動物界のレビュー・感想・評価
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考えさせられる映画 A movie that inspires deep thought
おそらく、
実世界のメタファー(比喩)なんだろうけど
観る人によってそれが何なのかは
微妙に変わるかもしれない。
およそ100年ぶりに(スペイン風邪以来)
人類はパンデミックを体験したことと
この作品は無関係とは思えない。
感染症に対する比喩なのかもしれないし
あるいは性的マイノリティに対する
比喩なのかもしれない。
実際、第二次大戦ごろ
ゲイは治療対象として
外科手術が行われたという歴史があるし
ドイツのエニグマを解読した
アラン・チューリングに対し
当時、同性愛は罪とされ
逮捕、治療されたことは事実だ。
そういったことに対して、
どのような態度を取るのか
取れば良いのか、
観る側は突きつけられてしまうように思った。
実際、観終わってから
頭の一部がこの映画に支配されている。
未来を感じる終わり方が
個人的には救いになった。
It’s probably a metaphor for the real world, but what exactly it represents may subtly vary depending on the viewer.
Given that humanity has experienced a pandemic for the first time in about 100 years (since the Spanish flu), it seems impossible to think this work is unrelated to that event.
It might be a metaphor for infectious diseases, or perhaps a metaphor for sexual minorities.
In fact, during World War II, gay individuals were subjected to surgical “treatment” as if they were patients, and history tells us that Alan Turing, who cracked Germany’s Enigma code, was arrested and forced into treatment because homosexuality was considered a crime at the time.
The film seems to confront the viewer with questions about what kind of stance to take or what stance is appropriate toward such issues.
Even after watching it, I felt as though part of my mind remained captivated by this movie.
For me, the ending, which hinted at a sense of the future, offered a sense of salvation.
「守ってなんかいない!」
ポスターのビジュアルに惹かれて観に行った。
奇病による"新生物"というテーマだけど、
根底にあるのは「愛とは?」みたいな話かもと感じた。
緊迫感が常に漂う中で端々から感じる温かさは、
きっとそれが理由なのかもしれない。
歪であり素敵とも感じる父子の関係が印象的だった。
小言のなかに矛盾が多いのは親あるあるかも笑
お父さんは「守りたい」「一緒に暮らしたい」、
エミールは「真の理解」を求めてたと思う。
父に"ケダモノ"と呼ばれたフィクスを助けることで自分でも変異していく自分を受け入れられたのかもしれない。
最後は、お父さんも「本人の幸せ」を最優先して、お互い幸せそうな顔だったなぁ
でもこれって割と親子であるかも。
安全な道を歩ませたい親と、それによってありのままの自分を出せない子ども。
本人を信じて解き放つ勇気って大変だろうけど、きっと必要なことなんだろうな。
はたから見たら獣だし、
身内にとっては家族だし、
被害が出ればケダモノだし。
自分がなったら?とか色々考えた。
終わってから、
・新生物同士捕食関係になったりするのかな?
・日本だとニホンザルとかその地域特有の変異があるのかな?(もし北国で南国の動物に変異したら大変…)
・体が完全に動物寄りになったらオリジナルの同種と共存できるのかな?
とか、その後の世界がどうなっていくのかシンプルに気になった。
とんでもない設定を、真面目にストレートに
物足りない
Nature
様々な動物へと変化していく奇病が流行っている世界で生きる親子の話で、思っていた方向よりかはドラマ性重視の作品でしたがそちらのテイストでもしっかり楽しむことができました。
テーマ的にはコロナ禍をモチーフにしているらしく、感染者の隔離と非感染者との距離の取り方だったりを少しオーバーに描きつつ、それでいて身近な人が感染していたらというのも描いているので、動物人間パニックムービーかと思って観に行きましたが、テーマが奥深いのもあってしっかりのめり込めました。
エミールが動物の症状がチラホラ出てくる感じが微々たる変化の積み重ねだったというのもうまい演出だなと思いました。
小さな牙や鋭い爪が生えたり、背中が尖ってきたり、自転車がうまいこと漕げなくなったりなどなど、当人ですら気づかないものから周りが怪しむレベルまでの変化をゆったりと描いていて、病気に感染する残酷さをしっかり表現しているなと感心しっぱなしでした。
ADHDのヒロインはそこまで出てくるわけでは無かったのが惜しかったです。もっと絡ませて生存本能を刺激するシーンがあればなぁってなりました。
動物人間のデザインが仰々しいものでありながら、半分人間半分動物なのもあって美しいとも取れるデザインになっていたのがとても良かったです。
鳥人間にタコ人間、ライオン人間に犬人間etc…それぞれの特徴と能力を組み合わせた感じなので、実際にいてもおかしくないなという塩梅なのも今作に良いスパイスを与えているなと思いました。
どんな動物になるかとかは全く分からずなランダム性は病気にかかるのですら怖いのに、下手したらとんでもない動物になるのかと思うとゾッとするところもあります。
序盤で街中で暴れていた鳥人間のフィクスが後半ガッツリ物語に絡んできて、エミールと仲良くなったり、一緒に飛べるように練習したり、窮地に追い詰められた時には羽を差し伸ばしてくれたりと人間と動物の間を彷徨う登場人物として最高な活躍をしてくれました。
母との再会だったり、同じ感染者たちとの出会いだったりは少ないながらも自然の美しさ込みで壮大なものになっていたのが印象的でした。
エミールが自然に戻っていくラストは好み分かれそうなところですが、家族を大事に思っているフランソワが下した決断はかなりのものだったと思いますし、永遠に会えないかもしれない別れなのに前向きな表情だったのと、エミールが爽やかに走り出すもんですから眩しささえ感じてしまいました。
2人で最後の会話を交わしながら、塩分の塊だったポテチをムシャムシャと食べるフランソワの姿が美しく見えてカッコよかったです。
自分は親元から旅立った側の人間なので、見送る側の立場になったらそれはそれは辛いけど前向きに送り出すんだろうなと思いました。
改めて両親に感謝をしながら劇場をあとにしました。
鑑賞日 11/12
鑑賞時間 17:45〜20:05
座席 I-3
仏製アニマライズスリラー
人間がさまざまな動物に変異する謎の奇病が蔓延した近未来を舞台に動物に変異したまま姿を消した妻を捜す男とその息子の姿を描きだす。仏製アニマライズ詩情スリラー放出。ケモノに変わりゆく世界で人間たちは何を思う。人間と動物のハイブリッドという設定自体の新機軸や解釈、メタファーなど多様に描こうとする題材が開かれている。それぞれが動物化するおぞましさがある一方で、動物化することで自己採掘や生き方の問いの是非を導きだすような風刺的側面もある。新生物のビジュアルや造形もアニマトロニクスやデジタル効果などで表現したみたいでリアリズムが良く出来てる。強制隔離された世界で現実世界との対比や人間自体の脆弱ぶりを思い起こさせる思慮深い作品へ昇華される。
わたしはタコになりたい
北欧映画かとおもったらフランス映画。予告編でヨン・アイブィデ・リンドクビスト原作·脚本の「ボーダー 二つの世界」と同じような匂いがした。
やはり、現代の寓話だった。
母親はなんの動物とのキメラだったのか?アザラシみたいな顔だったが、千と千尋の神隠しのカオナシみたいなからだつきだった。監督はもののけ姫に強く影響を受けたらしい。
ADHDだと自分から名乗るクラスメイトの彼女。エミールがオオカミに変わりつつあるのを分かったうえでのあの行動。単に好奇心が強いからだとは思いたくない。異端同志のSYMPATHYに裏打ちされた愛だと思う。とても印象に残る素敵なキャラだった。
憲兵隊の女性曹長役はアデル ブルーは熱い色のアデル。新生物に対する軍隊の対応に疑問を抱き、フランソワに同情し情報を流す。フランソワも熱い男だったよ。ポテチをめぐる息子との確執のシーンで彼が反体制側の人間であることがなにげなく描かれる。そしてラストにつながる。
ワシになってゆく青年の苦悩は何者かになることを運命付けられた青年の苦悩そのものだ。翔べるようにならなきゃバカにされるだけだ。それを応援するエミールの友情にも大いに泣けた。
予告編にも出てきたが昆虫のナナフシになった人間が夜の街を彷徨する。これは何かに擬態しながらひっそりと生きてゆく人間の象徴か?
特異な状況設定に最初は違和感を覚えたが、それが氷解する親子のラストシーンがまた素晴らしい。
セザール賞で落下の解剖学にノミネート数で上まった今作。VFXの質には低予算の悲哀を感じたが、ただ胸糞悪いサスペンスもどきの落下の解剖学と比べ、意欲的で、格段にチャレンジングな良作。
スーパーマーケットのタコ人間のシーンは素晴らしかった!タコはチンパンジーと同じくらいの知能を持つ高等動物。身体能力も高いので、どうせ変身してしまうならタコ人間になりたい。魚好きだし。ウツボ人間との死闘に備えて、カウチポテトはやめて、明日からトレーニングしなければいけないね。
追記
マダコは男親が巣の中で外敵の侵入を防ぎながら、飲まず食わずで卵に酸素を送りつづけ、赤ちゃんが孵化して大海に泳いでゆくのを見届けて一生を終えます。
パンデミック後の世界。
人間が徐々に動物になる奇病がパンデミック化した世界。母親が奇病に罹り隔離施設に残された父と息子の日常を描く。
タイトルで?ホラー映画とばかり思ったらグロテスクなシーンはなく、淡々と様々な事象を丁寧に描写。
バードマンを始め奇病で動物化した人間にも監督は優しい目線。
カタルシスの炸裂にまさかラストに泣いてしまうとは!
移民に寛容なフランスだからか動物化した人間にも厳罰化していない様子。
ノルウェーだと共存まで。
日本だと排除する。
岡本喜八監督、ブルークリスマスや漫画版デビルマンみたいな狂った世界を思わせる。
ケモノノケモノ
サスペンススリラーになりそうな題材で描くヒューマンドラマ。
フランソワ視点で始まった物語は、症状の進行と連動するようにエミールに比重が移る。
状況説明はスムーズで、父子がメインであることを考えれば学校や職場、憲兵の比重も適切だったと思う。
哺乳類ならともかく、鳥類や爬虫類、ましてや軟体動物にはならんやろ、とかは言いっこナシ。
人間の身体のままで飛べんやろ、も禁句。
前提として“そういうもの”だと受け入れる必要はある。
出色はエミール役の演技で、変容に対する苦悩や動物としての動きという内的/外的どちらの面も抜群。
そういった意味ではフィクスも秀逸で、この二人の交流がとてもよかった。
その分、変容した者たち自身の“どう生きるか”という葛藤や決断が描かれないのは勿体ない。
特に思春期のエミールにとって、ニナとの今後なんかは大問題のハズなのに。
父は、どうす“べき”かだけでなく、息子がどう“したい”かをもっと聞くべきだとは思った。
しかし常にそこに確かな愛情があったのは間違いない。
彼はただ息子が自由に生きられることを望み、信じた。
冒頭の「服従するな」「反抗する」という会話に繋がるラストから感じる生命力は、とても力強い。
変容が始まる箇所もペースも、凶暴化の度合いなども、個体差が大きそうで法則性は見えない。
原因の究明や今後どうしてゆくかという話には到らず、あくまで入口の話。
そこが物足りなくもあるが、しかし一番考えを巡らせるべきなのもこの“一歩目”だよなぁ。
アルベールがとても可愛いので、終盤出なくて寂しい。
コロナ禍を経験したからこその違和感が気になってしまう
人間が動物に変異する奇病の蔓延というアイデアは面白いし、それを具現化した特殊メイクやVFXも見応えがある。
ただ、何のためにそのような設定を導入し、それで何を訴えようとしているのかが、今一つ分からない。
この奇病は、エイズや新型コロナなどの実際の病気のメタファーではなさそうだし、この奇病で、新種の狼男や吸血鬼やゾンビを描こうとしている様でもなさそうだ。
奇病を発症した人に対する差別や抑圧、あるいは、健常な人と発症した人との分断や対立みたいなものも、それなりに描かれてはいるのだが、それがテーマであるとも思えない。
別に、無理矢理、寓意やメッセージを読み取る必要はないのだろうが、それでも、こうした奇病に対する対応の不自然さは気になってしまう。
例えば、自分が、いつ、この奇病にかかってもおかしくない状況のはずなのに、人々に、そうしたことに対する不安や警戒心が全くと言っていいほど感じられないのは、どうしたことだろう?
新型コロナの頃は、隣の人がマスクをしていなかったり、ちょっと咳をしただけで、あれほど過敏に反応していたのに、この映画の高校生たちが、ごく普通の学校生活を謳歌しているばかりか、主人公の少年の異変に気付かないことには、大きな違和感がある。
奇病に対する社会の対応にしても、発症した者を捕獲したり隔離するばかりで、病気の予防法や発症が疑われる場合の措置(病院や保健所に届けるなど)が周知徹底されていないことには首をかしげざるを得ない。
そもそも、社会がこんな対応をしていたら、主人公のように、発症を隠そうとしたり、家族が発症した人をかくまおうとするような事例が後を絶たなくなるはずで、施策としては完全な失敗と言えるだろう。
祭りの夜に、村人たちが、発症した人たちを、問答無用で撃ち殺そうとする場面は、唐突で脈絡がないとしか言いようがないが、こんなことを放置していたら、それこそ、社会の秩序は崩壊してしまうだろう。
その一方で、父親と少年が、施設に入る前に行方不明になった母親を独自に捜し出そうとしたり、病気を発症した少年が、施設に入ることを拒否しようとする理由にも、あまり説得力が感じられない。
病院で面会した母親は、そんなに酷い扱いを受けているようには見えなかったし、施設に収容されても、家族等が面会できる(そのために、施設の近くに引っ越したのだろうし、終盤で、父親が少年に「面会に行くから」とも言っている。)のだから、それほど孤独にはならないように思えるのである。
もし、病気を発症した人や家族が、施設に対して良からぬ印象を持っているのであれば、施設内の様子を明示するなどして、その理由をきちんと説明するべきだったのではないだろうか?
いずれにしても、ラストシーンからは、結局、「束縛から逃れて自由に生きろ!」みたいなことが言いたかったのかとも思えるのだが、その一方で、そのために、このような特異な設定とストーリーは必要だったのかという疑問も残るのである。
動物である人間が持つ、原始的な愛のかたち
観ながら、「人間も動物でしかない」という視点でこの世界は描かれているような気がしました。
動物に変わっていく子供ら「新生物」と呼ばれるものが、
・異教徒や移民など?
・新型コロナなど疫病のパンデミック感染した人々?
・怪我や病気で外見が変わってしまった人?
・政治的立場でマイノリティになってしまった人?
そのどれでもあり、そのどれでもないのかもしれない。
人間は他者とのかかわり・社会性によって成立する生き物であるが、「新生物」はそこから逸脱し、社会に居場所を失った「異形の者」すべてを内包していそうな気がしました。
そんな「異形」の在り方は、どことなくデル・トロ監督のモンスターたちや、石森章太郎がかつて描いた漫画版・初代仮面ライダー本郷猛を思い出しました。
そして動物も人間も変わらず、「妻や子がどんな姿や立場になったからって、夫(父親)は家族を慈しみ、守ろうとするものだ」という、本能のような「愛」を示していたような気もしました。
ただし、「何故感染し、どんなスピードで肉体が変異していくのか」の設定が曖昧だし、「人としての知性は残るのか消えて動物になっていくのか否か」なんてのも不明確なんで、そこらへんが気になって没入できず、ラストシーンで感情移入しきれなかったのが、作品のせいなのか、自分の性格のせいなのかは判断が難しいところ。
設定は奇抜だけど、わりと良作
ベジタリアン
嗚咽ですわラスト
制度に反抗しろ!
全く事前の情報を入れずに観に行きましたが、のっけからギアがフルスロットルに入った作品で、終始刮目して鑑賞しました。
舞台は近未来のフランス。感染すると動物になってしまう(獣化してしまう)病気が世界的に蔓延してしまった世界。感染者は人間としての理性を失って凶暴化することから、監獄同然の施設に閉じ込められてしまう。ここだけ聞くと実にSFチックで、あり得なさそうなストーリーですが、この病気を新型コロナに置き換えれば実はつい最近現実のこととして我々の眼前に広がった悪夢であり、そう感じた瞬間に恐ろしい現実を戯画化したお話だと捉えることとなり、心の奥底に突き刺さるお話でした。
内容的には、獣化してしまった母親の回復を信じた父(フランソワ)と息子(エミール)が、移送中の自動車事故で行方が分からなくなった母親を捜すものでしたが、その過程でエミールも獣化していることが判明。それを知ったフランソワのショックは計り知れないものがありましたが、最終的に”制度に反抗しろ!”という自らの信念に従い息子を助けるフランソワ。その充足感、満足感を映して幕となりましたが、悲劇的な話でありながらも、悔いが残らない生き方を見せたフランソワの行動と、最後の笑顔に、勇気を貰った気がしました。
また本作で注目すべきは、その映像の素晴らしさ。獣化してしまった人間のリアルな姿は、恐ろしくもあり愛おしくもあり、感性を揺さぶられるものでした。そしてこのような内容でありつつも、フランソワとエミール親子の情愛をきちんと描いているのを皮切りに、エミールと同級生の恋愛を描いてみたり、エミールと先に獣化して鳥の姿になってしまったフィクスとの友情を描いてみたり、はたまたフランソワと女性警備隊員のジュリアとの信頼関係を描いてみたりと、登場人物たちの輪郭を立体的に見せる描写が随所に挿入されており、非常に味わい深い作品でした。”制度に反抗しろ!”というフランス人らしい反骨心を冒頭でフランソワに言わせ、最終盤でフランソワに実行させるところや、ジュリアがフランソワに対して繰り出した格闘術を、危機に陥ったフランソワが繰り出すことになるなど、伏線の回収にも余念がありませんでした。
そんな訳で、本作の評価は★4.5とします。
結局は愛の映画。
人間が動物化する病が流行している世界が舞台の今作。
今まであったようでなかったような設定で、この物語の行く末はどうなるのかとずっと目が離せなかった。
人間が動物化する過程の描写が見事で、皮膚感だったり身体の動きだったりリアルさを感じた。
息子と父が最後に笑顔で交わした会話と、そして最後に父の取った選択がどこまでも頭から離れない。
映画館を後にしてからもずっと涙が止まらなかった。
結局父にとって息子が息子であることに変わりはなく、一番優先させるのは「息子が生きること」なんだな、としみじみ思った。
素晴らしい映画でした。
期待度◎観賞後の満足度◎ あなたは愛する者が自分とは違う者になった時、それを知った時に変わらず愛することが、背中を押すことが出来ますか?
①人間が動物に突然変異する奇病が蔓延しだした世界と動物へと変異して“新生物”とも“バケモノ”とも呼ばれるようになった人々は何かのメタファーだと言えるだろう。
何のメタファーかは観る人の解釈に任せるとして、私としてはADHD(注意欠如・多動性障害)を持った女の子がエミールが奇病にかかっていることを承知で体を委ねたところに注目した。
②鳥人間のフィクスが翔ぶシーンの爽快さ。監督が宮崎駿のアニメにインスパイアされたと語っていたのがよく分かる。
(因みに、人間が羽ばたいて空を飛ぶためにはステロイドを大量に注射したボディビルダーの胸筋どころではない文字通り鳩胸を超える胸筋が必要らしい。)
③それよりも更に爽快で且つ多幸感に溢れているのがラストシーン。
何故かとても感動して胸一杯になってしまった。
④キワモノ的な題材ではあるけれども、物語が進む中でフランソワとエミールの心の動きがビビットに伝わって来る当たりはやはり良くできた映画だと思う。
⑤エミール役の男の子…どこかで観たことあると思ったら『ウィンターボーイ』の主役の子だったんだ。本人が自覚するかしないかの前から挙動や表情に変化が出てくるところからの繊細な演技が上手い。
全123件中、61~80件目を表示