Hereのレビュー・感想・評価
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ここで根を張り、繋がり合いながら生きる
ベルギーのバス・ドゥヴォス監督がブリュッセルに生きる移民系の人々の暮らしを独自の視点で優しく紡いだユニークな一作。主人公はルーマニア出身の建設労働者シュテファンと、中国系の植物学者シュシュだ。シュテファンは建設現場がバカンスに入るので帰省を検討中。冷蔵庫の中身を腐らせまいと、あるもの全部使ってスープをこしらえ、周囲の人々へお裾分け。一方のシュシュは専門分野であるコケの研究に余念がない。全く見ず知らずの二人。しかしひょんな偶然で出会いを交わし、徐々に接点を重ねていく。ルーペで覗く一つ一つの植物細胞の成長や連動や増殖と、人々が織りなす人間関係やコミュニティの生成や発展といったものがナチュラルにオーバーラップする。そんな各々の生態としての面白さが本作にはある。それ以上の余計な説明はなく、あくまで透明感ある風景、自然、そして個々の日常が静かな映像のハーモニーを奏でる、深呼吸のように心地よい作品だ。
何かが起きるかも知れないし、なにも起きないかも
ベルギーのポス・ドヴォス監督の『ゴースト・トロピック』が余りによかったので、同監督のもう一作を観ました。
ルーマニアからベルギーに出稼ぎに来てバケーションで国に帰ろうとする男と、恐らく中国系の移民で苔を研究する女性のお話です。『ゴースト・トロピック』が静かな流れに身を委ねる作品であるとすれば、本作は、ストーリーというものを更に削ぎ落し、立ち止まってひたすら耳を澄ますだけのお話でした。
街角で出会った二人がただすれ違うだけかも知れないし、何かの発展があるのかも知れません。そこは何も語られず、通りすがりの僕たちはただ耳を澄ますだけです。数少ない台詞の隙間から何かが聴こえてきます。
何て上品な映画でしょう。
苔の研究者と建設労働者の何気ない日常と、雑木林を散歩する話。
ベルギーに住む植物学者シュシュと建設労働者シュテファンの何気ない日常が、2人を取り巻く自然の風景と共に描かれる。
2人はレストランで出会う。といっても顔見知りになった程度だ。
シュテファンは雑木林を散歩していて、苔を観察してるシュシュと再会する。
彼女は苔の専門家で、苔はそれ自体が森であること、人類が滅んでも苔は残ることを教えてくれる。
この映画で描かれる雑木林は、穏やかな木洩れ日だ。 「パーフェクトデイズ」のキラキラしたものとは違った光だ。日差しが柔らかなせいかもしれない。
夕焼けも、のほほんとした黄色い夕焼けで、けっして目が覚めるような鮮やかなものではない。だけど、この作品によく合った、暖かい感じのものだと思った。
最後、なんか突然終わる。
残念ながら、僕には作品の良さや、監督の意図は分からない。だけど、僕は、映画の中の人物の日常生活や暮らしぶりを見てるのが大好きなので、飽きずにいつまでも見ていられる。
つまり、ストーリーは退屈で詰まらないけど、自分の好みには合っているから楽しめるということだ。だから、睡眠不足や疲れている時は爆睡である。今回は体調が良かったので最後まで眠らずに楽しめて良かった。
「パーフェクト デイズ」で寝た人には、更なる心地よい安眠をお約束する。
ミネストローネが飲みたくなる。
いつか、この作品の良さが分かって楽しめる日が来れば、それはそれで嬉しいが、そうならなくても別に構わないかなとも思う。
映像美 コケの研究者とミニロマン
Here
大阪十三にある映画館シアターセブンにて鑑賞2024年5月2日(木)
ベルギーの首都ブリュッセルの高層ビルの工事現場で働くシュテファン(シュテファン・ゴタ)、働く人の多くは移民でさまざまな人種でそれぞれの別の言語で話している。
帰りのバスでは、週明けから迎ええるバカンスの話に。
「いい休暇を」「それじゃあまた」一人はバスを降りていく。
シュテファンと同じバス停で降りたジョヴィアルはナボダリという海岸沿いの町の工場に移るという。軽口をたたきながら歩く二人。
ソファで眠っていたシュテファンは目を覚ます。シャワーを浴び身支度をする。
冷蔵庫を開けると「クソ」と一言。作り置きしていた惣菜が傷んでいた。にんじん、セロリ、トマトなど野菜を取り出し、大鍋でスープを作る。コンテナに詰め、作り置きをする。「ここが俺の家だ」と確認するようにつぶやく。
夕焼け、夜の街。友人のセドリックに会うシュテファン。
「不眠症か?」と冗談めかしく言われる。手土産はさきほど作ったスープ。「冷蔵庫の中を空にしないと」
閉店後のレストランで友人と語り合う。シュテファンは今朝あった電話の話を始める。疎遠になっていたルーマニアに住む幼馴染の母親から電話があって、刑務所にいる息子に会いにいってほしいと頼まれた。彼女と話しをしていたら、子供の頃の森や田舎の家、蛍をと構えたりバカをした記憶が蘇ってきたという。その幼馴染の名前はマリアン。
夜走る貨物列車を見る二人。「ヨーロッパ大陸を走った最初の列車はここに着いた」とセドリックが言う。
翌日、トラムで移動するシュテファン。ポケットの中にいろいろな種が入っていることに気が付く。
貨物列車、風に揺れる草。
視点が変わって女性の声、中国語で詩を朗読している声が聞こえる。
緑の木々、苔、美しい自然。鳥のなき声が響く
”私はここにいて 私はそこにいる
すべてが流動的で 万物との一体感に身を委ねた。
すると突然遠くから サイレンが聞こえ考えた”
声の主はシュシュ(リヨ・ゴン)という女性、顕微鏡を覗き「きれいな子ね」と呟く。
電話がかかってきて、7時におばさんに会う約束をする。
大学で講義をしているシュシュ。
温暖化によって変化する植生についての考察を発表する生徒を見守る。
帰り道、街の中でコンクリートの隙間に生えるコケを採取する。
冷蔵庫を開けるシュテファン。コンテナのスープをビニール袋に入れて外出。行先は近所の共同農園。畑には色とりどりの花が咲き、多様な植物が埋められている。
そこで農園主にポケットの中にあった種について尋ねる。「いろいろな種類の種ね、これは小麦だと思うけど、植えてみないと分からないわ。どこにあったの?」
「気が付いたらポケットの中に入っていました」一緒に農園を後にする二人。
次に向かったのはビルボールデ、修理に出していた車の様子を見に。シュテファンの車はボロボロだという修理工のミハイ。お土産のスープを渡すと火曜日だった納品が月曜日に短縮された。
温めたスープを近くの原っぱで楽しむ修理工の人々。評判は上々。
ミハイの体調を気に掛けるシュテファン。ミハイは先日手術を受けた時の全身麻酔の妙な感覚や、その数日後にみた奇妙な体験を語りだす。自分はベットで子供に囲まれていて、人がどんどん病室に入ってきて、全員知っている人で、そこにはシュテファンや彼の姉のアンカの姿もあって。そして音楽が流れてきて泣いたんだという。集まってくれたすべての人に感謝して。
しかしサンダが言うには病室に入ったのは私だけという。シュテファンは「みんなの気持ちがミハイの心に届いたんだ」と伝える。
ミハイは「お前が戻ったら8月にパーティをしよう」と話す。
遠雷、突如の大雨で中華料理店に入るシュテファン。シュシュがびしょ濡れで店内に入ってくる。おばさんと挨拶をかわし、濡れた髪を拭きながら、窓際の席に座っているシュテファンに気づく。「靴が濡れているわ。乾かそうか?」彼女は前にシュテファンと同じジェット地区に住んでいたという。そこに配達員がオーダー品のピックアップに来る「配達員はたいへんね」「濡れた靴じゃなおさら」
夜になり雨が上がり、姉のアンカに会いに行く。少しやつれている弟を心配するアンカ。シュテファンは家にいると寝てしまい、2、3時間寝たら上着を着て外出し、行ったところのない場所を歩き続けているという。そんな生活に疲れたと姉にもらす。話題は刑務所のマリオンの話に。驚くアンカ。若い頃好きだったらしい。一緒にスープを飲んで、アンカと話をしているうちに、シュテファンは眠ってしまう。
雨の降る森の中を彷徨う夢。
目覚めたシュテファン。アンカは子供を諭すように「明日は早く寝なさいよ」とシュテファンに言う。「アンカ、休みを延ばすかも」「つまり?「いつ戻るか分からない」
次の日、冷蔵庫の電源をオフにし、中身を整理するシュテファン。ゴミ出しに外に出てみると子供たちの声がして、姿を探す。
採取したコケを分類分けする作業。顕微鏡を覗くシュシュ、拡大される葉。美しく並ぶ細胞たち。
線路沿いの家で眠るシュテファン。
その夜、歩き回るシュテファンは急に闇の中へ入り込む。しばらくして出てくると、その両手には蛍の光が漏れていた。
月曜日、車を取にいく途中、シュシュと偶然出会う。彼女はコケ学者でコケを研究していて、ここで生えているコケの目録を作っているという。
「コケに注目する人は少ないけどれど、コケは生命力に溢れた小さな森なのよ。コケは最初の陸上生物なの。人類が滅亡しても残ると思う」
彼女の研究に興味を持つシュテファンは同行することにする。
草を棒で打ちながら進むシュテファンに少し嫌悪感を示すシュシュ。ヨーロッパの電車を最初の列車が着いた場所だとシュシュに教えるシュテファン。「初めて知った」
歩き続ける二人。地面に広がってりたり、垂直に立ったり、多種多様な形態で美しく光輝くコケたちの姿。
自分たちが送る生活のすぐ隣で、こんなに生命力あふれたコケを知るシュテファン。コケの胞子体を見つけるシュシュ。
「全部記録を取るの?」「毎日新しい発見があるから」
日が暮れてまた雨が降ってくる。
スープをつくり洗濯物を干すシュテファン。地下鉄、携帯を見るシュシュ。それぞれの日常を送っている二人。
シュシュはおばさんが経営している中華料理店へ行き、朝食を囲む二人。短髪、短パンの男(シュテファン)がスープを届けてくれたという。
うれししそうな彼女を見て、お母さんに連絡をと茶化すおばさん。「彼の名は?」
はっとするシュシュ
監督 バス・ドゥヴォス
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感想
なんといっても、映像の美しさです。自然の美は思わず吸い込まれそうな感覚になる。
コケ研究者のシュシュの世界観に魅了された男・シュテファン
シュテファンとシュシュは今後どうするの?付き合うのかどうするのか、はっきりさせなさいよ、と下世話なコメントをしたくなります!
美しい作品に出会えたことに感謝します。
うーん…イミフ…
かなり、観る側に委ねてますね。
監督のインタビューを読んだけど、観た人が自分で想像しながら観る映画が好みみたいです。
それは良しとしても、僕が興味ひかれる要素は何もなく…
『ゴースト・トロピック』は良かったけど、この作品は…
PS.メチャクチャ眠かったです(笑)
都会と森に降る雨、木々のざわめき、遠くと近くの音
冒頭、工事現場の遠景から始まり、しばらく場面は固定する。この時、遠くからの工事現場の音と、近くからの風や鳥の声、水音といった2種類の音が聞こえることに気付く。音が重層に聞こえることでイメージはより立体的になり映画世界がぐっと引き寄せられる。
映像と音響が映画にとって最も大事な要素であることは間違いない。だから終始、重層的な音響設計をしている時点でこの映画は非凡であると断定できる。
そして映像。16mmで撮影されている。シュテファンが寝ているシーンに電車の映像がかぶさるところ、ひょっとしてアナログなオーバーラップ編集をしているのかと思った。もちろんそんなことはなく、エンドクレジットを見ると2KデジタルへのスキャニングもしているしVFX処理もやっているのだが。でもそれを感じさせない柔らかく美しい映像である。シュテファンが同僚たちと草むらで持参のスープを食べるところ。一瞬、ピントがボケるようなところもあるし解像度は低いのだがかえって自然で光や温度、風まで感じ取ることができる。「PERFECT DAYS」の木漏れ日の映像が美しいと言っている人は是非観てほしい。あれがどれほど人工的な影像なのかわかるから。
そして雨のシーン。街なかで、森の中で、雨が降りそそぐ。これがまた美しい。
ドラマ自体はそれほど意味をもっているものではない。監督自身は祝祭的世界観とかいっているようだが。要するに苔を通して人間本来の生命力を表現しているということなのだろう。
てもその主題のためにも影像と音声が秀でていることが必要となる。
その意味では「オッペンハイマー」とこの映画はとても映画的な映画であるところは共通している。もちろんあちらはIMAXフィルムでこちらは16mmである。核兵器と種子島銃みたいなものだけど。
日常を切り取った静謐な作品
風景の映像が美しく、脳裏にやきついて離れない&ため息が出るほど素晴らしかった。
日常を切り取った男女の物語だが、出会いから苔を一緒に観察するシーン等、秀逸。
特に女性が靴紐を結び直した後、足元だけ映し出され、上半身は男女が何をしているのか
鑑賞者の想像に委ねられているあたり、実に巧みだと感じた。
コンパクトにまとまっているところもまた良し。
この監督の次回作がとても楽しみ。
日常からふとはみ出してしまった瞬間を新鮮に
ジャック&ベティにて、「Here」「ゴースト・トロピック」と連続鑑賞。
どちらも、しみじみと、ありふれた人生の、ふと訪れた場面の感情や機微を感じさせるような、繊細な語り口の映画。撮影や音響が素晴らしく良くて、感情に直接訴えかけてくる。
日常からふとはみ出してしまった瞬間を新鮮に描いているので、この手法でならばいくらでも撮れると思うが、次作ではなにかもう一歩踏み出すものが欲しいかな…
何とも不思議な映画
今年122本目(合計1,214本目/今月(2024年3月度)40本目)。
(前の作品 「オッペンハイマー」→この作品「Here」→次の作品「成功したオタク」)
何とも不思議な映画です。
ストーリーというストーリーを見出すことができず、フランス(ベルギー?ハンガリー)を舞台に、そこでの話と、そこでのミニ中華街というかいわゆる中華料理屋さんとの交流を描くという趣旨の映画です。
驚くほどセリフが少なく(セリフのない)描写が多め、細かい部分は個人の感性で見てねという趣旨の映画だと思います(最初は上記の事情があったので、いわゆる諸外国における外国人問題ほかの問題提起の映画と思ったのですが、そうでもないらしい)。
この作品を映画か?というと微妙ですが(ストーリー性がほぼない)、かといってじゃ何なんだという話になりますが、こういう作品もありかな…という気がします(しかし、なぜにこの作品をシアタス心斎橋はチョイスしたのだろう…。完全貸し切り状態…)。ただ、発言上不愉快にさせるような部分はないし人を選ぶかなといったところです。
上記のようにストーリー性を見出しにくいので積極的な感想や指摘点を書きにくい作品ではありますが、諸外国ではこういう作品も好まれているのかな…。かなり人を選びますが(80分ほどで一般料金2000円なので…)、好き好みを理解して見に行く分に関しては何ら問題はなかろうというところです。
採点に関しては特に気になる点まで見出せなかったのでフルスコアにしています。
画を
撮りたい人なんでしょうね、この作り手は。それも写真家のような。始めからカメラ遠いなーと思うし、ほとんど固定。都市周辺の自然、意外ときれいな感じでした。
苔の話という事で、遠いカメラと顕微的の対比を見せるかと思ったが肩透かし。
雨に濡れた女、色っぽいなぁ。
オープニング、エンディングクレジットちっちゃ!
手作りのスープ
なんだろう?テレンス・マリックの『ツリー・オブ・ライフ』やルー・リードの奥さんであるローリー・アンダーソンが撮った『ハート・オブ・ドッグ〜犬が教えてくれた人生の練習〜』を観た時と同じ雰囲気や感覚に近いお手上げ状態、続けて『ゴースト・トロピック』を鑑賞するのは断念しながらも観ないで終わるのもなぁ!?
上映時間も80分位で観やすいかと思ったが寝落ち寸前で断片的にしか憶えていない為体、監督の認識もなく浅野忠信目当てで観た『珈琲時光』も思い出す、面白くないとは言い辛い、つまらない、けれども嫌いではない、恋愛や友情でも人間ドラマとも違う、物語に説明がない苔映画、互いの名前も知らずに??
エンドクレジットが印象に残った
日常を淡々と描く系はどうも、面白くないわけではないが睡魔との戦いになりがちで苦手。 同時に観たゴースト・トロピックは深夜の街を徘徊する非日常感がよかったのだが。 蘚苔学者のおねえさんに中国系のひとを配しているのは、ややあざとい感じがする。
ただエンドクレジットの表示がユニークで面白かった。 役名と芸名(スタッフは職名と氏名)が改行なしでベタ打ちされた画面なのだが、最初は芸名・氏名の箇所が表示されていない虫喰い状態で映され、ひとりづつ名前が虫喰い箇所に出てくるという凝ったクレジット。
芝居のカーテンコールのようで、監督がスタッフひとりひとりを大事にしていうのかなと思いチョット気に入った。(ゴースト・トロピックもまったく同じ形式のエンドクレジットだった)
そこで終わるんかい!!
ゴーストトロピックよりある意味凄い!
普通はここから始まるだろう!って所で終わる。
斬新で衝撃的だった。
仕事が中断し長期の休みで実家に帰る男が冷蔵庫空にするために大量のスープを作って皆んなに配るうちに知り合った中国人の苔女。
風景インサート長い映画は人間も風景の一部だと捉えてるんだろうなといつも思う。
苔はプチブームです、苔リウムとか見てると時間までも封じ込まれた世界のミニチュアを感じます。美しい、たしかに小さなジャングルですな。
アベンジャーズの様な映画とこの様な映画が両方存在し評価される世界が豊かな世界なんだと思う。
幸せだなぁ。
サザレ石がイワオになって
目標を定めて一直線に進むのはある種の美徳(だったの)かも知れないが、そういうライフスタイルだと色んな面白い物を見落としてしまう、という当たり前といえば当たり前の事を丁寧に描いた一作。
ブリュッセルに住む男性、住まいを引き払って郷里に戻ろうと、友人らに...
ブリュッセルに住む男性、住まいを引き払って郷里に戻ろうと、友人らにスープを配って回り。
森の中を徒歩中に出会った女性:生物学者と、苔の観察に夢中になる様子。
映像の使い方が鮮やかで・・・
森の木々や、木漏れ日、朝焼けや夕陽の彩り、など。
何気ない散策路でも、丁寧に観察すれば気づくことはあるよと、教わったような印象をいだきました。
ささやかなるものたち
見過ごされそうなものに目をやり、価値を見い出すという、バス・ドゥボス監督の優しく温かい視点が表現されていました。
シュテファンという男性がとてもチャーミングに描かれているのも、この映画の魅力です。
いつも半ズボンなのは「もう仕事やめて自分の国に帰っちゃうもんね!」という気持ちの表れなのか、意固地なほど半ズボン(笑)
冷蔵庫の片付けでスープを作り、知人に挨拶がてら配って回るという人間力にも参りました。なんて可愛いのでしょう。
本来彼はこうして丁寧に人間関係を紡ぐ繊細さがあるにもかかわらず、厳しい労働ですり減って疲れてしまっているのですね。
笑みがこぼれる素敵なラストにも注目。ぜひ映画館で味わっていただきたい作品です。
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