スオミの話をしようのレビュー・感想・評価
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なんだ、面白いじゃないか
評判が芳しくないとの噂で少しビビりながら見に行きましたが、結果は大満足です
しみったれだが愛嬌のある寒川さん、罵られると嬉しい魚山さん、軽薄で見栄っ張りの十勝さん、だまされやすいが切れるとヤバそうな宇賀神さん、俺様だけどビビりの草野さん、名探偵になりそこねた小磯さん、不気味だけどいちばんまともな乙骨さん、ある意味スオミより変幻自在な薊さん、怖かわいいスオミさん、それぞれ芸達者が三谷さんの無茶ぶりに全力で応えている姿は感動すら覚えます
笑いが寒い・セコイというのは、見るポイントが違ってるんではないでしょうか
おそらく、三谷さんは最初にヘルシンキのミュージカルシーンを思いつき、颯爽とした女性陣に不慣れな男性陣が振り回されている滑稽さをベースに、あとは、そこまでのストーリーをあてがきで書き、さらに、撮影時に思い付きの設定やシーンを追加して仕上げたように思われます
観客は、スオミと薊の鮮やかさを堪能しつつ、男優陣の右往左往を三谷さんの立場から見るというのが一つの楽しみ方のように思いました
出演者に興味がなければ回避推奨
面白くなかった。残念。
「愛してくれたから愛してあげた」は傲慢な台詞ではない
スオミの話をしよう は、スオミが何がしたかったか、とか誰を一番愛していたのか?とかいう主題の話では全く無い。
「相手とのコミュニケーションを円滑に進めるために相手が望む自分を演出してしまう」これは誰にでも当てはまることだと思う。
こう答えて欲しいだろうから賛同しておこう、とかあんまりここ行きたくないけどみんなが行きたいって言ってるから一緒に行こう、とか。そこには自分の意志のようで自分の意志ではない決定が日々積み重なって、そしてある日「全部が無理」となり爆発して霧散する。でも、爆発された側は理由がわからない。これまでの日々も上手く話し合って折り合いをつけてきたつもりだから、相手が全部本心で自分と向き合ってくれてると信じて疑っていないから。
そんなわけあるはずないのにね。
それがスオミと夫および元夫たちとの関係性だ。
スオミに救いがあるのはその時の気持ちに「嘘」は何一つないこと。演技、演出してたかもしれないが、嘘は言ってない。
「結婚」となると誰しもが永遠の変わらぬ愛をお互いに持っていると思うけど、なぜそう思い込めるのか。
「好きかどうかわからないけど、とりあえず付き合ってみる」はよくあることだし、その過程で嫌われないように相手が望むように対応してしまうのも相手のことを慮ればこそしてしまうこと。気持ちに反して「最適解」を答えるようにしてしまう。ゲームの選択肢で相手の好感度を上げるかのように。
「相手が愛してくれたから、私も愛してあげた」
スオミの想いはすべてこの一言に集約されるし、これ以上でも以下でもない。これ以外はなんの気持ちはない。それを不誠実ととるかはその人の価値観次第だと思う。
わがままな女に翻弄された男たち、というより相手に合わせ続けて自分自身に翻弄されたスオミが、全部リセットして自分に素直になる話なんだと思った。
長澤まさみの限界(ネタバレ含む)
「三谷幸喜の舞台は好き・映画は期待しない」というスタンスの自分です。厳しいレビューが多いですが「三谷映画はこんなもん」と思っているのでそんなにガッカリ感はありません。不味いと評判のラーメン屋に行って「やっぱりマズいよな笑」「でもクセになるよな笑」という感じです。
さて、自分が今作で一番気になったのは長澤まさみさんです。映画の設定として「誰もが認めるいい女」かつ「5つの顔を持つ女」だが、5つが演じ分けられていない。これは脚本のせいもあるが、もっと演技力のある女優ならもう少し何とかなったんじゃないかと思う。
ただ、ここで「誰もが認めるいい女」という設定が邪魔をする。実際、他にこの役を演じる女優は誰が良いかと言われれば思いつかない。
三谷作品は舞台も映画も全部観る、という人にはオススメ。安定の「三谷幸喜感」が味わえます。
老害の醜悪な自慰行為
この作品で「笑えた」という人は非常に感受性が高く、他のコメディを見た場合、死亡する可能性があるので注意した方がいい。
三谷幸喜のやりたいことを映像化したものだと思うが、これを最高傑作という映画会社の宣伝には疑問を感じるし、そもそもラッシュや試写で誰も意見しなかったのだろうか。完全に監督の自己満足、自慰行為で、観客は置いてけぼりである。
不憫なのは、俳優たちで、今後のキャリアに影響があるのではないかと無用な心配をしてしまう。
元々、三谷幸喜のミステリーには期待していない(ドラマ古畑任三郎での雑なトリックの数々で証明済み)が、普通の観客は開始20分までで、犯人はわかるはずで、そもそもミステリーにするつもりはないと見える。
また、コメディとして見た場合もかなりズレている。「昔から変わらない」と言うと聞こえはいいが、進化していないだけだ。「こういうの面白いでしょ」を押し付けてくる。それはいいが、それらがことごとくつまらない。
学園祭の出し物レベルの脚本を一流の俳優でやったというのが笑いのポイントですと言われればそうかもしれない。
どうしても見たい方は、サブスクになってから4倍速で視聴されることを推奨する。
ヘルシンキが耳に残るw
三谷監督らしい不思議な設定にクスリとさせられるコメディ作品。
スオミという女性の現旦那と元旦那が5人登場。それぞれから見たスオミが、同一人物とは思えない程印象が違うという設定は面白かったのですが、それに対する解答が何とも普通でちょっと肩透かし。
ミステリー要素もあるかと思わせての何も無し。
笑いのポイントも微妙にズレた感じで、ハズしてるなってネタが目立ちました。
それも含め三谷監督作品ぽいといえばぽいのですが、昔の作品の方が普通にツボに入る面白さがあったので、個人的にはパワーダウンしてるかなといった印象でした。
とにかく今作はこれでもかといったくらいに長澤まさみを全面に押し出している作品の為、少なくとも長澤まさみファンであれば観る価値のある作品ですね☺
役者の無駄遣い
昔、何度も、ラジオの時間を見た。おヒョイさん演ずる音響マンに爆笑した。
昨年、ショーマストゴーオンを見に行き、たまたま鈴木京香さんが体調不良で、その代役が三谷幸喜氏。すっごく面白かった!
今年、オデッサを見に行った。柿澤さん、宮澤さん、迫田さんの演技とコメディ、ミステリーに痺れた。
そして、大期待をもって望んだ本作。
がっかり!
高級シートが3列もある広ーい映画館に観客10数人。最終回で遅い時間帯だったこともあるけれど、後半何度か寝そうに。
シチュエーションコメディとはいうけれど、シチュエーションが面白いだけの出オチ感が半端ない。
後半はドリフのドタバタギャグのようだし、長澤まさみさんの百面相も、この場面で必然性がなさすぎて、元夫たちも観客もおちょくってんのか?と全く笑えない。
また、三谷さんリスペクトのラジオパーソナリティが、「サイコーに面白かったです」とかって、大絶賛しそうなのが嫌すぎる。
笑いの救いは、瀬戸康史さんのタイミング抜群のツッコミかな。
三谷幸喜作品好きなので、次回作は本当に宜しくお願いします!
私はそこまで酷評される映画だとは思えない
民放でも苦情来るんじゃレベル
映画館で放映する意味あるか?ぐらい内容が無いよう…。
結局スオミの人生の掘り下げもほぼなくフィンランド行きたいだけ?友達の女性があれだけ協力するようになった理由は?
ほとんど伏線回収せず最後は歌って踊って終わりて…。
逆ハーレムものの皮を被ったオッサンのオッサンによるオッサンのための夢みたいな話。
三谷幸喜はドラマは良いのになんで映画になるとこうもつまんなくなるんだろう。
喜劇の舞台と思えば面白い
それなりに楽しめたけど、なんか残酷と思ってしまった
「クボタのCMか?」と思った予告、前評判の悪さにハードルを思い切り下げていたので、それなりに楽しめました。ただ、見終わった感想は「なんつーか、残酷じゃないか?三谷さん」でした。
主演は長澤まさみであり、この映画は間違いなく長澤まさみが演じる前提で、長澤まさみのために作られているとは思うんですよ。
映画公開前、三谷さんはあちこちのインタビューで長澤まさみは天才だとほめちぎっていたけれど、確かに彼女のスタイルのよさや、最近の作品で発揮しているぶっちゃけたコメディエンヌぶり、もっともチャーミングに見える表情がフルに生かされている。それは間違いないと思います。
ただ笑いどころは彼女よりも、彼女を取り巻く俳優陣のドタバタで、それを演じる役者はみんな(西島さんの薄さも含めて)強い個性を持った芸達者。長澤さん演じるスオミ不在の冒頭から終盤まで、この役者陣の演技合戦がとことん見所なんですよ。
一方で、いよいよスオミが登場してからが弱い。「いろんな側面を持つ女」であるスオミも、シチュエーション含めて描かれた回想シーンこそ多面的だけど、いざ当人が出てきて演じ分けるとそんなに違いがわからない。
そして彼女がなぜああいう人間になったのかも一応書かれているけど不十分。多分ここが低評価の人が多い要因の一つだとも思います。
結果的に私には長澤さんは主演でありながら、共演俳優陣の魅力を引き出すための仕掛けにしか見えませんでした。
多面的な顔を見せていたスオミという人間の根っことか、唯一彼女に寄り添い続けている親友(宮澤エマ)との関係をもう少しきちんと描けば、多分こうはならなかったと思います。
で、本来三谷さんはそれができる人だとも思うんです。三谷さんのこれまでの作品、特に演劇を見ていると、彼の持ち味は喜劇の中の悲劇というか、悲劇の中の喜劇です。まあそれが喜劇の本質だとも思いますが。
実際、例えば(私が彼の真のディーバだと思っている)戸田恵子さんの一人芝居「なにわのマダムバタフライ」は、コメディの要素がありながら、主人公の悲劇も喜劇も喜びも悲しみもがっつり描かれています。
戸田さんは脇役だった映画「ラジオの時間」でさえ、千本のっこという強キャラが割り振られ、最後は彼女を賛美する歌で終わります。
斉藤由貴主演の「君となら」は、バタバタするコメディだけど、周りのバタバタの中で主人公の人物像こそが浮かび上がってきます。
しかも、戸田恵子、斉藤由貴はこの人たちだからこその力量が発揮されているんですよ。
女優、主役に限らずとも、三谷作品にはそんな例がたくさんあります。
それなのに、なぜ今作のスオミはそこまで書いてやらなかったのか。長澤まさみは天才だとは言っているのは嘘ではないにしろ、上記のような俳優陣とは位置付けが違うように思えて、前述の
「なんつーか、残酷じゃないか?三谷さん」につながりました。
なお、瀬戸康史、宮澤エマのお二人は持ち味フル発揮で、「三谷組確定」感がありました。
あと得したのは松坂桃李さんですかね。これまで見たことがない役で、印象が変わりました。
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