「彼が捨ててしまったのは、顔だけではなかったはずだ」顔を捨てた男 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
彼が捨ててしまったのは、顔だけではなかったはずだ
2025.7.17 字幕 アップリンク京都
2023年のアメリカ映画(112分、PG12)
顔面の神経繊維腫症を患う男性の天国と地獄を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はアーロン・シンバーグ
原題の『A Different Man』は直訳すると「別の男」という意味
物語の舞台は、アメリカのニューヨーク
社員教育用ビデオに出演しているエドワード(セバスチャン・スタン)は、ある時から顔面神経繊維腫症を患い、顔面のほとんどが奇形となっていた
そう言った人が職場にいた時の接し方のビデオに出演することになったが、大した実入にはなっていなかった
ある日のこと、彼のアパートの隣の部屋にイングリッド(レナーテ・レインスヴェ)という劇作家志望の女性が引っ越してきた
彼女の訪問に驚いて怪我をしたエドワードは、それを機に彼女との距離を縮めていく
だが、エドワードは自分の容姿にコンプレックスを持っていて、このままではうまくいくわけがないと思っていた
そんな折、主治医のヴァーノ医師(ジョン・キーティング)から、この病気の専門医フレックスナー(マラカイ・ウィアー)が治験を行なっていると知らされる
エドワードはすがる思いでそれに参加し、その効果があったのか、顔の腫瘍が取れて、元の顔に戻ることができた
その後、フレックスナーがエドワードの自宅を訪れるのだが、彼はエドワードが自殺をしたと嘘をついてしまう
イングリッドはそれを聞いてショックを受けるのだが、エドワードは自身を「ガイ・モラッツ」と改名(以下エドワードのまま表記)して、別の場所で生きていくことを決めた
そして、それから数年後、エドワードは不動産のトップセールスマンとして活躍し、街角でイングリッドを見かけるのである
映画は、エドワードのことがわからないイングリッドとの再会によってうまくいく様子が描かれるのだが、そこにかつての自分と同じような容姿をした男オズワルド(アダム・ピアソン)が現れるところから動き出す
イングリッドは「エドワードと自分の馴れ初め」などを劇にしていて、エドワードを演じる俳優を探していた
そのオーディション会場に偶然足を運んだエドワードが役を勝ち取るものの、そんな彼女の前に理想の俳優が現れてしまう
オズワルドはなんでもこなせる男で、劇のセリフもあっさりと覚え、何をさせても期待値以上のことをしていく
エドワードはやがて劣等感を抱き、イングリッドはそんな彼から距離を置き始める
そして、決定機となる事件が起きてしまうのである
わかりやすい「完全上位互換」の登場によって地位を脅かされる様子が描かれるのだが、この時点でエドワードは普通の人間として暮らしている
なので、エドワードがオズワルドに嫉妬を覚える必要はないのだが、彼にかつての自分を重ねてしまっている
何もできずに逃げた過去を悔やみながら、同じ容姿をしながらも全く違う人生を歩んでいるオズワルドは、エドワードにとっては雲の上の存在にも思える
そして、エドワードは精神的におかしくなって奇行が増え自滅してしまう
テーマとしてはルッキズムのアンチテーゼを描いていて、人は見た目以上に内面を重視しているというメッセージが込められている
エドワードは常に自分と他人を比べるのだが、オズワルドはそんなことは気にしない
だが、オズワルドから差し伸べられる手はエドワードにとっては屈辱的なもので、彼がいかにして横暴で不寛容かということがわかる
顔が元に戻ったことで性格が一変しているのだが、ある意味、悪い方向に振り切れている感じがして、容姿に自信があっても性根がおかしいと人格も歪んでしまうのだな、と感じた
いずれにせよ、オズワルドが登場するまでにかなりの時間を要するので、展開がかなり遅いように感じる
彼の登場後にようやく本格的に話が始める感じなので、前半をもう少しテンポ良くしても良かっただろう
あっさりと顔が治りつつ、同じ容姿をしている人が街で嫌がらせされているのを見るというものでも描ける部分が多かったように思えた
テーマとしてはかなり尖っているのだが、ルッキズムの追求が人を幸せにはしないという一方で、やはり内面は表面に現れていることを描いていた
前半のエドワードは悲哀に満ちているが、オズワルドはそんなことがなく、むしろマーベルに出てきそうなヒーローに見えてしまう
そう言った意味において、ルッキズムを否定するだけでは世の中は良くはならないのかな、と感じた
