マリウポリの20日間のレビュー・感想・評価
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うまく言葉が出てこない
民間人を攻撃する非人道的行為は国際法違反。それはプーチンも一応理解しているらしい。建前だけは。
しかしながら、この映像で出てくるのはほぼ全編、民間人への理不尽な攻撃。瞬時に廃墟と化す民家、握り拳より大きい体内の破片、泣き叫ぶ民間人、血まみれのシーツ、足を失いやがて死ぬ少年。全てありのまま叩きつけてきます。
正直観るのはつらかったです。頭は締めつけられ、胸が苦しく、腹は冷えて、脚は震えました。
「(戦地の映像は)そうあるべきだ」という撮影者の言葉が重い。見るに耐えない映像だからこそ、映像として力を持つ。分かるけど、本当きつかった。
きつかったけど、それでも多くの人に見てほしい。
理不尽な惨劇の事実を。
観るべきだ
ロシアによるウクライナ マリウポリ侵攻を当初から20日間にわたり記録したドキュメント。
ロシアが、「民間施設は攻撃しない」と言いながら民家を砲撃したり、「医療施設は攻撃しない」と言いながら産科病棟まで爆撃したり、それが報道されたら「フェイクだ」と言い募ったり、本当に今世界中で起こってる最悪の非人道的な戦争だったり戦争周辺の状況だったりを余すところなく報じている。
アカデミー長編ドキュメント賞を受賞した際に監督が「こんな作品で受賞などしたくなかった」と語ったように、報じなくてはならないが報じたくもないような非道な行いがこれでもかと記録される…
老若男女の遺体、その中でも特に子供の遺体が映され、それは本当にツラいのだけど、いままでの報道を鑑みるとおそらくそれもかなり配慮した上でのものだと思われる。それでも本当に見るのが辛い…
まさにいま、ウクライナで続いている侵略戦争だったり、ガザで続いているジェノサイドだったり、世界中で続いている虐殺だったり、当事者や支持者の嘘だったり、それらに対する世界の対応だったりに少しでも関心があるならば、歯を食いしばってでも観るべきだと、それが同時代人の責任だと、私は思います。
このフィルムに出てくる人たちの遺体ひとつひとつが、プーチンやネタニヤフや、トランプやバイデンや岸田と等価なんだと、我々は心に刻むべきです。
悲惨な戦争を描いたドキュメンタリー作品なのでコメントだけ
ロシア・ウクライナ戦争の戦場となった都市から報道を続けた記者を描いたドキュメンタリー作品です。
(アメリカアカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画部門の受賞作です)
悲惨な状況を描いた作品なので採点無しのコメントだけ。
記者の方は自分の報道がどれだけ意味があるか自問自答しながら伝えていたとのことですが、ロシア軍の残虐性を暴露することによりウクライナが外国から莫大な支援を得ることに貢献しました。
(まあ、泥沼の消耗戦に陥ってしまったとも言えますが・・・)
彼らの勇気ある貴重な報道に対し、「フェイク」と批判するのは、誰もが自由に発信できるSNS全盛時代の負の側面なんでしょうね(某アメリカ大統領候補も都合が悪くなったらよく言っていましたね)
ロシア軍の行為を擁護するつもりは全くないのですが、パレスチナで同じことをしている某国に対して見て見ぬふりをするのはダブルスタンダードだなあ、と思ったりします。
結局のところ、力が全てなんでしょうかね・・
ロシアウクライナ戦争で、露が邪悪で民間人を殺された、とPRする映画
ロシアウクライナ戦争で、露が邪悪で民間人を殺された、とPRする映画
3万人死亡、病院も攻撃され、妊婦や子供も死んだ。露は戦争犯罪。
とただ主張する映画。
東京大空襲では数万、広島・長崎でも10万の虐殺。
一夜にして、病院も学校も灰燼。。。
【AP通信取材班が命懸けでウクライナ・マリウポリが壊滅するまでの惨状を記録した緊迫感溢れる哀しきドキュメンタリー作品。今作により、ロシアの戦争犯罪が全世界に認知された画期的作品でもある。】
■今作は、観ていて、非常に心理的にキツイ映画である。そしていつの間にか、哀しい涙が滲んでいる作品でもある。
だが、今作は現代世界の暗黒状態の縮図であり、国際政治もしくは人権に関心のある方は、機会が有れば観て頂きたい作品である。
◆感想<Caution!!内容に触れています。>
・冒頭、ロシアを統べる男は、あの能面の様な顔で、”一般人には危害は加えない。”と宣う。
・AP通信取材班による抑制したナレーションが効果的で、上映中、ドーンドーンという爆撃音が腹に響く。且つ、劇伴は一切ない。
・私たちが見るのは自宅を爆撃され泣いている老婆、サッカーをしている時に爆撃され両足を失い、死んだ息子の頭を慟哭しながら、抱きかかえて泣く父親の姿である。
・更に脳内が怒りに満ちたのは、ロシア軍が病院へ爆撃した後のシーンである。
産婦人科、小児科が被害に合い、血塗れで担架で運ばれる妊婦、心配蘇生も空しく亡くなる赤子の姿である。そして、泣き崩れる若夫婦の姿である。
ー このシーンだけで、ロシアの赦されざる戦争犯罪が明らかになる。
病院を爆撃するという事は”人道に対する罪”だからである。-
■そのような状況下、医師が自らAP通信取材班に申し入れ、メッセージを送る姿が心に響く。
- これが、現実だ!この惨劇を世界に伝えてくれ!!-
・ロシアは通信網を遮断するが、AP通信取材班は電波が届く僅かな場所から、情報を分割で本部に送る。
だが、それに対してロシアの報道は”フェイクニュースである。”と言う反応をし、やり過ごそうとする。”全て芝居だ。”とまで言う。被害者は演者だと言うのである。
ー 怒り心頭に発するシーンである。ー
・更に悲しいのは、マリウポリの民が同胞の店から品物を強奪するシーンである。
ー ナレーションでは、情報が入らない苛立ちが原因と言われるが・・。人間の尊厳を失わせる戦争の姿・・。-
・AP通信取材班がウクライナ特殊部隊に護られ、ロシア軍に包囲された病院からの脱出シーンは物凄い緊迫感である。
<この貴重な映像に対し、国際社会は託されたウクライナ・マリウポリの民の想い、希望を受け止めているのだろうかと思った作品である。
因みに米国共和党の大統領選候補者は、大統領になったらウクライナへの支援を打ち切ると明言している。
米国民の方々の、自国ファーストではなく、現代世界の状況を俯瞰した上で、候補者を選ぶ選択に一縷の希望を託したい。
日本もウクライナに対しお金の支援をしているが、他に何が出来るかを考えさせられた作品でもある。>
観る覚悟
観る覚悟が足りていなかった。たった20日間?いや、とてつもなく長く感じた。
特に前半の病院のシーンが辛すぎた。映画館で初めて貧血になった。血の気が失せて、座っているのも辛くなった。直視できないシーンが続いた。ある日突然、車を、家を、家族を失う人々。やるせない怒りを記者にぶつける人々。爆撃で傷を負った妊婦。道端に横たわる遺体。
ロシアはあくまで、民間人は砲撃していないと言い張る。記者たちが必死に世に送り出した映像は、フェイクニュースだ、テロリズムだ、と。
当たり前だけれども、戦争の映像を届けてくれる記者たちも死を覚悟して映像を撮り続けているということを痛感した。
映画館を出て、当たり前のように平和な繁華街を歩く。平和な場所に生まれた自分の立場を考える。
この惨劇を世界に伝えてくれ
ある人が記者に伝えたその言葉がポスターになってます。
唯一マリウポリに残ったAP通信社の記者による20日間の記録。
ネット回線がやられて少しずつしか本社に送れなかったこと。医師がこの現在を撮影して奴らに伝えてくれって言葉、強奪の現場、亡くなった市民の埋葬。
すごすぎて言葉にならない。
他人事にしてはいけない!
戦争とはどういうことか?
兵器を使うとはどういうことか?
ここに生の現実がある。
開戦を決断する者
兵器の購入を決める者
彼らは最前線には行かない
抑止力と言いながら
戦争をしない努力
兵器を使わない努力
武器を持たずに済む努力
やっていると言えるのか?
今も続く惨劇を目にし
戦争をさせない努力
戦争をやめさせる努力
少しはしているのか?
僅かでも良い
心の片隅に置いておきたい
この上なく「リアル」
第96回アカデミー賞をきっかけに本作を知り、映画館でかかったら鑑賞しようと思っていました。GW前に落ち着いた状況で観たかったため、今回はポイントを使って初日に鑑賞です。
ウクライナ東部ドネツク州にある、アゾフ海に面した港湾都市であるマリウポリ。すでに不穏な状況のDay1、泣きながらカメラに訴える女性を「民間人を攻撃することはないはずだから」となだめるシーンから始まり、それが早々に裏切られる状況を目の当たりにし、「この事実を伝えなければならない」と決死の覚悟で取材に挑むチェルノフ。
電気やネットワークを止められ取材ソースを送ることすらままならず、また目の前で次々と殺されていく普通の人々、特に幼い子供が死んでいく現状に為す術もなく、深いため息で構えていたカメラを下げるチェルノフにこの上なく「リアル」を感じます。
そして、限られた場所からやっとのことで送ったデータがニュースで伝えられると、すかさず「フェイクニュースだ」と報道するロシアメディア、そしてぶら下がり取材を受け「全てでたらめ。ウクライナによるフェイクニュース。」の一辺倒な回答で質問に答えようとしないラブロフ外相。この件は当時日本でも話題になっていましたが、今回こうして多くの事実をドキュメンタリー映画として鑑賞してみると尚更に、その幼稚なインチキさがまかり通ると思っていることにこそゾッとします。
かく言う日本のメデェアは本当に戦争に関する報道や議論が少なく、自分から調べに行かなければ知りようのないことが多すぎます。ですが、嘆いてばかりでなく「知ろうとする」意思を持つことは必要だと思います。日本にだって他人事ではない日が来るかもしれませんしね。。
家族を突然失う理解不能の悲劇
この映像に対してフェイクニュースと吐き捨てたロシアに怒りしか覚えません。
力ずくで領土を我がものにしようとする思想は、発展途上な国の現れと思ってしまいます。
日本で暮らす普通の生活が突然変わる事は、やはり想像するのは難しいとは思いますが、世界には今も命の危険に毎日晒されている人達がいるのを忘れてはいけない。
家族がサッカーをしていただけで殺されてしまう理不尽は戦争の狂気とプロパガンダの現れです。ロシア兵もプーチンの指示でやらされている事ではあるかもしれないが、決して許されない歴史的事件です。
胸が張り裂ける映画でした。
極限状態は人を獣化させる
覚悟して観たし映像も配慮があるにも拘らず怖すぎて震えた。
何が恐ろしいって作り話ではない事。
たった数時間に編集されたものを見ただけでしんどいのに、これがまだ続いている現実なのが信じられない。
「戦争はXレイ、人間の内部を透かして見せる。」という言葉が忘れられない。
平和な生活の中では善悪のバランスを保っていられた人間の本性が、極限状態では人によっては獣化してしまう。
暴動や略奪はみんなが安心して暮らせる世の中なら起こらない。
沢山の亡くなった方々の様子とともに、とても胸が痛んだことのひとつだった。
また、街がなくなっても、それでもその街で生きていく、という人々の生活を垣間見られたのもとても心に残ったのだけど。
アフタートークで同じようにマリウポリの戦火の中を撮影したものにマンタス監督の『マリウポリ7日間の記録』という作品があるが、今回の映画のような生々しい爆撃の撮影ではなく人々の生活を記録に残したものであるとお聞きした。
どんな世界でも生きている限り生活は続く、というのを今回学んだ。当たり前なんだけど、なんかああそうだよなと改めて感じた気がする。
色んな気持ちが、まとまりなくずっと心の中を行ったり来たりしてしまって、言葉になって出てこない。
どうか1日も早く終わって欲しいと心から祈らずにはいられない。
この絶望を共有する、これから形成される歴史のために
2年前、ロシアによるウクライナ侵攻の報道を目にした時の衝撃を今も覚えている。以前から火種があったとはいえこの現代に、ロシアのような大国が堂々と侵略行為をおこなうということ。そして、「正当防衛」という首を傾げざるを得ない大義の元に、子供を含めた一般市民が殺されてゆくことにショックを受けた。
本作の監督であるチェルノフ氏らAP通信のクルーが報道機関の中で唯一、侵攻が始まった後もマリウポリに残った。当時私が目にしたその悲惨な映像は、彼らが文字通り命懸けで撮影したものだった。
侵攻開始直後から、まだ学齢にも満たないような子供や、サッカーをしていて爆撃を受けた少年などがあっけなく死んでゆく。たった20日間の記録映像の中で、港湾都市として栄えていたマリウポリは見る影もなく破壊し尽くされた。
都市の秩序を失った街で、市民による略奪が起こる様子もカメラは映し出す。治安の悪化はマリウポリの人々が、明日を生きるための精神的、物質的な拠り所を奪われたことの証左でもある。
以前、ロシア人の気質に関する解釈が書かれた木村汎氏の著作を読んだ。あまりに広大で気候条件の厳しい国土が醸成した諦めの精神、そこから生まれた強権を握る権力者への依存、モンゴルに侵攻されたトラウマからくる領土拡大への執着、そういった主旨のことが書いてあったと記憶している。そのような背景がロシアの大義を形成したという側面もあるだろう。ソ連が崩壊しウクライナが独立した後も、プーチンの歴史観では、ウクライナ人とロシア人は「歴史的に一体」という認識だ。
もちろん、私の浅薄な知識では追いつかないはるかに複雑な歴史や為政者の思惑なども交錯しているのだろう。しかし、少なくとも言えるのは、大義を掲げた戦闘行為ほど人間を残虐にするものはなく、一方でその実、無差別な殺戮を正当化できる大義などないということだ。
この理不尽さを当事者ではない大衆に伝えるのに、映像ほど強力なものはないだろう。だから取材クルーは、撮影を拒まれそうになっても「記録に残さないなんてできません」と訴えた。医師や警官など、危険な状況にあっても撮影を助ける市民もいた。
この惨状を、ロシアの横暴を世界が知れば、何かが変わると信じて。
この映像から2年。マリウポリは、実質的にロシアの支配下に落ちた。各国のロシアへの経済制裁、ウクライナへの軍事支援があってもなおロシアの侵攻は続き、やがて「支援疲れ」という言葉がささやかれた。今年に入ってからはパレスチナ情勢が悪化し、少なくとも日本国内のニュースでウクライナの現状が詳報される機会はますます減った。
そんな今こそ、この映画は多くの人に観られるべきだと思う。この20日間の映像に刻まれた悲惨と絶望は、ウクライナで今も続いている。そしてそれらはおそらく、パレスチナで起こっていることにもどこか重なるはずだ。
チェルノフ監督はアカデミー賞授賞式のスピーチでロシアの即時撤退を求め、「この壇上で『作品を作ることがなければよかった』と語る監督はおそらく初めてだろう」と述べた。実際に映像からは、傷つき死にゆく市民の様子を目の当たりにした取材クルーたちの苦しみまで伝わってくる。彼らを動かしていたのは、この犠牲がロシアによってなかったことにされるのを許さないという、悲壮な使命感だけだ。
彼らが命を賭し心を削って取材しなければ、初期の侵攻の実態を世界が知ることはなかった。つらい作品だが、このつらさは間違いなく、広く共有されるべきものだろう。
なぜなら、「映画は記憶を形成し、記憶は歴史を形成する」のだから(チェルノフ監督の受賞コメントより)。
(オンライン試写会は内容に関係なくネタバレ扱い)
今年160本目(合計1,252本目/今月(2024年4月度)34本目)。
(前の作品 「人間の境界」→この作品「マリウポリの20日間」→次の作品「ゴジラ×コング 新たなる帝国」)
正規の公開日より3日ほど早くオンライン試写会に招いてくださったfansvoicejpさまに感謝を。
映画というよりドキュメンタリーで、NHKでもともと放映されていたようです。ロシアのこの侵攻は当時は毎日のように報道されていたことはご存じの通りですが、戦争の拡大にともなって一つの都市「だけ」を追って報道する(される)ことは少なくなりました。
この映画はそれを一つの都市に焦点をあててまとめなおした、という立ち位置になります。
どうどこをとらえてもドキュメンタリー映画で、映画に「娯楽性」を求めていくのならおすすめはできませんが、映画(映画館)というのは娯楽性「のみ」を求めるのではないというのが個人の考え方です。このような広く多くの方が知るべき事項を映画館が「代理」して放映している(換言すれば、本来は行政なりが教育映画として流すべきもの。戦後の混乱期には市営・都道府県営の映画館は結構あり、こうした「教育映画」は多く流されていた)ものであり、こうした「ぜひとも知っておくべき事項」を映画館で流すことには大きな意義があると思います。
なお、ミニシアターやVODなどを中心に、他都市を扱った映画も他に公開されていますので、ウクライナ侵攻について一通り(どの都市でも)まとまった知識を得ておくならそれらを利用するとよいかなと思います。
採点にあたっては減点対象まで特に見出しにくい(ウクライナ語?の看板に日本語訳がないのが気になりましたが、描写の前後関係から「立ち入り禁止」や「速度出しすぎ注意」などある程度推測できる)のでフルスコア扱いにしています。
独裁者に見て欲しい
2024年4月22日
映画 #マリウポリの20日間 (2023年)鑑賞
ロシアがウクライナへの侵攻開始後、AP通信の記者はマリウポリに残る唯一のジャーナリストとして、ロシア軍の残虐行為と市民の惨状を世界に発信し続けたドキュメンタリー
改めてプーチンが憎い
@FansVoiceJP さん試写会ありがとうございました
戦争とはX線
ロシアによるウクライナ東部の都市マリウポリへの侵攻を、AP通信取材班が命がけで撮影した映像を元に制作。すでにNHKで放映されているが未見だったので、改めて試写にて。
「フェイクニュース」という言葉を流行らせたトランプの罪は実に重い。重傷を負った4歳少女の延命処置を施す医師が「ロシアの連中が民間人を殺してる様子を撮影しておけ。これが奴の大義の犠牲だ」と吐き捨てても、「フェイクニュースだ」と一刀両断するロシア高官。
空爆の衝撃と振動で大量の車の防犯ブザーがけたたましく鳴り響く様は、フィクションの戦争映画では見られない、正に不条理な光景だ。
「戦争はX線のようなもの」という医師の言葉が印象深い。戦争は人の本性を曝け出してしまうのか。
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