ソウルメイトのレビュー・感想・評価
全96件中、21~40件目を表示
岩井俊二監督っぽさを感じる作品だし泣いた
今年の4半期で一番良かったかも。終盤うっかり泣きそうになった
韓国映画だけど、元は香港映画で、それも岩井俊二監督の影響を受けてる模様で、なんとなくその残り香は感じたり。
済州島に引っ越してきた破天荒な少女と地元大好き真面目で大人しい少女の出会いと友情、そして男性を巡るゴタゴタもありつつ大人になっていく16年間の物語
物語、ストーリーの構造がとてもよく考えられていて、2人の想いがシンクロしたり交差してバラバラになったりを繰り返しながら、結末に向かい進行していき、衝撃な展開もはさみつつ、最後をどう感じるかは観客に委ねているのは、観ていてとても心地よかった
あとロケ地のチェジュ、プサン、ソウルもそれぞれの思いを投影しているかのような風景と日常で、いいなぁと思った
それほど前評判とか気にせず、観に行って大当たりを引く
ただの幼馴染みの二人のストーリーだけではない
女同士の仲の良い幼馴染みの話と思いきや、少女から大人への成長と思いやりと互いの憧れと妬み、更に夢と人生観、生きてくうえで感じるすべてを二人を通して描いた男性の私でも不思議と受け入れて観られました。
映画という制約のある時間で見事にストーリーを完結してあるのは拍手者です。後半の流れからラストまでは容易く感情移入し感動しました。
ひとつにはなれない魂の片割れ
ソウルメイトとは運命として惹かれ合う人のことで、恋愛感情をも超えて深く結びつく存在のこと。
また前世から深いつながりのある相手であり、魂の使命を教えてくれる相手でもある。
ツインソウルという言葉もよく耳にするが、どれだけ魂がつながっていたとしても、それぞれに違う意志を持った人間同士であるため、本当に分かり合うことは出来ないのだと思う。
そしてどれだけ深く結びついたとしても、ひとつになることは出来ない。
魂の片割れであるからこそ、失った時の喪失感は何ものよりも大きく、決して幸福な関係が約束されているとは限らない。
正直観ていてとても悲しい思いをする作品だった。
映画はミソが彼女をモデルにした精密な鉛筆画を前にする場面から始まる。
その鉛筆画は大きく評価され受賞を果たしたのだが、作者の存在が分からない。
モデルになったミソならば作者の存在が分かるのではないかと、展覧会の主催者側は彼女に問いかけるが、彼女は幼い時の関係なので今はどこにいるのか分からないと返す。
やがて物語はミソが鉛筆画の作者であるハウンと初めて出会った子供時代へと遡る。
お互いに性格も生まれ育った環境も違う二人だが、出会った日から意気投合しお互いに惹かれ合うようになる。
勝ち気で自由奔放なミソと、真面目で誠実なハウン。
共に絵を描くのが好きだという共通点もあり、進学して学校が変わっても二人はいつも一緒だ。
しかしハウンにジヌという恋人が出来た日から、二人の関係は微妙にすれ違っていく。
ジヌはどうやらミソにも恋心を抱いていたらしい。
やがてミソはジヌが身につけていた首飾りを譲ってもらい、ハウンの側を離れていく。
それでもお互いに別々の生活を営んでいても、二人の間には生きた時間が流れていることが分かる。
魂同士でつながってはいても、お互いに違う価値観を持った二人。
衝突して傷つき、関係が終わりそうになる場面もある。
それでもお互いの心を埋められるのは、親でも恋人でもないのだ。
しかし、一度離れ離れになってしまった時点で、二人は交じり合うことのない運命だったのだろう。
後半になってミソがハウンの居場所を知らないと答える本当の理由が分かる。
それはとても悲しい理由だった。
ハウンは太陽は影の存在があるからこそ輝くことが出来るとミソに話す。
たとえひとつにはなれなくても、お互いを照らし合うことは出来るはずだ。
そうして幸せな関係を築くソウルメイトもたくさんいるのだと思う。
ハウンが残した鉛筆画が、初めて二人をひとつにつなげる存在だったことが分かるクライマックスはとても切なかった。
良いです。あっぱれ!
とりあえずジヌの言動にいちいちイラつきましたが(キャラクターに対してです。役者さんの悪口ではないです。念のため。)
、映画としては素晴らしかったです。
過去のエピソードと現在のエピソードを行ったり来たりしながらストーリーが進みますが、見ていて混乱することもなく、飽きることもなく話に引き込まれました。見せ方がうまい。
また、それぞれのシーンが丁寧に描かれており、オリジナルへのリスペクトが感じられました。
最初の数分で最後がどうなるかは何となく想像がついてしまうんですが、ミソとハウンと一緒に笑ったり泣いたり青春を謳歌したり(?)してるうちにそんなことはどーでも良くなりました。
二人で描き上げたミソの肖像画と、ラストのバイカル湖の風景が美しかった!
ジャニスジョップリンのように
韓国映画は普段ほとんど観ないのだが、チャレンジしてみた。
感想日本と文化も違うし、主人公たちと自分の性格も違うせいか、感情移入するのは難しかった。
なんというか、韓国は文化的には日本に近いのだが、韓国語なので言葉は分からなくて、字幕がついており、それが不思議な感じだった。
これが西洋映画なら自分の文化圏と全く違う世界の話なので、別世界として割り切って見られるのだが。
# 物語
めちゃくちゃ仲の良い女の子ふたりが成長し、一人の男と三角関係のようになり、だが片方が身を引くかのように遠くに離れ、また再会し、愛し憎み合い…というような物語
# 清楚系の主人公
清楚系で顔が可愛い主人公。
# 自由奔放系の主人公
「ジャニス・ジョプリンは27歳で死んだ」「私もジャニスのように猛烈に生きて若くして死にたい」的なことを言う自由奔放。
果たして彼女は本当に27歳で死んでしまうのだろうか。死んでしまったのだろうか。
# 男
三角関係の中心人物。
# 女同士の友情とは
「女同士の友情には実は憎しみも含まれている」的なステレオタイプがある。
だがリアルな実例としても、そんな例を僕は複数知っている。
どこに行くにも二人一緒で仲良さそうに見える女性二人。だが実はお互いに複雑な感情を持っており、関係は見かけ通りではない、そんな心のうちを打ち明けられたことがある。
まあ全ての人間関係はそもそも複雑なものだろうとは思うものの。
見比べもお勧め
3週目でようやくの鑑賞となった本作、オリジナルであるデレク・ツァン監督の『ソウルメイト 七月と安生』は未見だったため、週末にU-NEXTで鑑賞してからの参戦です。
なお、本作は構造的にトリッキーな部分も見どころであるためネタバレは避けていきますが、先に言っておくとリメイクされた本作は大筋で改変はありません。だとすれば、前作を観た人にとって退屈かと言えば、いえいえきちんとアップデートされていますし、個人的には記憶に新しい分、より深く刺さりました。
出会い、別れ、再開、また別れ…の繰り返しは、常にお互いを意識し、想い、また嫉妬という愛憎織り交ざった関係性。一人の男性の出現が、二人の完全なる世界に揺さぶりをかけ、そして引き離します。それでも、年齢を重ねて現実を経験して思い悩みつつ、結局いつも考え行き着く先はお互いのこと。ただその反面、大人になっていくことで本心を隠してしまう二人の関係性は時に修復が難しくことさえあります。初見こそ、なかなか素直になれずにわだかまった二人の関係性を観てじりじりとしましたが、今回、その展開を知っているからこそ二人の想いがより理解出来て感慨深く、そのやるせなさに50台のオジサンでさえ胸が押しつぶされそうでした。
そしてまた、効果絶大なのが冒頭で現れる「彼女の存在を思わせるアイテム」が変わったこと。二人の関係性が最高潮の盛り上がりから不信を生む直前となるあの瞬間、「現在(いま)が永遠に続けば」を切り取ったようなそのアイテムは尊くもあり、更にはその後の展開を観続けた終盤、再び見るそのアイテムに落涙必至です。それもこれもミソ役を演じるキム・ダミの存在感ですね。あの表情はズルいです。
デレクのオリジナルである中国版とは、お国柄の違いやより前進した時代感も相まって、より同性間の友情以上の関係性がむしろ自然であって且つ、より共感できるアップデートとなっており、オジサンがこれだけ感じるのだから女性が観たら段違いに解るのだろうと思うと羨ましい限りです。是非とも、『ソウルメイト 七月と安生』との見比べもお勧めです。
ジャニス、ジム、ジミは永遠の27歳
難易度の高いシナリオ。
何が難しいか。
主人公の気持ちのプロット、
転換点を明快に観客に伝えるのが難しい。
有名なシナリオ指南書、
SAVE THE CATの法則には、
あてはめられないパターン。
有名なシナリオ指南書、
SAVE THE CATの法則には、
あてはめられないパターン。
(上記の法則は、ハリウッドメジャーの巨大市場用のシナリオ指南書なので、韓国映画、日本映画では通用しない。念の為)
あてはめられないパターンが、
旧法則を超えてるよー。
主人公2人の互いの感情の、
好き、だからこそ離れたい、
だけでなく、
影響し合っている性格、
人生観への深さの程度、
気持ちの察し方の、
2人の違い、等々を、
1カット1カット積み重ねていく。
このシーンで観客に伝える事は何か。
このカットで観客に感じてもらう事は何か。
芝居はもちろん、
撮り方、サイズ、
メイクはシンプルでいいか、
ほくろはここで見せておくか否か、
衣装はふさわしいか。
他に、例をあげると、
ホテルのルームメイクのシーン。
汗、ゴミ、どの程度イメージ的に脱臭するか、
リアリティが損なわれないか、
反対に、
リアリズムを求め過ぎて観客はひかないか等々。
キャスト、スタッフの作業の取捨選択試行錯誤は、
途方もない緻密な編み物をしているような毎日だっただろうと想像できる。
演出としては、
診断書、サイン、
きちんと描く。
観客に判断は任せます、
は、
方針をきっちり描いてからが、
大前提。
ほぼ満席だったのは、
ミソ、ハウンの噂が凄いんだろう。
台湾でエドワード・ヤンが、
『恐怖分子』
マイルド化されて、
香港で、
『ソウルメイト/七月と安生』
マイルド化されて、
韓国で、
『ソウルメイト』
私がミソでボビーがハウンなのか、
ハウンが私で、ミソがボビーなのか、
何度も入れ替えて考えてみる。
Freedom's just another word
for nothin' left to lose
And nothin' ain't worth nothin' but it's free
Feelin' good was easy, Lord,
when Bobby sang the blues
And buddy, that was good enough for me
Good enough for me and my Bobby McGee.
【蛇足】
法則に基づいてのシナリオ、
世界的スターをキャスティング、
巨大市場で荒稼ぎ。
旧型ビジネスモデルの転換期だ。
MCU、DCEU、ディズニーが、
首の皮一枚から、旧型で復活するか。
本作のような韓国作品、
スラダン、A24のような、
狭いマーケットを深く掘るか。
lalala lalalala~
2人の演技にやられてしまった
オリジナルは未視聴。
女性の友情物語ってなんでこんなに感動してしまうのだろう。男の友情を描いた話もたくさんあるし、名作もある。でも女性の友情を描いた作品により吸い寄せられてしまう。
本作に登場する2人の友情は小学生の時から始まるのだが、キム・ダミ演じるミソの母親がまぁひどい。それに引き換えチョン・ソニ演じるハンウの両親の優しいこと。姉妹同然に育った2人が成長するにつれ、すれ違う様が描かれる。この主演2人が素晴らしい。高校生の役のときはちゃんとあどけなさと大人になりかけている感じが出ているし、大人になってからも様々なつらいことを経験した憂いみたいなものを醸し出している。この両方を演じきれる女優はなかなかいない気がする。しかもキム・ダミは「魔女」のときの冷酷なモンスターな演技もできるって考えるとさらにその凄さが高まる。
恋する気持ちも混ざり合って2人の関係が気まずくなっていく流れが切なすぎるし、ややミステリー風だった最後もいい。友情というよりも家族のような関係性に感動してしまった。とてもいい映画だった。
それにしても男の側から観ると、ジヌよ、それでいいのか!と思ってしまう。お前がそもそもの原因だろう!と。女性の友情物語に登場する男はこう描かれがちだから仕方ないが、同じ男として苦しい気持ちになってしまう。
もう少し足りない
演出、シナリオ惜しい映画。なにかが足りない、シナリオがもう少し深く、人物設定がもう少し対象であった方が良かったのでは。
メイク、演技が良かったので17才から27才は素晴らしい。ありがちな制服で高校生やってました、私服が大人っぽくなりましたとか、誤魔化さない時代の経過としてはお手本のような映画。
成熟の拒否と融合
2023年。ミン・ヨングン監督。香港映画をリメイクした韓国映画。小学校で出会って親友となった二人の女性が異性との関係や人生に求めるものの違いによって離れ離れになり、すったもんだがありながらも、ともに生きる理想の世界を絵画の世界で実現するという話。
幼いころの充足した自由の日々(そのまま続けば世界放浪の旅へと続くはずだったもの)を、異性の侵入を機に、生活にかまけて、または、一歩踏み出す勇気がなくて、手放していくのだが、結末においては、芸術創作によって、二人だけの一心同体でまったき自由の世界をフィクショナルな形で回復していく、という展開。
子ども時代の幸福な世界は壊れていくばかりなのだが、その様子が具体的に描かれるのではなく、前提として説明なしに描かれている。異性関係も仕事関係も彼女らを成長させない。社会から学んだり社会を変えていったりするのではなく、崩壊していく元々あった楽園をいかに回復するかだけに焦点があたっている。主人公たちの絵画についての考え方や技術もまた、成熟するのではなく、二人の間で融合するだけだ。他者のいない世界の回復を切実に求める二人。現実には難しいだけに涙を誘う。
昔の良き思い出は何にも変え難いもの
ミソの自由奔放な性格と生き方に羨ましさを抱いていたハウン。ハウンはいつもミソの背中を見ていたんだよね、追いかけたかったんだよね。
ジヌと三人でレジャーに出かけた時自転車の後ろに座るハウンはバイクで追い越すミソを見ていたし、済州を出るフェリーに乗りかけるミソをギリギリまで追いかけたのもハウン。かつてミソが住んでいた部屋に越してくるハウン。
ミソはどこか生き急いでいるような感じで、そんな彼女をいつも追いかけているのがハウンだった。(泊まったホテルで、寝たふりをしたハウンがミソに背中を向けるシーンがあるが、それも結局その後、黙って部屋を出たミソをハウンが追いかけることになる。)
軽い仲の友達なら、正直ミソの言動はかなりハウンを傷つけているし、ハウンも何でミソのことが許せてしまうのか?と思ってしまうはず。でもそうならないのは、あの小さい頃の楽しかった幾つもの想い出や心通った瞬間がたくさんあったからではないだろうか。大人になって亀裂が生じても、昔のそれらが再び二人を引き寄せるのだと。
登場人物は多くないのでストーリーが追いやすい。10代後半〜20代前半の心の揺らぎやすさや衝動、喜怒哀楽を上手く表現していたと思う。
余談:
Netflixでドクタースランプを見ているのだが、お母さん役がなんと同じ。ドラマの方がコミカルでいい感じ。そして、お母さんの叔父さん役の人もなんとピアスの穴開け雑貨店主ではないか。この役者さんにまた出会えた〜!というのが韓国作品あるあるで、やめられないのよね。
見事な構成力
時間の流れを2時間にまとめられたのはすごい
青春時代の思春期っぽさが映像で感じられたし、島の綺麗な自然風景が映えていた。
ソウルと島など2人の対比がうまく描けていた
ただ、そこまで感情移入はできなかった。
死亡年齢とかある程度予想通りの展開ではあった。
ソウルメイト成分がちょっと足りない
元々オリジナル版の『ソウルメイト/七月と安生』が大好きで、今回のリメイクも楽しみにしていた。
オリジナル版の七月と安生が、それぞれ韓国版のハウンとミソだ。物語の大筋は双方ほぼ同じだ。
しかし正直なところ、オリジナル版を観た時ほど心を揺さぶられなかった。
なぜだろうと数日もやもやして、下記二つの理由に行き着いた。
1.運命力が足りない 二人の関係を「ソウルメイト」と位置づける理由と描写が不足していた
2.二人のコントラストが足りない 各々の個性が弱かった
オリジナル版でなぜあんなにも心を掻き乱されたのかというと、二人の関係がまさしく特別なものだからだ。
親友でも恋人でもライバルでもない、言葉では形容し難い二人だけの関係性を、オリジナル版は絶妙な匙加減で描き切っていた。
お風呂の中でこっそりと胸を見せあったり、相手のそばで排泄をしたり……七月と安生、二人の間で交わされるやりとりは、ただの親友同士では済まされず、決定的ではないが性的な親密ささえ感じられる。
なんというか、もし仮にどちらかが「一生そばにいてほしい」と本気で告白すれば、本当に一生涯を共にしまいそうな距離感だったのだ。
ところが韓国版のほうは、ハウンとミソが、互いの存在でしか互いを補完し合えない「ソウルメイト」たる描写が見受けられなかったように思う。韓国版の二人の関係は親友同士の枠を出ない。確かに仲はいいのだけれど、「ソウルメイト」と銘打たれるような、特別な、二人だけの親密さが感じられなかった。
キャラクターの個性も、オリジナル版には及ばなかったように思える。
七月と安生は何もかもが正反対だった。七月は保守的な価値観の一般家庭に生まれ育ち、地元の大学に進学。大学を卒業後は実家で暮らしながら銀行の、おそらく一般職として働いている。彼女の人生は、地方に生まれた優等生女子の既定路線そのものだ。彼女自身も映画の中で、自分の人生は終わりまで見通せると言っていた。
対する安生は幼い頃から母との関係が良くなかったことが伺える。自由奔放で勝ち気な彼女は、高校時代はライブハウスで働き、地元を離れてからは様々な男と付き合ったり別れたりしながら、職と土地を転々とする。
離れ離れになり、まったく違う道を歩みながら、けれど二人はずっとどこかで互いの人生に憧れていた。心の奥底で、七月は自由を欲し、安生は愛情を求めていた。やがて正反対だった二人の人生が、入れ替わるかのように交差する。だからこそ、七月と安生の関係は切っても切れない「ソウルメイト」なのだ。
オリジナル版の七月と安生と比べると、ハウンとミソは個性が弱く、キャラクターのコントラストがぼんやりとしているように感じた。
ハウンは合コンのようなものに参加するし、結婚前に実家を出るし、そこまで保守的な価値観の持ち主ではない。ハウンが選んだ教師の職も、女子率100%の地方銀行の一般職には保守度では及ばない。
ミソも暮らしこそ貧しいし職も転々とするわけだが、なにより絵を描き続けているわけだし、安生のように破れかぶれに生きているようには見えない。
二人のビジュアルからも、その対比の弱さは感じられる。
ハウンもミソも、私の目にはどちらも今時のオシャレな子のように見えた。
比べてオリジナル版の七月は可愛らしいけれどややぽっちゃり気味で野暮ったく、安生は目を惹かれるけれど痩せぎすで擦れている。各々の価値観の違いを、見事にビジュアルの面でも体現しているのだ。
また、ミソの「27歳で死にたい」は、大変重要なセリフだが、「27歳で死にたい」理由が弱く、ラストシーンではやや鼻白らんでしまった。
どうしてオリジナル版はこのセリフに説得力があったかというと、熱中できるものを何も持たず、他人の愛情に飢え続けている安生が、本気で「27歳で死んでしまいたい」と思っていたのがわかるからだ。
しかしミソはずっと絵描きになりたいという夢を持ち続けているのに、27歳で死にたいって、それでいいの!?と思ってしまった。しかもその理由がジャニスジョプリンが27歳で死んだからって……ジャニスのくだりは絵とは何も関係ないわけだし、いささか唐突すぎる気がした。
絵だったりブログだったりジャニスだったり、色々とモチーフを盛り込みすぎたせいで、結果あっさりとした印象で終わってしまった。二人の関係性の深みを描くのなら、これらのモチーフは不要だったように思う。
映像は私の目を滑っていくだけで、残念ながら心にまでは落ちてこなかった。
もちろん好みはある。オリジナル版の生々しさが苦手な人もいるだろう。
けれど韓国版を観て、私と同様にソウルメイト成分が足りない…!と感じた方はぜひオリジナル版『ソウルメイト/七月と安生』を観ることを強くオススメする。
『ソウルメイト』 鑑賞後にタイトルがしみる
知ってはいても、なかなか使わない(使えない)ソウルメイト、という言葉。
作品を見ると、ソウルメイトとはこういう関係、というのがとても感じられる。
どこか運命的に、世界につながっている関係。
性格は凸凹のようで、それがうまくはまる。
そんな二人が世の中に影響されて変わっていく中でも、お互いDNAの螺旋のように、お互い混じり合いときに離れても、進んでいく。
ふたりを温かい音楽が包み込むとともに、絵画も、映像もきれいでみとれてしまう。
いくつもある顔のアップにも耐えられる主演二人の存在感もさすがである。
韓国映画らしい、いくつもある伏線回収もおっとなる。
総じて満足感は高かったが、パンフレットのデザインは落ち着いてほしかった笑
委ねられる結末
コレを高度な脚本ととるか、本末転倒ととるか…それによって評価が変わりそうな作品ではあって…まるでラストが2つあるかのような本作だった。
途中までは、なんだかなだらかに進んでいってて、女性の清らかな友情とでも言うのだろうか?男性だと熱い友情とかになるのだけれど、女性だとなんか人肌感があって温かい感じがしてた。
勿論、紆余曲折があって、心が離れそうにもなるのだけれど「ソウルメイト」って題名に相応しい物語だったように思う。
魂が求め合う相手。
そんな事を主演2人の見つめ合う視線に感じてた。
なのだが。
なのだか…後半になって分岐が起こる。
ハウンが死んだ世界とハウンが生きている世界。
どちらか一方の世界は、子供の父親に向かって語られる架空の物語なのである。
どちらの世界観にしても腑に落ちない点が残される。
ハウンが死んだ世界ではミソの絵をミソが引き継ぎ完成する。ハウンが生きてる世界では、おそらくハウンが完成させたのであろう。
ミソがあのタッチを再現するには無理があり…ハウンが未だ旅の途中であるなら、4年強くらいの時間の経過が腑に落ちない。前半から描写されるハウンのブログを読み返すミソにも疑問が残る。
後半に至り、妙なサスペンスを突きつけられたような気分である。
ラストカットはバイカル湖に佇むハウンだ。
コレを心象風景ととるか、現実ととるか…何故にこんなラストになったのか謎である。
巧妙な脚本は韓国作品の強みであるものの…捻りが効きすぎてて意味が分からないってレベルにも感じる。
あのミソがトイレに突っ伏してる絵も、なぜアレを絵に残そうとしたのだろうか…写真は撮ってるはずもないだろうから、そん時の記憶を辿って書き上げたんだろう。ハウンの中にどんな衝動があったのだろう。
おそらく主軸である女性の友情は、どちらの世界でもブレる事はなく、どこまでも崇高で尊くは映るのだけれども…はてさてって感じだ。
俳優陣は皆様、素敵で…くすぐったい青春譚やドロッとする人間関係や恋愛のイザコザとか見所も見応えも申し分なく感じていたのだけれど…どうにも釈然としない根本的な謎だけが残ってしまった。
レビューを漁ったら、なんか答えにいきつくのかもしれない。
あと…あの絵はとても素敵で、柔らかく温かでポストカードとかあったら欲しいなぁと、キム・ダミのファンでもある俺なんかは思う。
毎回思うけど、韓国の俳優陣が演じわける時間経過には驚かされる。ちゃんと青春してるし、ちゃんと微笑ましい。
流石なのである。
◾️追記
レビューをつらつら読むに、ハウンが死んだ世界を現在とするレビューが多く、そりゃそうだわなとも思うのだけど…あのタッチを再現するミソへの疑問は拭えないなぁ。
ハウンが生きてるなら、あの絵を見つめるミソの眼差しが不可解だ。
旅に出てそのまま音信不通で、またきっと会えるよねって事なのかもしれなく、アレを書いたのはハウンで出展したのはミソで、どこかに居るハウンへのメッセージなのであるなら、まだ合点はいくか。
となると、どちらの世界も言葉足らずって事にもなり得る。…やっぱ根本的な意図に疑問が残る。
まぁ、逆に言うとその一点さえ飲み込めば切ない物語だと言えるのだろう。
全96件中、21~40件目を表示