コット、はじまりの夏のレビュー・感想・評価
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The Quiet Girl - 新生キャサリン・クリンチによる静謐ながらも繊細な心の機微を描いた感動作!
コット9歳が預けられる親戚夫婦の家。
コットの父親は典型的なクズ男、母親も出産を間近に控えているためコットの世話まで手が回らない。
で、親戚夫婦に預ける・・・と。
コットを預かる夫婦の奥様アイリンの無償の愛がグッときます。
また旦那のショーンの父親ともいえる愛情の注ぎ方に、心を鷲掴みにされました。
コットのセリフは少ないのですが、
話すと実に賢いと言いますか、知性が滲み出るんですよね。
それがユニークでもわり、ニヤっとしてしまうシーンも多々ありました。
一方で、ショーン・アイリン夫妻の細やかな気遣いが本当に心に沁みるんですよ。
そっとコットの目の前にお菓子を置いて去るショーン、
コットが傷つかぬようにと、新学期のCMをしているラジオを切るアイリン。
もういちいち感動しちゃうんですね。
ラストでコットが走るシーンも、劇中で何回も走るシーンとオーバーラップして
実に効いているなぁと思いました。
最後のセリフ「dad」は、ショーンに向けられているものと私は理解しました。
そう思うと、もうここで号泣です。
涙腺崩壊しました。
アイルランドの美しい景色、美しい画面の色味、自然音、
コットの色の白さも際立ちます。
いや〜猛烈に感動しました。
今年No.1かもしれないフェイバリット作品です。
The quiet boy
肥溜めに落ちたことあります。
あんたがぼやぼやしてるから落とされるンだよ。臭い。臭いよまったく。
Be quiet ❗
相当大きくなってからオネショも何度かしました。
親戚中に言い触らされました。マットレスのシミを見るたびに死にたくなりました。
Shut up ❗
子供は親を選べません。
コット、幸せになってね。
幸せを願ってやまない
あぁ、手を差し伸べられない辛さよ!
もう、近所に住むおじさん目線です。
不憫なことを知ってるけど何もできずに
ただ祈ることしかできない。
そんな気分で最初から最後までコットを
見守ってました。
愛情は子供にとっては「光」
育み、人生を照らすものになるのでしょう。
大人(親も含め)次第で子供は変わる。
牧歌的な風景とゆったりとした時間の流れの
中でともにゆったりとコットと親戚夫婦に
もたらされる変化が愛おしくてたまりません。
そして次第に見えてくる背景あっての今を
知るとさらに倍!です。
決してベタベタの話にするわけでもなく
1人の少女の夏休みの経験を淡々と描き
その中で変化する人々の気持ちや少女の成長を
丁寧にかつ見事に描き、そこから滲み出てくる
「愛」に震える我が心は、ラストシーンに
ただただ、コットの幸せ願うのです。
見事なラストシーンでした。
余韻半端ないです。
現時点でのベスト級の一本です。
親戚の家に預けられた少女のひと夏のお話
タイトル通りの映画で、ほとんどのシーンが田舎の普通の生活。
しかし、よーく見ると親が子供にほとんど関心がなかったり、学校で嫌がらせをされていたり、主人公のコットは不幸な人生を送っている。
地味な不幸さなのであまり感情が動かされなかったが、考えてみるとこの不幸は本人では変えられない事であり、好転する希望も見えない。
そのためにコットは無気力で無感情な子供になっていたように見える。
親戚の家で普通の生活をして、本来あるべき愛情に触れたコットは別れの際に走り出して、自分の気持ちで行動する。
ラストは観客の想像に任せる形で終わってしまったが、私個人としてはコットは自分の気持ちを伝えて、親戚の家に引き取られるのだと思う。
実の父親は厄介払いができてむしろ好都合だと考えそうだし、親戚の叔父さんも状況をよく理解していると思うから。
ラスト3分号泣 今年暫定1位
ラスト、このまま見送るのか、、と思ったら一気に走り出し夏の思い出が走馬灯で、、。
そして伯父さんに抱きつくコット。助手席の叔母さんは後ろ向きながら号泣。
実の父親が歩いてくるのが目に入りこれから待っている現実込みで言い放った「dad」、そして目の前にいる最愛の「dad」。
こんなん、泣かないほうが無理です。
走馬灯は全て美しいシーンで、特に好きなのは伯父さんが死んだ息子の部屋の窓から外を眺めるところ。
途中、伯父さんと海に行ったとき、「人は沈黙をすぐ放棄する」というセリフもすごく良かった。
夏は親戚ん家で。名作。観賞後に予告編を見ただけで感動がよみがえる。日本語タイトルが気に入っている。つけた人の感動と想いが伝わってくる気がする。【追記、再鑑賞した】
これから毎年夏休みをあの家で過ごせば全然ラッキーで、冬休みと春休みも行けばいい。うん、それがいい。 っていうかそれがベストじゃね?コットにも、親戚にも、家族にも。
パパがコットにもっと愛情を注げばいいと思うのだが、パパが心変わりすることは期待できそうにない。パパはムリでも学校が楽しくなったり、姉妹ともっと仲良くなったり、夢中になるものと出会うかもしれない。
主演の子はカワイイというより、ふつうに美人顔だと思った。
僕はこの映画の日本語タイトルが気に入っている。きっとこの日本語タイトルをつけた人はこの映画を見て感動し、コットがキンセラ夫妻と過ごしたこの夏からコットの新しい1歩が始まったんだという想いをタイトルにして 「コット、はじまりの夏」としたのだと思う。
ホントは締め切りに追われて、ああ時間がない、もうこんなんでいいや、なんて感じで付けてたら笑える。
◆脚本と監督の演出が素晴らしいということについて
夏休み、あの家でキンセラ夫妻の愛情に包まれて過ごした日々がコットを変えていく。きっと自分は愛されてもいいんだという自己肯定感が芽生え、心が動き出し生まれ変わったように新しい1歩を踏み出したコット。しかし、その変化はわずかだ。コットはもの静かだし、夫妻も口数が少ない。、コットのわずかな変化は見逃してしまいそうになる。僕にその微妙な変化を気付かせてくれるのは、ひとえに脚本と監督の演出の賜物だ。自慢じゃないが、僕はこの映画に限らず人の心の機微みたいのを見逃すことには自信がある。観賞後に他の人のレビューを見て自分の鈍さとアホさに感心することが頻繁にある。最近 特に感性が鋭く繊細になったとも思えない。そんな僕が気付くのだから監督と脚本の力に他ならない。
【追記】2024(令6)/4/26(金) 再鑑賞
新宿のシネマカリテでまだやってたので再鑑賞した。とくにワクワク、ドキドキしたりするようなことが起こらない静かで穏やかな映画なので、退屈だと云えば退屈である。だけどそれを全部見ておかないと最後の感動が得られない。睡眠不足で見ると絶対に寝てしまうのが分かっていたので体調を整えていった。
原題は 「An Cailin Ciuin」 (ゲール語 物静かな少女)で、英語版のタイトルは「The Quiet Girl」。
今日はこのあと「ゴジラ X コング」を見たのだが、「コット」を見たせっかくの感動も吹き飛ぶ怪獣プロレス映画。 「コット」 を見た日は、そのあと特別なことや激しい運動などせずに、ミルクティでも飲んで穏やかに過ごしたほうがいいと思った。買い物とか軽い運動ていどにとどめる。「ゴジラXコング」は面白かった。
キャサリン・クリンチさんの素晴らしい演技
父親がろくでなしのせいで貧しくギスギスした家庭の物静かな娘。学校に親しい友達もなく、家にも居場所がない。そんな娘が知らない親戚のうちに預けられる心細さ、親戚夫婦に大切にされるうちに段々と生きる喜びを実感していくさま、そんな心のうちがありありと伝わってくる素晴らしい演技でした。
琴線に触れる描写だったが
孤独な少女が生まれて初めて経験する温かい家庭の穏やかな人間関係の中で、徐々に自らの人生に前向きになっていく姿は琴線に触れる描写だった。
ただ、観る者の判断に任せようとするラストシーンは私の趣味には合わなかった。
牛を賭けずに道をかけろ。牛を賭けずに道をかけろ!
やや育ちの悪い少女が親戚の家に預けられる話。
少女や周りにおける優しさや悲しさ、弱さを感じられる作品。
良い点
・マカロン
・人が粉ミルクを飲めばよい
・走り
・日本語版タイトル
悪い点
・普通に受動喫煙
・回想の使いまわし感が否めない
・良くも悪くも区切りで終わる
王道なのだがいいなぁ
日曜日にいつもの映画館②で
割と入っていて7割くらいが女性だった
この映画館は3月いっぱいで閉館だと
シネアートから続いてきた駅東口のアート系単館がなくなるのは寂しい
妻との初デートはシネアート 17歳のカルテ
過去のオラよ なぜそれを選んだ
なんかシラフでいけなくて缶ビール2本引っかけてから行ったんだった
懐かしい
で映画
たまたま休暇を取っていた平日のNHK朝番組で紹介されていた
もう1本紹介されていた落下の解剖学の方に興味があったが
こちらが先の上映 あらすじを読んでグッときた
正解 よかった
時代はいつ頃の話だろう 携帯電話とかSNSが出てこないことや
車の感じから1970年くらいの話かと
アイルランドが舞台かと思ったが言葉は英語ではないのか
ちょっとした違和感 いわゆる伏線を後追いで
しかもいいタイミングで回収してくれるのが心地よい
・預けられた家には子どもがいないのか
・オジさんの激怒
・壁紙の柄
・シャツの右前
最初は主人公との距離感を測りかねてぶっきらぼうなオジさん
だんだん心を通わせる 王道なのだがいいなぁ
ラストシーンは落涙スレスレ 2回のDADというセリフ
よく分からないままの部分もあるがまぁそれはそれでよいかと
・隣の席の子の牛乳を飲もうとする
・オヤジが途中で乗せた女性は誰だっけ
ラスト前のエピソードは心底心配 よかった~
いい映画だった 次は落下の解剖学だな
アイルランド版トットちゃん
書かなきゃ書かなきゃと思い、ずるずると今日になってしまった本作_。
こんなに思いが込み上げてきた作品は今年初かもしれない。
チグハグな会話。苦手な音読。
コットが「はぐれ者である」という象徴で出てくるミルク。
アルコールを飲んでから少しだけ大人になるコット。
彼女にとってキンセラ家で過ごした夏は間違いなく「はじまり」だった。
トットちゃんと同様で、「彼女たちの個性を受け入れ愛情込めて向き合ってくれる」そんな大人の重要性を気付かせてくれた作品でした。多くの人にぜひ見てほしい。(YouTubeで詳しく話してます...そちらもぜひ☺︎)
【大家族、学校でも居場所の無い口数の少ない少女が一夏を、親戚夫妻と過ごすことで、自分の心を解放していく様を静的トーンで描き出した作品。ラスト、少女が農場を去る親戚夫婦を追い掛けるシーンは沁みます。】
■1981年の夏、アイルランドの郊外の町で暮らす9歳のコット(キャサリン・クリンチ)は出産を控えた母親の負担を軽くするため、父のダン(マイケル・パトリック)に連れられショーン(アンドリュー・ベネット)とアイリン(キャリー・クロウ)夫妻の家で暮らすことになる。
◆感想
・序盤から静的トーンで物語は進むが、コットに笑顔はない。家庭でも学校でも居場所がなく、父ダンからはツッケンドンに接せられ、そのせいか、夜尿症も・・。
ー コットを演じたキャサリン・クリンチの幼いながらも端正な笑顔無き表情が、切ない。-
・ショーンとアイリン夫妻の家に着き、特にアイリンは優しく彼女に接する。
夜尿をしたときにも、叱ることなく、優しく風呂に入れ足の指まで丁寧に洗ってくれ、丁寧に髪を梳いて貰ったり。
・ショーンもぶっきら棒ながら、言葉の裏に隠された優しさを示す。
ー 何気なく、コットの横にスコーンを置いて上げたり、郵便受けまでコットを走らせ郵便物を取って貰う。長い脚のコットは足も速くショーンは”凄いぞ!前より10秒も早くなった。”と褒めてあげるのである。少し誇らしげなコットの表情。
更に、コットのために新しい服を買いに町に連れて行くのである。ー
■その後、親戚の老人が亡くなった時に葬儀に参列した後に噂好きのオバサンとコットが帰る時に知った事実。
それは、ショーンとアイリンの息子が犬を追い掛けている時に、肥溜めに落ち亡くなっていた事。アイリンの髪が一晩で白髪になった事。
・夏休みの終わりが近づき、コットはいつもはアイリンと汲みに行く水汲み場に一人で行くが、バランスを崩し・・。アイリンがコットが居ない事に気付き、走って来てずぶ濡れのコットを抱きかかえる姿。
ー 彼女が、如何にコットを愛しているかが、良く分かるシーンである。-
■故に、風邪を引いてしまったコット。家に帰る日を少し遅らせて、看病するアイリン。だが、家に帰る日はやって来て・・。
家に着くと、母と生まれた幼子が居るが、父はいない。(普通は帰りを待っているだろう!)父は酒を呑んで戻って来て、コットに対しては相変わらずツッケンドンな態度。
そして、ショーンとアイリンが車で帰るシーン。
コットは郵便受けまで走った時のように、長い脚で二人を追い掛けて走り、気づいて車から降りて来たショーンに抱き付くのである。
助手席では、アイリンが涙を流している・・。
<今作は、大家族、学校でも居場所の無い口数の少なかった少女が一夏を、親戚夫妻と過ごすことで、自分の心を解放していく様を静的トーンで描き出した作品である。
彼女は、ショーンとアイリンと一夏を過ごした事で、成長した事が切ないラストシーンで鮮やかに記された作品でもある。>
<2024年3月2日 刈谷日劇にて鑑賞>
マイペースの静かな少女が、自分の意志で歩き、やがて走り出すようになるまでの一夏の体験のお話。観ている内この少女を応援したくなく気持ちが心の中に芽生えてくる、そんな作品です。
ポスターから受けた爽やかな印象が頭にありまして
作品紹介を読んだところ、親戚の家に預けられた少女の
ひと夏の物語。 うーん。気になるかも。
というわけで鑑賞したのですが … ・_・
何とも不思議な味わいの作品だったかと。・-・ハイ
家庭の事情で夏の間、知り合いの家に預けられること
になった一人の少女のお話 です。
少女の名前はコット。9才。
人より飲み込みが遅く あら
行動もワンテンポ遅く あらら
自分の世界に浸ることが好きな少女。…ふむ。
自分に自信が無くて
周囲の目を気にして
父の声に怯えるように
姉の蔑みの視線を浴び
オドオドしながら暮らしている。
コットはそんな女の子。 …うーん。
親戚夫婦の家での生活が始まった。
夜にトイレに行けずに漏らしてしまったり
牧場の牛をおっかなびっくりお世話したり
水汲みに行った先の泉に落ちてしまったり
失敗するコットを、親戚夫婦は叱らない。
落ち着いて自分の行動が出来るようになり
借りた子供服が男の子用だと気がついたり
離れたポストまで郵便物を取りに行ったり
オドオドした女の子が、次第に変わっていく。
顔にも表情が現れるようになっていく。
ゆっくりと、心が育っていくコット。
その姿を見ている内、次第に観ている側の心にも
ゆっくりと愛おしさが増えていく感じがした。
◇
帰宅してからの事。ふと
"窓際のトットちゃん" が思い浮かんだ。
性格は、似ていない。
全く と言って良いほど似ていない。 ・-・;;
けれど
” もしも ” の世界として
トットちゃんにあれだけの行動力が無かったなら
トットちゃんの両親が別の夫婦だったなら
トモエ学園に通っていなかったなら…
この作品のコットは、もう一人のトットちゃんの姿なの
かもしれないなぁ と、そんな風に感じてならない。
◇
人生の中で、転機になるコトが誰にでもどこかにある。
コットにも転機が訪れる。
本人が転機と思ったかどうかは分からない。
けれども、親戚夫婦に預けられた一夏の体験は
この少女に足りなかったモノを埋めてくれた。
愛情を受けること。
行動すること。
周りの人をを知ること。
知ろうとすること。
夏休みが終わり、家に戻る日。
送り届けられ、立ち去ろうとする親戚の夫婦を
走って追いかけ、しがみつくコット。
” ありがとう ”
” 帰らないで ”
” 連れてって ”
その姿が健気で愛おしい。
少しだけども、確かに
成長したコットの姿がそこにあった。
そう思えるラストシーンだった。
鑑賞後にじわじわと、暖かい気持ちが広がっていく
そんな作品だったかと思います。
※年齢を重ねた人ほど、優しい気持ちで観られる
作品なのかも。そんな風にも感じます。・-・
◇あれこれ
■タイトル
原題 An Cailin Ciuin (訳:静かな少女) ※google翻訳先生
邦題 コット、始まりの夏
どちらにも味わい深さが感じられる気がします。・_・♪
■ヒロインの子
9才の子にしては少し大きい気がしたのですが
実年齢は12才なのですね。なるほど。
今作での役がとても大人しい主人公だったので、次はもっと
違った作品での演技も観てみたいです。
■同じような状況を描いた作品
70年代ころの漫画に、似たような雰囲気の作品があったような
気がしているのですが、思い出せません。・_・; ウーン
少女漫画だったかなぁ…。モヤモヤしてます。
◇最後に
預け先から戻る日。
面倒見てくれた夫婦の車を全力で追いかけたコット。
私道からの出口の扉のところで追いつき
おじさんの首にしがみつく。
そしてさらに,コットを追いかけてきた父。
コットを持て余しているような態度があからさまだった
人物なのだが、どんな心境の変化があったのだろうか
ラストの後、コットと彼女を取りまく人達の人生が
どのように変化していくのだろうか。
この登場人物たちのその後をあれこれと想像しています。
◇だそく
※ ラストシーンで追いかけてきたコットとおじさんの会話
” 行ってしまうの? ”
” …うん コワーイおじさんが追いかけてきたからね ”
” 私を連れていって。牛の世話はまだ出来ないけど、きっと覚えます ”
” バカなこと言ってんじゃないよ クラ… いや コット ”
…。
だから蛇足だと…。
すいません。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
雑多な世に居場所を求める魂が震える名作
この映画は、観客に徐々にコットの人物像を想像させながら、彼女の世界に好奇心を引き出していく素晴らしい展開があります。
物語の冒頭で、コットが家出してベッド下に隠れた際、マットレスのおねしょの跡がうっすらと見える描写に、監督の手法の優れたものを感じました。
静かで寡黙な主人公が、環境が変わることで原石のダイヤモンドのように輝く姿を描くことで、観客は彼女の内面に共感を覚えるでしょう。言葉以上に多くの感情が存在し、それが静寂の中で語られることがあります。コットの大家族や親戚のキンセラ家との夏休みは、静かながらも心を揺さぶるものでした。
のとやがな農場で過ごす時間は、若い男の子を失ったアイリンとショーンの温かな愛情が重要な要素となり、お互いの心を開き、心の空白を埋め合い、生きる喜びを共有します。この映画は、家族の付き合いにつまづく人々に日常の尊さを教えてくれるものです。
監督のコルム・バレードは、アイルランドの田舎町を繊細に描写し、自然な風景を美しい撮影技法で表現しています。特に、コットが井戸水を汲むシーンは、おぼれる緊張感を伴いながらも無事である結果を伝える脚本はうまく、エンディングでは涙が溢れました。静かな雰囲気の中、胸が熱くなります。
物語にはアイルランドらしい哀愁が漂い、感情が収まらなくなります。
この家には秘密は無いの
先日、館の設備点検日に当たり休館で観られなかった「コット、はじまりの夏」をシネマカリテで。
父親はギャンブル好きで、牛さえ賭けで失ってしまい子沢山で生活は苦しい。
両親や姉達からも疎まれている寡黙な少女
コットが母親の出産(何人目、6人?)までの間、親族のショーンとアイリン夫婦に預けられる。(口減らし?)父親はコットを預けるとさっさとコットの衣類の入った鞄さえ降ろさずに帰ってしまう。
アイリンは優しくコットに接するが、ショーンはどことなくよそよそしい。最初は戸惑うコットも二人の優しさに触れて心を開いていく。しかし、牛舎の掃除をしている間に行方が判らなくなったコットをショーンは激しく𠮟る。それにはある理由があった。近所の葬儀の帰りに、近隣の余計なお世話のオバサンからその理由を知らされる。
母親の出産も終わり、夏休みも終わるのでコットは家に返される。相変わらずコットに冷たい空気が流れる中、帰ろうとする二人を追ってコットは走る。そして、…。
ドアの外側に固定されたカメラで室内を撮る、水面のリフレクションを利用するなどちょっと変わったアングルでのショットが見られる。派手な音楽もなく、農家の静かな生活を映し出していた。
静かな映画だった。涙のラストの後で、コットが心静かな生活を得られていたらいいな。
余談 いつも言ってる事だけど、アカデミー賞は受賞作より候補作(ノミネート候補含む)の方が心に残る作品が多い。
本作も第95回アカデミー賞国際長編映画賞候補作である。
光が3つに
粗暴な父と何となく陰気な母と暮らす9歳のコットが、母の妊娠を機に預けられた親戚宅で過ごす一夏の物語。
物静かであまり幸せそうに見えないコット。優しく出迎えてくれるアイリンに対し、どこか冷めた様子のショーン。秘密は無い、と語るこの家には実はある出来事があり…。
あまり言葉数の多くない作品ですが、穏やかな木漏れ日と美しい景観が語りかけてくるような雰囲気。コットの髪を縫いながら数える優しい空気は、胸にスッとそよ風が吹く感じですね。
一緒に時を過ごす中で、不器用ながらもコットと近づくショーンの姿は素敵だし、本当の家族になっていくようですね。
コットはコットで、事がわかってからは子どもながらに夫婦を気遣っている感じ。自分自身もそうですが、やはり夫婦仲が良いことって子供にとって大切ですね。フラッシュバックでも特に印象的だった。
ラストはシンプルと言えばそうですが、泣ける展開ですね。その言葉はどちらに向けられたものか…そんなことを考えながらの幕引きとなりました。ショーンとアイリンにとっても、何かが変わるきっかけになったように思います。
とても良い作品でしたが、強いて言えばうちの子と遊ばせておくと言って預けられたものの、家に着いて座る間もなくショーンが迎えに来たのにはちょっと笑いそうに…預ける必要ないじゃん(笑)
まぁ道中の会話シーンが重要なわけであって、そこはどうでも良いのですが。
特に大きな出来事が起こるわけではないし、先の展開も読める部分が多いけど、素直にとても素敵な作品だった。
丁寧に作られたよい映画
丁寧さを感じるよい映画だったと思う。
ひと夏の少女の心の微妙な成長。そこだけに集中して、音楽、ちょとしたしぐさや間合いの取り方に至るまで、繊細に配慮され全体のバランスもいいので、何も気にせず安心して没頭できる。内容は素朴だし、写実に集中するクセ?も少し感じるけれど、わたしには個性的でいいと思え、おいしいご馳走を味わうみたいに楽しんで鑑賞できた。
走るシーンは感動のラストシーンとつながる。まずはできそうなことをはじめてみる。その一歩を踏み出す。誰かがそれを見てくれている。自分に関心を持ってくれているということの大切さ。
夜の海岸に入っていくシーンもさりげないが、いい。暗い道と海の重い迫力。それは人生の重い側面…。そこでのおじさんの飾らない言葉。わざわざコットをそこに連れて行った。おじさんの思い。
すごくピンポイント的に、コットに夫婦の過去の出来事を無遠慮にベラベラしゃべったオバサンも、そのビミョー具合がなかなかよかった。
コット役はもちろんすばらしかった。
終わるとき彼女の映像とサヨナラするのが残念だった。
おねしょ
こんなの、泣くに決まってるだろー(´;ω;`)ブワッ!!
今日の天気と一緒で、降水確率100%ですよ🌧️
設定が1981年の夏休みで、主人公が9歳、ほぼ自分と一緒 、「北の国から」放送開始時の純と蛍の世代ですよ〜⛄
自分が9歳の夏休みなんて、任天堂のゲームウォッチ片手に近所の公園で一日中友達と野球三昧ですよ⚾
帰宅してからも、巨人ファンの父親はビールを飲みTVでナイター観戦しながらの家族団欒、今考えると幸せな瞬間 アッノ!、コロハッ!ハッ!
それに引き換え、コットの家は…
そして、あのオシャベリ クソババアのシーンからもう涙腺崩壊(´;ω;`)
ラストに向かって劇場の観客の心は自分も含め1つの願いに🌠
もう、「北の国から」17話の蛍といしだあゆみのあの電車シーン級の号泣展開! カモーン❗デスヨ
ただ、この監督は終始抑えた演出なので、あざと過ぎないラストに劇場はすすり泣きの声が…キタ~😭
駅からの帰り道、余韻に浸りつつ歩きながらも、いつの間にか「明日の朝、何食べよ⁉」「自転車、玄関に入れなきゃ」と徐々に日常に戻っていき…、「オッサン、はじまらない冬 ’24」デシタ~ オワリ! ナンダソリャ( ゚д゚)
コットの魅力にやられました。
コットが魅力的なのね。
見守りたくなるのよ。
優しい気持ちになれるのよ。
派手さもなく淡々と進むし、
言葉も聞き取れなかったので、
勝手に北欧のお話かなと思って、
ひっそり心に残っている作品「わたしの叔父さん」を
思い出したりしていたら、舞台はアイルランドでした。
親戚の叔母さんが登場したとき、
大草原の小さな家のお母さんのような
全てを包みこむような深い愛を感じ、
素っ気ない態度の叔父さんからは、
赤毛のアンのマシューのような素朴な愛を感じ、
息子を失った悲しみを抱えつつも、
前に進むべく生きている2人がとても素敵で、
彼らの適度な距離を保ちつつ注ぐコットへの愛が優しくて…
それを受けて、成長していく彼女を見るのが嬉しくて…
自分の意思で駆け出したコットの未来が
温かい愛に包まれていくことを願うばかりです。
全138件中、21~40件目を表示