ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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羨ましいくらい無垢で綺麗
少し前テアトルで見かけたポスターと、エチケットムービーで三人が演じてたのが楽しそうで何となく観ました。
そしてこれが素晴らしかった。
前情報がまるで無かったので作品に放り込まれたよう。
まず映像が澄み切っていてきれい、素朴なようですごい緻密な絵作りでした。
それと何といっても、光の入れ方が本当に美しいです。
主演の三人。そのうちの少年・少女タクヤとサクラがとても澄み切っていて、この光が一杯の世界にすごい溶け込んでいるんですよ。
二人が一緒にリンクを滑るシーンは、羨ましいくらい無垢で綺麗でした。
そしてそれをもう一人の主演、池松壮亮が二人をしっかりと支えていました。
そして彼を作品の真ん中に置いているのでしっかりしてるんですよ。
また劇中に流れる選曲が素晴らしい。ゾンビーズを始めどれも作品にとてもフィットしてるんですよ。
物語は些細な出会いを経て一つになったような三人の心。それは彼らの成長と共に段々とそれぞれの向きを変えていく。
冒頭から気になっていた車やカーステ・ラジカセにガラケーなどの少し古いアイテムに「男子スケーターなんて少なかったから」など、まだ「理解のない時代」って事なんでしょうね。
ラスト、偶然の再会からの鮮やかな切り方もため息が出ました。見事です。
そしてエンドロールで流れた、ハンバートハンバートの歌。
彼らの楽曲とタイトルが同じだと思ってたら、そのままでしたよ。
そしてここでこんなの流れたら、それはもう涙が止まらないでしょう。
あと静かで隣にいるような音の劇伴、あれもハンバートハンバート(佐藤)だったんですね。驚きました。
ふらりと観に立ち寄ったのですがこれはやられました。
本当、素晴らしかったです。
「伝える」ということの美しさを徹底して表現
2024年視聴映画で一番でした
綺麗なものへ惹かれるまっすぐな気持ちは大人もこどもも同じで、生き物であれば光に吸い寄せられるもので。
『原始、女性は実に太陽であった。』と書いた平塚らいてう女史はその後に『今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である』と続けて女性の開放に尽力したといいます。本編における元プロフィギュアスケーター・荒川コーチのふとした時に見せる顔は、それこそ病人のような月光の人と感じました。美しく氷上で舞うさくらにも、彼女にまっすぐに惹かれ成長していくタクヤも、荒川にとってはまぶしい太陽そのものであったのでしょう。
本作は車やポスト、携帯電話の形状などから20年以上前の時代として描いていましたが、終盤での荒川への風当たりなどは現代においては描きづらい内容かなと。ただ見えないだけで確かにある『異なるものへの嫌悪』すらもまっすぐに描ける最後の時代でもある、そんな絶妙さがお見事でした。
作中、スケートをする間は2人や3人の世界を明確に表現していましたが、そこから一歩引いた場面場面では『この社会での当たり前』が多数描かれています。
劇場が明るくなったあとに、自分にも当たり前の先にあって、胸の奥にあるような、記憶の中の心を焦がすほどのお日さまのような人を思い出して涙が出てしまいました。伝えたい気持ちが伝わるといいなあ。
少年よ。人生いろいろあるけれど大丈夫。お天道様はついて回るからね。
おそらく小樽がモデルの港町。冬から春まで短い季節を切り取っている。思いつくまま3点ほど。
まず1つ目は登場人物。主要な人物はほぼ3人でフィギュアスケートのコーチの荒川と、彼に教わるさくらとタクヤ。
でもこの物語の主役はやはりタクヤであって、この映画は本質的にはタクヤ少年の一冬の経験を取り上げたものだといえるだろう。荒川とさくらは彼の忘れがたいエピソードを彩る脇役ということになるのだと思う。
2つ目は映像上の光の処理。常に太陽の光が満ちている。全編のうちかなりの尺を占めるスケートリンクは、常に、窓から入ってくる淡く、でも輝かしく、どこか懐かしい太陽光で満たされている。さくらのプログラム用の曲である「月の光」と連動もしているのだろう、でもこれはあくまで昼の光である。そして3人が、凍った湖で練習し、そのあと戯れるシーン。北海道の冬の太陽なのでそんなに強くはない。でも空は晴れて3人の姿を順光で、逆光で、明るく照らし出す。バック曲はTHE ZOMBIESの「Going out my head」。幸福感に満ちたシーンである。
3つ目は、全編で徹底される言葉の少なさ、静謐さ。荒川にとっては(彼を慕うタクヤにとっても)厳しい状況となってしまうのだが誰も声を荒だてず、静かに運命は進んでいく。
つまり、この映画は、タクヤが人生の早い段階で経験した成し遂げたこと、うまくいかなかったこと、受け入れなくてはならないこと、を優しい陽の光のもとで静かに静かに描いたものだと言えるだろう。
タクヤくん、最後になってもやっぱり言葉はうまくでてこなかったね。でもさくらにはもう一度会うことができたじゃないか。大丈夫。おひさまは常について回るんだから。
「杞憂」とはこのこと
奥山大史監督、聞き覚えがあるような?ないような??調べてみると、あ、『僕はイエス様が嫌い』の監督か。。U-NEXTで配信されていたのを気づいていながら、宗教物かな?と思って敬遠していたのですが、本作を観る前に鑑賞してみましたところ個人的には好みではなく。。と言うことで、本作次第では私にとって「微妙な立場」に立つ(「ナニサマ発言」ですが、個人の指標のため悪しからず)可能性を踏まえつつ劇場へ。TOHOシネマズシャンテの初日は思いのほか客入りまばら。私はポイントを使って鑑賞です。
まず始まってすぐ気が付くのが、『僕はイエス様が嫌い』同様にアスペクト比がいわゆるスタンダードサイズと言われる「1.33:1」。こだわりなのでしょうね。取り敢えず、シャンテは幕で調整したりはしないので左右は黒枠です。そして始まって間もなく、劇中の空に白くヒラヒラと何かが舞い、少年タクヤ(越山敬達)が一言「初雪だ」。ま、CGですよね。と言うことで、観ている私としては、この調子でまた「小さい神様」とかみたいのはやめてねと祈るばかりですが、、、先に言っておきます。大丈夫です。ちゃんと気温や体温が伝わってくるような作品に仕上がっています。
そして、観終われば第77回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に選出された意味も理解できる脚本です。なお、特にその点では“学生”であるタクヤとさくら(中西希亜良)の目線と時間軸で考え、90分という短めの尺が物語り全体の印象にもいい影響となっている気がします。そして、この二人が兎に角キラキラしてるんですわ。素敵すぎる。中西希亜良さんは英語、フランス語も出来るとのことなので今後の活躍の幅が無限大。迷わずチェックイン必須ですね。
一方、池松壮亮さん、若葉竜也さん、お二人して相変わらず良すぎます。まぁ、自然。二人の掛け合いはもはや役でやっているようには見えません。他にも山田真歩さんや、いつも遠目ではありますが流石の存在感の篠原篤さんなど粒ぞろいなキャスティングは、やはり商業映画としての力が入っていて見応えがあります。何なら、次回は是非、大人の映画をじっくりの内容、それなりの尺で観てみたい奥山監督。勿論、こちらもチェックイン済みです。
と言うことで、「杞憂」とはこのこと。しっかり堪能できました。光の演出がされた美しいスケートシーンを味わいたければ、是非、劇場での鑑賞をお勧めします。
思春期も美しい
エンドロールの途中から泣けてきた。
思春期の淡い想いや照れ、吃音のこと。男性同士の愛情への理解。今もあるのかなぁ、あるんだろうなぁと思った思春期女子の潔癖感。
雪の白さや、柔らかなお日さまの光が素晴らしい。暖かなお日さまが全て溶かして春が来る。繰り返し繰り返し。
この作品の池松壮亮さんは、とても姿勢が良く美しい。そして若葉竜也さんは相変わらず優しく強い。
普段は少年少女が主役級の作品をチョイスすることは無いのだが、今回は池松、若葉の両俳優が観たかった。
でもタクヤ役の越山敬達さんは可愛いかったな~。素敵な俳優さんだし、とても気持ちの良い余韻を残す俳優さんだ。
そして、とにかく私が好きだったのは、タクヤくんの友達。あの強く優しい友達。ずっとずっと、あのまま大人になって欲しい友達。
もう少し、続きを観たかった作品。素晴らしい!
素晴らしかった。
昨年観た怪物もそうだったが、荒川の視点、タクヤの視点、さくらの視点が分かりやすかった。
ちょっと痛みもあるけれど、荒川、タクヤ、さくらがフィギュアスケートを通じてタクヤのさくらの恋の応援も兼ねてスケートの指導をし、まさかさくらとアイスダンスをするとは思わなかった。タクヤとさくらもアイスダンスをするたびに呼吸がぴったり合ってさあ、これからと言うときにまさか荒川が?
さくらもタクヤも思春期特有の心情がスクリーンから伝わった。
作品全体を観ているとよくあるストーリーだなと思いがっかりしかけた矢先に、エンデイングのまさかのタクヤとさくらの再会は次どうなるだろうとワクワクさせてくれた内容だった。もう少し、この三人を観ていたかった。荒川役の池松壮亮よりもタクヤ、さくらを演じた子役の二人の演技が素晴らしかった。
考察しがいがある作品であるのは間違いない。
2024年年間ベスト邦画候補でもあり間違いなく5位まで入る。
ナミビアの砂漠と同点の評価をしたい。
せつないけれど貴く美しいひと冬の物語
冬から春への小さな恋
「僕がはイエス様が嫌い」で第66回サンセバスチャン国際映画祭の最優秀新人監督賞を受賞した奥山大史さんが監督・脚本・撮影・編集を手がけて撮りあげた商業映画デビュー作は、何処か疎外感を抱く3人の触れ合いの様が、寓話的な美しさと現実的な厳しさで描く。
雪の降る田舎町、ホッケーが苦手な吃音の少年タクヤは、ドビュッシーの曲「月の光」に合わせてフィギュアスケートを練習する少女さくらに一目惚れしてしまう。
或る日、さくらのコーチを務める元フィギュアスケート選手の荒川は、ホッケー靴のままフィギュアのステップを真似して何度も転ぶタクヤの姿を目にする。
タクヤの恋を応援しようと決めた荒川は、彼にフィギュア用のスケート靴を貸して練習に付き合うことにする。
やがて荒川の提案で、タクヤとさくらはペアでアイスダンスの練習を始めることになるが、或る切っ掛けで予想外の方向に転がっていく。
音楽デュオ「ハンバート ハンバート」が2014年に手がけた同名楽曲をタイトルにした本作では、池松壮亮さんがコーチの荒川役を務め、テレビドラマ「天狗の台所」の越山敬達さんがタクヤ、アイスダンス経験者で本作が演技デビューとなる中西希亜良さんがさくらを演じている。
吃音のあるアイスホッケーが苦手な少年、選手の夢を諦めて恋人の地元でスケートを教える男、コーチのことが少し気になる、ませたスケート少女、この3人の心が、やがて一つになってほどけてゆく。
映画巻頭の初雪のシーンから、春になって雪がとけるまでの切なくて淡い恋は、その純粋さゆえに何とも言えない温もりを残します。
今観るべき優しさ
難しい、最後もやもや
どこまでも澄み渡っていた
美しい融解の物語
吃音の彼の眼差しはスケート少女。少女の眼差しは男性コーチ。コーチの眼差しは同棲中の彼氏と二人のアイスダンスのプロデュース。
少年少女がアイスダンスを始め、心の壁が溶け出す刹那の輝きをカメラが逃さない。心を削るように氷を削る音。雪のように溶けていく二人の関係。それでも乗り越えられなかったもの。主人公にとって数年経てば経つほどいい経験に捉えられるか、トラウマ級の失望になるかを左右する屈指のラストカット。この物語はまだ自分の中で完結せず生き続ける決定打をうつ。セリフが少ないのに本当に情報量が多くて、いろいろな感情を有した素晴らしい映画だった。
池松壮亮✕若葉竜也は強い。この関係性もね。池松壮亮が『男らしくないぞ』と叱咤するシーンも敢えてだと分かるので安心できる。
本来こんな楽しみ方をする映画じゃないんだろうけど、「担任面のドルオタ」としては『こう育って欲しい』という組み合わせが嵌まった時の格別な喜びと『この願いはエゴだったのか』と勝手に失望するのを池松壮亮演じるスケートのコーチに重ねて号泣。想いが嵌まったシーンの温かさが段違いによく撮れてる。
オープニングがこう繋がるのかという驚き。ハンバートハンバートの曲は、吃音で上手く言えないことと愛する気持ちを上手く言えないダブルミーニングにするのは、自分にとっては安直だなと思ってしまったけど、エンドロールの映像と出てくる歌詞がかわいいことかわいいこと。かなり文字が小さいんだけどこれならスタッフへのリスペクト云々の問題にならないだろうと思う。
90分という上映時間も良いね。会話してるのに聞こえない演出も、いかにスケート少女に彼が一目惚れしたのかを示すシーンも、スケート少女が同性愛のコーチに勝手に失望する様子も、とにかくセリフを排しているので、能動的に見る姿勢が問われる。でも観れる仕掛けがたくさんされている。
道民は見るべき
全てが澄んでて美しい
雪景色もそうだけど、チラチラ降ってくる所とかなんか細かい所がとても美しかった。
こんなとこで育ったら確かに心が美しくなりそうだなと思いながら観たわ。
登場人物全員ピュアなのよ。
特にタクヤ君ね。
初めて彼女を観た時にパーっと日が差すあたりから予感はしてたけど。純真無垢とはこのことだわ。彼の決して他人を責めない姿勢になんか色々うるっと来てしまった。
思春期ゆえの残酷さは、信じていたものほどショックは大きいことの裏返し。
あのキラキラした時間も本物だった証拠だと思う。
吃音の主人公とエンドロールの歌がリンクしてるのだけど、言葉が口から出るまでに同じように脳内で何度も言葉を反芻したり言いかけてはやめたりを繰り返しながら生きてるから、とても沁みる歌詞でした。
あ、あと観た後絶対カップラーメン食べたくなるよ!笑
映像も風景も登場人物も澄んでて美しい作品でした。
ちょっと心が浄化された気がする。
全180件中、161~180件目を表示