「チョ~ビックリ。確率が評点に変換される牽強付会の論理展開」傲慢と善良 ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
チョ~ビックリ。確率が評点に変換される牽強付会の論理展開
話中で言及される
『ジェイン・オースティン』の小説〔高慢と偏見(1813年)〕。
「Wiki」先生では
「イギリスの片田舎を舞台に、女性の結婚事情と、
誤解と偏見から起こる恋のすれ違いを描いた恋愛小説」と
まとめられている。
本作はそのタイトルを借用し、
舞台を現代の日本に置き換え、
近似のモチーフで展開する小説の映画化。
婚活アプリで知り合い、結婚の約束をしたものの、
女の方が突然失踪。
男が女を探す中で、
今まで知らなかった女の素顔を知り
彼女がついていた嘘が見えてくる、との筋立て。
予告編や宣伝はミステリーを思わせる表現も、
推理を働かせる余地は皆無。
手掛かりは最初から提示されているし、
女の行方もあっさり明らかにされる
(失踪の理由は別として)。
では見所は何かと言えば、
イマイマの若者の恋愛事情や結婚観のリアル。
もう何十年も前に、そうしたイニシエーションを経たおぢさんからすると、
驚きの連続。
昔でも(家柄が)つり合う・つり合わないとの表現はあったが、
ここで使われているのは全く別の意味合いのよう。
あくまでも主体は「自分」で、判定するのも「自分」。
数値化や価値化も頻繁に登場し、
果たしてこれは「恋愛」なのか?と疑問が湧き出す。
「恋愛」と「結婚」は
一直線上に在るものと考えていたが、どうやら別物らしい。
もっとも、人間に対する深い洞察と、世相を掬い上げる優れた感覚。
それらを反映し的確に表現する筆力のある『辻村深月』のこと、
事前のリサーチも入念に行った上での描写なのだろう。
煮えきらない男の態度は、誕生日のプレゼントを渡す場面で明らか。
受け取った女は期待を外され、その後の奇矯な行動に繋がる。
背景にあるのは、互いのことを積極的に知ろうとはせず、
本音をぶつけ合うこともしない態度。
責任は両者にあると言えそう。
カラダを重ね、視線は交差するものの、
相手を真正面から見てはいないことが失踪に繋がり、
探す過程で彼女を知る多くの人に会い、
過去や人となりが分かって来るのはなんとも皮肉。
ただし団円は「雨降って地固まる」の帰結で、
唐突感もあり、あまり釈然としない。
個人的に最も怖気をふるったのは、
男の女友達たちの一方的な論理展開と
おためごかしの行動。
男に対する複雑な胸の内もあるのだろうが、
まさにタイトルそのままの行いは、
自分が当事者だったら、
ホラーでしかない。
自然恋愛からの結婚と、婚活から始まる結婚では違うのかもしれませんね。
「一年経ってもプロポーズがない」というのも、普通に付き合っただけなら普通ですし。
結婚前提の婚活アプリで出会ったからこその焦りだったのか。