スオミの話をしようのレビュー・感想・評価
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感動は化学変化
三谷幸喜監督の最新作として、
多くの観客を劇場に呼び寄せている。
しかし、
この作品に対する評価は、
観る人によって大きく分かれるのではないだろうか。
ひとつの理由は、
三谷作品に対する観客のスタンスの多様さと仮定すると、
サンシャインボーイズからのファン、
古畑ファン、大河ドラマファン等々、
細分化は可能だろうが、
大きく分けると、
〇どっぷり三谷作品ファン
〇あっさり三谷作品ファン
〇「ラジオの時間」は好きだけどそれ以外はちょっと・・・の映画ファン
〇映画は好きだけど三谷作品には乗れない
この4タイプで評価は大きく分かれるだろう。
作品に乗れる乗れないは好みしだい。
それを作品のシナリオや演出や芝居の、
絶対値のみを、
意見するのは野暮なことだろう。
感動はスクリーンだけにあるのではなく、
スクリーンと観客の化学変化で感動が生まれる。
Aさんとスクリーン=Aスクリーン、
Bさんとスクリーン=Bスクリーン、
以上、二つの感動は種類の違う化合物。
よって、評価は分かれる。
【蛇足】
野暮を承知で蛇足だが、
なぜ、
作品に乗れる乗れないの差が生まれるのか。
言ってしまえば、上記。
観客の生まれ育ち、好みに左右されるのが一番大きいが、
私の見立てのひとつとして、
リアリティラインに乗れる乗れないという話しに、
強引に乗せてしまうと・・・
リアリティラインの違い。
リアリティラインの意味は説明するまでもないだろう。
舞台の演出家が映画を監督した場合、
このリアリティラインをいつもの舞台用で引くか、
映画用にするか、
決めないで、
状況に合わせるかのいずれかだろう。
例えば、下記のようなシーン。
ご飯を食べるシーン、
舞台は、飯を食べる真似でOK、
映画は、本当に飯を食べないといけない。
ONE PIECE のルフィの腕が伸びるシーン、
アニメで、腕がビヨーンと伸びる状況、
舞台で、腕がビヨーンと伸びる状況、
映画で、腕がビヨーンと伸びる状況、
等々、
そのリアリティに併せて、
シナリオを修正、セリフ、
ギャグ、音楽、効果音、セリフを決めていく。
観客によって好みは千差万別、
シーンによって、
セリフ、芝居によって、
それぞれのリアリティに乗れる乗れない、差は生まれていく。
もちろん、他にも理由はあるが、
youtubeや、
他の作品で色々と話してます。
舞台の方がいいかも。
とてもよく眠れた
残念ながら作品に乗り切られなかった
三谷さんの作品はザ・マジックアワーの他何点か過去に鑑賞済。
長澤まさみが七変化する過去ドラマが好きなので、閲覧前の低評価のバイアスは自分に付与せず劇場でみてみましたが上映中早く終わらないかと、待ちわびた作品は久しぶりでした。
作品に乗り切られなかった理由の1つに、リアリティにかける元夫同士の距離感がありました。
初対面の彼らが肌を密着させる距離でソファに座るかな。とそんな小さな違和感やセリフのリアリティのなさを皮切りに寒川さんの性格だったり、気になることが多すぎて疲れてしまいました。
できるならスオミのことが深掘りされて共感を得たかったが素性のみ知るだけでスオミには敵わないなという喜劇で終わるならもうすこし尺が短くてもよい。
役者さんたちの演技はとても良かったです。
ただわたしには作品がハマらなかった。
期待値が高かったかも
馬鹿な男たちのもとを去って「ヘルシンキ」へ。
長澤まさみの七変化が面白い。同じものでも見る人によって違うように見えることはよくあるが、それは人によって見方が違うからに過ぎない。しかしこの映画のスオミは本当に人によって性格を変えてしまって、全くの別人と言っていい。それは相手の男に気に入られようと、それらしい好みの女を演じるからである。言ってしまえばそれだけのありふれた話である。しかし三谷幸喜の手にかかったら、そんな平凡な題材が飛び切りのコメディに仕上がってしまう。彼のコメディのスタイルは「悪ふざけ」である。例えばスオミが急に中国人になって大笑いしてしまう。それを真に受けている刑事の間抜けさもおかしい。スオミのパートナーの薊もスオミに負けじと変身して、その意外性が笑いを誘う。現実にはあり得ないことばかりが起こるが、それを受け入れてしまうと快感になる。「悪ふざけ」ばかりやっているように見えるが、人間の弱点と言うか本質的な滑稽さみたいなものが表現されているから共感できる。常識の枠を軽々と破ってしまうのが、三谷ワールドの魅力である。
長澤まさみのキャラクターの演じ分けみたいなものに注目しがちであるが、相手役の男たちも相当なものである。詩人なのに金にやたら執着する坂東弥十郎、神経質過ぎて器の小さい刑事の西島秀俊、教え子の中学生と結婚してしまうツンデレ好きの元教師遠藤憲一など他の作品では見たことのない役者の姿が見られる。男たちが、自分が一番スオミに愛されていたと張り合う姿は馬鹿丸出しだが、憎めなくて共感できる。それは自分にもそういう部分があると感じるからかもしれない。
三谷自身が「演劇的な映画」と言っているように、大富豪の邸宅で繰り広げられる男たちのやり取りは、舞台を見ているようで惹き付けられる。すべての役者の力量がとても感じられる作品でした。
30話で全6巻の打ち切りマンガを読んだ気分
ただひたすらにツマラナイ。
若いころ三谷幸喜の映画は大好きで、ラジオの時間など本当に何度も見たものだった。
その後も有頂天ホテル、素敵な金縛り、マジックアワーとかも好きだった。
ただここ最近の数作品は全く笑えず、楽しめず。
鎌倉殿が面白かっただけに、期待を込めて見たものの、つまらなすぎて寝てしまった。
何が違うのかうまく言葉にできないが、三谷監督の「笑い」は絶妙なバランスの上に成り立っていて、ちょっと何かが過剰だったり、足らなかったりと少しでもバランスが崩れると、全然楽しめないものになってしまう気がする。
今回はエンケンさんはちょっとキモ過ぎる感じだし、瀬戸康史とか松坂さんとかツッコミ役もいまひとつだった。三谷さんとその俳優達が持っていた笑いの絶妙なバランスはどこにいってしまったのだろうか・・
なるほど、これは確かに…
三谷幸喜作品はこれまであまり触れたことがなく(子供のころ古畑任三郎はよく見てたけども)、新作映画と聞いても特に観に行くつもりはなかったのですが、
あまりにも低評価レビューばかり流れてくるので、「こんな豪華キャストで番宣しまくりの大作映画で星平均2.8って何?見たことないが?しかもあの三谷幸喜なのに??」と逆に気になってきて、とうとう行ってきました。
私は地方住まいということもあり観るのは映画やドラマばかりで、舞台はほとんど観劇したことがありません(東京や大阪など都会の文化というイメージ)。なので、各所のレビューで、舞台を映画にしただけみたいなものを見てもいまいちピンときてませんでした。
でも、いざ映画が始まったらなるほどと。色々なカットはありますが、基本的に物語の舞台は現夫の豪邸のみ。スオミがいなくなった家に過去の夫たちや他の人達がやって来たり出ていったり。ところどころ挟まる回想で他の舞台も出るものの、基本はずーっと家のリビングに主要人物全員がいて、会話劇が繰り広げられる。カメラはほぼ固定で、ひとりがアップになることもない。常に複数人の表情や動作が見えている。
なるほど演劇的ってこういう意味か、舞台って確かにこんな感じのイメージだな〜私にとっては新鮮だし斬新だし面白いな、レビューで色々言われてたからハードル下がってたのもあるかもだけど、普通に楽しいし観てよかったな〜やっぱり百聞は一見にしかず、、
なんて中盤までは思っていました。
ところが後半、だんだんつらくなってきた…
キャラクターはみんな最後までよかったんですよ。夫たちは皆いろいろ難あり男だけど可愛げがあって、スオミも食えない女だけどやはり魅力的。
エンケンさんって昔からですが本当にヤクザみたいなコワモテなのに、情けない男って感じのコミカルな演技がほんとお上手。コミカルといえば西島さん、クールで堅物って感じのキャラがぴったりハマるイメージがあったけど、こんなコミカルな演技できるんだ!という発見。楽しかった。
脚本もやはり三谷幸喜さんということでしっかり練られているし面白い。引き込まれるしテンポもいいし、見ていて飽きない。
…と思っていたんですが。
私が最初にうーん…となったのは、セスナのシーン。なんだか急に酔っぱらいおじさんたちがワチャワチャはしゃいでる姿を見せつけられているような気持ちに…。上昇気流のくだりなど最たるもので、まだコントとかコロコロコミックで見たら面白いと思えるのかもしれないけど、実写映画でやられるとまあキツい。
ここで一気に気持ちが冷めてしまったからか、豪邸に戻ってからも、挟まれるギャグや演出が、全く面白いと思えなくなってしまったんですよね。前半は小ネタもそれなりに面白く感じていたのに。なぜだろう? 前半とは質が変わった(作り手側の問題な)のか、セスナシーンのせいで気の持ちようが変わってしまった(受け手側の問題な)のか?
古畑のセルフカバーっぽいところや、ぐるぐる回るところなど、学生が作った内輪ノリ演劇を見ているような、あるいは笑いのツボが違う昭和のコントを見ているような、「それ面白いと思ったのかもだけどすべってますよ…」という気持ちに。
最終的な感想は、豪華な演技派俳優陣を脇に添えた長澤まさみコスプレ展覧会、みたいなもので落ち着いてしまいました。長澤まさみの無駄遣い…と(大変失礼ながら)正直なところ思ってしまいました。コンフィデンスマンと似ている構造のはずなのに何がこんなに違うんだろう。
よく分からない。
確かに舞台なら面白かったのかもしれない、という気もする。(映画館の大スクリーンではなく、役者と観客の距離が近い小劇場みたいなところで同じ脚本を見ていたら、一体感も良い仕事をして楽しく笑えたのかもしれない。)
あとは、年配の客はけっこう笑っていた感じがしたので、三谷さんの笑いが時代(あるいは中年以下の年代)に合わなくなっているのかもしれない。
どなたかの分析を見てみたい。
『男たちを手玉に取って風のように軽やかに生きていく女性』のストーリーなんでしょうが、冷静になって考えると、どこかで誰かに殺されても文句言えない悪女みたいにも思えてきた。長澤まさみが演じたから愛嬌あってどこか憎めない小悪魔系美女に見えたけど。
長澤まさみのファッションはとても可愛くて素敵で女性として憧れました。
なんじゃこれ
友人と2人で観に行きました。
正直映画としては厳しい感じでしたね…。
ショートコントをいっぱいくっつけたみたいな作品で、展開やストーリーはほぼ皆無といって差し支えありません。終盤までコントしながらグダグダと進行し、「え、なんか終わる感じだけどこんなので終わるの?」と思い始めた時にヘルシンキの歌をなんの脈絡もなくブチこまれて終わりです。
いや劇中でヘルシンキ語る描写ほぼほぼ無かっただろ!唐突すぎるて!もっと序盤からヘルシンキの旅カタログ的なのをこっそり読んでるとかそういう伏線があればまあ理解出来るけども!
てことで映画としてはかなり終わり散らかしてます。ただ、悔しいことにそこそこ笑ってしまったのと友人と観に行ったからネタに出来る、という加点があるので☆は2つとさせていただきました。
長澤まさみは最高
262 舞台だったら面白かったかも
2024年公開
三谷幸喜コメディはたまーに主役の心の中を写す瞬間を
突っ込むので笑いも生きてくるが
本作は長澤まさみの心境を見せるわけにはいかないので
笑いが浮いてしまった感がある。
トーリ君が出てくるまではダラダラと話は進み
トーリ君登場でテンポがそれまでと変わるので
少し緊張感が出るものの
ミステリーのオチはイマイチ。
坂東彌十郎はバラエティでのジジイ「梅沢富美男」の
ツッコミほど強力でないので笑いが弱い。
道化役の戸塚純貴も最後の扱いは予想できるし。
ミュージカル仕様は見てる方も恥ずかしいわ。
梶原善は存在自体で笑えるのはイイね。
60点
鑑賞 2024年9月23日 イオンシネマ草津
配給 東宝
パンフ購入
ラストに向かうほど熱意が減る
沢山の三谷幸喜作品をスクリーンで観てきた。最初はドタバタしていても、色んな形で様々な登場人物の思いがひとつになり、思わぬ笑いと感動が生まれる、、、今までは割とそうだったし(ギャラクシー街道以外)それを期待していたけど違った。今、配信でみんなのいえを観ているけど、とても感動している。スオミは雑な作りだったし、硬派の西島さんや松坂桃李の違う一面を出し切れていなかった。内輪では盛り上がったんだろな。
三谷ワールド、演劇でもよかったのかも
設定や事前情報からコメディーとしてとても期待の高まりましたし、三谷さんの演劇がなかなか見れない今日ではキャストを見てもきっと面白いはず、の作品でした。やや複雑な設定の背景説明が必要で本編にのめりこむまで時間がかかるのはよいとしても、複線のような背景説明が面白さにつながるまでに少し時間がかかりすぎたかもです。シチュエーションコメディーで役者の力や所々のセリフ、笑える設定のシーン、それぞれの演技で、フフッとわらいはでるものの、大笑いするでもなく、ハハ、っと乾いた笑いでも楽しめる作品もあるとは思いつつ、最後までややモヤモヤしたまま終了した感じが。。役者をみるだけでも楽しい映画ですが、三谷さんにはもっと拍手喝采する映画を期待してしまうので、点数は低めになってしまうかもしれません。
演劇でも楽しかったかもしれません、そして、脚本も良そうな範囲になっていまし、もう少し緻密に色々仕掛をしてもらった方が見ている方も楽しめます。
スオミのミステリアスさ、を考えると、最後まで本人がリアルタイムで登場しない方が良かったのではないでしょうか?彼女について話している男たちを見るのがこの話しのコアな部分なので、彼女が特に意図や正体をばらさない方が、よりミステリアスでシュールな(ゴドーを待ちながら的な)お話になっていたのかなと思います。彼女のすべてが分かった瞬間に少し冷めてしまうのと、生まれ故郷の伏線が全然効いてないのがざんねんでした。男たちの話が主軸なので、そこの話でもっと本人の主観と実際の夫像に違いがあってみてる方が騙される方がお話としておもしろかったと思います。
宮沢エマさんとエンケンさんはよかったですね!
全518件中、141~160件目を表示