言う状況の中では、狂気のような人間の感情も自分を守ろうとする本能なのかも知れないですね
極限の中では誰もがそうなるかも知れない
怖いですよね
私もレビューには、一応成長と表現しましたが、あくまでも狂気と死を表現する為の導線の話で、成長物語だとは思ってません。どちらかと言うとジャーナリズムの死さえ示唆してる気がします。
僕もこれをジェーシーの成長物語といってはいけない気がするし、監督もそれは意図していないように思いました。
ただ単に危険に対しての感覚が麻痺していくのを描いているように思うし、真実を伝えたいという報道の本質ではなく、スクープを撮ってリーのようになりたいという自己利益のように映りました。
共感ありがとうございます。
現在の戦争の恐怖を甦らせてくれた作品になりました、コレ観る前にプライベートライアン観ていたので余計に。
ヘリが怖かった、爆音とか首都攻撃の砲火とか。