スオミの話をしようのレビュー・感想・評価
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WOWOWドラマの延長線上で作ったのを、周知徹底しないまま公開してしまった作品
以前WOWOWドラマで、
田舎の山道を夫婦2人で下山する「short cut」や、
緊急着陸した空港ターミナルでのドタバタ劇「大空港2013」など、
最初から終わりまで、長回しワンカットの、
演劇的な作品を、演劇舞台からドラマロケ地に変え、
実験的ドラマを発表してきた三谷幸喜が、
映画でもそれをやってしまったというのが、この作品。
ただ、期待度が高い作品で、酷評されてしまう三谷幸喜が、
毎度の事ながらかわいそうだが、どうせ長回しにするなら、
WOWOWドラマの時のように、2時間全てを長回しで撮り終えれば、
良かったかなと思った。
また、タイトルに「演劇映画『スオミの話をしよう』」と、
前置きした上で公開していれば、実験的試みだと周知できたし、
WOWOWドラマでやってた事を知らない人でも、
そういう映画なんだと理解できたのではないかと思う。
キングコング西野がいう所の、
「やりたい事と、求められている事が違う」エンタメ映画になってしまった。
なので、酷評の声が、予想以上に多くなってしまったのではないだろうか。
映画は、ワンシーンごとに、何を見せる、どう見せるを、丁寧に描いていくものだから、
それを監督が端折ってしまったように、観客は捉えてしまった。
だから、薄いなぁとか、内容がないなぁ、
なんて声が、必要以上に出てしまったと思われる。
良かった演者
長澤まさみ
小林隆
映像作品として仕上げたのか⁈
スオミとは森の国フィンランドを指す言葉。封切り(9.13)以降45日間上映続くも酷評ばかり。彼の久しぶりの監督作品だが映画化には残念ながら成功していない。興業収入は赤字かも知れない、中々目標には届かず。三谷幸喜さんが熱入れすぎて「映像作品」のあるべき姿をウッカリ?無視したようである。作品自体の映像にも関わらず長回しして俳優にピンスポット。やはりこれは舞台化したためとしか理解出来ない。舞台作品の良さそれが映像ではなぜか笑えず。それが一般評価のつまらないなんだろう。三谷作品はいつも舞台では輝き観客はしょっちゅう笑う。舞台はストーリーよりも俳優の動きや息遣いそして台詞回しが面白い。どこかで監督は間違えたのか勘違いしたのか。イヤイヤ確信犯ではなかろうか。映画監督よりも自分が作りたい舞台作品に仕上げてしまった。彼も偉大な脚本家だけれども映画監督にはなぜなのか今回は特に徹していない。もちろん素晴らしい舞台監督ではあるにもかかわらず…。
ラストのヒット曲ヘルシンキ歌うミュージカル仕立てはとても評判が良いので惜しい作品。ちなみに失踪するスオミは主演長澤まさみ。そして夫役は西島秀俊はじめ5人の男優陣と脇役瀬戸康史は名演技だ。私の好きな宮沢エマさんも謎の主役の友人演じてる。本当に惜しい作品に仕上がっていて残念なリン。いやはや三谷幸喜さん敢えて承知で作った映画なのだ。もうしばらくしてから冷静に映像の善悪見直してみたい。
「ジョハリの窓」と温かな笑い
同一人物としての女性であるはずなのに、かつてパートナーだった男性のスオミの人物像は、まったくと言っていいほど別物になる―。
やっぱり、人は、自分の意識・無意識(潜在意識)で受け止めたようにしか、他人を受け止めてはいない-他人のどの面からどれだけ強く印象を受けるかは、結局、人それぞれということなのでしょう。
アメリカの心理学者であるジョセフ・ルフトとハリ・インガムが提唱した「ジョハリの窓」とは、案外、こういうことを言うのだろうと、評論子は思います。
(むろん、心理学とか、精神医学とか。そちらの方面にはずぶの素人の評論子の印象ですけれども。)
ジョハリの「4つの窓」
「開放の窓」(open self)=自分も他人も知っている自己
「秘密の窓」(hidden self)=自分だけが知っていて、他人にはまだ知られていない自己
「盲点の窓」(blind self)=他人は気づいているが自分では気づいていない自己
「未知の窓」(unknown self)=自分も他人も知らない、誰からもまだ知られていない自己
人は、自分の価値観のほか、無意識のうちに「盲点の窓」や「未知の窓」にも影響されて、相手の人となりを把握してしまうのが実際であり、本作のスオミと有縁の男性たちの「スオミ観」が違ってくるのは、そのせいなのだと、評論子は理解しました。
そして、脚本・監督の三谷幸喜という人物は、「笑い」の陰にも人間というものへの深い愛情や洞察を含む作品を作る方なのだと、評論子は思います。
『みんなのおうち』しかり、『ステキな金縛り』しかり、『ラヂオの時間』しかり、『記憶にございせん』しかり…。
加えて、三谷幸喜監督の作品での「笑い」ということなのですけれども。
三谷幸喜監督の作品での「笑い」というのは、決して人の弱点・欠点や汚点を見下したり、蔑(さげす)んで笑うという「冷たい笑い」なのではなく、人間性そのものから滲み出てくるような、ある種の「可笑しみ」「温かみ」を笑いネタにしているという点では(人間って、こんなもんだよなぁ、という)「優しい笑い」「微笑ましい笑い」の「笑い」であると、評論子は思います。
もちろん、本作も、その例外をなす作品ではないことも、また明らかと思います。
そういう意味では、本作も、いかにも三谷幸喜監督らしい佳作の一本だったと思います。
評論子は。
(追記)
男やもめに蛆(うじ)が湧き/女やもめに花が咲くとはよく言ったものです。
妻に先立たれた夫(男)の身の回りは、家事に手が回らず不潔になるが、それに比べて夫に先立たれた妻(女)は、夫の面倒を見なくてもよくなり、その分だけ身奇麗になり、周りの男性も放っておかないから、噂も立って華やかになることをいうとのことです。(出典:imidas)
また、最近に読んだある本によると、夫の死後の妻の生存期間は平均で16.6年だそうですが、逆に、妻が先に亡くなった後の夫の生存期間は11.4年なのだそうです。(SBクリエイティブ刊・天野隆著「相続は怖い」2024年)
両者の差には、いろいろな要因があるとは思うのですけれども。
それでも、妻亡きあとの夫は(寂しくて)10年くらいしか生きられないけれども、夫亡き妻は(強(したた)かに?)15年以上も生きると言ったら、それは、言い過ぎでしょうか。
まして、この日本という国は「日の本は/岩戸神楽の初めより/女ならでは夜の明けぬ国」とまで言われた国-。
居並ぶ男どもを、あたかも手玉に取るかのようなスオミは、そういう女性の「強(つよ)さ」「強(したた)かさ」を象徴しているように、評論子には思われてなりませんでした。
(追記)
フィンランドで自国を指し示す端的な単語が、本作のモチーフ「スオミ」で、ラストの「ヘルシンキ、ヘルシンキ」の大合唱に繋がる所以のようです。
日本語には「ナオミ」「イクミ」「ヨシミ」など、それっぽい女性の名前があることにひっかけてのこのイメージングは、評論子は、三谷幸喜監督のウィットと受け止めました。
(追記)
他人のどの面からどれだけ強く印象を受けるかは、結局、人それぞれということ―。
もしそうだとすれば「勝手に決めつけて人を見てはいけない」という箴言まで含むと受け止めるのは、果たして、それは、評論子の深読みのし過ぎというものでしょうか。
茶番劇
結局スオミって
長澤まさみを観るためだけの映画
2000円ポッチで感動とか言ってんじゃねぇ
さすがの三谷幸喜作品
俳優陣だけは良かった
良さがわからなかった
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