「【”お前はどの種類のアメリカ人だ?”今作は、現代アメリカの政治的分断による起こり得る危機を激烈な戦闘シーンで描きつつ、本質的には、戦争カメラマン、ジャーナリストの在り方について描いた作品である。】」シビル・ウォー アメリカ最後の日 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”お前はどの種類のアメリカ人だ?”今作は、現代アメリカの政治的分断による起こり得る危機を激烈な戦闘シーンで描きつつ、本質的には、戦争カメラマン、ジャーナリストの在り方について描いた作品である。】
■アメリカ合衆国から、西部の諸州(WF)が独立し、内戦状態になったアメリカが舞台である。
だが、今作では何故内戦が歿発したかについては、政治的配慮もあるのだろうが詳しくは描かれない。
イキナリ、WFがハンヴィーや戦車に乗り、大統領のいる首都、ワシントンDCに向かう光景と、それに付いていくベテラン戦場カメラマンのリー(キルスティン・ダンスト)と記者のジョエル(ワグネル・モウラ)達は、大統領の単独取材を計画する。
そして、ベテラン記者サミー(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)やリーに憧れる新人カメラマンのジェシー(ケイリー・スピーニー)も同行する。
◆感想
・四人が、途中で遭遇する民兵グループ、レイシストの武装集団との遭遇シーンの緊迫感が恐ろしい。
特にレイシストの武装集団との遭遇シーンである。
多数の黒人たちを殺戮したと思われる死体を荷台に積んだダンプ。
そして、サミーが制止する中、リーとジョエルとジェシーらは彼らに接触しに行くが、赤いサングラスをかけた男(ジェシー・プレモンス:ご存じの様にキルスティン・ダンストの旦那さん。注目株の俳優である。)が銃を構えながら、”お前はどの種類のアメリカ人だ?”と聞きながら、一人一人の出身地を訪ね、運転手の男が”香港”と告げた途端に容赦なく撃ち殺すシーンや、多数の黒人たちを重機で掘った穴に埋めるシーンは、正に現在のアウシュビッツである。
・サミーの機転で危機を脱するが、この頃から新人カメラマンのジェシーの、危険を恐れない死の瞬間を捉えるスクープを撮る事に執念を抱いて行く姿に変貌していく様が恐ろしい。
日本人戦争カメラマン、沢田教一氏が撮影したべトナム戦争時に川を子供を抱えて渡る姿を撮った写真が、世界に強烈なメッセージを発信したのは反戦思想を伝えるためである。
だが、この作品では、そのジャーナリストとしての気概を持ったリーとパパラッチの如きジェシーとの対比が見事に描かれている。
・WFは、ホワイトハウスを包囲し、激烈な戦闘を繰り広げる。そしてホワイトハウス内に突入したWFの兵士たちは、職員を次々に問答無用で殺していく。
彼らについて、邸内に入るリーとジェシーとジョエル。だが、リーは無謀なジェシーのスクープ写真を撮ろうとする行動の盾となり、斃れる。
そして、WFの兵士たちは、最後には命乞いする大統領をも撃ち殺すのである。
その写真を撮るジェシーのレンズの中には、得意満面のジョエルもいるのである。そこには、戦争カメラマンやジャーナリストとしての使命感は感じられないのである。
<この映画は、現代アメリカの政治的分断による起こり得る危機を激烈な戦闘シーンで描きつつ、本質的には、戦争カメラマンの在り方について描いた作品である。
変質していく、戦争カメラマンジェシーの姿は、秩序が崩壊した時代に適応した象徴なのだろうか。
この映画には、希望は無い。只、絶望のみが残る作品である、と私は思う。>
今晩は。
いつも通り素晴らしいレビューですね。
最近、何を観ても全く感情が湧かなくなってしまいました。つまり全て面白く感じないのです。歳なのか、病気の後遺症なのか。それでもNOBUさんのレビューを拝見し、そうか、そうだよな、なんて思ってる次第です。
自分は戦場カメラマンやジャーナリストも完全な正義ではないと感じました。どんどんイイ写真が撮れる様になっていくのも、人間性を喪ってマシーンの様になったからではないのでしょうか? 庇ってくれた人にも一瞥をくれるだけ・・怖かったです。
共感ありがとうございます。同じ映画を観ながら解釈がかなり異なるものだとレビューを読ませてもらって感じました。ワシントンDCに入ってからのジェシーの撮影は確かに無謀でありパパラッチのようだ、という指摘はその通りと思います。ただ彼女は戦場カメラマンとして他の国で撮影をしているのではなく、そこは彼女の国アメリカなのです。いわば彼女はカメラを銃に持ち替えて戦っているのでしょう。そこがプロであるリーとの違いであってプロだからこそ最後の局面でリーは状況に恐怖を覚えるのです。これが戦場カメラマン、ジャーナリストの在り方について描かれた映画であるという解釈も私はとりません。それはいわば文明的なテーマであって今、この時に必然ではないから。やはりこの映画はアメリカの分断への恐怖、警鐘が最大のテーマでありカメラマンたちは目撃者として配されているだけなのではないでしょうか。議論のしがいがある作品ですね。