「歴史的傑作になりそうでなれない理由」フィリップ 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
歴史的傑作になりそうでなれない理由
ナチスドイツとユダヤ人を描いた数多くの作品の中でも、
歴史的傑作になり得たのに、そうなっていない、
非常にもったいない作品だ。
どういう事か。
大きな理由は、
メインプロットとサブプロットの葛藤の描き方が曖昧なことだ。
前半でドイツ人将校のコーヒーに唾を入れるシーンからラストに至るまでのフィリップの気持ちはどこにあるのか、一定程度をみせる展開は、
悪くはない。
それがクールでフラット過ぎると他のサブプロットが効いてこない。
例えば、
ポーランドに強制送還されることと、
アウシュビッツ強制収容所に強制的に送られることの違いや意味、
時期など、曖昧な点が多い。
仲間が目の前で連行され、処刑され、
自らを撃つなどの状況におけるフィリップの気持ちは基本的にフラットに描かれている。
重ねて、
フィリップがドイツ軍に捕まらない、撃たれない、処刑されない理由がドイツ軍を騙しているなどの微妙な差があるはずだが、
それもフラットに流されていく。
なぜフラットになるのか。
それは各シーンをカットを割らずに、
ステディカム(軽量のジンバルでスピーディにパンしながら)でかっこいい長回しを多用しているため、雰囲気しか伝わらない。
なので、
フィリップの無念さ、怒り、葛藤が映画的に積みあがっていかない、
もちろん歴史的に類推するととんでも無い怒りが積みあがっているはずだが、その差が、違和感が、観客をスクリーンから遠ざけていく。
一方、リザとのキスシーンなどは、
ちゃんとカットを割って気持ちの描写や葛藤を描けている。
カッコいいカメラワークの雰囲気が良いと感じる人もいるだろう。
しかし、更にもったいないシークエンスは続く、
右手を掲げてドイツ国歌を歌うシーン、
子どもの歌声も含めて、
本来なら震えるほど怖いシーンのはずなのに、
そう感じられない。
そしてラスト。
この映画のラストを描くのであれば、
フラットに10話くらいのドラマとして描く、
あるいは、
サブプロットを取捨選択し、
流れるようなかっこいいカットを減量して、
フィリップの個人の感情や周囲の仲間、
レジスタンス(幼馴染のレジスタンスも効果的に描かれていない)を細かく描けば、
歴史的傑作になっていたような気がする。
検問の軍人?に、
最後、
「oolala・・・・・・」
何て言われんだろう・・・
【蛇足】
ポーランドの国立映画大学の視察時、
学長が言っていた。
学生達は成績優秀、技術は高いのですが、
突き抜けた作品を製作する学生は少ない。
映画大学の功罪です、
心の傷みや魂の叫びを個人の頭の中で完結してしまう作品が多い、
キェシロフスキー、スコリモフスキー、
ワイダのような人材はなかなか出てこない、と。