ゴッドランド GODLANDのレビュー・感想・評価
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厳しい大自然と信仰
布教に来たデンマーク人の牧師が、アイスランドの過酷な自然環境に身を置くことで変容していく物語。自然と人間の共生について、宗教的な観点から見せてくれる興味深い一本だった。
人間の神への祈りは、このような過酷な自然環境の中でどれほど意味があるものか。この地で信仰を広める意味とはなんなのか。人の命に特別な意味はなく、大自然の一部であると自覚せざるを得ない環境、自然の気まぐれで人が死ぬような環境で、人は人間の神を信じることができるだろうか。
アイスランドには紀元1000年ごろには大陸からキリスト教が入ってきて、かつての自然崇拝は薄れていったようだけど、この映画の舞台となった19世紀にも、自然環境が人々の価値観に大きな影響を与えていたのではと思える。アイスランドは日本同様、火山大国であり、自然のあり方がこの土地の文化を決定づけているように見える。欧州大陸の信仰のあり方とは異なる価値観があることが浮き上がらせる作品だった
とにかくショットが全て美しい。見とれているうちにすぐに終わってしまう。時間を忘れて鑑賞できる素晴らしい作品だった。
圧倒的なまでの没入体験映画
これは圧倒的なまでの没入体験映画である。いざ見始めるとスクリーンの境界線を超えて引き摺り込まれ、あたかも自身がデンマーク人牧師と共に19世紀のアイスランドの荒々しい大自然を旅している気にさせられる。あの生きる意志すら根こそぎ奪い去ってしまう寒さ。大地の冷たさ。死を感じるほどの河の無慈悲さ。かと思えば噴火音と共に容赦なくマグマが流れ出す壮絶さ。これと比べれば人間の命なんて拭けば飛ぶような存在だ。カメラがゆっくり旋回するたび、360度回転しきった先でどんな情景が映し出されるのか、不安で堪らなくなる自分がいた。見知らぬ土地や文化での布教という意味ではどこか『沈黙-サイレンス-』と通じるものを感じるが、一方で言葉の通じない現地ガイドとの関係性が予想外の方向へ転じていく様には心のざわめきが高鳴るばかり。この複雑怪奇な顛末について、彼らの中でどんな心理模様が作用したのかいまだに私は答えが出せずにいる。
宗教は帝国主義の先兵
予告編を観て、デンマーク人宣教師が極寒のアイスランドで布教する苦難の宗教映画かと思っていたら、他者を思いやれない自己中・牧師が荒野で自滅していく物語でした。アイスランドはデンマークの実質的植民地であった事を本作で初めて知り、ちょっとお恥ずかしい。独立は第二次世界大戦後だったんですね。
アイスランドは宗主国デンマークをこんなに嫌っていたのかと思い知り、「宗教は帝国主義の先兵となる」という典型例を改めて観る思いがしました。宗教の持つ権威と独善性という意味では『エドガルド・モルターラ』にも通じるテーマです。
神の下では皆平等、それがGOD LAND
アイスランドの大自然の雄大さと、その中を生きる人々の人間臭さが表れた作品でした。
聖職者と信者も非信者も、神の下では皆人間として平等。卑しく、欲深く、傲慢で、無力で、弱い、それが人間。
アイスランドの過酷な自然環境に人は適応できるけど、神の采配に、裁きに人は適応する術がない。それは突然死や出会いや別れといった形で訪れ、人はなす術なく流れに身を任せることしかできない。
時折挟まれる自然の風景がそれを表していたような気がします。
公式HP掲載の情報ですが、主人公がアイスランドで出会う少女イーダ役の女優さんの将来の夢が「馬の調教師とパートタイム女優」だそうです。
パートタイム女優、そんな概念があるんだ、、とびっくり、映画外でも刺激を受けました。
民族間の確執を体感
デンマークからアイスランドへ布教のために教会を建てることを目的に
牧師ルーカスが旅立つのですが、
これがまあいろいろあるわけです。
このルーカスなんですが、冒頭、指示を受けるところで「報酬は?」と真っ先に聞くあたり、
あ、そんなに信心深い人というより、仕事としていくのね?とあるいみ信念の無さみたいなことを感じ取り
小物感オーラが出まくっているとの印象を受けました。
このルーカスの小物感が道中で発揮されていくわけですが、
川を渡るのは数日待ったほうがいいよ、というガイドの話をガン無視し、強行したところ
頼りきっていた通訳が溺死してしまうんですね。
その後も、アイスランド語を学ぼうとせず、「言葉がわからない」の一点張り。
全く歩み寄る気がありませんし、コミュニケーションを良好にしようとも思わない。
その不遜な態度は、やはりアイスランドの人たちに見抜かれていたのだろうと思います。
ガイドの老人ラグナルとは終始対立、但し、ラグナルは歩み寄っているのに・・・です。
ラスト近くでは勢い余ってラグナルを殺してしまうルーカス。
そんなルーカスを好きになってしまう女性が現れるのですが、
それはデンマーク語が話せるデンマーク生まれの女性だからだと思います。
但し、この女性の父親はルーカスの本質を見抜いていて、ルーカスを殺すんですね。殺意を持って殺すんです。
娘のことが背中を押したのだとは思いますが、それまでのルーカスの不遜な態度の鬱憤の蓄積が爆発して殺害に至ったのだろうと思います。
人としてのあるべき姿とは?という人間の根源的なことが示唆かなと思い、そう受け取りました。
それにしても、アイスランドの荒涼とした景色をふんだんに画面で見せながら、
デンマークからの厳しい道程を描くあたり、実に素晴らしい映像美を浴びるように体感でき、素晴らしかったです。
ただ、143分は長尺すぎると感じました。全体的に静謐なためか何度か意識が飛びました(笑)
私にとって想像とは違った内容だったので、記憶に残る映画となりました。
動物はかわいいんです。。
始まりからずっと、不穏の2文字が付き纏う。死にかける程に過酷でちっぽけな存在を覆い潰すよなアイスランドの厳しくも美しき大自然。なぜ船で〜のくだりで牧師への共感はなし、支配する・される側の諍いはもうしょうもなく自業自得だねあの終着まで...
観た後改めて地図確認と湿板写真についての情報確認。
さらっと流れてきた、実際の馬の朽ち果てるまでの様子を時間をかけて記録したというあの場面は貴重だね
絵になる風景と泥臭さ、血生臭さ
実はアイスランドの映画を見るのは初めてではない。三十年以上前に北欧古代神話のサガを映画化したのを見たのだが、妙に血生臭いストーリーだった。今回は北欧の果ての不毛の地の自然と、少ない人々の濃い人間関係を一部は牧歌的なテイストでも見せていきながら途中で衝撃の展開を遂げる。この独特の北欧テイストは映画としてアリだと思うが、個人的にはなかなか好きになれない。
鑑賞前に背景知識が必要
鑑賞前に背景知識が必要です。
私のアイスランド知識は、映画「馬々と人間たち」を鑑賞した程度。また、漫画でアイスランドがデンマーク支配下にあったことをなんとなく知っている程度でした。
苦戦しますが、なんとかついていけたような気がします。
アイスランドとデンマークの関係性について、一定の知識があると、より映像の機微を楽しめるのではないかなと思います。
デンマーク人の牧師ルーカスは、アイスランド現地の人々をあきらかに蔑視していて、言葉は覚えようとせず、生活の荒仕事を手伝わず、火を囲む輪の中にも入ることはありません。
アイスランド現地ガイドの老人ラグナルは、デンマーク人を嫌悪していて不服はあるものの、現地ガイドとして責任を果たそうとします。
過酷な旅の中でルーカスは、アイスランドの自然に畏怖し、ときには蔑視するアイスランド人がその自然と調和する姿に神秘を抱くこともあったようにみえます。
しかし、ルーカスは(もしかすると神から)何度も機会を与えられていながら、自己中心的な性根を改められずに、落ちぶれて果てまで行き着いてしまいます。愚かな姿がありありと描かれます。
映画「馬々と人間たち」で、アイスランド人にとっての馬の価値は計り知れないほど大きく重要なものなのだろうと感じました。
だからこそ、行動を起こしたときのラグナルはどんな気持であっただろうかと想像すると辛いです。
冒頭で「発見された古い7枚の写真からインスピレーションを受けて制作された作品」とキャプションが入りますが、これは監督の架空の設定だそうです。
想像力を触発される、おしゃれな演出でした。
19世紀後半、アイスランドを統治していたデンマーク。 若きデンマー...
19世紀後半、アイスランドを統治していたデンマーク。
若きデンマーク人牧師ルーカス(エリオット・クロセット・ホーヴ)は、布教のためアイスランドの辺境地に教会建設を命じられた。
夏とはいえ過酷なアイスランド。
日は沈まず、寒さも厳しい。
アイスランド東海岸から西海岸への長い旅。
通訳はいるが、直截、言葉は通じず、厳しい自然環境と異文化のなかでルーカスは疲労困憊するが、村へ到着してからも癒されることはなく、アイスランド人の老ガイド、ラグナル(イングヴァール・E・シーグルズソン)との対立はひどくなり、村での孤立も高まっていく・・・
といった物語で、前半はヘルツォーク監督『アギーレ 神の怒り』『フィッツカラルド』を彷彿させる展開。
画面に映し出されるアイスランドの荒涼とした風景から、その厳しさが伝わって来きます。
画面サイズはスタンダード。
横幅のなさが、神の恩寵のなさにも感じられ、ルーカスの精神的疲弊を表現しています。
公判、村に到着して、教会を建てる段になると、それまでの過酷な自然環境とは異なり、牧歌的な雰囲気も多少感じられます。
思い出したのは『刑事ジョン・ブック/目撃者』。
異文化との交流・・・として少し和らぐような描写もありますが、ラグナルとの対立は潜行して激化。
アイスランド人からみればデンマーク人・キリスト教は支配者・侵略者以外の何者でもない。
若い村人の結婚式を建築中の教会で挙げることになったのだが、ルーカスは建築中(つまり神が宿っていない)ことを理由に、祝福の言葉を捧げない・・・
これが引き金になったのか、ラグナルはルーカスの馬を連れ去り、荒野で殺してしまう。
アイスランドにおける馬の価値は、人間の命・全財産にも相当するようで、憎悪を現すものとしては最大級だろう。
その馬の死骸が季節を経ていく様は、美しいが残酷。
憎しみの結果、悲劇はさらに悲劇を呼ぶことになるのだが・・・
厳しい自然の中で生きていくこと。
この土地には神がいないのか・・・
いや、生きているということで、神に感謝すべきなのか・・・
しかしながら、このわたしたちが生きているこの地は「故郷」であり、「ゴッドランド」である。
と、ラストに、デンマーク語、アイスランド語の両方でタイトルが示される。
近年、あまり接する機会のない類の映画でした。
歴史的背景を知らないと分からない
アイスランドの自然が映像としてよく描かれていた。
主人公の行動は謎すぎて全く共感できず、最後まで❓だった。試写会では、上映後にアイルランド研究をしている大学教授の解説があり、当時のデンマークとアイルランドの歴史的背景などを聞いて、やっと少し分かったが、それがないと、理解不能なストーリーだと思った。
アスペルガー的気質の若き牧師が直面する、アイスランドの厳しい自然と布教の現実。
まあ日本人の多くは、観てて
「そりゃ自業自得だよ」って
思うんじゃないのかなあ(笑)。
百歩譲って、ルーカスの性格に猛烈に難があるのが「死にかけてから頭がちょっとおかしくなってしまったせい」だとしても、なんで死にかけたかっていうと、「陸路でアイスランド島を縦断して村落まで行こうとしたせい」で、わざわざそれを決めたのは本人なんでね。
やはり、自業自得だとしか言いようがない。
だって観始めてから、ずうぅぅぅぅぅっと思ってたもん。
「なんで、こいつ海路で行かないんだ???」って。
で、村に着いて意識取り戻したら早速、移民のリーダーに訊かれてるわけ。
「なんで、船で来なかったんですか?」って。
そりゃ誰だっていぶかしく思うよね。
自分のみならず、キャラバンの10人近いメンバーまで巻き込んで、大変な陸路の旅を選択して、本人が死にかけてるんだから世話ないわけで。
しかも理由が「自分の目と足でアイスランドを確かめたかったから」「それを写真に撮って収めたかったから」。おいおい、そんな理由で、案内人巻き込んで危険な目に合わせてるのかよ。自分の判断ミスで通訳は溺れ死にさせてるわ、死にかけた自分は助けてもらっといて(後から担架で引っ張られた様子)御礼の一つも言いやしないし。
あともう一つ、「冬が来るまでに教会堂を建設せよ」って時間を切るのなら、司祭も司祭で、部下に「夏」じゃなくて「春」に出発させろよ。夏まで寝かせる理由ってあったっけ。
「小雪が降るまでには必ず」とかルーカスも返事してたと思ったら、出発して早々雪に降られてて笑ったけど。
ルーカスの場合、あくまで旅の目的は「教会堂の建設」であり「僻村での布教」である。通訳も、案内人も、その目的のために随行している。
彼がその道行で「自己満足と趣味の充足」のためにクルーを危険に晒すことは、「神の御意志」にも反しているのである。
しかも、旅支度はまったく「山歩き」を念頭に置いた旅装になっていないわ、重い機材を全部案内人に持たせてるわ、集団行動で一番重要なコミュニケーションの手段を有していないわ(アイスランド語がまったくわからないし学ぼうともしない)で、夏山登山をする僕からすれば、ルーカスは「山&高原」を完全に「舐めすぎてる」。
あと、「なぜ海路をとらなかったか」と訊かれたルーカスが「アイスランドの風土を知りたかったから」と答えたあと、移民のリーダーはこう問う。
「旅のあいだに、誰と会えましたか?」
ルーカスは、キョドったまま答えられない。
でも、前半戦のロードムーヴィーに付き合わされた我々は知っている。
会えたのはせいぜい、羊を一頭くれた農民の一群くらいだったと。
要するに、ルーカスは「アイスランドの自然の美と厳しさ」のほうは自らの体で存分に体験出来た一方で、「土地の人々」とは全く交流出来ていないし、旅の仲間である案内人たちとすらほとんど仲を深めないまま、ここまで来たわけだ。
移民のリーダーはそのまま引き下がるが、内心何を考えたかは容易にわかる。
「ああ、こいつはダメだ」
ここで、われわれは問わざるを得ない。
「ルーカスとはいったい何者なのか?」
ルーカスは有り体に言って、いらっとさせられる人物である。
独善的で、ルールを曲げず、自分の優秀さを鼻にかけ、まわりを見下している。
ひょろガキで、身体操作において不器用で、そのわりに闘争心は人一倍強い。
カメラオタクで、人との交流は超苦手だが、被写体としてなら交流できる。
そう、彼は典型的な、今でいうところのアスペルガーだ。
この性格は「厳しい旅でねじ曲がったから」そうなった性格ではない。
もともとそういう性分だったのが、死にかけたことで「先鋭化」しただけだ。
明らかに「狙って」そういうキャラクターとして描かれている。
彼は19世紀に生きる、絵に描いたような高機能ASDなのだ。
典型的なのは、村落で結婚式が執り行われたとき、ルーカスは牧師として二人を祝福しようとしない。「なんで結婚式をあげてやらないんだ」と移民のリーダーに問われたルーカスは言う。「まだ教会が出来ていませんから」
それを聞いたリーダーは言う。「変わった牧師だ」
アスペルガーの人は、ルールを容易に曲げられない。
融通をきかせられない。
たとえば、リーダーの次女の写真を撮ろうというとき、少女のほうは「馬と少女」という取り合わせの中から、馬の上に立ってみたり、馬の上で寝そべってみたり、横を向いたり、後ろを向いたりと、あらゆるヴァリエイションを楽し気に呈示してみせる。
しかし、ルーカスのほうは頑なに「こちらを向いて横座りした普通の写真」にこだわり、シャッターを切ろうとしない。こういうところである。
あるいは、グランドオープン成った教会堂での栄えある最初の説教。
うまくいっているあいだは、なんとかうまくこなせている。
しかし、赤ん坊の声や犬の声といった「邪魔」や「夾雑物」が入ると、もう続けられなくなる。「型」や「暗記」には強いが、突発的事態に弱いからだ。
で、彼の場合はそこに、衝動的な行動や暴力衝動の高まりが伴うタイプでもある。
この「前」に勃発した、彼の人生における最大の過ちもまた、そうやって犯されたものだった。
果たして監督は、観客にルーカスのことをどうとらえてほしかったのだろう?
もしかすると、ある程度の共感は寄せてほしかったのだろうか。
苦難の旅を経て神経を病み、伝道の使命を果たせないままに横死して果てた、気弱で偏屈で内向的な青年の侘しい人生を、少しは憐れんでほしかったのだろうか。
それならば、その試みはあまりうまくいっていないのではないか、としか言いようがない。
ルーカスは余りに「ヘイト」を溜め過ぎた。
自助努力の出来ない、本能のままのアスペ君でありすぎた。
もともとそういう性分で、勉強は出来たが頑固でエリート意識が高く、周りともうまく溶け込めず、そのへんを見越して世知に長けた老獪な司祭に、辺境の教化を上手い具合に押し付けられたということだろう。
で、持ち前のかたくなさで陸路の旅を断行して人を死なせ、自分も死にかけ、案内人との軋轢を村まで持ちこみ、陰気さに磨きをかけ、人には教会を建てさせながら自分はカメラ遊びにうつつを抜かし、己の業績の報告(手紙)は怠らず、挙句の果てに突発的に衝動殺人を犯し、その足で姦淫の罪を犯し、最初の説法は台無しにしたまま、荒野に逃げ出してトンズラを図ろうとする。
「ああ、こいつは本当にダメだ」
そう観客がみんな嘆息したところで、「救い主」のように移民のリーダーが現れて、「彼の殺人の罪も姦淫の罪も知らない状態で」(=断罪されることもなく、犯した罪の深さに直面することもなく)、一瞬の死を与えてくれるのだ。
要するに、ルーカスは救われたのだ。横死することによって。
彼は咎人としてではなく、被害者として、アイスランドの大地に溶け込んでいく。
案内人によって殺されてしまった馬の死体と同様に。
これは、明らかに「可哀想」なエンディングではない。
「ほっとする」エンディングだ。
逆に、きっとこの頃の牧師とか、こういう手合いが多かったんだろうな、くらい僕は思いながら観ていた。
単に、内向的で攻撃的な牧師が多かったという話ではない。
アスペルガーっぽい気質を持つタイプで、宗教家を目指した奴はきっと多かったんだろうな、という話だ(今だって結構そうかもしれない)。
前に『田舎司祭の日記』というロベール・ブレッソン監督の映画を観たことがあるが、まさにあれの主人公もこういうタイプだった。宗教家の仕事を型にはめてとらえていて、相手に対してやたら説教臭く、周りと軋轢を生んでは内に閉じこもり、酒に逃げて自分を追い詰めていく……。北フランスの寒村に赴任する出だしなど、おそらく『ゴッドランド』の監督も参考にしている映画にちがいないが、この手のタイプの人はむしろ「修道士」や「教学僧」には向いていても、「布教」や「説法」にはまるで向いていないのではないかと思わざるをえない……。
まあ本作の監督さんはもしかすると、「カメラで撮って写真に収める」ことに異常に執着する頭でっかちでオタク気質のルーカス君に、「映画人としての自分」を思い切り投影しているのかもしれないが……残念ながら共感しやすいキャラクターではなかったなあ。
あと、お話の組み立てとしても、観客がルーカスに寄り添いづらい構成だった点は否めない。
通例、こういう「極限体験を経ておかしくなってしまう」人間を描いたドラマというのは、その「前段」についても比較的、丁寧に描かれることが多いのではないか。
本作でいえば、たとえばだけど、多少偏屈でも仲間と相応にうまくやっていて、優秀な牧師であるように「擬態」できているルーカスの平和で気安い日常をじっくり描いてから、中盤で大変なことが起きてその「本性」があらわになる、というのが「一般的」な作劇のような気がする。
ところが本作では、アバンが終わったらすぐにロードムーヴィーに切り替わってしまう。
ルーカスがどういう人間かも観客にはわからないまま、アイスランド横断の冒険行が始まってしまい、われわれは彼の心のうちを知る間もなく、ほぼ無言のまま旅は一時間くらい続いてゆく。
観客としては、なんとなく空気の読めないやつ、集団行動のできないやつ、案内人に高圧的にふるまうやつ、くらいの認識しかないところで、彼は死にかけて、ある意味正気を失ってしまう。
村についてからのルーカスは、たしかに「昔のままの彼」ではない「すでに半分病んだ」人間なのかもしれない。死にかけた状態でいったんアイスランドの荒原のただなかに放置されて、もう捨てられ置いていかれたと思いこんだ彼は、そこで「完全に闇落ち」してしまったのかもしれない。
でも、前段がないから、僕たちには「健全だったころのルーカス」の様子がわからない。なので、狂ったルーカスがどれくらい狂ってるのかがわからない。
ぶっちゃけ、最初からこんなやつだったようにしか思えないのだ。
その意味では、ルーカスは損をしていると思うし、ふつうに考えれば、制作者側もこういう作劇にしている以上、彼に感情移入してもらいたいとは思わないで作っているはずだ。
結局、彼は「ダメな牧師」として登場し、「ダメな牧師」として退場した。
なぜ、ルーカスは殺されたのか。
それは、「見限られた」からだ。
娘の婿候補としてだけではない。もちろん、このまま放っといたら先に子供までこしらえそうだから、事前に排除したという部分はあってもおかしくないが、それが殺された理由のすべてではない。
彼は、辺境の牧師として「役に立たない」から、切り捨てられたのだ。
これだけ突発事態にもろくて、人付き合いに難があって、職責を全うできないのであれば、この厳しい寒村ではとても「やっていけない」。
「やっていけない」から「いてはいけない」。
とはいえ、わざわざ解任させようにも、コペンハーゲンからは離れすぎていてそれも難しい。
だから「申し訳ないけど」死んでもらうしかなかったのだ。
ルーカスは、観客からも、登場人物からも、監督と制作陣からも見限られ、アイスランドの大地で一生を終えた。
そんなちっぽけな彼の人生と、雄大な大自然を対比して捉える、という意味では確かに良く出来た映画だと思う。
だが、たとえば『ミッション』のような文化と文化のぶつかり合いを感じさせる壮大なスケール感はないし、全体からすればむしろこぢんまりした印象の映画だ。
スタンダードサイズの四辺を丸く削った画面サイズ(ダゲレオタイプを意識したらしい)は、あえて大自然を小さな枠内で捉えることで、逆説的に大きく見せている部分もあるが、一方で19世紀の牧師の旅に、実際に古いカメラが同行しているような親密な感覚もある。
ただ、このサイズ感や時代感が本当に映画にプラスに働いたかどうかは、僕には正直よくわからない。個人的には、これだけ雄大な自然をこれだけ丁寧にフィルムに収めるのなら……ふつうに視界いっぱいのワイドスクリーンで堪能したかった気もするんだけどね(笑)。
予告編を見て、素晴らしい映画だと思ったが…。
私の直感は当たる事が多いが、これは外れた。ワグナーが「ニーベルングの指輪」の創作に北欧神話(アイスランド・サガ)からヒントを得たと知ってから、アイスランドに関心を持っていた。
辺境の地で、人が住むような土地ではない。そんな地に人が住んだら、どうなるのか。そんな映画だった。私にはよくわからなかった。
基本的に静かで退屈な感じ。
アイスランドで見つかった木箱、その中に入っていたデンマーク人の牧師が撮った写真にインスパイアされたそう。
基本的に静かで退屈な感じで、開始1時間ごろから躍動的になって少しは面白くなってきます。
終盤は大きな事件も…
そして、予想外の終わり方。
終わってから、あらすじ読んだら、アイスランドはデンマークの植民地だったとの事。
その辺の歴史に詳しいと、もっと理解できるのかな?
Natural Bone
宗教の布教を目的とした牧師が色々と巻き込まれる系の話かな〜くらいの印象で鑑賞。
布教しにきたら通訳が亡くなってしまい、そのためか意思疎通が取れなくなって険悪な雰囲気になった根っこがひん曲がった宣教師と地元民のわだかまりがメインだったなぁという印象です。
全体的にゆっくりとした時間が流れる作品なので、アクションやゲテモノ好きの自分からしたら、どうしてもウトウトしてしまうなというのが強く出てしまい、そのせいか登場人物の誰にも共感できなかったのが惜しかった気がします。
最後の方、殴り合いじゃ〜くらいのテンションで殺し殺されをやっていたシーンは不謹慎ながら笑ってしまいました。
自然めいいっぱいのロケーションはとても美しく、現地に行ってみたいという気持ちにさせてくれましたし、終盤の白骨化していくまでの過程を緑や雪などで表現していたのはとても幻想的で良かったです。
長回しでジーッと行動を映すのがかなり好みで、撮影方法とか凝ってんなぁとうなりました。
馬好きからしたらたくさん馬が出てきてくれるので、そこだけでも大量加点したいくらいです。
撮影周りだったりは良いのに、肝心の物語にはのめり込めずの作品でした。こういう作品をしっかり堪能できる大人になりたい。
鑑賞日 4/11
鑑賞時間 9:50〜12:20
座席 F-13
写真の被写体の表情から、ルーカスの生き様が見えてくるのは残酷だと思う
2024.4.8 字幕 京都シネマ
2022年のデンマーク&アイスランド&フランス&スウェーデン合作の映画(143分、G)
デンマーク領のアイスランドにて、布教活動を行う牧師を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はフリーヌル・パルソマン
原題は『Vanskabte Land』で、直訳すると「変形した土地」という意味
物語の舞台は、1900年代前半のデンマーク領アイスランド王国
司祭のヴィンセント(ワーゲ・サンド)にアイスランドでの布教活動を言い渡された牧師のルーカス(エリオット・クロセット・ホープ)は、通訳(ヒルマン・グズヨウンソン)、現地ガイドのラグナル(イングバール・E・シーグルズソン)とともに海を渡ることになった
目的地に直接船をつけるのではなく、道中の写真を撮りながら移動する一行だったが、大雨で増水した川を渡ろうとした際に、通訳が溺れて死んでしまう
言葉が通じず、思った以上に過酷な道のりに、ルーカスはとうとう倒れ込んでしまった
同行したラグナルたちは彼を目的地に連れて行き、農夫のカール(ヤコブ・ローマン)の家で面倒を見てもらうことになった
物語は、目的地に着くまでにかなりの時間を要し、そこからはデンマークから移住してきたカール一家との関係性が紡がれていく
ようやくここで会話が成り立つのだが、それによって、会話できない人との溝というものがさらに深くなってくる
ラグナルはルーカルをここまで突き動かす宗教に意味を感じ、「どうしたら聖職者になれるか」と訊くものの、ルーカスはまともに答えない
彼の本来の目的である布教を忘れ、教会さえ建てば良いと思っている
その作業に尽力し、自分を助けてくれた恩義に報いることなく、自分は聖職者であり、あなたたちとは違うのだと言わんばかりに、距離を置き始めるのである
映画は、最後に負の連鎖が描かれまくるのだが、これがルーカスの旅の集大成というところが恐ろしい
彼の旅はキリスト教の布教活動だったはずなのに、禁忌と呼ばれるものを侵し続け、その身を業火に焼き尽くす
残されたのは、彼がほとんど関わらなかった教会と、方々で撮られた写真だけで、映画自体が「アイスランドで撮られた最初の7枚の写真」から着想を得ているところが面白い
後の世では布教活動に赴き、教会を完成させた殉教者の扱いであるものの、その実態は聖職者とはかけ離れたものだった、というふうに結んでいるのである
いずれにせよ、神はルーカスに多大な試練を与えてきたのだが、悉く裏切っているように見えてくる
自然=神という構図の中で、一人前の聖職者になるには「内なる会話だけでは不十分」であり、言葉が通じない世界に遣わされている意味を理解していないとこうなる、というものだろう
映画は遺された7枚の写真から着想を得たものになるが、その写真の表情から、ルーカスと彼らの距離が見えてくるのだろう
そう言った意味において、写真というものは真実を写すのかな、と思った
アイスランドに興味ある人、北欧好き必見!
アイスランドの想像を絶する自然の中に放り込まれたような衝撃でした!圧倒されましたが、二人の正反対の男の対決?が驚きの結末を迎えてまた、びっくりしました。
この体験は、映画館でしか味わえないと思いました。
もう一度、見に行きます❗️
追伸 この布教に行く牧師が、性格悪すぎて笑える
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