コット、はじまりの夏のレビュー・感想・評価
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心が洗われるというのは、こういうことなのかな
主人公のコットは、おとなしいとか内気というより、いつも周りの顔色を伺って生きている子という感じ。そういう行動が学校や家で良く思われない悪循環。
のどかな田舎町に預けられ、いろいろな経験と愛情で、ほんの少しずつだけど前向きな子に成長していく。
3人の間に大きなきっかけがあるわけでもなく、それぞれの小さな歩み寄りで、ショーンとアイリン夫妻もほんの少し癒される。
すごくロケーションが素晴らしい。
キラキラとした木洩れ陽が鬱屈としたコットの日々を解放するかのよう、そしてラストはウルッとくるほどに美しかった。
父親のワンカットが意味深だけど、幸せな結末でありますように。
コット役の子、顔と声と体がアンバランスなほど美人な子だなぁ。
じゃがいもスープ美味しかった。
切なく、心を掴まれる
タイトルシーンによれば、英語のタイトルは「a quiet girl」。
まさにそのタイトル通り、言葉少なに愛を紡いでゆくような静かで美しい映画だった。
ほんの少し交わされる言葉はゲール語(?)で我々には理解できないが、コットの表情がどんどん豊かになってゆき、アイリンおばさんや(特に)ショーンおじさんとも心を通わせてゆく様子が本当に美しい。
全体のストーリーも、ラストもまた意外なものではないが、切なく、心を掴まれる…
実家に留まるかぎり「はじまらない」のでは?
映像が美しかった。
きれいに終わらせようとしないのも良かった。
最後の2回のDad...
一度目が本当の父、二度目がショーンを指してるとハッキリわかった。
あの二言ですごい女優さんと思った。
コットは内向的という設定のようで、実際そうだとも思うけれど、きちんと自分の言葉で語れるし、それは夫妻の元に預けられてから身についた資質、という感じでもなかった。
ただ、彼女の言葉をまともに取り合う人がいなかったから、あえて口にしなかったという感じ。
近所のお爺さんの通夜あと、性悪ババアに根掘り葉掘り聞かれたことを確認されて「バターかマーガリンか聞かれた」と答えるあたり、思いやりも分別もある。
この映画は、夫妻に預けられてコットが成長する、のではなく、
夫妻に預けられて初めて尊重されたコットが、初めて素の自分を出せる、物語だ。
だけどそれは、あの実家に戻れば継続できるものではない。
実家にコットを送り返して、明らかにこの家庭環境ではコットは幸せでないとすぐにアイリンもショーンもわかったはずだけど、波風立てないためなのか、牛の世話を理由に帰るとこからも、二人にとってコットは家族ではなく「預かった子」だったんだなと軽く失望してしまった。
赤ちゃんもいて大変だろうからしばらく預ろうか?くらいのこと言ってほしかった。
夫妻の元で初めて一人の人間として尊重され安心感を得た面はあるだろうけれど、
実家に戻れば、コットと向き合い、ありのままのコットを慈しんでくれる人はいない。
夫妻はそんなことすぐにわかったはずなのに…
はじまりの夏って邦題は良いのかな?
一瞬映った原題は失念してしまったが、そっちの方が良かったように思う。
初めて観るのに懐かしいとはきっとこういうこと。
1980年代初めのアイルランド。貧しい大家族の物静かな3女コットが夏休みの間だけ親戚夫婦の家に預けられ、そこで徐々に心を開いてゆくという超がつく程の王道ストーリー。きっと誰もがどこかで観たことがある、もしくは自分自身が経験したことがあるかもしれない原風景のような映画です。
アイルランドの自然美。牧場を営む田舎町を舞台に王道ならではの良さを目一杯詰め込んだ紛れもない傑作で、最後のあまりにも秀逸な一言と、恐ろしいほどに含みを持たせた静かなエンドロールにもう涙が止まりませんでした。
家庭環境からどこか諦めたような大人びた表情を見せる9才のコットが、少しずつ子供らしさを取り戻してゆく姿が本当に愛しいです。こういう映画大好きです。
静鎰な作品。ラストで静かな感動を起こさせる。
貧乏人の子沢山の家庭で育ち、自分の居場所を見つけ出せない寡黙な少女。一夏、親戚の家に預けられることによって、家族の愛情を知る物語。簡単に感想を述べると、このようになる。
丁寧な描写で表現されているが、人によっては退屈に感じられだろう。私の直ぐ下の弟が主人公のようなおとなしい子供で、身近に感じられた。が一体、弟やこの主人公は何を考えていたのだろう。感情を押し殺し、自分の意見を主張することもなく、自分を守るため殻に閉じこもる。無理もないか。押し込めた鬱屈が「おねしょ」となって現れる。
最後に、主人公は自分の意志を表す行動を起こし、感動を呼ぶ。今日、3本の映画を観たが一番のお勧めだ。
寡黙な少女コット
苛められていたわけではないし、虐待を受けていたわけでもない。だけど貧しい大家族の殺伐とした生活の中で、愛を感じることもなく自分の居場所を見つけることもできない無口な少女コット。そんなコットが9才の夏休みに子供のいない遠縁のキンセラ夫婦に預けられる。
アイリーン(奥さん)はコットに優しく接する。爪を切ったり、髪をといたり、着替えを手伝ったり、アイリーンの表情はどこまでも温かい。しかしそんな愛情のかけられ方を知らないコットの態度はどこかぎこちない。そんな無口なコットの姿に胸が締め付けられる。一方ショーン(夫)はぶっきらぼう。無関心にさえ見える。しかし、日常の生活(アイルランドの素朴な田園風景は美しい)を過ごすなかで少しずつ距離は詰められていく。農作業の手伝い、近所の人たちとの交流、街への買い物…、ときには声を荒げて叱ることもあったが、コットへの優しい感情が伝わっていく。そして夫婦の過去の悲劇が、たまたまコットと一緒に過ごすことになった中年女性によって明かされる。その事をアイリーンに尋ねるコット。過去を思い出し苦しむアイリーン、それをいたわるショーン。その姿をじっと見つめるコット。ぶっきらぼうなショーンはこの後、さらにコットに優しく接するようになる。夫婦とコット、お互いが必要としている、三人は家族なんだと僕は思った。
そして夏休みは終わる。この後、三人はどうなるのだろう。元の生活に戻るのだとしても、この美しい経験、記憶は決して消えない。この優しい記憶はコットの人生の大きな宝物になるにちがいない。
補足)アイルランドの映画と知っていて観たのだが、当然英語で話されると思っていたら、聞きなれない言語で驚いてしまった。アイルランド語(ゲール語?)なのだろうが、英語に似ていない気がした。素朴な田舎の風景とこの聞きなれない言語はとても調和していた。
髪をなびかせて
コットは、一言にまとめると陰気な子だ。冒頭、草むらに埋もれている白っぽい(正確には黒ずんだ)かたまりが彼女、とはなかなか認識できなかった。彼女は、いつもどこでも居心地悪そうにしている。誰にも気づかれない、人知れない悲しみが、外にあふれ出さないよう、おずおずとしているようにも見えた。
そんな彼女が、邪魔者を追いはらうかのように田舎の親類に預けられる。おば(正確には、母のいとこ)はやさしくコットに寄り添い、手を差し伸べる。自分をいたわり慈しんでいい、と彼女は初めて知ったのかもしれない。けれども、彼女をほんとうに大きく揺り動かしたのは、おじ(彼女の夫)のように思えた。
最初は無愛想で、関わりを避けていた(それには相応の事情があるのだが)彼が、次第に彼女に目を向け、情を感じていく過程があたたかい。悲しみや寂しさに沈みそうになる彼女を、敏感に感じ取りそっと掬い上げ、「足が長いんだから、きっと速い」と全力で走ってみるよう誘い掛ける。彼の言葉自体は素朴で、名言というわけではない。それでも、コットに語りかける姿そのものが、彼女への想いに満ちていて、心に沁みた。
おばが丁寧に梳きほぐした髪をなびかせて、コットが全速力で走る姿が忘れられない。所在なさげにうつむいていた彼女が、まっすぐに前を向き、自分の人生をつかみ取ったその瞬間。穏やかにきらめく木漏れ日や吸い込まれそうな水面、豊かな自然とその音が、物語に絶妙な効果をあげていた。時を経るとむしろ鮮やかに、思い返すほどに余韻がじわじわと心に満ちてくる。小さいけれど、豊かで広がりのある作品だ。
友人の勧めで観ましたが えがったす。
生活環境になじめず 苦難の日々
解決策が見つかった様子で よござんした。
原題は「沈黙の少女」みたいですが
慣れてくれば しゃべりだす。
心温まる映画は たーまーりーまーせーん。(^Q^)/゚
淡々としているのが面白いのかな?
■結論
つまらないとは言わない。
しかし、私の好みではなかったから寝てしまった。
■感想
ありふれたストーリでひねりや衝撃の展開が無く、ただただ退屈。
マイルドな不幸と幸せが私にはインパクトが薄すぎて面白さが理解できなかった。
このマイルドさが現実的で世間ではありそうな事案だから共感を得られるのだろうか?
と推測される。
なぜなら隣に座っている高齢女性は最後に泣いていたから。
カレーで例えるなら私は辛口、いや激辛が好きなわけで、カレーは辛くあるべき。と考える者ですが、辛口が苦手で甘口が好きな人のほうがたくさんいて、甘口にはその良さがある。
「ほっとする味」ということなんでしょう。
子どもが感じること
家にも学校にも居場所がない寡黙な少女・コットが、親戚夫婦の家で初めて愛情を受けることで、初めて“生きる”ことができるまでを、穏やかで美しいアイルランドの田舎町の風景と共に静かに丁寧に描いた作品。
うっすらとした児童虐待が行われている家庭での生活から、愛情深い親戚夫婦との暮らしに移り行く中で、コットが生き返っていく様が、仕草や些細な会話から感じられるのがとても良かった。
最後につぶやく言葉に、涙が滲みました。
少女の未来に幸あれ!
物語の背景となるアイルランドの暮らしぶりやこの一家の状況が判らず、冒頭戸惑う。学校でも家族の中でもうまくやれない少女コットが、夏休みに1人預けられた親戚夫婦との生活の中で、人生の宝物のような時間を手にする物語。
もう、あれです。アイルランド版「アルプスの少女ハイジ」です。「カルピスまんが劇場」のです。厄介者の如く1人だけ預けられた親戚夫婦の許で、彼女が手にしたかけがえのない時間が、その成長と共に綴られる。
着の身着のまま1人置き去りにされたコットに、最初から愛情を注ぐ妻アイリン。無口だが徐々にコットを受け入れる彼女の夫ショーンの姿は、おんじそのもの。コットの一番の理解者となった彼が、彼女を肯定し海辺で優しく語り掛ける言葉が心に沁みる。
夏休みの終わりと共に訪れる、かつての現実への帰還。誠実で分別ある夫婦が彼女を送り届けるその背中に、涙が止まりません。まるでハイジがフランクフルトに連れていかれるシーンで終わりを迎えるような終焉に、観客も彼女の幸せを只々祈るしかありませんでした。
そのラスト、彼女が口にした言葉は果たしてどちらに向けられたものだったのか。
スタンダードサイズ(1.37:1)で撮影された本作。
「物語も彼女の視点を通して描かれるため、まだ自分の周囲の世界を理解していない、視野もまだ広がっていない少女の視点を提示したかった」からだそうです。
昨年(2023年)のアカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされていました。原作は英語でありながら、これが長編映画初監督となるコルム・バレード監督はアイルランド(語)への愛着とこだわりを見せている。その結果のノミネートとなり、日本での公開にも繋がってくれた。
公開が遅い!という気持ちと、公開してくれてありがとう!という気持ち半々です。観に行ってよかったと思える作品でした。
コット、透明で美しい!
私はこんな感動を求めて、何時も映画館に足を運んでいたのだと、こんな涙を流せる自分に出逢いたくていたのだと、気づかせてもらいました。コットへの愛おしさと共に、アイリンの慈愛に満ちた謙虚な豊かさに、我が身を省みて戒める思いです。
秘密があるのは恥ずかしい?
1980年代のアイルランドの田舎を舞台にした映画でした。アイルランドが舞台の映画と言うと、「ベルファスト」や「イニシェリン島の精霊」が頭に浮かびましたが、前者はアメリカ映画だし後者はアイルランド、イギリス、アメリカの合作であり、本作のように純然たるアイルランド映画は初めて観ることになりました。
そこでまず驚いたのが言葉。てっきり英語なのかと思ったら、登場人物たちは全然分からない言葉でしゃべっており、なるほどアイルランド語もあるのかと初めて知った次第。なんともお恥ずかしい限りです。1922年に独立するまで、長らくイギリスの支配下にあったため、英語は今でも公用語として使われているようですが、第一公用語はあくまでアイルランド語だそうです。
そんな本作の内容ですが、内気な性格の9歳の少女・コットが、夏休みに子供がいない親の従妹夫婦に預けられ、人間というもの、そして人間関係というものについて学ぶというお話でした。コット役を演じたキャサリン・クリンチは、本作が映画デビュー作にして主演を演じたそうですが、そうとは思えない自然な演技で、かつ中々の可愛らしさで非常に印象深かったです。
面白かったのは、預けられた先の奥さんであるアイリンが、コットに対して、「この家には秘密がない。秘密があるのは恥ずかしいこと」と言いながら、実は大きな秘密を抱えていたことが次第に分かって来るところ。でもコットはそのことを受け止め、とても優しく接してくれるアイリンのみならず、その夫であるショーンにも徐々に懐いて行くところは、非常に良い展開でした。はじめはぶっきらぼうなショーンでしたが、コットとの距離感を次第に掴んでからは本当の親子のように接することとなり、夏休みが終わってコットが実家に戻る時のお別れのシーンは、結構泣けました。この辺りの筋立ては、非常に良かったと思います。BGMは殆どなく、大自然の音がメインでしたが、この演出も登場人物の心の声を聴けるような感じがしました。
あと、40年以上前のアイルランドの田舎を舞台にしているため、出て来る車が中々カッコよく、旧車ファンだったらより満足が行ったのではないかと想像するところです。
そんな訳で本作の評価は、★4とします。
「言葉」を侮ってはいけない
この映画を観ていちばん考えさせられたのは、
「言葉」の大切さ。両親も含めたコットが出会う大人たちの無神経な「言葉」の選び方。決して罵ってる訳でもないし、傷づけようという意図もないはずだけど、無意識に発せられる言葉の数々が矛となって、まだ盾となる言葉を持ち得ない真っさらな状態(quiet)の子供の心を、少しずつ傷つけている。子供に対しての言葉の選び方を、もっと意識的にならないといけない。もっと言えば、大人だってSNSの誹謗中傷で精神を病んでしまうし、その逆もまた真なり。「言葉」を侮ってはいけないと思う。
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