「【”恩讐の彼方に見えたモノ。そして”アイヌとは人間という言葉です。”と若き松前藩士は言った。”今作は北海道の先住民族アイヌへの和人の支配と差別の中で、アイヌの文化を残した若き武士の成長物語である。】」シサム NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”恩讐の彼方に見えたモノ。そして”アイヌとは人間という言葉です。”と若き松前藩士は言った。”今作は北海道の先住民族アイヌへの和人の支配と差別の中で、アイヌの文化を残した若き武士の成長物語である。】
ー 劇中でもアイヌの若者が苦々し気に言った通り、シサムとはアイヌ語で”隣人”を表している。そして、400年前の当時(もしかしたら、アイヌ民族が和人と同化しつつある現代でも。)その”隣人”である和人(日本人)は、”悪しき隣人”であった。-
■粗筋
松前藩士である考二郎(寛一郎)は、兄(三浦貴大)と、交易のために蝦夷地に向かうが、兄は荷物を検めていた使用人の善助(和田正人)に殺されてしまう。
善助は、実は幕府の密偵であり、松前藩が交易の際に鮭と引き換えに渡す米を不正に減らしていた事を調査していたのであった。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・最近、アイヌの映画が増えている。
「アイヌモシリ」「カムイのうた」そして、エンターテインメント映画として大ヒットした「ゴールデンカムイ」。どれも、とても面白く、且つ自身のアイヌ民族への知識の無さに愕然としたものである。
イザベラ・バード女史の「日本紀行」を読んで、分かった積りでいたのだが・・。
・今作が面白く、琴線に響くのは、兄を殺された考二郎が兄の仇を撃つために使用人の善助を追う中で負傷し、心優しきアイヌ民族に助けられ、その姿を見て感化され、アイヌ民族に対しての考えが変わって行く様を丁寧に描いている所であろう。
特に驚いたのは、アイヌ語をキチンと織り込んだ脚本と、サヘル・ローズさんを始めとしたアイヌ人役の役者さん達がアイヌ語を話す姿である。
あれは、相当に練習をしたと思うのだが、故に今作は見応えがあるのである。
・考二郎はアイヌの民と、夜に産卵後の鮭を一匹ずつ取り、徐々に自然に対し畏敬の念を持って接するアイヌの民に惹かれて行く。
そして、アイヌは”蝦夷”(アイヌの蔑称)ではなく、”アイヌとは人間という言葉”という事を学び、彼らの生活習慣に感銘を受けて行くのである。
考二郎は、そんなアイヌの民族と和人が共に生きる道を考えて行くのである。
・アイヌと松前藩士との闘いのシーン。弓矢と鉄砲である。圧倒的に不利な状況下、アイヌの民は追い詰められていく。且つて、夫と子を和人に殺されたリキアンノ(サヘル・ローズ)と、善助が考二郎の眼前で殺されるシーン。
そして、善助は息絶える前に細い声で言うのである。”母は、アイヌだった・・。”善助が命懸けで松前藩の不正を幕府に報告しようとした理由が、この言葉で氷解するのである。
<今作のラストでは、絶望と微かな希望が描かれる。
続々と”蝦夷”の海岸に押し寄せる幕府の大型船。
アイヌ民族を力で押さえつけようとする、江戸幕府の姿があのシーンから見て取れる。
それは、近代において民族の自由を奪われたアメリカの先住民族であるネイティブ・アメリカンの姿をも容易に想像させる。
彼らの多くは現代でも隔離されたネイティブ・アメリカン特別保留地で暮らしている。政府から多額の助成金が出る為に多くは働かずに、アルコール中毒になる人が多いとも聞く。
だが、考二郎はアイヌの文化を残すために、金を取り、産卵前の鮭を捕獲する和人の姿を書き留めながら、アイヌの部落を草鞋で歩き回り、記録に残して行くのである。
今作は、アイヌの民の苦難の歴史を正しく残そうとした、良き作品であると私は思います。>
共感ありがとうございます。
サヘルローズさんの出自を知ると決意の出演だったと思うんですが、それ以外でももっと説明したり、テロップ入れたりした方が良いのか、痛し痒しですね