スオミの話をしようのレビュー・感想・評価
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老害の醜悪な自慰行為
この作品で「笑えた」という人は非常に感受性が高く、他のコメディを見た場合、死亡する可能性があるので注意した方がいい。
三谷幸喜のやりたいことを映像化したものだと思うが、これを最高傑作という映画会社の宣伝には疑問を感じるし、そもそもラッシュや試写で誰も意見しなかったのだろうか。完全に監督の自己満足、自慰行為で、観客は置いてけぼりである。
不憫なのは、俳優たちで、今後のキャリアに影響があるのではないかと無用な心配をしてしまう。
元々、三谷幸喜のミステリーには期待していない(ドラマ古畑任三郎での雑なトリックの数々で証明済み)が、普通の観客は開始20分までで、犯人はわかるはずで、そもそもミステリーにするつもりはないと見える。
また、コメディとして見た場合もかなりズレている。「昔から変わらない」と言うと聞こえはいいが、進化していないだけだ。「こういうの面白いでしょ」を押し付けてくる。それはいいが、それらがことごとくつまらない。
学園祭の出し物レベルの脚本を一流の俳優でやったというのが笑いのポイントですと言われればそうかもしれない。
どうしても見たい方は、サブスクになってから4倍速で視聴されることを推奨する。
ヘルシンキが耳に残るw
三谷監督らしい不思議な設定にクスリとさせられるコメディ作品。
スオミという女性の現旦那と元旦那が5人登場。それぞれから見たスオミが、同一人物とは思えない程印象が違うという設定は面白かったのですが、それに対する解答が何とも普通でちょっと肩透かし。
ミステリー要素もあるかと思わせての何も無し。
笑いのポイントも微妙にズレた感じで、ハズしてるなってネタが目立ちました。
それも含め三谷監督作品ぽいといえばぽいのですが、昔の作品の方が普通にツボに入る面白さがあったので、個人的にはパワーダウンしてるかなといった印象でした。
とにかく今作はこれでもかといったくらいに長澤まさみを全面に押し出している作品の為、少なくとも長澤まさみファンであれば観る価値のある作品ですね☺
役者の無駄遣い
昔、何度も、ラジオの時間を見た。おヒョイさん演ずる音響マンに爆笑した。
昨年、ショーマストゴーオンを見に行き、たまたま鈴木京香さんが体調不良で、その代役が三谷幸喜氏。すっごく面白かった!
今年、オデッサを見に行った。柿澤さん、宮澤さん、迫田さんの演技とコメディ、ミステリーに痺れた。
そして、大期待をもって望んだ本作。
がっかり!
高級シートが3列もある広ーい映画館に観客10数人。最終回で遅い時間帯だったこともあるけれど、後半何度か寝そうに。
シチュエーションコメディとはいうけれど、シチュエーションが面白いだけの出オチ感が半端ない。
後半はドリフのドタバタギャグのようだし、長澤まさみさんの百面相も、この場面で必然性がなさすぎて、元夫たちも観客もおちょくってんのか?と全く笑えない。
また、三谷さんリスペクトのラジオパーソナリティが、「サイコーに面白かったです」とかって、大絶賛しそうなのが嫌すぎる。
笑いの救いは、瀬戸康史さんのタイミング抜群のツッコミかな。
三谷幸喜作品好きなので、次回作は本当に宜しくお願いします!
私はそこまで酷評される映画だとは思えない
民放でも苦情来るんじゃレベル
映画館で放映する意味あるか?ぐらい内容が無いよう…。
結局スオミの人生の掘り下げもほぼなくフィンランド行きたいだけ?友達の女性があれだけ協力するようになった理由は?
ほとんど伏線回収せず最後は歌って踊って終わりて…。
逆ハーレムものの皮を被ったオッサンのオッサンによるオッサンのための夢みたいな話。
三谷幸喜はドラマは良いのになんで映画になるとこうもつまんなくなるんだろう。
喜劇の舞台と思えば面白い
それなりに楽しめたけど、なんか残酷と思ってしまった
「クボタのCMか?」と思った予告、前評判の悪さにハードルを思い切り下げていたので、それなりに楽しめました。ただ、見終わった感想は「なんつーか、残酷じゃないか?三谷さん」でした。
主演は長澤まさみであり、この映画は間違いなく長澤まさみが演じる前提で、長澤まさみのために作られているとは思うんですよ。
映画公開前、三谷さんはあちこちのインタビューで長澤まさみは天才だとほめちぎっていたけれど、確かに彼女のスタイルのよさや、最近の作品で発揮しているぶっちゃけたコメディエンヌぶり、もっともチャーミングに見える表情がフルに生かされている。それは間違いないと思います。
ただ笑いどころは彼女よりも、彼女を取り巻く俳優陣のドタバタで、それを演じる役者はみんな(西島さんの薄さも含めて)強い個性を持った芸達者。長澤さん演じるスオミ不在の冒頭から終盤まで、この役者陣の演技合戦がとことん見所なんですよ。
一方で、いよいよスオミが登場してからが弱い。「いろんな側面を持つ女」であるスオミも、シチュエーション含めて描かれた回想シーンこそ多面的だけど、いざ当人が出てきて演じ分けるとそんなに違いがわからない。
そして彼女がなぜああいう人間になったのかも一応書かれているけど不十分。多分ここが低評価の人が多い要因の一つだとも思います。
結果的に私には長澤さんは主演でありながら、共演俳優陣の魅力を引き出すための仕掛けにしか見えませんでした。
多面的な顔を見せていたスオミという人間の根っことか、唯一彼女に寄り添い続けている親友(宮澤エマ)との関係をもう少しきちんと描けば、多分こうはならなかったと思います。
で、本来三谷さんはそれができる人だとも思うんです。三谷さんのこれまでの作品、特に演劇を見ていると、彼の持ち味は喜劇の中の悲劇というか、悲劇の中の喜劇です。まあそれが喜劇の本質だとも思いますが。
実際、例えば(私が彼の真のディーバだと思っている)戸田恵子さんの一人芝居「なにわのマダムバタフライ」は、コメディの要素がありながら、主人公の悲劇も喜劇も喜びも悲しみもがっつり描かれています。
戸田さんは脇役だった映画「ラジオの時間」でさえ、千本のっこという強キャラが割り振られ、最後は彼女を賛美する歌で終わります。
斉藤由貴主演の「君となら」は、バタバタするコメディだけど、周りのバタバタの中で主人公の人物像こそが浮かび上がってきます。
しかも、戸田恵子、斉藤由貴はこの人たちだからこその力量が発揮されているんですよ。
女優、主役に限らずとも、三谷作品にはそんな例がたくさんあります。
それなのに、なぜ今作のスオミはそこまで書いてやらなかったのか。長澤まさみは天才だとは言っているのは嘘ではないにしろ、上記のような俳優陣とは位置付けが違うように思えて、前述の
「なんつーか、残酷じゃないか?三谷さん」につながりました。
なお、瀬戸康史、宮澤エマのお二人は持ち味フル発揮で、「三谷組確定」感がありました。
あと得したのは松坂桃李さんですかね。これまで見たことがない役で、印象が変わりました。
まさみワールド炸裂!!
前半は確かに集中して見られた、、
評判&予想どおりですかね
初期の三谷脚本のドラマや何度か見たサンシャインボーイズの舞台は大好きでした。
あまり評判がよくないなか、拝見してきました。
本作に関して予告を見る限りは期待と不安が半々で、面白そうなプロットだけど、三谷幸喜の脚本や演出では厳しいのでは? と思っていたところ、予想どおりでしたね。
役者陣のパフォーマンス含めて期待外れで、長澤まさみさんと宮澤エマさんが辛うじて悪くなかった印象。ただ、夫によって変わる長澤まさみさんのキャラは元々キャラ作りが弱く、ラスト近い演じ分けのシーンがほとんど見せ場として機能してなかったので、脚本や演出面で足を引っ張られた印象です。
三谷幸喜さんについては、映画監督としての資質に前から疑問でしたが、脚本家としては揺るぎない信頼はありました。しかし、本作を見ると脚本のクオリティそのものもダメになったのかな、と思わざるを得ませんでした。
ひたすら残念です。
三谷幸喜監督映画
良くも悪くも三谷幸喜監督の作品でした。
三谷幸喜さんの作品は、どれも舞台で観たいと思わします。反面、いつも映画としてはどうか?と思ってしまいます。
元々舞台の作・演出家なのだからか、一幕物が多くなります。
けど、脚本が悪いという訳では決してない。他の監督が三谷幸喜さんの脚本を映像化した作品は、名作が多い。
という事は、やはり三谷さんの演出が舞台っぽいんだろう。
芝居がオーバーだったり、抑えて喋るべきところで大声で表現したり、おそらく舞台なら効果的な事も、映像になると不自然になってしまう。
今回もやはり、舞台で観たかった、と思ってしまった。
#スオミの話をしよう
万華鏡のような映画
見た直後は、あれ?これで終わり?
と拍子抜け。
というのも“結局スオミはこんな女性なんですよ”っていう「答え」が提示されると思って観てたら、されないまま終わったから。消化不良のようななんとも言えない気分。
単純に見れば、この映画は5人の夫がわちゃわちゃしてスオミは相手の理想を生きる女性なんです、なんですが、細かな伏線がそれだと全部説明しきれない。
例えば、
・スオミ、ファザーコンプレックス説
→父と同じ髪の匂い(整髪剤)の年上の魚山と結婚。(幼い頃別れた父の面影を夫に求めた?)
→父のペンダントを褒めてくれた草野を好きになる。
・スオミ、草野だけは本当に恋してた説
→離婚届を毎回、草野に渡すのは“独身になりました。誰かと自由に恋できる立場になりました”と伝えてる?
→草野にだけ大切なペンダントの中を見せるシーンがある
・スオミ、女性の自立アイコン説
→フィンランド=男女平等、自由で幸福度の高い国=理想の世界を望みもがく女性の象徴?
→薊の花言葉に自立がある
コメディの中で社会風刺を表現している?
(ただ三谷さんのインタビューでスオミ(フィンランド)はたまたま偶然目にした、とのことでそんな深い意味はない??)
などなど
つまり、夫達だけじゃなく映画を見る人の「スオミはこーゆー人(映画)だ」という思い込みにより、毎回スオミは姿を変える。
それこそが、この映画の本質で
見る度に姿を変える、掴めそうで掴めない、捕まえられそうで捕まえられない、そんな魅力的な女性を描いた映画なんじゃなかろうか。
タイトルの意味は、映画を見た後「スオミってどーゆー人なんだろうね」とあーでもないこーでもないと話して楽しんでね、という監督からのメッセージなのかもしれない。
余談ですが
年々自分の中で、笑いのオチを求める感覚が早くなっている。「有頂天ホテル」の時はドンピシャで大笑いできたが、今回の場合、自分の求めるテンポより1秒くらい遅くて、笑いづらかった。
笑いのテンポは国や人によって違う。
もしこれが劇場ならお客さんの反応で調節できるけど、劇を映画に落とし込んだ場合そこが難しいんだろうなぁ。
このタイミングがハマる人はすごく楽しいと思うし、実際映画館でとても楽しそうに観劇されている方もいた。
いずれにしても、今の日本でこれだけのコメディ映画が作られること自体が素晴らしいので、もう少し自分なりにスオミを捕まえようと試みてみようと思う。
なぜに酷評が多いのか?
確かにオイラの中での大傑作「ラヂオの時間」には及ばなかったが、オモロかった。
反して酷評が多いようですが、長澤まさみ見たさに見たせいか、オイラはそうは思わなかった。最後の最後まで、ほとんどスオミは出てこないが、男同士の駆け引きで、十分楽しませてもらった。1番最初の反抗期のスオミと3番目の大陸のスオミはキョーレツだったわ。
長澤ファン以外で楽しめた人が羨ましい
「過剰適応」が裏テーマ?
スオミは、幼少期、母が次々に男性に依存し、次々とお父さんが変わった。
スオミは、生き延びるために、その父親に気に入られるように自分を合わせた。
実は、そういう子どもは、今の日本の社会にたくさん存在している。
いわゆる、「過剰適応」の子どもたち。
学校でも、「前にならえ」「みんなで仲良く」の明治時代から続く、時代錯誤の教育現場の中で、
おかしい、と思いながらも、はみでないように、自分を殺して周りに合わせる「過剰適応」の子どもたちがたくさんいる。
そして、日本の不登校、自殺は増えるばかり。
そんな中で、スオミが生き延びる姿をコミカルに描きながら、
「自分を殺して周りに合わせないと生き残れない日本、それでも生き延びようとしたスオミ」を描いてくれたのではないかと思った。
特に、子どもや女性に「過剰適応」が未だに強いられている日本は、本当に心が貧しい国だ。
一方、「ヘルシンキ」が首都のフィンランドは福祉大国。子ども第一で、日本のように子どもを大人に無理矢理合わせさせる「過剰適応」などということは起こらない。
スオミがヘルシンキに行きたかったのは、納得ができる。
途中迄はドタバタ喜劇で面白かったのだけど、、
如何にも舞台仕立て。
ほぼ、豪邸の屋敷内で話が進む。
役者さんも大仰な動きが多い。
スオミの人となりを話していく迄は面白かったんだけど、
いざスオミが登場した辺りから、、何とも。
長澤まさみさんの七変化を楽しむべき映画なのでしょうが、たいして七変化してないんだよね、、
決定的な欠陥としてスオミのキャラに魅力が無い。
ラストも肩透かしで、途中迄の盛り上げは何だったのか、、
長澤まさみさんって、それ程演技上手くないの?って思えてしまう。
今回、流石だなと思ったのは松坂桃李さんですね。
軽薄なYouTuberになりきってた。
平日でもかなりの入場者、凄いなあと思ってたら、相当テレビで番宣してたんですね、、
テレビの影響未だ大きいんだなぁ。
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