ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
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自己肯定感の高い両親の生き方が自然体でGood
聴覚障害者の両親を持った健常者の子供(コーダ)の人間ドラマ&成長物語。敢えて山場は作らず、親子の日常をドキュメンタリータッチで淡々と綴っていく。2022年アメリカ・アカデミー賞作品賞受賞作コーダあいのうたと同様に、本作に登場する聴覚障害者はすべて実際に聴覚障害のある俳優が演じている。
本作の舞台は宮城県の小さな港町。主人公は五十嵐大(吉沢亮)。彼は聴覚障害者の両親の元で生まれ、小さい頃は母親の耳となり母親と周囲の健常者たちの通訳を熟していた。しかし、思春期に入り、周囲の目、両親が聴覚障害者であることに苛立ちを感じはじめ、明るく優しい母親と衝突するようになる。そして、彼は上京して彼の家庭事情を知らない東京でアルバイト暮らしを始める・・・。
主人公役は中学2年生までは子役が引き継いで演じるのだが、子役の面差しが徐々に吉沢亮に似てくる。主人公の成長に不自然さを持たせず、中学3年生から激変する主人公を際立たせている。作り手の丁寧な演出である。
主人公が思春期になって荒れても両親は自然体である。どんな家族にも色々あるからという父親、荒れる主人公に責められて父親に凹むと穏やかに吐露する母親、が象徴的である。両親は、聴覚障害を負い目ではなく個性だと考えている。だからこそ、両親は結婚し子供を産み育てることができたのである。両親は、確固とした自己肯定感を持っている。
主人公が東京で知合った聴覚障害者たちも同様である。彼らは、出来ることは自分でやろうとする。レストランなどの公の場でも聴覚障害者であることを隠そうとはしない。主人公が何でも助けてくれるのを良しとしない。
ラスト。もっと切れ味の良い、後味の良い幕切れにはできただろう。敢えて、そうしなかったのは、まだ、主人公が発展途上だからである。健常者と聴覚障害者の世界で生きていること、生きていくことを強く自覚して終わる。ストーリーよりも主人公の今に寄り添った素直な幕切れだったと解釈できる。
コーダの辿る道
コーダでは映画向け?尺不足?で聾の子供の悩みがあまり深く描かれて無かったような気がしたけど、こちらでは乳児の頃からなので聾の育児の大変さ、子供が学校(特に小学校 子供は残酷だ)で浮いた感じになる様子等とてもリアルだと思った。ら、やっぱり実話だった そして子役が雰囲気似ていて吉沢亮の制服姿も死んだ目も違和感無かった 手話も覚えたのかな?
手話にも方言が有るのですね
母の産むという決断、不器用ながらも愛情深くしかし押し付けがましくなく、とても良かったです 新宿の○○フルーツパーラー親子で行って欲しかったけど...
祖母は烏丸せつこ!びっくりです
『コーダ あいのうた』は少なくとも超えている。ただ事前予習は凶と出るので 前提知識無しでおすすめ 個人的に。
コレ 事前予告編動画が秀逸すぎて 本来なら その葛藤に心❤️揺すぶられるトコ 予習効果あり
ホームページ自体は良いですし。
有料パンフ🈶も 読みやすくて 言いたいことがよくわかる秀逸パンフ。 3拍子揃った文字どおり
俺 今日 『あの人が消えた』以降時間が空いたので
有料🈶パンフは全て事前に完読【アホです🙇❗️】
おまけに有料パンフにはシナリオついてて読みやすくて事前に完読【やっぱりアホですね🙇】
つまり 親子の葛藤に本来は胸打たれる ところ イマイチ
みなさんはこの轍を踏まないで❗️
俺のしかばねを越えていって❗️
きこえる【聴こえる 聞こえる】子供 と きこえない両親 なぜか母親のみ圧の対象 反抗期
忍足亜希子さん 今井彰人さんら ろう者の方が好演❗️
ただ 実際の集客力は吉沢亮によるトコが大きいと推測される
面白さは でんでん 烏丸せつこ【昭和50年代は イイ女の代名詞的な】 ユースケ・サンタマリアによるところ大
吉沢亮 すごいよな 渋沢栄一はともかく
佐野万次郎マイキー🏍️東京リベンジャーズ と 本作の反抗期こなすとは❗️ 役者としての力量か
忍足さんはそうイヤ 『黄泉がえり』で 田中邦衛の妻だったか❓
制作者 俳優 何らかの ろう者の方との接点ある模様 有料🈶パンフの受け売り
手話には方言的なものあるんだね 手話演出 等の専門スタッフさん素晴らしい👍
劇・無い🎵かも でも 感じ入る作品 エンディング曲は要注目
普遍的な 母子の愛情 葛藤 家族だからこその 剥き出しの残酷な本音の吐露 反抗期
今はLINEがあるから薄れてしまったが 昔は【原作の方は1983生まれ 俺は高度成長期生まれの違いはあるが】
進学や就職で親元離れた時の 駅での別れ 母親からの食料品➕手紙✉️ で 母親の存在のありがたさ 感じたものだ。
単純な おせっかいな同情では無く 理解し合う大切さ 感じる作品
俺は 多様性映画は 説教臭くて嫌いなのですが 本作のような リアル多様性葛藤 は大歓迎
誰でも 老いたおふくろの後ろ姿 泣けるよねぇ 俺も 今はとっくのとうに亡き おふくろお母さん思い出した。😭
『コーダ あいのうた』はアメリカ人的な 非現実あっけらかんで違和感あったけど
本作は 葛藤 剥き出し 日本人的な湿っぽさ のあっけらかんで 共感できた。アップデート。家族の形はいろいろあれど本質的な愛は同じ❗️ 本来なら星4・5 だけど 予習しすぎて失敗😔しました。
予想外の 前3列除いて 超満員🈵 観客の良質さは完璧 予告編でのおしゃべりどころか みんなシーンとして
途中トイレ行くもの無し おススメです。予習なしで・・・
お前かわいそうなの?
嗚咽
昔から親子物に弱く、「北の国から 初恋」ではラストの泥のついたピン札で1時間泣き通し、昨年公開された「AfterSunアフターサン」では劇場でなかったら嗚咽していた
呉美保監督の約10年ぶりの新作は母子物
予告の段階でヤバい案件だと思っていたら、案の定、ラスト間際で涙腺崩壊、家で観てたら嗚咽していた
吉沢亮が石巻から上京後フラフラしながら、中途半端に二十代を過ごしている姿が当時の自分と被り…
田舎の母親から届いた手紙を無造作にしまうシーンや、電話に無愛想に応対するシーンなど、刺さりまくりですよ…
それで、最後のあのホームの吉沢亮の無音シーン
わかっちゃいるけど、思い出ポロポロ
男にとって、世界でただ一人の味方が母親ですからね…
色々当時の記憶を呼び起こされましたよ
母親役の忍足さん、好演でした
祖母役の烏丸せつこ、クレジット観るまで気づかず(ユースケ・サンタマリアも)
響きました…オワリ
苺のパフェ~!
息子と母親って特殊なんだよねぇ
お母さん、ごめんなさい、そしてありがとう。
この映画の主人公だけでなく、母親に辛く、つれなくあたって後悔している人はたくさんいるだろう。
それに対して母親はいつだって無償の愛で包んでくれる。
子役さんたちが、赤ん坊も含めて、みんな大きくなったら吉沢亮になるだろうなってくらいそっくりだった。中学生の子もよく似せてるなと思ったらまさかの本人でした。
お母さんはもちろんだけど、東京へ行けと背中を押してくれるお父さんが素敵だった。
子ども時代は主人公の気持ちがよくわかるように描けていると思ったけれど、東京へ行ってからがなんだか残念。
聾者の方との交流はよかったけれど、なんで編集者?
そしてその働きぶり。原作者の方の実体験なんだろうがもっと共感できるような描き方があったんじゃないかな。
多くの人に観てほしい、観るべき題材の作品だからこそ、もっとドラマチックに作った方が良いように思う。(アカデミー賞をとった「コーダ」のように)せっかく吉沢亮を主役に持ってきたんだから。
タイトルを最初に出さずに最後に出すのはどんな意図があってのことなんだろうか。
天使な母さん
「人間として本当に大切な物は何か」を気づかせてくれる作品
身近なところにあるほんの違いが
音ない世界は
聴こえる人たちにはわからないかもしれない
最後のホームのシーンで
音のない静寂な場面が何秒かとても印象深く
その何倍も何倍も長く止まってように感じ
生まれた時からずっと変わらない母の愛情の深さを
やっと理解できるできるんですね
若いからなんでしょうね笑
言葉がでないからこそ
母の息子に対する愛情をより感じられて気がします
重ね合わせる。
半月ほど前、新宿ピカデリー来訪の際に観たトレーラーに出演されている女性。気になって帰宅後にすぐ調べたところ、忍足亜希子さんという俳優さんと知りました。フィルモグラフィーに『黄泉がえり』があり早速配信で鑑賞。この映画の感想はまぁいいとして、、呉美保監督が撮る忍足さんを楽しみに本作の劇場鑑賞を決め、公開初日の新宿ピカデリーへリピーター割引を使って参戦です。平日午前中の回ですが、当館3番目のキャパであるスクリーン3はかなり多くの客入りです。
そもそも、私が忍足さんに目を惹かれたのはろう者であるからではなく、純粋に彼女の演技力にあります。たった一度だけ見た本作のトレーラーの忍足さんに、自分の亡母を重ね合わせてしまい涙腺を刺激されたのです。と言うことで、鑑賞前に不安が一つ「感極まって、嗚咽を漏らしたらどうしよう」だったところ(久しぶりに)隣の席が埋まり、座られたのが自分よりも年長の女性。。ちなみにこの方、作品の前半で不意にバッグ内のスマホをチェックされたため、別の不安にもかられたわけですが、、その後は集中してスクリーンだけをご覧になっていました。危ねぇ。。。スマホやめてね。
で、本編観て気づいた当たり前のことですが、本作の主演は吉沢亮さん。と言うことで、(原作者であり)主役である大さんが赤ん坊時代以外、自意識が生まれだせばもう息子・大を通して母・明子(忍足)を見ていく構図になっていくわけです。そのため、泣くどころかむしろ「あああああ…」と頭を抱えたくなるシーンの連続。そうです、大に自分を重ね合わせて見て感じる「亡母に対する悔恨の念」。呉監督、やめてくださいよ、最高すぎるじゃないですか。。なお、中学生時代から大役に吉沢さんを充てるのはちょっと無理を感じましたが、やはり一番ややこしい年頃だからこそ、吉沢さんにやってもらうしかないわけでやむを得ないですね。吉沢さんもよく頑張りました。
そしてまた、忍足さん以外にも多くのろう者の俳優さんが出演されている本作ですが、どの方も本当に素敵です。息子の背中を押す父・陽介役の今井彰人さんに感動させてもらい、また東京で出会う智子役・河合祐三子さん、彩月役・長井恵里さん等にはろう者「当事者」としての説得力がある台詞や反応に改めて、如何に聴者がろう者を理解できていないかを何なら、めちゃくちゃ優しく教えていただけます。
そして終盤に起きた「あること」をきっかけに実家へ帰る大。久しぶりに母・明子と二人きりになり、母の横顔を見つめる大・・・からのシーンはもうご自分で観てください。その演出込みで劇場で観ないと絶対ダメですよ。勿論、スマホは絶対NGです!
いい映画です
あのエンドロール
英語のうたですが、あれ母から息子にあてて送った手紙を英訳したもの。
あれはヤバい、自分も昔を思い出して泣けてきました。
映画の展開としては時系列に話が進んでいくためわかりやすい、わかりやすいが余りに平凡というか普通の日常過ぎて、人によっては退屈に感じるかもしれませんが、この長い長いプロローグのトンネルを抜けると
吉沢くんの泣顔、あのクライマックスは凄いです。母親の息子に対する愛情、息子の母親に対する思いが込められています。このワンカットの為のプロローグだとわかります。
いい映画です。
蛇足ですが、お母さんの気持ちを考えていたら
、さだまさしの案山子という歌を思い出しました。一度聴いてみてください。親の子に対する愛情が詰まった歌です。
高評価も納得。静寂の中に音を求めてしまう。
子役から大人へのシフトがホント見事。
中3からの吉沢亮も違和感なし。これって凄い。
人それぞれが抱えてる問題を深すぎずかと言ってサラリと受け流すわけでもない良い塩梅で描いてくれた作品。
子供って残酷だから思った事をつい口にしてしまうところもストレートに描かれていて好き。
ファミコンやコミックなど当時の時代を写した小物類もほっこりします。
凄く感動するわけでは無い。
だけど日常に存在する聴こえない世界をちょっと知る事ができる機会を与えてくれてありがとうって思える。
観ていて心の片隅にでも留めておきたくなる作品でした。
烏丸せつこ『マノン』でたけしの妹役で見た時「セクシーな女性だなぁ…」って思ったものです。
俺もジジィになったのだなと(笑)
個々のシーンにはそれぞれ理由があるが、もう少し配慮は欲しかった(本文参照)
今年338本目(合計1,430本目/今月(2024年9月度)24本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
※ この後、別映画館で「五等分の花嫁*」を見てからの帰宅ですが(水瀬いのりさん、伊藤未来さんのファン)、憲法論が絡まないアニメは見てもレビュー対象外です。
さて、こちらの作品です。3連休の本命にしている方も多いのではないかと思います。
この手の映画では当事者(ここでは、ろう者の当事者)不在で作られることが多いですが、当事者の方が何名も出ている点、および、聴覚障害の会の後援もあるなどかなり本格的に作られている点など非常に印象が持てました。
いわゆるCODA(親がろう者で、子が聴者である場合の子自身や、子の親に対する介護などの負担をいう語)に関しては、「CODA あいのうた」などをはじめとして日本映画、外国映画等も多く放映されるようになりましたが、本映画は日本映画で日本の文化や取り巻く環境等を重ねてみることができる点などきわめてよかったところです。
個々気になる点まではあるとして(以下)、複数論点におよび、かつ、それぞれが重なる部分もありますので、さっそく採点に入ります。
なお、当方は重度身障2級なので、一般的に何であろうと手帳に含まれうる限り最低限の知識以上は持っています。
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(減点0.1/この映画をバリアフリー上映で1回しか放映しない点など)
朝方に1回しかない映画館が多いです。また、それ以外は通常上映ですが、10年前でもあるまいし、すべての上映でバリアフリー上映にしたところで誰が怒るのかがまったく不明であり(2023~2024年でそんなことに腹を立てているようではとてもではないが人権の観点から危うい)、思い切って全てをバリアフリー上映にすべきだったのではなかろうか、と思います。これは、この映画の趣旨を考慮したものです(全ての何の映画も全部バリアフリー上映にしなさい、という趣旨のことではない)。
(減点0.1/個々個々わかりにくい点がある)
上記のように、ろう当事者や当事者の会が後援している等かなりわかりやすい展開になりますが、一部わかりにくい点があります。
・ 玄関の前で明かりをつけたり消したり
→ 今でこそ、聴覚障がい者の方向けの「点滅形式のファックス」や「点滅で誰かが来たことを知らせるセンサー」等が福祉機器として貸与されたり支給されたりしますが、当時(主人公の子の小さいときのシーンで、ファミコンのマリオをやっている(1985年))にはそのような制度はありませんでした。このため、「光の点滅」で知らせるという文化は、当事者のみならずCODAの当時者(つまり、子)にも共通の文化です。
・ 手話勉強会で宮城と東京で表し方が違うという話、パチンコ屋で「そんなにパチンコやっていると破産しますよ」のシーンほか
→ このことは、東京と宮城で手話表現が違う(手話にも方言があります)ことを意味する部分で部分的に出ますが、もう一歩進んで「手話には方言がある」ことを明示してもよかったのではないかと思います。
※ また、CODAを主人子とする以上、どうしても「親の干渉を受けやすい」のは事実で、例えば宮城出身であっても親が沖縄出身で沖縄のろう学校を卒業して宮城に引っ越していれば表現も沖縄方言になりますので、「どこ出身か」より「親がどこ出身か」のほうが大きい部分が多々あります。
・ 「手まねで学習してろう学校に…」
→ 主人公の子供パート(ファミコンが出るので1985年ごろ)おじいちゃんから出てくる話ですが、小学3年生(10歳くらい)と仮定して、親が第一子を産むのが統計上25~30歳なので、25歳と仮定すればろう者の親は1960年頃になります(ざっくり計算)。
このころのろう学校は、手話を「手まね」と読んでおり、とにかく健常者(ここでは、ろう者に対義する意味での「健常者」の意味)に合わせること「だけ」が重視されたため、健常者の話し方の口の動き等から内容を推測する「読唇術」(どくしんじゅつ)というものが主に教えられ、手話は「手まね」等として教育内容から省かれる等の扱いでした。しかし読唇術にも限界があり、「たばこ」「たまご」「なめこ」の違いを判別させる等(読唇術の学習であまりにも無意味とされた学習例の頂点)、およそ当事者が日常生活で使わないような例まで学習させ当事者の負担は異様に高いものでした。
※ ただし、2020年以降は日本ではコロナ事情があったこと、また現在(2024年)でも個人でもマスクをつけていることが多い一方、スマホ等の普及で、筆談やスマホ筆談が一般的かつ普通にできるようになってきたので、読唇術を本格的に必要とする機会は相対的に少なくなったのも確かです。
一方で日本の学校である以上、国語(ここでは、「日本語」としての国語をいう)も学習していましたが、小学3年生ころになると、文と文を「しかし」」「だから」などの接続詞等でつなぐ文などが登場し、国語をおろそかにした教育を受けた当事者はここから国語力に躓くことになります(これを当事者の間では「(ろう者の)9歳の壁」といいます)。このため、この時代の当事者は成人しても小学4~6年程度の国語力しかないといった状況であり(もちろん、親の教育等によってだいぶ異なるが、一つの傾向。また、手話教育発祥の地といわゆる京都を中心とした関西圏では比較的高度の国語力を獲得できた)、これがまた成人してからの就職差別等を生むことになります(現在、2023~2024年ではろう者と健常者で国語力の差はほとんど見られません)。
※ 当事者への理解が進んだ例として、車の免許も「大き目のミラーをつけること」を条件に免許取得が認められるようになりました。ただ、古い時代のろう教育しか受けていない当事者には「学科試験の日本語がわからない」という方も一定数いて(これも一般的傾向で、全員がそうではない)、まだ途上にあるところです。
こういった細かい部分はちらちらっと出てきますが、完全に出てくるものではなく、「CODA あいのうた」等から少しずつ進んできた当事者への理解への「さらなる第一歩」として「もう一つの踏み込み」が欲しかったです。
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ただいずれにしても、当事者不在で作られることがしばしばある中で、当事者を数多く起用し、また、当事者の会の後援・監修等もある本作品は極めて良い作品であり(年間300本を超えてみる私でもベスト10には入りそうな作品)、迷ったら無条件でおすすめです。
文句なしの評価5!
呉美保監督作品。
「そこのみにて光輝く」のときから呉監督作品が好きです。
映画の舞台は宮城県内各所ということで、
宮城県先行上映にて、まさかの無人館内のなか、
ポツンと一人で観てきました。
きこえない母と、きこえる息子。
目には見えない「愛情」というものが
なぜか目に飛び込んでくる不思議な作品でした。
冒頭10分で目頭が熱くなり、
ラストで静かに号泣。
何あの演出。
最高すぎて、「なるほど…」って
呟いてしまったよ。
特に主演の吉沢亮さんによる
年代の演じ分けが凄まじい。
これは間違いなく、
今年の邦画ベストNo. ❶
近年稀にみる良い映画だったなぁ、、
誰もが必ず何かしらの人生を
背負ってるんだなって感じる作品。
まるで自分ごとのように、
帰りは車中で思考を巡らせ帰りました。
この映画はCODAの話と聞き、少し手話の事を調べてから観に行きまし...
この映画はCODAの話と聞き、少し手話の事を調べてから観に行きました。僕は手話って聴者が話す言語、例えば日本語をそのまま手の動きに変換したものだと思っていたのですが、そうではなく独自の文法をもった独立した言語なんですね。そして、その表現は手の形状にとどまらず、顔の表情、手の動きの大きさ、位置(顔から近い遠いでニュアンスが違ったりする)テンポなどを総動員するもののよう。
資料を読むと吉沢亮は聾者も驚くほどレベルの高い手話表現をしているそうですが、素人目にもその感じは分かりました。そっけなく話す時の手話、気持ちがたかぶって日本混じりに話す手話。両親から教えられた手話だからCODA独特のものでもあることも表現されているようです。
また聾者は、手話よりも聴者の口を読み、発声を覚えて声を出すことが重要とされていた時代もあって、主人公大の母はその世代にかかっている事、手話にも方言があるといった事もさりげなく語られています。
でも、実はこういった僕が知らなかった聾者の"世界"は物語の中でさりげなく示されるだけで、この映画が語っているのは、普通のそんなにいけてない男の子のとても普遍的な成長物語です。無邪気な子供時代から親をうとましく思う思春期、何者でもない自分との葛藤の時代、そして親のありがたさに素直に気づける瞬間。それぞれの時代のリアルな背景にちりばめられた"あるある"が、とても映画的な豊かさの中で進行します。でんでん、烏丸せつこ、原扶貴子、山本浩二から滲み出まくる人間というものの可笑しさ愛おしさ。たまりません。結局僕ら人間は、こういうふうに不器用にぶつかりあって生きていくしかないんだけど、そこにある可笑しみ、喜びこそが何よりも大切なんだと思わせてくれます。
あのトンネルはもちろんイ・チャンドンへのオマージュでしょう。
呉美保、剛腕です。
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