スオミの話をしようのレビュー・感想・評価
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上手くいかなかったら、その時はまたその時考えればいい
三谷ワールド堪能出来ました。
長澤まさみと云う女優を充分に愉しめた。
豪華な助演俳優陣も見事で、どうでもいい様な部分でのちょっとした小ネタも愉しめた。
賛否両論なのは致し方ない氣もするが…。
途中、……ん?そうくるの?それはオカシイんじゃ…と醒める雰囲気にもなったが…。
観た後に、ヘルシンキが耳に残ってる。
それと、柿の種が食べたくなってた…って事は受け容れてしまってる、て事なんだろな。
これぞ三谷ワールド!、て事かな。総じて面白かった。
わざわざ映画館でやるほどかな
寝てしまいました
そんなに酷い映画ではありません
☆1とかの映画ではありません。
4でもないかもしれないけど……
宣伝が凄いから期待度上がるんじゃないの?
もうちょっと映画にお金かけてよ、と思った。
お金かかってないから舞台みたいとか言われるんじゃないかなぁ?
部屋の中での話が多いから?
ヘルシンキのラストダンスがいちばん楽しかった。
途中にもう何回か入れたら良かったのに。
評価割れるでしょうね(笑)
この映画を知り合いに『観てみて!ほんとすっごいいい映画だから!!』と勧められるかと言ったらそういう映画ではないかなぁ。酷評になるのもわかる。意見割れるでしょうね(笑)
私は大満足です。
そもそも前作の『記憶にございません』みたいな仕立てで作った映画ではないだろうし、ケラケラと笑わせようと作った映画ではなさそう。笑いたい!と思って観た人は残念!何が最高傑作だ!と言いたくなるでしょうね。
『三谷幸喜さん独特の長回しとそれに本気で答える俳優陣の演技』
『綿密に計算された上でのオールスター俳優陣の自由にみせる演技』
を観たくて観た人は満足したのではないかな。と思います。自分もそのひとりです。
最後、4人の元夫と現夫合わせて5人と長澤まさみと対話のシーンの長澤まさみさんの額の汗。普通の映画じゃありえないです。だってストーリー的には汗かくところじゃないから。それをわざわざ見せる。長澤まさみさんスゲ〜って圧倒されたし、三谷幸喜さんの作品ダァ〜と感じることができて鳥肌。
カット割りしないでわざわざ魅せる!コレよ。
舞台を観ているような感覚になります。
音楽も素敵、あぁ、三谷幸喜さんは舞台がやっぱり好きなんだろうなと思った。
三谷幸喜さんイズム全開。
しつこいけど、ストーリーを観るのではなく、三谷幸喜さんと長澤まさみさんとオールスターの俳優陣の本気の演技を観て、感じる映画ですね。そのつもりで観ないときっとつまらなく感じるでしょうね。三谷幸喜さん信用して何を観せたいの?と思いながら、『あ!コレ芸術寄りの映画だ』、と映画途中で気が付かないと満足感はないかも。
次回は映画10作目だそうです。
次回はケラケラ笑える作品が出てくるかな?楽しみです♪
感動は化学変化
三谷幸喜監督の最新作として、
多くの観客を劇場に呼び寄せている。
しかし、
この作品に対する評価は、
観る人によって大きく分かれるのではないだろうか。
ひとつの理由は、
三谷作品に対する観客のスタンスの多様さと仮定すると、
サンシャインボーイズからのファン、
古畑ファン、大河ドラマファン等々、
細分化は可能だろうが、
大きく分けると、
〇どっぷり三谷作品ファン
〇あっさり三谷作品ファン
〇「ラジオの時間」は好きだけどそれ以外はちょっと・・・の映画ファン
〇映画は好きだけど三谷作品には乗れない
この4タイプで評価は大きく分かれるだろう。
作品に乗れる乗れないは好みしだい。
それを作品のシナリオや演出や芝居の、
絶対値のみを、
意見するのは野暮なことだろう。
感動はスクリーンだけにあるのではなく、
スクリーンと観客の化学変化で感動が生まれる。
Aさんとスクリーン=Aスクリーン、
Bさんとスクリーン=Bスクリーン、
以上、二つの感動は種類の違う化合物。
よって、評価は分かれる。
【蛇足】
野暮を承知で蛇足だが、
なぜ、
作品に乗れる乗れないの差が生まれるのか。
言ってしまえば、上記。
観客の生まれ育ち、好みに左右されるのが一番大きいが、
私の見立てのひとつとして、
リアリティラインに乗れる乗れないという話しに、
強引に乗せてしまうと・・・
リアリティラインの違い。
リアリティラインの意味は説明するまでもないだろう。
舞台の演出家が映画を監督した場合、
このリアリティラインをいつもの舞台用で引くか、
映画用にするか、
決めないで、
状況に合わせるかのいずれかだろう。
例えば、下記のようなシーン。
ご飯を食べるシーン、
舞台は、飯を食べる真似でOK、
映画は、本当に飯を食べないといけない。
ONE PIECE のルフィの腕が伸びるシーン、
アニメで、腕がビヨーンと伸びる状況、
舞台で、腕がビヨーンと伸びる状況、
映画で、腕がビヨーンと伸びる状況、
等々、
そのリアリティに併せて、
シナリオを修正、セリフ、
ギャグ、音楽、効果音、セリフを決めていく。
観客によって好みは千差万別、
シーンによって、
セリフ、芝居によって、
それぞれのリアリティに乗れる乗れない、差は生まれていく。
もちろん、他にも理由はあるが、
youtubeや、
他の作品で色々と話してます。
舞台の方がいいかも。
とてもよく眠れた
残念ながら作品に乗り切られなかった
三谷さんの作品はザ・マジックアワーの他何点か過去に鑑賞済。
長澤まさみが七変化する過去ドラマが好きなので、閲覧前の低評価のバイアスは自分に付与せず劇場でみてみましたが上映中早く終わらないかと、待ちわびた作品は久しぶりでした。
作品に乗り切られなかった理由の1つに、リアリティにかける元夫同士の距離感がありました。
初対面の彼らが肌を密着させる距離でソファに座るかな。とそんな小さな違和感やセリフのリアリティのなさを皮切りに寒川さんの性格だったり、気になることが多すぎて疲れてしまいました。
できるならスオミのことが深掘りされて共感を得たかったが素性のみ知るだけでスオミには敵わないなという喜劇で終わるならもうすこし尺が短くてもよい。
役者さんたちの演技はとても良かったです。
ただわたしには作品がハマらなかった。
期待値が高かったかも
馬鹿な男たちのもとを去って「ヘルシンキ」へ。
長澤まさみの七変化が面白い。同じものでも見る人によって違うように見えることはよくあるが、それは人によって見方が違うからに過ぎない。しかしこの映画のスオミは本当に人によって性格を変えてしまって、全くの別人と言っていい。それは相手の男に気に入られようと、それらしい好みの女を演じるからである。言ってしまえばそれだけのありふれた話である。しかし三谷幸喜の手にかかったら、そんな平凡な題材が飛び切りのコメディに仕上がってしまう。彼のコメディのスタイルは「悪ふざけ」である。例えばスオミが急に中国人になって大笑いしてしまう。それを真に受けている刑事の間抜けさもおかしい。スオミのパートナーの薊もスオミに負けじと変身して、その意外性が笑いを誘う。現実にはあり得ないことばかりが起こるが、それを受け入れてしまうと快感になる。「悪ふざけ」ばかりやっているように見えるが、人間の弱点と言うか本質的な滑稽さみたいなものが表現されているから共感できる。常識の枠を軽々と破ってしまうのが、三谷ワールドの魅力である。
長澤まさみのキャラクターの演じ分けみたいなものに注目しがちであるが、相手役の男たちも相当なものである。詩人なのに金にやたら執着する坂東弥十郎、神経質過ぎて器の小さい刑事の西島秀俊、教え子の中学生と結婚してしまうツンデレ好きの元教師遠藤憲一など他の作品では見たことのない役者の姿が見られる。男たちが、自分が一番スオミに愛されていたと張り合う姿は馬鹿丸出しだが、憎めなくて共感できる。それは自分にもそういう部分があると感じるからかもしれない。
三谷自身が「演劇的な映画」と言っているように、大富豪の邸宅で繰り広げられる男たちのやり取りは、舞台を見ているようで惹き付けられる。すべての役者の力量がとても感じられる作品でした。
30話で全6巻の打ち切りマンガを読んだ気分
ただひたすらにツマラナイ。
若いころ三谷幸喜の映画は大好きで、ラジオの時間など本当に何度も見たものだった。
その後も有頂天ホテル、素敵な金縛り、マジックアワーとかも好きだった。
ただここ最近の数作品は全く笑えず、楽しめず。
鎌倉殿が面白かっただけに、期待を込めて見たものの、つまらなすぎて寝てしまった。
何が違うのかうまく言葉にできないが、三谷監督の「笑い」は絶妙なバランスの上に成り立っていて、ちょっと何かが過剰だったり、足らなかったりと少しでもバランスが崩れると、全然楽しめないものになってしまう気がする。
今回はエンケンさんはちょっとキモ過ぎる感じだし、瀬戸康史とか松坂さんとかツッコミ役もいまひとつだった。三谷さんとその俳優達が持っていた笑いの絶妙なバランスはどこにいってしまったのだろうか・・
なるほど、これは確かに…
三谷幸喜作品はこれまであまり触れたことがなく(子供のころ古畑任三郎はよく見てたけども)、新作映画と聞いても特に観に行くつもりはなかったのですが、
あまりにも低評価レビューばかり流れてくるので、「こんな豪華キャストで番宣しまくりの大作映画で星平均2.8って何?見たことないが?しかもあの三谷幸喜なのに??」と逆に気になってきて、とうとう行ってきました。
私は地方住まいということもあり観るのは映画やドラマばかりで、舞台はほとんど観劇したことがありません(東京や大阪など都会の文化というイメージ)。なので、各所のレビューで、舞台を映画にしただけみたいなものを見てもいまいちピンときてませんでした。
でも、いざ映画が始まったらなるほどと。色々なカットはありますが、基本的に物語の舞台は現夫の豪邸のみ。スオミがいなくなった家に過去の夫たちや他の人達がやって来たり出ていったり。ところどころ挟まる回想で他の舞台も出るものの、基本はずーっと家のリビングに主要人物全員がいて、会話劇が繰り広げられる。カメラはほぼ固定で、ひとりがアップになることもない。常に複数人の表情や動作が見えている。
なるほど演劇的ってこういう意味か、舞台って確かにこんな感じのイメージだな〜私にとっては新鮮だし斬新だし面白いな、レビューで色々言われてたからハードル下がってたのもあるかもだけど、普通に楽しいし観てよかったな〜やっぱり百聞は一見にしかず、、
なんて中盤までは思っていました。
ところが後半、だんだんつらくなってきた…
キャラクターはみんな最後までよかったんですよ。夫たちは皆いろいろ難あり男だけど可愛げがあって、スオミも食えない女だけどやはり魅力的。
エンケンさんって昔からですが本当にヤクザみたいなコワモテなのに、情けない男って感じのコミカルな演技がほんとお上手。コミカルといえば西島さん、クールで堅物って感じのキャラがぴったりハマるイメージがあったけど、こんなコミカルな演技できるんだ!という発見。楽しかった。
脚本もやはり三谷幸喜さんということでしっかり練られているし面白い。引き込まれるしテンポもいいし、見ていて飽きない。
…と思っていたんですが。
私が最初にうーん…となったのは、セスナのシーン。なんだか急に酔っぱらいおじさんたちがワチャワチャはしゃいでる姿を見せつけられているような気持ちに…。上昇気流のくだりなど最たるもので、まだコントとかコロコロコミックで見たら面白いと思えるのかもしれないけど、実写映画でやられるとまあキツい。
ここで一気に気持ちが冷めてしまったからか、豪邸に戻ってからも、挟まれるギャグや演出が、全く面白いと思えなくなってしまったんですよね。前半は小ネタもそれなりに面白く感じていたのに。なぜだろう? 前半とは質が変わった(作り手側の問題な)のか、セスナシーンのせいで気の持ちようが変わってしまった(受け手側の問題な)のか?
古畑のセルフカバーっぽいところや、ぐるぐる回るところなど、学生が作った内輪ノリ演劇を見ているような、あるいは笑いのツボが違う昭和のコントを見ているような、「それ面白いと思ったのかもだけどすべってますよ…」という気持ちに。
最終的な感想は、豪華な演技派俳優陣を脇に添えた長澤まさみコスプレ展覧会、みたいなもので落ち着いてしまいました。長澤まさみの無駄遣い…と(大変失礼ながら)正直なところ思ってしまいました。コンフィデンスマンと似ている構造のはずなのに何がこんなに違うんだろう。
よく分からない。
確かに舞台なら面白かったのかもしれない、という気もする。(映画館の大スクリーンではなく、役者と観客の距離が近い小劇場みたいなところで同じ脚本を見ていたら、一体感も良い仕事をして楽しく笑えたのかもしれない。)
あとは、年配の客はけっこう笑っていた感じがしたので、三谷さんの笑いが時代(あるいは中年以下の年代)に合わなくなっているのかもしれない。
どなたかの分析を見てみたい。
『男たちを手玉に取って風のように軽やかに生きていく女性』のストーリーなんでしょうが、冷静になって考えると、どこかで誰かに殺されても文句言えない悪女みたいにも思えてきた。長澤まさみが演じたから愛嬌あってどこか憎めない小悪魔系美女に見えたけど。
長澤まさみのファッションはとても可愛くて素敵で女性として憧れました。
長澤まさみは最高
全397件中、101~120件目を表示