マリウポリの20日間のレビュー・感想・評価
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ナレーションが淡々としてるところが、 かえって心に突き刺さる ニュ...
ナレーションが淡々としてるところが、
かえって心に突き刺さる
ニュースで見て覚えてた人が何人も出てた
ウクライナ侵攻の歴史的評価を決定づける一級資料
ロシアのウクライナ侵攻が始まって早2年が経過しましたが、本作は侵攻が開始された2022年2月24日から3月15日までの20日間、ウクライナ南東部の港湾都市であるマリウポリを取材したAP通信のウクライナ人記者であるミスティスラフ・チェルノフによるドキュメンタリー映画でした。取材場所は主に負傷者が多数担ぎ込まれる病院で、そのほかにも爆撃を受けた建物や住民たち、略奪を受けている店舗、さらには遺体の山を埋葬する墓地の様子など、市街地がひとたび戦乱に巻き込まれた時の混乱を赤裸々に映し出しており、本当に貴重な映像だと感じました。
当然記者たちも自らの命の危険に晒して取材を続けた訳ですが、電気や通信網が寸断されたため、せっかく撮影したデータも中々外部に送ることが出来ず、苦労して見つけた通信可能ポイントから送られた映像や画像は、日本のNHKを含む世界中のニュース番組で取り上げられ、そのニュース映像も本作中に収められていました。ロシアが病院を攻撃し、妊婦や胎児が亡くなったことなども国際的に報道され、当然ロシアが非難されることになりましたが、これに対してロシアのラブロフ外相は「フェイク動画だ」と反論。情報戦争の一端を垣間見ることも出来ました。というか、フェイクであるという根拠を示さずに、フェイクであるという主張が成り立つなら、この世に犯罪なんてものは存在しませんわな。
いずれにしても今回のウクライナ侵攻は現在進行形で行われているものであり、この戦争の歴史的評価が確定するのには少なくとも数年、場合によっては数十年の歳月を要すると思われますが、本作の映像がその際の動かざる証拠、貴重な資料になることは確実でしょう。
そう言えば、ウクライナ侵攻が終わった後のウクライナを描いた「アトランティス」という近未来映画がありました。戦争は終わったものの皆心に傷を負い、国民の多くがPTSDになったかのような姿が印象的で、非常にリアリティが高い作品だったと思いましたが、あの映画では2024年に戦争が終結し、翌年の2025年が舞台となっていました。既に2024年になりましたが、果たしていつになったら戦争は終わるのでしょうか?
そんな訳で、ロシアのウクライナ侵攻を評価するにあたっての一級資料とも言うべき本作の評価は★4.5とします。
プロとは
自身もハルキウ出身のジャーナリストが、直視に耐え難い現実を追い続け、時には心砕けそうにカメラを待つ手から力が抜けてしまうシーンもあり…
それでも、極力政治色を避け、ただひたすらに現場で起きていることを愚直に追い続ける90分。
なにより、自分を押し殺し抑制されたナレーションに、ジャーナリストとしてのプロの凄みを感じざるを得ないのです。
彼我を比べてもしょうがないのだけど、最近日本でもジャーナリズムを謳う映画こそあれ、ストーリーやメッセージありきだったり、それこそ映える戦場シーンに立ち会って記者してるご自身に酔っている感が痛々しくもあり、、、
なんだか、ロシア・ウクライナ紛争を切り口に、仕事とは、生業とは、みたいなことを思わずにはいられなかった。
まさに、これが戦争なのだという数々の映像に言葉を失う。
実際は更に○○、虐殺、略奪が加わり、戦争が終わっても悲しみと苦しみは続きトラウマも残る。
僕はたまに、ふと 「爆弾が降ってこないか心配しなくていいって幸せだなあ」 と思うことがある。だから映画の最初のほうで女の子が、爆弾の音で目が覚めたと言う場面が、いきなり衝撃だった。女の子は思い出して怖くなったのか泣き出してしまった。
建物や地下で身をこごめて爆音を聞きながら、ここに落ちてくるかもしれないとヒヤヒヤしている場面も、ホントの映像だと思うと恐怖が伝わってくる。いま映ってる人たちが突然1秒後に全員コンクリの下敷きになって死んでしまうかもしれないのだ。
これが戦争映画じゃないと実感させられるのが、子供が容赦なく死んでしまうところだ。産婦人科から別の病院へ運ばれた妊婦も胎児も死んでしまう。サッカーしてるとき爆撃を受けた少年も、18ヶ月の赤ん坊も死んでしまう。まるで希望がなく、ただ悲しみだけだ。戦争映画じゃこんなふうにならない。
画面に映ってた人でも今は生きてないかもしれないと思ってしまう。
2年が経ち、自分の中ではニュースの中でたまに聞く、遠い国の出来事になってしまった。
クリントン政権は世界第3位の核保有国だったウクライナから核兵器を取り上げてロシアに、
核分散の危険を考慮してのことだが核抑止力の必要性を証明する事に、
NATOは旧ソ連衛星国に加盟国を増やしロシアは喉元に刃を突き付けられたようだと非難し非武装地帯を設けるよう訴えていた、
NATO加盟国、西側諸国、アメリカ、世界、日本は、どこか他人事、無関心で居たのではないか?
もしウクライナの核保有がそのままに、
ロシアの求めに応じて非武装地帯を設けていれば、
なんなら冷戦終結、ワルシャワ条約機構解体後、
NATOも解体し、核保有国、先進国で不可侵条約締結、
ロシアを含めた新たな相互協力機構、もしくはEU加盟を考えるべきだったかと、
今考えると平和の間に戦争の芽は萌芽し、突然開戦する訳ではない、
世界の他人事、無関心が招いたかと、
ロシア、ウクライナ双方に、戦死者のみならず、手足を失った、帰還兵、
召集を拒んで国外逃亡を謀る若者、
戦場でその一歩の先に対人地雷があったらと思うと、
ヒトラーもプーチンも選挙で選ばれた、
40代位のロシア人男性が若い頃、選挙に行かなかったことを今は後悔しているとインタビューに答えていた、
始まってしまった戦争を終結するのは難しい長引く間に核戦争へエスカレートしなければいいが?
広島、長崎のように。
正義、不正義、善、悪、二元論だけではなく、多元論で考察しなければ、偏った可哀想、お涙頂戴の日本のB級反戦映画のように受け取らなければいいが。
包囲され、陥落した街
ウクライナ人のAP通信記者がマリウポリの病院を拠点に、ロシア軍の侵攻を受ける街の様子を記録した映画です。ニュースで見るのと違い、日を追って深刻になる街の状況が克明に映し出されます。ここに残っていた人たちはその後どうなったのか。見ていてつらい場面ばかりですが、多くの人に見てほしい映画です。
見るに堪えない。だが見たくないものを見ない為に目が付いている訳ではない。戦争を知らない1日本人に対して戦時下というのはどういうものか容赦なく突き付けてくる。そしてそれがいまだ現在進行中という事実。
①ロシアは「民間人は攻撃しない」と言いながら殺しまくってるやん、ということを白日の元に晒したドキュメンタリー。
②未来を担う子供たちにこそ、戦争とはこのようもの、と観せたいと思うが、それでも戦争というものは無くならないだろう、とも思う。
③将来、戦争のない世界が実現するとは最早思っていないが(人類という生物が生存する限り戦争は無くならないだろう)、せめて女性と子供とを何処かに避難させてから始めて欲しい。
④日常というものが突然断ち切られる怖さがビビッドに伝わってくる。
自分も敵の軍隊に包囲されて逃げ道が無くなった時はどうするだろうと思いながら観ておりました。
ある日狙って殺される可能性
2024年アカデミー長編ドキュメンタリー賞
2022年2月26日、ロシアがウクライナ東部要衝マリウポリに侵攻を開始、現地入りしたAP通信のウクライナ人記者が録画した20日間
ある日ミサイルがトーンと地元に落ちる、そして日が経つにつれ、人々が避難してる建物を含めてミッチリ殲滅する感じで砲撃爆撃される
大人も子供も、幼児も乳児も新生児も死ぬ
否定できない可能性として全国民が観るべき
「この映画が作られなければ良かった」けれども目を逸らしてはならない
「私は、沈黙を破ることがこれほど重要だと感じたことはありませんでした」(ミスティスラフ・チェルノフ監督談)
https://eiga.com/news/20240426/14/
戦争報道に対する是非については、このステートメントがすべてを物語っていると思う。映画とあわせて是非全文を読んでほしい。
どんなに凄惨な光景だろうと(むしろそれが酷ければ酷いほどに)、今この世で起こっている現実を報じる事の重要性。
ニュースで何千、何万人と報じられる死亡者の数は、ひとりひとりに名前があり、家族があり、あたりまえの生活を営んでいた人々が失った(奪われた)いのちの数なのだと改めて思い知る。
同じ時代を生きるわたしたちが実情を何も知らずに、関心も寄せず、当たり前のように平和な日常を送る事の危うさ。
この映画を受け取った時点で、それまで“知らなかった”という理由でこの戦争を黙認する事に加担してしまっていたというおそろしい事実に思い至る。
一人でも多くの人に届いてほしい。
ただ本編で「フェイクニュースだ」と断じられたシーンでは怒りと無力感で目眩がした。
あの映像を観て何を感じるは本当に人それぞれなのだろうとは思うけど、あれを観てその発言が出てくる時点で害意・敵意の発露に他ならない。そうでなければホンモノの人でなしだ。
人々のくらしを、いのちを奪う行為を肯定できる要素なんて何ひとつない。
日本のニュースではほんの数秒(しかも殆どがモザイクで)しか映らない映像の向こう側へ思いを巡らす糸口になる、誰しもが観るべき命がけの映像作品。
ミスティスラフ・チェルノフ監督の「この映画が作られなければ良かった」という言葉が印象的だったけれど、本当にそう思う。こんな悲惨な映像が作られる現場を、人類はまだ続けるつもりなのでしょうか。
ウクライナ情勢だけに限らず、戦争がもたらす取り返しのつかない痛みと喪失は、決して忘れてはならない。
この映画に無関係な人間は、今この地球上にひとりもいないと思います。
下手な言葉で語れない
戦争を始めた者、
戦争に加担した者、
戦争で商売する者、
戦争で略奪する者、
戦争の記録を撮る者、
戦争の記録を撮られる者、
それらの誰よりも、
安全な場所で簡単に“フェイク”と語る輩に一番憤慨した。
それをフェイクだと言い張れる精神性には絶望しかない
どんな理由があろうがなかろうが、戦争は絶対に起こしてはいけない。
二つの世界大戦、冷戦の歴史を経て、人類も有史以来、何千年もかけてやっと世界的な共通認識として、そう気づいて、テロやら途上国での内戦やら、局地的には不運で不幸な状況はいまだにたくさんあるけれど、大国や先進国間での戦争勃発は回避できるようになった…つまり、やっと世界規模での戦争はなんとか回避できるようになってきた、というのに、プーチンがその均衡をぶち壊してしまった、ような気がする。
負の連鎖の一端が、今はガザ地区で発現しているが、次はアジアのどこかで…
そういう恐怖の始まりがマリウポリであった。
と、30年後の歴史教科書で第三次世界大戦のことが語られないことを祈るばかりです。
忍び寄る恐怖
侵略戦争は、理不尽という一言に集約される。
ウクライナ・マリウポリの場合、突然の空爆からではなく、静かに遠方で砲撃の音が聞こえるのかなーくらいで始まっていた。
街の人々は「まだ平気だろう」などとたかを括ったあと、1~2日であっという間にロシアが徐々に包囲網を狭め、逃げ道を封鎖される。
一般人が住んでいる街が、電気・水道・放送・ネットなどインフラと情報の遮断を行われる。
ロシアのプロパガンダは降伏を呼びかけ騙し、混乱したこところを一気に蹂躙され、虐殺が行われていくという。
「いま住んでいる自宅」が襲われ、何もかもが奪われる。
何千何万の人々が命を落とす。
それを克明にカメラに写したAP通信の情報を、フェイク呼ばわりするロシア。
ロシアに対する恐怖と怒りしかない。
これが、海を挟んで存在する日本の隣国ロシアの姿だ。
アカデミー賞も納得の迫真の内容。
見るべきドキュメンタリーがここにあった。
fck putin
AEDを受ける赤ん坊の両手が跳ねる、サッカーの途中で爆撃を受け両足と命を失う16歳、骨盤を破壊される妊婦、片足を失い爆撃の中出産する妊婦。18ヶ月の子どもの心配蘇生が行われる治療室で医師が叫ぶ、「この映像をプーチンに見せろ、この子の目を見れるか」
見終わった後外に出るといつもと変わらない風景が広がっていた。今まで...
見終わった後外に出るといつもと変わらない風景が広がっていた。今まで見ていた映像とのギャップが激しすぎて何も言えない。
戦争は絶対絶対絶対起こしてはならない。
そんな当たり前のことしか思い浮かばない。
戦いの無い時代は人類史上無い
戦いの無い時代は人類史上無い。
多くの映画が争いごとを題材にするように。
これが当たり前の姿だと、平和ボケした国は思うべき。
人類は平和と戦争をしつづける、悲しいかなそれが人類の性質だ。
人間に生まれてしまった事は他の生物の活きると同等である。
武器で人が死ぬ、綺麗事では無い事実。
ドキュメンタリー映画が「辛辣な事実」を明らかに突き刺すのは、
時代の賛否を含め評価して良いと考える。
これを見てしまった後何を思えば良いのだろう
⭐︎5をつけるけど、作品評価というよりは点数が高いことで少しでも人の目に止まれば…と言った感じ。
この戦争のことはニュースで知っていたけど、はっきり言って無関心だった。
祝日の朝イチなんの気なく見にいってしまったが、何もかも打ち砕かれたというか…
史実を元にしたとかでもなく、事実を映したこれを見てしまった、知ってしまった後何を思えば良いのだろう。何をしたら良いのかと…
いろんな人が生きている世界だから争いはあるだろうけど、あまりにも辛い思いをしている人が多すぎる。
正しい表現かわからないけど、戦争なんてくだらないよ…と思う。
こんな作品、映像が生まれない世界になれば良いのにと思う。
これがフェイクならどんなに良いか。
ジャーナリスト、報道の仕事を見る目も変わった気がする。
教科書では学べない惨劇を忘れてはいけない
NHK BSで鑑賞したけど、改めて映画館へ。
観ていて辛かったし、しんどかった。
スクリーン越しの自分は目を閉じて耳を塞げば、この場から離れることはできるが、マリウポリの市民には逃げる場所、心穏やかに過ごせる時間がない。
一国を治める者が愚かだと、悲惨極まりない境遇に陥されるのは、ごく普通の生活をしている国民なんだ、と言うことを痛感した。
昨年、「マリウポリの7日間の記録」と言う作品を観たのを思い出した。7日間しか記録を残せなかったんだよなぁ…。
マリウポリに平穏な日々が戻ることを祈ります。
真実を知る事の重大さ
ただただ、本作を観て頂きたい、私達に今出来る事は。ただただ観るだけ。何も出来なくとも本作を観て、現実世界で今起こっている真実を知る事が出来ます。もちろんこれは現時点においてすらほんの一部の局地的なものなのは確かです、ウクライナだけでなくガザにおいてもイエメン危機でも、ソマリア内戦においてもビルマでも、強者による弱者への理不尽な殺戮が行われている。けれどそのほんの一部でも真実を目撃する価値は十二分にあります。
パワーバランスによって、各国の思惑も絡み一枚岩ではない西側諸国にほとんど翻弄されるウクライナにおいて、ゼレンスキーの立ち回りを非難する向きもあるけれど、その根底にある現実を見過ごしてはならない。もし、もし、いつかこの侵攻が終結した暁においても、確実に残るのはウクライナ民のロシアへの激しい憎悪です。多分100年経っても霧散することは決してありません。本当かしら? と、ご疑念ならば直ちに本作をご鑑賞頂きたい。市井の市民の口から吐いて捨てるように罵るロシア憎しの激しさを。
本作に登場する爆撃音は通常映画の音響ではなく本物の爆音、同様に大量の血糊が画面に流れるが無論これは本物の血、そして数多登場する死体、おぞましくもベビーの亡骸も、何もかも本物の死体である。あまりの死体に埋葬どころか同胞の手によって泣く泣く掘った穴に次々と放り投げられる様には言葉もない。その作業の1人が言っている「死体に対する感覚がマヒしてくるが、夜になると激しく込み上げる」と。テレビのニュース映像では、遺体にはほぼボカシがかけられるが、本作では無論現実の人の死体である。これが戦争だと。
先制攻撃に備える、侵略を予想して軍備に金をつぎ込む、緊急事態に国民の自由を制限する法律も作った、でも前線に送られるのは私達フツーの市民で、大義名分をかざす張本人等は当然のことながら爆撃に慄く事は決してない。それはロシアの侵攻に対しプーチン及びその周囲が一切危険に晒されていない事が証明している。戦争なんて一旦始まってしまったら、兵士、警官、警備隊、そして巻き込まれる市民を死体に変えるだけ。ガザの惨状を観れば明々白々。「身を捧げる覚悟がある」方々だけで前線に行っていただきたい、そして相手国民を殺し、その家族たちからの憎悪の炎に油を注ぐだけでしょう
本作はAP通信のウクライナ人記者・ミスティスラフ・チェルノフによる作品で、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を見事受賞しているが、受賞したご本人が「こんな作品は撮りたくなかった」とスピーチされている、当然でしょう。ただ、修羅場の現場でひとりカメラを回す姿は、多分現場では煙たい存在だったでしょう、生きるか死ぬかの瀬戸際なんですから。でも一部の人々は是非この真実を世界中に広めてくれ、と身をもって協力してくれる。もはやこの現場を記録として真実を世界中に広める事、すなわち国際社会に訴える事しか出来ない現実だから。嘘にまみれたロシアの偽プロパガンダに対抗するには真実ただ一つ。よって、撮った映像を直ちに送信したく、Wi-Fiの繋がる場所をそれこそ必死で探す。報道の本来の姿の原点をまざまざと描いている。
テレビのドキュメンタリーで十分などと知ったかぶりをなさらないで下さい。有料の映画で観てこそ、収益は作者にそしてウクライナに行くはずなのですから。本作を観た夜夢を見ました、銃撃の訓練を受け観光客を装ってモスクワへ、狙い定めてプーチンを暗殺、なんて夢を。
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