コット、はじまりの夏のレビュー・感想・評価
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素朴な中に煌めきがある。思い返すだけで涙ぐんでしまう
言うなればこれは素朴な物語だ。大家族の家長はギャンブルにうつつを抜かし、人に対する態度も最低。彼自身、己に愛想が尽きて、もはや開き直っているようにも見える。そんな多難な家庭に育った物静かな少女コットが、母の出産までの間、親戚夫婦の世話になることに・・・。きっと多くの観客は親戚夫妻を目にする瞬間、外見にほとばしる優しさと慈愛に心底ホッとし、ここからは人間の正の部分に目を向けた温かいドラマが始まっていくのだと予感するはず。現に夫婦とコットは次第に打ち解けあい、少しの言葉や表情だけで多くのものを察しあえるほどの愛情で結ばれていく。その過程を美しく彩る風土。光の角度。和解のお菓子。ポストまでのダッシューーー。やがて明らかになる過去も含め、本作は登場人物の内面を決しておざなりにせず、繊細に大切に描写を重ね、観る者の胸にジワッと感情を染み渡らせていく力がある。心のこもった贈り物のような素晴らしい作品。
寡黙な少女の目を通して描く家族とは、親子とは
1981年の夏、アイルランドの田舎町。育児放棄した両親の下で育った内気な少女、コットが、母親の妊娠を機に親戚の家に預けられることになる。コットを出迎えたのは子供がいないキンセラ夫妻。妻のアイリーンはケイトの髪を慈しむように櫛でとかし、夫のショーンは不器用ながらもコットと打ち解けようとしているのがよく分かる。
静かな農場、井戸、乳搾りetc、一夏、キンセラ夫妻と穏やかな時を過ごすうち、コットは初めて家族の温かみを体全体で味わうことになる。コットを演じるキャサリン・クリンチが瑞々しくて、少女の世界に自然に引き込まれていく。
なぜ、キンセラ夫妻はそこまでコットを可愛がるのか?夫妻の秘密とケイトの両親との対比によって、ままならない家族の有り様が浮かび上がる。ほとんど言葉を喋らないコットがそれに気づき、言葉にならない言葉を心の中で呟く時、誰もが涙を流すことだろう。
繊細さが全編に詰まったような本作は、主にドキュメンタリー映画をメインに子供の視点で家族の絆を描いてきたアイルランド人の監督、コルム・バレード。セリフの大部分がアイルランド語なのは、監督の実家では英語とアイルランド語が使われていたせい。コットに合わせて映画全体が静かなせいか、アイルランド語の響きが観終わってしばらく耳から離れない。
愛のお話
現在にも通ずる、普遍的なテーマが描かれていたと思う。
コットの実の家族は、彼女を愛していないわけではなかった。だけど、子供は、それだけで健やかに成長するわけではないのだろう。
実際、実の家族による不誠実さやネグレクトは、コットの学習能力の発達を遅らせ、気力を失わせていた。
コットが預けられた先での生活は、実の家族との生活とは違っていた。彼らは、質素だけど堅実に働いていて、相手を思いやり、穏やかに生活していた。
コットは、身体を洗い、髪を丁寧にとかれ、心を労られた。お菓子をもらい、文字の読み方を教わり、足の速さをほめられた。
そんなふうに、愛は育まれるのではないかと思った。
親ガチャ物語
「親ガチャ」最近で1番嫌な言葉
使いたくない言葉ナンバーワンなのに
分かりやすく使っちゃうあたし(嫌な人)
アイルランドの言語が英語じゃないんだね
え?と思っちゃった
最近英語が聞こえるようになってきて
映画を見る楽しみでもあったけど
…そんなことはどうでもいい
純粋に作品を味わった
子を亡くした夫婦の愛情深さをかみしめた
この家には秘密はないわ
とコットの精神が安定した頃
最大の秘密を知ってしまう
そこからの危うさが映画的に仕上がっている
あまりセリフのないコットがよく演技してて
農場や牛やルバーブの香りがした
静かで美しい物語
家族の中で孤独な少女が、一夏親戚の家に預けられ、自分の居場所を見付ける物語。すごく静かな映画。
アイルランドの美しい映像がとてもいいです。最後別れのシーンはグッときます。本当は親戚に引き取ってもらえたらよかったけど、現実的にそうもいきませんよね。。切ない。
でもきっとこの経験が少女の支えになってくれると思います。
良質な読書をして癒されたような気持ちになりました。
居場所
パンフレットにあったコルム・バレード監督のインタビューに、「ミツバチのささやき」(73)に触れている部分があって、さもありなんという気がしました。直接影響を受けたり、意識していたということではないそうですが、映像の質感や叙情的な雰囲気、そして大人になる前の少女の視点で描かれているところなどに相通ずるものが感じられました。「ミツバチのささやき」や「エル・スール」(82)のように、どのシーンも絵的に美しく、説明は最小限に留め、余白を想像にゆだねるカット割りがとても印象的でした。キャスティングもよかったですね。とりわけコット役のキャサリン・クリンチは、本作が映画デビューという等身大の初々しさが唯一無二の作品を生んだように思えました。似たような物語はたくさん観たことがあると思いますが、この絶妙なバランス感覚の心地よさは、なかなか出会えない貴重なものだと思います。オープニングの「え、何なの、この話は?」と引き込まれる感じから、エンディングの胸の奥に落ちてくる深い感動まで、本当に幸せな映画時間でした。ちなみに、パンフレットの仕上がりもとてもいいもので、作品をより深く知ることができました。
正直眠かった...
セリフが少なく、日々が流れていくように静かに穏やかに進んでいく...そして誘われる眠気...
櫛で丁寧に髪をとかしてもらうシーン、シェーンとの実の親子のような関わり、最後の走り出すシーンと抱擁、うるっと来るシーンはあった。
大人たちの、ありのままの姿が生々しくそのまま映っていて、それは子どもの視点からみるので少ししんどい所もあった。
全然内容を見ずに映画館にみにいって、「はじまりの夏」で季節的にもちょうどいいかななんて思っていたけど、スッキリ爽やかな感じの映画ではなかったかな〜
たった、数ヶ月
その数ヶ月に、夫婦は亡き人を思い出し、
コットは優しさを知る。
あの夫婦が絶妙で、
過剰に優しいわけでもなければ、
変にコットにしつけをするわけでもない。
ただ、それぞれがそれぞれのやり方で、
その人物と接したり、過ごしたりする。
その中で、互いの暗い部分が見えたりし、
暮らしの中で静かにそれを見つめ合う。
クッキーを思い出すだけでほかほかしてくるし、
ラストシーンはずるいずるいと思いつつも、
泣いてしまった。
疾走シーンに魅せられる
ギャンブルにうつつを抜かし、コットに辛くあたる父親。それを見て見ぬ振りの姉たち。学校でも先生から見放され友達もいない様子。一種の諦観を感じさせるコットの暗い目。映画は序盤から彼女の孤独と、なぜ寡黙にならざるを得なかったのか、その背景を丁寧に描き出す。それが親戚夫妻に預けられ境遇が一変するわけだが、必要以上の説明はしない。髪を梳き、熱い風呂に入れ、着替えを出してあげる。そうしたちょっとした行為からコットに注ぐ愛情の深さが感じられる。
最初戸惑っていたコットのその後の行動も然り。アイリンと共に井戸へ水を汲みに行く。その途中の青々とした草原。水面に映し出される二人の姿。ヴェンダースの「PERFECT DAYS」を彷彿させる美しい木漏れ日。これらの瑞々しい自然描写が、言葉以上に彼女の心の平穏を伝えてゆく。
一方、夫のショーン。最初無愛想だった彼が、さり気なくテーブルに置いたお菓子(食事のシーンが多いが、食卓のカットやこうした小道具の使い方は小津的)をきっかけに心を通わせ始める。二人して黙々と牛小屋を掃除したり、郵便箱までダッシュさせてタイムを計ったりする様は、実の親子のようで微笑ましい。特に「何も言わなくていい。沈黙は悪くない」という言葉は印象的。この言葉によってコットは人格を肯定され、初めて自分自身の“声”が持てたのだろう。だからこそ、ラストのあのひと言が強く観客の心に突き刺さるのである。
しかしながら、その後どうなるのかは我々の想像に委ねられる。余韻あるエンディングだ。また、コットを演じたキャサリン・クリンチが良い。透明感溢れる演技で、少女の覚醒と成長を表現していた。シンプルだが静謐な感動をもたらす作品だった。
救いがない
ほぼ注目していなかったが、隙間時間にぴったり入ったので観賞。
ヨーロッパ映画祭系は苦手なのでかなり不安だったが、まあまあだった。
ラストシーンでは涙も出た・・・・が、背筋を冷たいモノも走った。
あの追いかけてくる姿はターミネーターよりよほど戦慄させられる。
あのラストでは本当に救いがない。
心地よい疼痛が残るのは好きだが、これは胸が張り裂けんばかりだ。
こういうのがゲージツなのかな。
映画を観に行ってこういう気分になるのは私は御免被りたい。
ベースは嫌いじゃない。
ちょっとだけ西の魔女が死んだを想起させられた。
だが、バックグラウンドが深く掘り下げられず、もやもやした感が残った。
また、全体的に陰鬱な上に生理的に受け付けないやつも散見され、
エンターテイメントとは言えないと感じ私にはちょっと厳しかった。
こういう映画の割に(だから?)平日にもかからず観賞者多数。
最初から最後まで物音はほぼなく、
当然エンドロール終了まで席を立つ方はいなかった。
久しぶりに静謐で映画館にいること自体を楽しめた。
終わり方が凄い。
妻に「これたぶん好きなやつ」と勧められてみた。
さすがの眼力。
少々荒れた家の自閉症ぎみ四女が、5人目が生まれるから夏休み中親戚の家に行かされ、、、あらたな家族を見つける話。エンディングもなかなか気持ち良い「振り逃げ」だった。
あの時のDadyはどっちの意味だったんだろう?そんなことを映画館の帰り道に考えて楽しかった、、たぶん監督の思う壺だ。少ないコミュニケーションでお互いに求めあい、補完し合う関係がミニマルで美しい。
まあ血が繋がってるだけで家族とはいへ別人、別人生だから。自分の足を引っ張る様になれば切り捨ててよしと私は思うのであります。
こんなシンプルな話を最高に美しいアイルランドの映像と景色、そして初めて聞くゲール語の会話でぜひ。
The Quiet Girl - 新生キャサリン・クリンチによる静謐ながらも繊細な心の機微を描いた感動作!
コット9歳が預けられる親戚夫婦の家。
コットの父親は典型的なクズ男、母親も出産を間近に控えているためコットの世話まで手が回らない。
で、親戚夫婦に預ける・・・と。
コットを預かる夫婦の奥様アイリンの無償の愛がグッときます。
また旦那のショーンの父親ともいえる愛情の注ぎ方に、心を鷲掴みにされました。
コットのセリフは少ないのですが、
話すと実に賢いと言いますか、知性が滲み出るんですよね。
それがユニークでもわり、ニヤっとしてしまうシーンも多々ありました。
一方で、ショーン・アイリン夫妻の細やかな気遣いが本当に心に沁みるんですよ。
そっとコットの目の前にお菓子を置いて去るショーン、
コットが傷つかぬようにと、新学期のCMをしているラジオを切るアイリン。
もういちいち感動しちゃうんですね。
ラストでコットが走るシーンも、劇中で何回も走るシーンとオーバーラップして
実に効いているなぁと思いました。
最後のセリフ「dad」は、ショーンに向けられているものと私は理解しました。
そう思うと、もうここで号泣です。
涙腺崩壊しました。
アイルランドの美しい景色、美しい画面の色味、自然音、
コットの色の白さも際立ちます。
いや〜猛烈に感動しました。
今年No.1かもしれないフェイバリット作品です。
The quiet boy
肥溜めに落ちたことあります。
あんたがぼやぼやしてるから落とされるンだよ。臭い。臭いよまったく。
Be quiet ❗
相当大きくなってからオネショも何度かしました。
親戚中に言い触らされました。マットレスのシミを見るたびに死にたくなりました。
Shut up ❗
子供は親を選べません。
コット、幸せになってね。
幸せを願ってやまない
あぁ、手を差し伸べられない辛さよ!
もう、近所に住むおじさん目線です。
不憫なことを知ってるけど何もできずに
ただ祈ることしかできない。
そんな気分で最初から最後までコットを
見守ってました。
愛情は子供にとっては「光」
育み、人生を照らすものになるのでしょう。
大人(親も含め)次第で子供は変わる。
牧歌的な風景とゆったりとした時間の流れの
中でともにゆったりとコットと親戚夫婦に
もたらされる変化が愛おしくてたまりません。
そして次第に見えてくる背景あっての今を
知るとさらに倍!です。
決してベタベタの話にするわけでもなく
1人の少女の夏休みの経験を淡々と描き
その中で変化する人々の気持ちや少女の成長を
丁寧にかつ見事に描き、そこから滲み出てくる
「愛」に震える我が心は、ラストシーンに
ただただ、コットの幸せ願うのです。
見事なラストシーンでした。
余韻半端ないです。
現時点でのベスト級の一本です。
親戚の家に預けられた少女のひと夏のお話
タイトル通りの映画で、ほとんどのシーンが田舎の普通の生活。
しかし、よーく見ると親が子供にほとんど関心がなかったり、学校で嫌がらせをされていたり、主人公のコットは不幸な人生を送っている。
地味な不幸さなのであまり感情が動かされなかったが、考えてみるとこの不幸は本人では変えられない事であり、好転する希望も見えない。
そのためにコットは無気力で無感情な子供になっていたように見える。
親戚の家で普通の生活をして、本来あるべき愛情に触れたコットは別れの際に走り出して、自分の気持ちで行動する。
ラストは観客の想像に任せる形で終わってしまったが、私個人としてはコットは自分の気持ちを伝えて、親戚の家に引き取られるのだと思う。
実の父親は厄介払いができてむしろ好都合だと考えそうだし、親戚の叔父さんも状況をよく理解していると思うから。
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