「オズの国」シビル・ウォー アメリカ最後の日 SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
オズの国
傑作だと思う。でもしばらくは、何でこの映画がこんなに不思議な魅力、不思議な余韻があるのか、自分でも良く分からなかった。
そのカギは映画のラストの写真に隠されているように思った。
次第に現像が完成し、絵があらわれる。
横たわる大統領、満面の笑みの兵士たち。
この不気味さ。このホラー的気持ち悪さ。
何か既視感がある。あっ! これはキューブリック版のシャイニングのラストだ。
最後の写真で、ジャックがホテルにとりこまれてしまったことが分かる、あのシーンと同じだ。
監督のアレックス・ガーランドは「エクス・マキナ」や「MEN 同じ顔の男たち」など、超現実的な舞台設定で現実を痛烈に風刺する作風なので、この映画を「リアルにアメリカが内戦になったらどうなるか」という物語だと期待して観てしまった人にはたぶんすごく評価が低くなってしまっただろうと思う。こんなんありえないでしょ、とか、内戦の原因が全然語られてない、とか。
プリンだと思って茶わん蒸しを食べたらまずくて食えたものじゃない、というのに似てる。茶わん蒸しだと思って食べたら美味しく感じる。だからこの映画がつまらないと感じてしまうのは、宣伝にも一端の責任がある(まあ、とはいえ、はじめから「茶わん蒸し」だと言ってしまったら売れないから、「プリン」だと言って売ることにしたのかもしれない)。
一見、この映画はリアル重視に作られているように見える。
主人公たちは戦場カメラマンで、この設定によって観客の映画への没入感がハンパない。どちらの味方というわけではなく、ただ記録することが使命、という客観的立場であることと、映画を観るだけという立場がすごく重なるためだ。そしてカメラワークがまさに主人公たちと一緒に行動しているように錯覚させ、心臓がバクバクなりっぱなしだった。「戦場」「命の危機の状況」という意味でのリアリティ、生々しさがむき出しにある。
しかし、物語自体はリアルではない。むしろ童話のようだ。連想するのは「オズの魔法使い」。
主人公は住み慣れた農場から竜巻にとばされて、奇妙な「オズの国」に飛ばされてしまう。主人公は3人の仲間と合流し、それぞれは自分自身の望みをかなえるため、この奇妙な国を支配する「オズ」に会いに行くことにする。その過程で様々な国に立ち寄っていく。この話はロードムービーなんかじゃなくて、現代の童話なのだと思う。
2人の主人公、リーとジェシーがどちらも農場出身なのもそれを連想させる。
主人公を含めた4人は、それぞれ叶えたい願いがある。ある者は「平和なもとの世界に帰るため」、ある者は「功名心や自己実現のため」、ある者は「興奮したいから」、それらは、「オズ」(大統領)に会うことで叶えられると信じている。
旅の先々で奇妙な体験をする。ある町では、一見のどかだが、人が誰もおらず、家にはダミー人形が置かれている(無人の家にダミー人形が置かれているのは、核実験場でのダミーの町を連想させる)。ある町では、一見、内戦がなかったかのような平和な世界だが、実は単なる見せかけである。ある町では、人種が違うだけで人間扱いされずに殺される。
この世界は奇妙だ。大統領を殺せば、すべてが解決されると思い込んでいる。そんな単純なわけがないのに。童話の登場人物たちがシンプルにオズに会いさえすればいい、と考えているのと同じ。
主人公たちは、レイシストたちに生殺与奪の権をにぎられたとき、心の底から恐怖し、命乞いした。それなのに、命乞いをする大統領を殺すことに全く葛藤を抱かなかった。
そして最後の写真。「元の国」(平和なアメリカ)から来て、この「奇妙な国」(内戦状態の異常なアメリカ)を取材していたはずのジェシーたちが、この世界の一部に完全にとりこまれてしまった、ということを端的に示す。
ジャーナリストとしての良心と使命をもっていた、サミーとリーが死亡してしまったことは、今のアメリカにまともなジャーナリストがいない、ということの暗喩ともとれる。
共感ありがとうございます。
素晴らしい考察に感動しました。求めるものを手に入れたドロシー一行に比べて彼等は次々と何かを、生命までも手離していったようでした。現代のオズはこうなると考えるとまた皮肉ですね。