ラ・コシーナ 厨房

劇場公開日:2025年6月13日

解説・あらすじ

スタッフの多くが移民で構成されたニューヨークの観光客向け大型レストランで織り成される人間関係を、ユーモラスかつ痛烈に描いたドラマ。イギリスの劇作家アーノルド・ウェスカーによる1959年初演の戯曲「調理場」を原作に、「コップ・ムービー」などで知られるメキシコ出身のアロンソ・ルイスパラシオスが監督・脚本を手がけ、まぶしく先進的なニューヨークの街とアメリカンドリームを求めて滞在する移民たちの姿を対比させながら、ほぼ全編モノクロ映像でスタイリッシュに描き出した。

ニューヨークにある大型レストラン「ザ・グリル」の厨房で、いつも通りの忙しい朝が始まった。そんな中、前日の売上金の一部が消えたことが判明し、従業員全員に盗難の疑いがかけられる。さらに新たなトラブルが次々と発生し、料理人やウェイトレスたちのストレスはピークを迎え、厨房はカオスと化す。

「ザ・グリル」の料理人であるメキシコ移民の主人公ペドロを「コップ・ムービー」にも出演したラウル・ブリオネス、彼の恋人で秘密を抱えるアメリカ人ウェイトレスのジュリアを「キャロル」のルーニー・マーラが演じた。2024年・第74回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。

2024年製作/139分/アメリカ・メキシコ合作
原題または英題:La cocina
配給:SUNDAE
劇場公開日:2025年6月13日

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映画レビュー

3.0リスペクトの欠如と、詰めの甘さ

2025年6月19日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

悲しい

ルーニー・マーラが割と好きな女優なので楽しみにして観たが、彼女が演じたウェイトレスのジュリアは残念ながら魅力的なキャラクターとは言い難い。20世紀半ばに英国で書かれた戯曲を翻案した映画化というのは鑑賞前に知っていたので、時代設定はいつごろに変えたのか、モノクロ映像は時代感をあいまいにする意図からか、などと考えながら観ていた。オフィスにあるデスクトップPCのモニターがブラウン管なのと、携帯電話が使われる描写がない(何人かは公衆電話で家族に連絡する)ことから、1980年代後半か90年代前半頃だろうかと思ったり。

だが、小型プリンタが印刷する注文のレシートが大写しになったとき、日付が2022/05/02になっていて、えっ?!と驚く。もしも今から30年か40年も前の話なら、厨房でくわえ煙草のスタッフがいて、髪の混入を防ぐ帽子やバンダナ等を着用している者もわずか、マスク着用は皆無なのに食材や皿の前で大声で叫びまくりというのも、まああったかもしれない。でも、いくら多数の移民を不法就労させているブラックな職場だとはいえ、2020年代の食品衛生や公衆衛生の常識にてらして、このキッチンの働きぶりはひどすぎないか。これだけ大勢のスタッフがいるのだから、料理を作って客に提供する仕事に誇りを持っていたり喜びを感じているキャラクターを1人か2人でも描いたらまだよかったのに。料理人という職業、そして調理する行為へのリスペクトや愛情が、映画の作り手に欠けている気がして残念に思う。

なお、劇中にこの日が金曜という台詞がある(それゆえ観光客相手の店のランチタイムは激混みで注文が殺到する)が、鑑賞後2022年5月2日の曜日を調べたら月曜だった。ここにも詰めの甘さが出ている。別にレシートを大写しにしなければ、時代をあいまいなままにできたのに。2020年代の話なら、ジュリアが妊娠を自覚しているのに煙草を吸いまくっているのもどうかと思う。どうせ中絶するつもりだから胎児への影響なんて気にしないのだとしたら、それはそれでキャラクターに一層共感しづらい。

格差社会の底辺で働く移民たち(とくに不法就労者)の劣悪な労働環境を風刺することを優先したのはわかる。ただ、以前に邦画の「FUNNY BUNNY」のレビューでも書いたことだが、舞台劇を映像化する場合、舞台で成立していた抽象や誇張を、実写の具体やリアルさにうまく調整しないと、嘘くさい話になったり、共感しづらいキャラクターだらけになったりする。舞台劇と劇映画のリアリティラインの違いから生まれる違和感とも言える。

ホールスタッフたちがトレイに料理を載せて厨房から次々に客席へ向かう動きをダンスのコレオグラフィのようにとらえた長回し撮影など、印象的なシーンもあっただけに、もったいないと感じた。

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高森 郁哉

3.5Big Apple in Hot Water

2025年6月5日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

La Cocina is a stylish black-and-white film set in a bustling Manhattan kitchen. Adapted from a British play about European immigrants working in a London restaurant, this American version reimagines the story through the lens of Latin American experiences. The film vividly evokes the chaotic, high-pressure environment of working in a New York restaurant. While the narrative occasionally veers into over-dramatic territory, the strong performances lend it a theatrical quality reminiscent of its stage origins. The movie ambitiously aims to capture the zeitgeist of immigrant life in America today.

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Dan Knighton

3.0際立つコントラスト!

2025年7月1日
iPhoneアプリから投稿

7月ファーストデー1本目は、そういや見なきゃと思って先送りにしてたこの作品から。

だだっ広くて雑多な厨房内の画角が4:3で休み時間の路地裏は16:9になってて(だと思ったけど気のせい?)心が押し殺されてる⇄解放されていることを表してるのかなと思ったり。外には無限に広がる空もあるしね。全編モノクロでコントラスト強めなのも「肌の色が濃いヤツから尋問するのか?」ってセリフにあるように、世の中が肌の色や国籍で生きづらさが決まってる感じを際立たせるためなのかな。そういうアングルや撮り方で今の状況を伝えていくのはセンス良いなと思いましたね。あと劇伴と周囲のノイズの使い方も秀逸。終始流れる馬鹿でかいオーダーマシンのジージーという音は、メトロノームで規則正しく動かされてる(秩序はゼロだが)多国籍のスタッフに対するある種ロボット的な扱いを際立たせていて、それの音とリズムが止まった世界とのコントラストがめちゃくちゃ上手いなと思いました。

内容的には、好きな映画は?と言われてわりとよく答える「ディナーラッシュ」を期待してたんだけど、イントロの女の子は全然ストーリーに絡んでこないし、ペドロは馬鹿だし、ホワイトトラッシュの描き方も中途半端だし、オーナーもどっち付かずのキャラだし、正直見てて何が伝えたいかわかんなかったというのが正直な感想です。というわけで、揶揄と風刺が少しだけスパイスとして効いてる詰めの甘いプロレタリア文学でわりと期待外れだったけど、絵作りはめちゃ好み!

それではハバナイスムービー!

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きーろ

4.0描かれているのは古くからある普遍的な問題 労働に喜びを見い出せず 労働が苦役になってしまっている件

2025年7月1日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

ニューヨークのタイムズ•スクェアにある 観光客向けの大型レストランで働く人々を描いた群像劇。スタッフの多くは成功を夢見てアメリカにやってきた移民の人たちです。そこの厨房をメインの舞台にして嵐のような一日が描かれます。英国の劇作家アーノルド•ウェスカーの戯曲 “The Kitchen” (1959年初演)を場所をニューヨークに変えて映画向けに翻案したもののようです。

思いのほか面白くて示唆に富んだ映画でした。レストランであまり期待せずに注文した料理が美味しくてしっかりと食事を楽しむことができたときのような感じ。まあ厨房内ははちゃめちゃなカオスで、この映画はほぼモノクロなのですが、カラーで見たらちょっと気分が悪くなるのでは、という内容も含まれてはいますが。

この厨房内カオスを招いたレストランの従業員たちの様子から、私は今から百数十年も前にカール•マルクスが論じていた労働疎外の問題を思い出しました。その昔、学生時代にちょっとかじった程度なのであやふやですが、以下のような感じの話です。

自給自足経済下の農民は、例えばジャガイモの収穫後に「今回のイモは前回より美味しいべ。次回はもっと美味しくなるよう頑張るべ」といった具合に労働の成果が実感でき、働く喜びも味わうことができます。これに対して資本主義下の労働者、例えば、スイスの時計工場で働く労働者は労働の対価として賃金を得ますが、毎日ちゃんと工場で働き続けられるだけの健康状態を維持できるだけの賃金、もしくは、次世代の労働力までを考慮に入れていたら、家族がどうにかこうにか食ってゆくのに足るだけの賃金を得るだけで、その工場の製品である高級腕時計を手首に巻くことは一生ありません(労働の生産物からの疎外)。

ということで、資本主義下の労働者は労働の成果を実感することもなく、その成果はすべて資本家が握っている資本の蓄積に寄与することになり、労働者にとって労働は単なる生計をたてる手段で苦役以外の何物でもないということになります(労働活動自体からの疎外)。

そんななかで、人間が本来持っている社会的•共同体的な性質とか、人間らしい生き方が奪われてゆきます(類的存在からの疎外)。

また、競争によって人間関係が分断されてゆきます(他者からの疎外)。

このあたりまではマルクスが19世紀の資本主義を観察して論じていたことなので古くからある問題と言えます。現在では「デジタル疎外」みたいな新たな疎外ネタも出てきてますが。でも日本の企業というのは一般的にこの辺のところをうまく切り抜けて、従業員個々が仕事にやりがいを持って人間らしく創造的に仕事ができるよう、環境作りをしてきたと思ってはいるのですが、こればっかりはいろんな職場があるので一概には言えません。

で、この群像劇の主人公格のペドロというのがまあ身から出た錆びの部分もあるにせよ、上記の疎外のお話そのものみたいに疎外感を感じまくって厨房内でも浮いた存在になりかけています。彼だけでなく、スタッフそれぞれが彼ほど酷くないにしろ労働疎外の実例のオンパレードみたいで、結局、こんな状態を招いた元凶はオーナー経営者のラシッドにあると言えましょう。彼の自分の部下たちに対する見方は「お前らが貧乏なのはお前らの努力が足りないからだ。そんなダメなお前らに私はお前らにふさわしい仕事をくれてやっている。これ以上、何がほしいと言うのか」といった感じで、上から目線で従業員を見下しています。これに加えて、たぶん賃金の都合で多国籍軍さながらのレストラン•スタッフの構成になっていますので、言葉等の問題でメンバー同士のコミュニケーションがうまくとれません。労働疎外の問題を小さくしてゆくためのキーとなるのはコミュニケーションだと思いますので、まあ、あそこのレストランの労働環境は最低最悪だと思います。

私がこの20年ほどの間の社会の変化で気になっていることのひとつは、いわゆるネオリベ、新自由主義的な考え方が世の中にはびこり始めたことです。今回のレストランのオーナーなんかはその典型です。日本も雇用形態なんかが変化しているあたりにその影響が見て取れます。まあでも仕事するのに働きがいや働くことの喜びが見い出せる環境であってほしいですね。と、年金が貰えるようになって社会人をなんとか逃げ切った感のある老人の戯言でございました。

あ、そうか、映画のレビューでしたね。元ネタが戯曲なだけあって気になるセリフがいろいろと出てきます。ウラの意味を考えてみるのも一興かも。映像はモノクロですがかなりセンスいいと思います。厨房もなかなか立派でした。今すぐでなくとも何年後かにまた観てみたいと思わせるような不思議な魅力のある作品でした。

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Freddie3v

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