劇場公開日 2025年1月17日

アプレンティス ドナルド・トランプの創り方 : インタビュー

2025年1月16日更新

「他者との関係によって、彼という人物は形成された」アリ・アッバシが追求する“人間”ドナルド・トランプの変容

セバスチャン・スタン(左)、アリ・アッバシ 監督(右)
セバスチャン・スタン(左)、アリ・アッバシ 監督(右)

来たる1月20日、2期目の大統領就任を果たすドナルド・トランプ。1期目や選挙中には耳を疑うような言動を数々残してきたことは知られているが、彼のとんでもない人物像がとある創造主によってつくられたものだとしたら? 1月17日から公開される「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」は、80年代のニューヨークを舞台に、若き日のトランプが伝説の弁護士に導かれ成り上がっていく過程を描く伝記映画である。そこで明かされるのは、もともとトランプは気弱で繊細な青年だった…という驚きの過去。第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品され話題を呼ぶも、その内容からトランプ本人が米国での上映阻止に動いた問題作だ。

画像10

メガホンをとるのは「ボーダー 二つの世界」(2018)や「聖地には蜘蛛が巣を張る」(2022)など、独自の感性で社会問題に肉薄し、世界に衝撃を与えてきたイランの鬼才アリ・アッバシ。青年トランプを演じたのは「アベンジャーズ」シリーズのセバスチャン・スタン。トランプの喋り方から仕草、表情まで完璧にマスターし、「本人にしか見えない」と話題の圧巻の演技を披露した。そしてトランプを導いた弁護士ロイ・コーンに扮するのは、TVシリーズ「メディア王 華麗なる一族~」での演技が賞賛されたジェレミー・ストロング。冷徹で勝ち気な男の驚くような変化を見事に表現する。

アメリカ人ではないアリ・アッバシ監督は、ドナルド・トランプという人物を一体どのように描こうと考えたのか。リサーチを重ねるなかでのトランプに対するイメージの変化や、アメリカ資本主義に対する意見を伺った。(文/ISO)。


【「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」あらすじ】

画像2

20代のドナルド・トランプは危機に瀕していた。不動産業を営む父の会社が政府に訴えられ、破産寸前まで追い込まれていたのだ。そんな中、トランプは政財界の実力者が集まる高級クラブで、悪名高き辣腕弁護士ロイ・コーンと出会う。大統領を含む大物顧客を抱え、勝つためには人の道から外れた手段を平気で選ぶ冷酷な男だ。そんなコーンが“ナイーブなお坊ちゃん”だったトランプを気に入り、〈勝つための3つのルール〉を伝授し洗練された人物へと仕立てあげる。やがてトランプは数々の大事業を成功させ、コーンさえ思いもよらない怪物へと変貌していく……。


画像3

――ドナルド・トランプに好意的な層はその強さにより憧れを強め、批判的な層はよりその凶暴性により嫌悪感を強める作品ではないかと感じましたが、アメリカでのMAGA派とリベラル派の反応はどのようなものでしたでしょうか?

MAGA派の人々と個人的に話す機会はあまりなかったのですが、オンラインではいくつか見かけました。猛烈な批判やネガティブな反応もありえると思っていたんですが、面白いことに否定的な意見はほとんどなかったんです。宣伝や広報などを見た彼らは、本作がトランプを中傷する内容と思っていたようですが、実際のところきちんと一人の人間として描いていると感じてくれました。

一方で私の友人たちをはじめとするリベラル派の人々はトランプが本当に大嫌いなので、当初は「彼の映画なんて観たくない」という反応でした。でもいざ作品を観ると、トランプという人間を理解することができたと言っていましたね。興味深かったのは、トランプにシンパシーを感じるような反応が得られたことでした。

――両陣営に挟まれ、アメリカでの公開は大変だったのでは。

アメリカにおいて本作の公開に苦労した理由のひとつが、本作がリベラル派にも保守派にも受け入れられない映画のように見えたことにあったと思います。先ほど述べた感想を知らないと、リベラル派の人々は「ドナルド・トランプの映画なんてうんざり。名前すら聞きたくない」と言うでしょう。そしてMAGA派の人々も「共産主義者と組んで、トランプを悪者に仕立て上げようとする変なリベラルが現れた」と批判すると思います。そして両陣営ともいざこの映画を観ると、それが誤解だったと理解するのがとても面白かったですね。

画像4

――本作はドナルド・トランプを悪魔化せず、あくまで一人の人間として描くことに軸を置いていたかと思います。Esquireのインタビューでも「これは人間の変容についての映画だ」と語っていましたが、監督としてそのスタンスを取った理由を伺えますか?

ドナルド・トランプを一人の人間として見ることはとても重要だと思ったからです。彼とロイ・コーンを複雑な内面を持つ人間として描くことで、彼らが持つ権力や影響力のみならず、彼らを取り巻くアメリカの構造がどのようなものになっているかということまで掘り下げられる作品にできると考えました。

この2人については、これまでにもさまざまな映像作品やドキュメンタリーがつくられています。彼らは悪党や卑劣な人間だったり、あるいはヒーローだったりとあらゆる視点から語られてきました。でも我々はそこに何かを付け加えるような描き方はできないし、やりたくもありませんでした。個人的に興味があり、観たかったのは彼らの人間性。だから本作では彼らを人間として見せるようにしたんです。

画像5

――本作を撮影する上でトランプについてのリサーチもされたと思いますが、その過程の前後で監督はドナルド・トランプに対するイメージに変化はありましたか?

実は本作に携わるまでトランプに対しこれといったイメージを持っていませんでした。それが製作するうえでの私の強みになったのではないかと思います。もともと彼が不動産界の有名人であることはなんとなく知っていましたが、私が本当に認識し始めたのは、彼が2015年にトランプタワーの金色のエレベーターを降りてきて大統領に立候補することを発表したとき。当時は彼のことを軽視していたし、冗談かと思っていましたが。その後もメディアで見聞きしたくらいで、彼について具体的な見解を持っていたわけではありません。本作を観る人々がかつて抱いていた印象と同じような気持ちだったかもしれませんね。仰るとおり本作を撮るにあたってトランプについてのリサーチを行いましたが、これまで知らなかった彼の側面について知ることができたと思います。

画像6

――そのリサーチのなかで、監督がドナルド・トランプに共感する部分はあったのでしょうか?

たとえばヒトラーは禁煙を推進しましたよね。私を含む嫌煙家の人は、そこにだけはきっと共感できるでしょう。そのように人間というのはたとえどんな極端な相手であろうと、多少なりとも共感できる部分を見つけることができると思うんです。今回私がトランプについて向き合うなかで、私が好意的に感じたのは彼の粘り強く執拗なところでした。またポリティカル・コレクトネスの在り方や、あらゆるものがアイデンティティ・ポリティクスというレンズを通じて見られるようになりつつある風潮に対し、私も少し問題意識を持っているので、彼の言うことに理解できる部分も少しはあります。

そして最も重要なポイントですが、彼はポピュリストです。たとえば明日から大衆が牛肉を食べないと言えば、トランプも他の皆と同じようにベジタリアンになることでしょう。彼はそれくらい主義のない、柔軟な人物なのだと思います。なので一人の人間として見ると、トランプという人物がどれほどロイやイヴァナ、父親やメディアの人々といった他者との関係によって形成されてきたかが分かります。それこそが彼の最も興味深い点だと感じ、彼に少しずつ起こった変化を観察したいと考えたのです。簡単に「彼はこういう人物だ」と結論づけることには興味はありませんでした。

画像7

――本作はニクソン政権からのアメリカと、資本主義の変容についての映画でもありましたね。アメリカ人ではない、外側の人間であるアッバシ監督がその歴史を紐解く中で、アメリカという国家をどのように捉えましたか?

本作を手掛け始めた頃、私は脚本家のガブリエル(・シャーマン)と製作総指揮のエイミー(・ベア)の3人で、このゼロサムゲームについて話し合いました。アメリカでは勝者がすべてを手に入れ、敗者には何ひとつ残りません。私はこのシステムの源流にあるのは、物事に対処する本能的な方法なのではないかと思うんです。たとえば、誰かと戦って倒したらすべての食べ物を勝者が奪い取る、という原始的な時代がどの国でもあったように。ですがそこから文明は発展して「絶対的な勝者が一人だけだと何千人もの敗者が生まれ、社会にとって良いことではない。人々があらゆるレイヤーで勝ち負けをする社会の方が健全だ」と気付き変化し始めます。

しかし、アメリカはゼロサムゲームのシステムに固執し、それが社会基盤となっているように思えるんです。なぜなら、アメリカでは勝たなければ何も手に入らないから。そうなると人々にとって「勝利」こそが唯一の使命となり、何よりも重要なことになります。そして、勝つためには手段を選ばなくなってしまいます。彼らの経済や、法制度、選挙制度を見ればそれは明らかでしょう。今回の大統領選でトランプが当選したことは、その最たる例だと思います。彼には数多くの重罪や不正行為、告発や問題がありました。しかし彼が当選した途端、それらがすべて魔法のように消し去られたのです。つい先日も彼が有罪評決を受けている裁判で、“無条件の放免”という異例の判決が下されました。判事は「あなたは重罪犯ですが、2期目の大統領を頑張ってください」と告げたのです。

画像8

――1月10日にニューヨーク州地裁で下された判決のことですね。重罪で有罪となっていたが、刑罰は科さないという。

そうです。また、我々はこの映画で70年代末から80年代という、特定の興味深い時代のことを描いています。日本も高度経済成長後で、経済大国として世界に台頭した時代でもありますよね。トランプは、1987年にニューヨーク・タイムズとワシントン・ポスト、そしてボストン・グローブに「他国のために金を使うな」とレーガン政権を批判する全面広告を掲載します。彼はその頃からアメリカ・ファースト(米国第一主義)を訴えていたのです。80年代に彼は「日本はアメリカで自動車を売りまくっている。我々はぼったくられているんだ」と述べていました。そして現代では日本は中国に置き換えられ、ドイツはメキシコに置き換えられていますが、彼が述べる構造は変わっていません。

私が言いたいのは、ある意味で資本主義や金融などの台頭が世界を形づくってきたということ。金融業界が強力になったことで、人々の生活が変わったという国も多いのではないでしょうか。私がこれまで住んだり訪れたことのある西側諸国の国々とアメリカの最大の違いは、社会の基盤となる基準や合意があるということだと思います。日本もそうでしょうが、人々は物事について意見が分かれることがあっても、政府に対する最低ラインの信用があり、間違っても「実は12人の老人たちが地下室で葉巻を吸いながら国を滅そうとしている」といったことは考えていないですよね。

ですが、アメリカの人々は政府のみならず、自国のシステムや司法すらも信用できないという感覚が根強くあります。それにはさまざまな理由もあるとは思うのですが、何も信用できず、誰もが自分自身で何とかしなければいけないという個人主義は、やがてパラノイアを生み出します。そして、ゼロサムゲームとパラノイアが組み合わさり、アメリカという独特な国家が形成されているのではないかと思うのです。

画像9
「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」の作品トップへ