「「向き合う」だけでなく「寄り添う」ことも大切だ」ありふれた教室 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
「向き合う」だけでなく「寄り添う」ことも大切だ
カンニングにしろ、授業中のサボりにしろ、窃盗にしろ、悪いことをした人間が誰も謝らないのはどうしたことだろう?それどころか、反抗的な態度を取ったり、開き直ったり、逆恨みしたりと、やりたい放題なのは、権利意識に関する「お国柄」の違いによるものなのだろうか?
特に、窃盗の容疑については、それが、謂れのない濡れ衣だったとしても、ふてくされて「謝罪しろ」と噛みつくのではなく、弁明するなり、反論するなりして、自らの身の潔白を証明するべきではないのか?(そうしない時点で、罪を認めてしまっているようなものだが・・・)
そうした「悪い奴ら」にしっかりと向き合い、誠意を持って彼らに接しようとしている主人公が、逆に非難され、追い詰められ、消耗していく展開には、相当にストレスが溜まるし、その理不尽さと不条理さには、モヤモヤしたり、イライラさせられっぱなしだった。
彼女が、窃盗犯を見つけるためにパソコンで動画を撮ったことが、保護者から叱され、生徒たちの不信感を招き、教師たちの間に亀裂を生むのだが、「動画の何が悪いのか?」と思ってしまうのは、やはり、人権意識の違いだろうか?
ただ、主人公に落ち度があったのも確かで、どうせ動画を撮るのなら、犯人が明確に識別できるような構図で撮影するべきだっただろうし、それができなかったのであれば、敢えて容疑者を「泳がせ」て、現行犯として捕まえられる機会を待つべきだっただろう。
確定的な証拠もないまま、疑わしい人物を犯人扱いしてしまった主人公や校長の対応は、相手に良心があり、簡単に自白するだろうと妄信した「性善説」に基づくもので、「不寛容」を謳う割にはお粗末としか言いようがない。
ラストでは、この映画が、犯人探しのミステリーではなく、それぞれの正義が衝突する様子を描いた人間ドラマであったことが明らかになるのだが、最後まで生徒に寄り添う(「向き合う」ではないところがポイントか?)先生であろうとする主人公の姿は印象的である。
声高に権利や主張を振りかざさなくても、彼女が差し出したルービックキューブのように、相手にそっと「思い」を伝えることはできるのだということが分かり、ギスギスし通しで息苦しかった物語の末に、少しホッとすることができた。