リモノフ : 映画評論・批評
2025年9月2日更新
2025年9月5日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
空虚な自己顕示欲は膨大なエネルギーを伴い “本物”に押し上げてしまう
このハチャメチャな伝記映画の主人公、エドワルド・リモノフというロシア人について詳しく知っている人は日本では稀だろう。ロシアの最高権力者プーチンの政敵、ネオ・ファシズムの過激派、1970年代のNYで放蕩生活を送り、80年代のパリで人気作家となり、ペレストロイカ以降のロシアに舞い戻って政治家となったパンク詩人。もう属性が多すぎて、とてもじゃないが実像がつかめない。
勇ましい英雄になりたいと望み、ペンネームで“手榴弾”を意味するリモノフを名乗るとことん中二病な野心家。破滅的で身勝手で矛盾に満ちた奇人をベン・ウィショーが身を切るような切実さで熱演しているのだが、キリル・セレブレンニコフ監督はそんな男を容赦なく“まがい物”として描き出す。

(C) Wildside, Chapter 2, Fremantle Espana, France 3 Cinema, Pathe Films.
例えば劇中ではルー・リードの「ワイルド・サイドを歩け」が、リモノフが自らを鼓舞するテーマソングとして鳴り響く。猥雑な70年代のマンハッタンを歩きながら、曲に合わせて黒人女性たちがコーラスを歌い、街角のトランペット吹きがソロを奏でる超現実的な場面はリモノフの心象風景なのだろう。
ところが実際に「ワイルド・サイドを歩け」のコーラスを歌っていたのは(歌詞に反して)白人女性のグループだし、ソロはトランペットではなくバリトンサックスなのである。ここには、リモノフは現実を歪めて都合のいいイメージを増幅させているに過ぎないという皮肉がある。
またリモノフの祖国ソ連を強調する際にいかにもロシア風のメロディーが流れるのだが、それもアメリカ人ミュージシャン、トム・ウェイツの曲だったりする。このイカサマ感、まがい物感が意図的であることは、セレブレンニコフ監督が生粋のロシア人であることからも明らかだろう。
何者かになりたいと切望するリモノフは、自己肥大をこじらせながら“反骨の無頼キャラ”を育て上げていく。精一杯去勢を張り、逆張りを重ねるイキリ芸を続けた先に“ネオナチの若者たちのカリスマ”という国粋主義キャラが出来上がっていくプロセスは、トランプ時代のアメリカから昨今の日本まで世界中で頻発している現象であり、だからこそリモノフという人物には探求する価値があるのだろう。
しかしリモノフの空虚な自己顕示欲は膨大なエネルギーを伴っているからこそ、当人をある意味で“本物”に押し上げてしまう。彼が紡ぎ出す言葉に妙な説得力が宿ったときこそ、われわれは一番警戒しなくてはならないのだと、けたたましい警鐘が聴こえてくるような映画である。
(村山章)