型破りな教室のレビュー・感想・評価
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最初は金八先生キターと楽しく観ながら 形だけの教育カリキュラムとか...
最初は金八先生キターと楽しく観ながら
形だけの教育カリキュラムとか、環境で規定される将来とか、出来ること出来ないこととか、生きてく上でのバランス感覚とか頭で鑑賞してたけど
いつの間にか、そして最後、怒涛の感情で心臓に突き刺さってきた。
普通に泣いた。素晴らしかった!
H車が出てきた
2011年、メキシコの米国との国境に近いマタモロスでの実話を元に紡いだ物語。
貧困と暴力・犯罪で疲弊した地域の小学校に新学期から赴任し、短期間で見違えるような成績を導いた一人の教師ファレス(セルヒオと呼ばせていた)。彼が担当したのは、成績が振るわなかった6年生の23人のクラス。彼は何を成し遂げたのだろう。
それは、彼が受験勉強のような記憶学習を課すのではなく、思考する習慣を生徒に教えたことに尽きるのだろう。その結果として、ゴミ拾いで生計を立てている父親と二人で暮らす、とてつもない能力を持った少女パロマが見出される。もう一人は、家庭の貧しさから年少の弟と妹の面倒を見ながら学校に通うルペ、この子は教師に最初に課された哲学の命題に興味を持ち、学校の図書館では飽き足らず、大学の図書館にも通って、哲学者ジョン・スチュアート・ミルの著作に辿り着く。そうだ、彼女は記憶するのではなく、探究する楽しみを知ったのだ。ニコと言う、セルヒオの課した浮力の課題で一番伸びた生徒は、本当にかわいそうだったが、生徒たちから思考力が導き出されたことにより、パロマだけではなく、皆の力で思いがけない好成績を得ることができたのだ。
映画を観ていてうれしかったこと、セルヒオ以外の多くの教師たちは、生徒たちに受験勉強を科そうとしないセルヒオを教育委員会に告発する。それに対し、校長のチュチョは、日和見に見えはするが、実際にはセルヒオの応援をする(ジャッキー・チェンのポリス・ストーリーの署長みたいに)。これで随分、溜飲が下がった。
そう言えば、チュチョ校長は古いH車に乗っていた(お隣の国のH車ではないように見えたが)。H車と言えば、1970年代、米国西海岸で、とてつもなく厳しい排ガス規制が課されようとした時、いち早くその基準をクリアしたことで知られている。必ずしも、創業者であるH宗一郎の考えには沿わない方法で。その当時、H車は日本の誇りだった。翻って、現在欧州では、温暖化への対策が大きく叫ばれている。街を走るバス一台にもそれは見てとれる。では日本の企業の取り組みはどうだろう。世界をリードできるような提案はなされているのだろうか、確かに企業の採算も大事だろうけれど。礼儀や融和のみでなく、あの当時のような創意工夫に富んだ、思考の重視される時代に戻れないものか。今は思考ではなく、効率的なデータ収集に最大の力点が置かれているように思われるが。チュチョ校長の運転する古ぼけたH車を見ながら、そのことを思い出していた。
不意打ちの展開に思わず・・涙
2024年見納め作品になりましたがもっと口コミで広げたい作品
邦題が奥行がないのでたぶんタイトルでひっかかる人もいなさそうで残念
この登場人物、世界観でもっともっと見たくなる登場人物の描き方で
冒頭から最後まで感情を揺さぶられまくりました
先生や校長先生も人間として素晴らしいですが、子供たちも素晴らしい
それぞれの環境で学びに目覚めていく過程は見ていて思わず頑張れと応援したくなるし
生徒たちがそれぞれの学びを楽しむ姿は感動的でした
一方でその思いとはうらはらに厳しい現実に直面して、不本意な選択をせざるを得ない
子供たちの描き方には胸が張り裂けそうになりました
希望や夢すら持てなかったそれまでの人生だけでなく新しい生き方を選択できない子供たちがいること、現実がそう簡単に変えられないことがこの映画の肝ですね
エンタメ作品ならもっと希望のある展開も描くことができたのでしょうが
不意打ちの展開は・・・
それは宝物
メキシコにて、犯罪と隣りあわせの環境の小学校に変わった先生が赴任して来たことにより学力最底辺だった子どもたちの意欲と成績が…といった物語。
型にはまった教育方法を嫌い、自ら問いかけ子供達に考えさせ…といったやり方のセルヒオ。
風変わりで校長や同僚からも白い目で見られる彼だが、燻る子供達には確かな変化が訪れ…。
観ながら、自身の小学生時代を思い出してしまいました。当時、先生たちの話で「学校に行きたくても行けない子供が世界にはたくさんいるの!」とよく言われていましたが…いやいや、学校なんて面倒だし毎日日曜日が良い…と当時は思ってしまったものですが…。
実際には、小学生であるにも関わらずヤングケアラーのような生活を強いられたり、興味があっても向き合えさせてもらえない…なんてことが本当にあるんですね。そんな彼らの気持ちを掴むセルヒオは素晴らしい先生だと思った。
でも、パパの意見もわかる。
厳しい現実を生きてきたからこそ、戻されるくらいなら叶わぬ夢など…う〜ん、我々が軽々しく意見できない現実ですよね。
それでも、天才も良い指導者と出会えなければ…とも思わされたし、セルヒオの葛藤、結局どうするのが正しいのかは誰にもわかりませんね。
その他、まさかの衝撃の展開で驚いたし、綺麗なだけのドラマじゃないのも、メキシコの厳しい現実を教えてくれました。
総じて、年の瀬に出会った名作といえる作品だった。
Viva Mexican Cinema
2011年頃のメキシコ、貧困と暴力が子供たちの間近にある片田舎の小学校が舞台。いわゆる貧困と教育という、子供達の可能性に対し、大人が課題だと分かっていながら、具体的な解決から目を逸らしがちなテーマ。しかしご安心を、実話ベースであるが、ちゃんと映画として「かわいく面白い」「あーやっぱりとそうなったか、と身につまされ」「最後はちゃんと、ほっとする」は成立しており、観客を選ばない作りとなっているので、鑑賞後も細かいところを思い出すゆとりのある映画。
後でちょっと自分なりに考えたエピソード、
「遭難船の救助ボートのエピソード」は、一見物理を通じ考える力の育成だけに目が行きがちだが、この物語の本質を冒頭で暗示している気がする。現在はどうだか知らないが、当時の教育政策という名の浮力を計算できる大人が少なく、救助ボートに乗れない子供たちがいる事を言いたかったのかもしれない。
「ゴミ山の上で天体望遠鏡をのぞき込むエピソード」カットは終始少年少女のやり取りにクローズされていた。望遠鏡のその先に金星か月かが見える映像でも出るのかなと思ったが、この映画はそんな些細な事は描かなかった。このカットは、少女は見えている星が少年には見えなかった。それはこの後の展開を暗示していていたのだろう。
映画として単純に見る事も出来るし、勝手深読みして妄想にふける事も出来た。なんといってもエピローグで明かすハッピーエンド実話系のノリ大好きです。メキシコ映画はほとんど見たことないけど、この作品は中々の傑作です。
学ぶことに必要なこと
2024年、最後に観る映画です。
事実を元に作られた映画。
学ぶことに大切なのは、自ら考えること。
それを、試験の結果などは度外視して教えた教師と子どもたちの話。
結果は従来の教育以上のものだったけれど、それをできる教師はほとんどいないなぁ。
長い目で見た時どちらが子どもたちのためになるのかは、歴然だけれどそれをできる腹の座った教師はほぼない。
学校の先生とか、子どもの学びに関わる人にこそ見てほしい映画です。
子どもたちを、ダメにする前に。
教育は誰のため?
好奇心は誰にでも
フアレス先生の授業を受けた生徒たちは、どんどん目がキラキラしてきて好奇心に溢れてきましたよね。そしてフアレス先生も彼らの未知なる才能を発見しやる気がみなぎってきます。数学の天才パロマ、ものづくりが得意なニコ、哲学者になりたい女子などなど。
本来教育者とはフアレス先生みたいに生徒の好奇心を引き出しアシストする人だと思います。でも昨今では、先生は生徒のテストの点数などで数字管理されているから、テストで良い点数を取らすことを優先する刹那的な教育になってしまうんでしょうね。学校の現場を知らない教育委員会が教育要項を勝手に決めてしまうのだろうし、日本では受験勉強に勝ち抜いた文科省の役人が決めてますもんね。そりゃあ不登校にもなるわけだ。だってつまらないから!
あと、パロマの父親も子供の時は好奇心に溢れていたと思います。だから、ラストでパロマの気持ちに気がついたんです。そう、本来好奇心は誰にでもあるのです。そして人だけではなく、映画や本からも自然からも学ぶことができるのです。そんな老若男女の好奇心を社会がアシストすることで人類は幸せになれると思いました。
可能性は無限
型破りな先生
自分の頭で考えてる?
ベタな教師モノと思っていたら、やはりベタなんだけど、国家が行う教育とは何かと改めて考えさせてくれる作品でした。メキシコでも治安が悪い地区にあり全国統一テストでは最下位の小学校にやって来た教師が、文字通り型破りな授業で生徒達を惹きつけるお話しです。わかってはいても、教師の一言で今まで考えもしなかった未来に子供達が眼を輝かせるのは、ジーンときます。この一言や教室で出される問題が頭にインプットされた子供達が、自主的にその事を考え続け結論を見出す過程が、微笑ましくも楽しいです。子供の個性を大事にと言う甘い教育論でなく、ネットに頼らず自分の頭で何が正しいのかを考え続け発見し答えを出すことの楽しさと大切さを強調しているのに好感が持てます。もちろん、子供達が全員ハッピーになれるわけでなく、厳しい現実もしっかり描いているのもいい所ですね。一方で、教育委員会のお偉方の目指す教育や試験は、国や社会の一員としてコントロールしやすい国民を育てることであり、映画のジャンルは違うけどキューブリックの『フルメタルジャケット』で新兵を同じ基準の兵器に訓練していたのを思い出しました。役者では、まさにエウヘニオ・デルベスの独壇場で、この人『コーダ』でも音楽教師役がハマってました。校長役のダニエル・ハダットもいい味でした。
自分と同じ絶望を子供に押し付ける親たち。メキシコにも真面目に前向きに考える人がいるんだと初めて知る。
子供の未来を信じることができない大人たちが腹立たしい。
少しの可能性も、寄ってたかって台無しにする。
どうせこの現実から逃れられないのだから、少しでも傷つけないようにと教え込む大人たち。
親から子に引き継がれるあきらめの気持ちが、その状況から抜け出せない連鎖を作る。
いかにも容姿端麗なパロマとニコのカップルより、弟たちを風呂に入れながら、疑問の答えを見つけたときの喜びを知ったルペの表情が素晴らしい。
貧しい家庭で、子供が子供の面倒を見るために学校にいけなくなるのに、なぜ子供を作るのか。
本当に疑問。
教育が無くて大人になると、そんなことも考えられないのか。
アメリカのアクション映画やドラマのせいで、メキシコは単なる犯罪国家で無法地帯としか思ってなかった。
(あと、コロンビアは麻薬犯罪密輸出国、のイメージしかない。)
真面目に前向きに考える人なんていないと思っていたので、こういう真面目な映画をどんどん作ってほしい。
教育に携わる人間として、実話ベースであることも含めて希望になるよう...
教育を根本から考え直す
【可能性を信じれば、希望を持って生きていける】
教師と生徒の関係を描いた映画は数多くある。それでもこの映画は異彩を放つ。舞台となるのは、教育環境が厳しい地域にある国内最低レベルの小学校。ここで型破りな教師が子どもたちと出会い、彼らの人生に小さな光を灯す物語だ。教育を取り巻く困難や現実に直面しながらも、子どもたちが未来へ向かう姿を描いている。
【邦題からは伝わりにくい映画のテーマ】
「型破りな教室」という邦題は興味を引きやすい。しかし、原題の”radical”には「根本から覆す、根源に立ち返る」というニュアンスが込められている。主人公である教師の視点は、教育の根本的な問い——「どうすれば子どもたちは学びたくなるのか?」——に立ち返り、その答えを模索する挑戦そのものだ。この映画は、そうした問いに対するアプローチを観客に問いかけている。
【学習の根源は「人間の好奇心」】
どんな人間も本来好奇心を持っているが、子どもたちがそれを失う原因はしばしば大人にある。この物語では、意外性のある方法で生徒たちの好奇心を呼び起こし、学ぶ喜びを再発見させる教師の姿が印象的だ。
【教育者の役割を問い直す】
限られた資源や困難な環境の中でも、教師は子どもたちの可能性を信じ、その力を引き出そうとする。学びの場において、教育者は知識を与えるだけではなく、子どもたちの中に眠る好奇心という灯火を守り、燃料となる題材を提供し続ける存在であるべきだと、この映画は教えてくれる。
【境界を超えて学ぶ】
この映画は、知識に境界線を引くのは誰なのかという根本的な問いを投げかける。学ぶ意欲に年齢や環境の制限は必要ない。子どもたちの中に火がついた好奇心は、どこまでも進んでいく力となる。
【深く考えさせられるもう一つのメッセージ】
映画は、教育をめぐる現実の問題にも目を向ける。教育の機会が与えられない子どもたちがどれほど多く存在するのか。学校や教師だけでは解決できない社会全体の課題であることを、この映画は静かに訴えている。未来を担う子どもたちのために、大人として私たちは何ができるのか。この映画は、教育を社会全体で考える必要性を改めて問いかけてくれる。
Radical
革命的な授業、こういう授業を小学生の時に受けてたらどうなってたんだろうなーって観ながら思いました。
序盤からメキシコの現在の状況を少ないセリフとシーンで見せるのがお見事でした。
車椅子を押す少年はヤングケアラーだと思いますし、麻薬組織が蔓延っていたり、奴隷のように扱われてる人たちと一気に不穏な状況が映され、これがリアルなんだとも突きつけられるのも強烈でした。
ダメダメな教え子たちをエリート教師が立ち直らせていくという感じの構図だと思っていたのですが、子供たちの知識を伸ばす方向にシフトしていくというのが珍しく面白かったです。
学校のお堅い考えを全て変えていくとかではなく、ちょっとおかしいんじゃない?というところを楽しく開拓していくスタイルがとても好みでした。
ボートの推進力や密度などを小難しく説明するのではなく、生徒同士で考えて、人でも実践してみようというフアレス先生の考えが展開されるんですが嫌味なくストレートにこちらにも伝わってくるもんですから小学生の頃を思い出すようなワクワクした授業風景が繰り広げられて楽しかったです。
最初は嫌がっていた校長先生がめっちゃ協力してくれるのもとても良かったです。
パソコンがあったら子供たちは自分たちで学んでいくから導入してほしいという切り口はとても新鮮でした。
現代的に捉えればパソコンやスマホは中毒性のあるものだからむしろ離すべきという考えになってしまうんですが、そういう文化が根付いていない国や国民にとっては便利なもの一つがあれば価値観も変わるんだなとなって感心しっぱなしでした。
子供たちの状況も中々にヘビーなものが多く、貧困もあってゴミ捨て場に住む子もいれば、麻薬組織に勧誘されている子、母親が妊娠しており母親代わりに弟妹たちを育てるといった過酷な状況が提示されるのでグッときましたし、しっかりと育ててもらったんだなと改めて両親に感謝しなきゃだなと思いました。
麻薬組織がいるからこそ日常の身近に潜む"死"がショックを引き起こすというのも中々に辛く、フアレス先生が塞ぎ込んでしまうのも仕方ないと思うのですが、最初にこの学校に来た時の最初の信念を思い出して一念発起する流れ、テストをカンニングに頼らず真っ向勝負で挑む姿勢がもう素晴らしすぎて拍手喝采でした。
希望が微かに見えたラスト、それでも変わらない状況がいる子供たちがい続けているリアルもあるという考えさせられる作品にもなっていたので本当に凄かったです。
その後のキャリアで大成する子もいたりと、フアレス先生の努力と子供たちの努力が実っていったんだなと観ているこちらも嬉しくなりました。
鑑賞日 12/26
鑑賞時間 13:50〜16:00
座席 G-1
人生の舵は自分で取れ
スラムの広がるメキシコ北東部の街マタモロスに在る小学校に、セルヒオ・フアレス・コレア( エウヘニオ・デルベス )が後任教師として着任し、貧困等様々な家庭の事情を抱えた生徒達に学ぶ喜びを伝えるべく尽力する。
厳しい環境下で生きる彼らが、学びに目覚め瞳をキラキラと輝かせる姿が眩しい。
貧しい家庭で育ちながらも、数学が得意で宇宙に興味を持つパロマ( ジェニファー・トレホ )が実在の女性だとエンドロールで紹介され、驚きました。
『 学ぶ喜び 』の大切さを、改めて考えさせれられる作品。
映画館での鑑賞
【”生徒自身に自らの可能性を想像させる授業。”今作は、既成のカリキュラムに捉われず、子供の好奇心を刺激する授業により飛躍的に学力向上を実現させたメキシコ人教師の実話の実写化作品である。】
■2011年。米国国境に近いメキシコのマタモロスにあるホセ・ウルビナ・ロペス小学校が舞台。麻薬と暴力が蔓延る中、小学生たちは家の手伝いなどで、勉強に身が入らずに6年生の半数は卒業が難しい状態。
そこに、地元出身の元中学教師フアレス先生(ヘウエニオ・デルベス)が赴任して来る。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・フアレス先生は、赴任初日からラディカルな授業を繰り広げる。部屋の生徒の机は逆さまにおいてあり、自分の机は廊下に押し出す。
生徒は自由な場所に腰掛けて、この不思議な先生が何を言うのか興味深げに見ている。
ー 所謂、掴みはOKと言う奴である。
先生は”井戸に落ちたロバの話”をして、ロバのように土に埋もれずに這い上がれ!”とはっぱをかけ、更に生徒達に質問するのである。”君たち、23人が6つの救命ボートに同人数乗るには、どうしたら良い?”
生徒達は皆で話し合いながら、その問いを考えるうちに、物理や哲学などにまで思考を広げて行くのである。ー
■この映画では、当時のメキシコの教育を阻む社会問題が描かれている。
1.数学に秀でながら、父の廃品回収の手伝いをしなければいけないパロマ。それにしても彼女が、フアレス先生の”1から100まで足すと幾つになる?”という問いに、”5050”と答えるシーンは彼女の数学の強さを一発で示すシーンであり、フアレス先生が彼女の数学に秀でたる生徒である事を知ったシーンでもある。
2.兄と同じ犯罪組織に入るようにプレッシャーを掛けられ、ナップザックに勝手に銃を入れられ戸惑うニコ。だが、彼は密かにパロマが好きなんだよね。
それを、あと押しするフアレス先生も素敵である。
3.幼い姉弟の面倒を見ながら学校に通う、哲学に興味を持ったルペ。彼女は哲学書を読むために大学の図書館から本を沢山借りて来るのである。だが、子が生まれる母から学校を休学するように言われてしまう。
・フアレス先生は、生徒達に対し上から目線では接しない。故に生徒達は、フアレス先生の問いを自分達でドンドン”思考”して行き、比重に気付いて行くのである。
フアレス先生をサポートする太っちょ校長と、フアレス先生を水槽に沈め、生徒達が大喜びするシーンは、良かったなあ。
■要領の良いズルイ先生は、メキシコの全国共通テスト”ENLACE"の答案を何故か持っていて、生徒に事前に教えたり、教育委員会のお偉いさんは”パソコンを配布する・”と新聞記事にさせておいて、実際は配布しないというメキシコ教育界の不正も今作では描いているのである。
それに対し、敢然と抗議するフアレス先生。彼はズルイ先生から”ENLACE"の答案を渡されても、ごみ箱に捨ててしまう。
・だが、ある日パロマと下校途中だったニコの所にギャング達がやって来て、悲劇は起きてしまう。それ以来フアレス先生もカリキュラム通りに授業をしなかった事を咎められ、2週間の停職。それを知った生徒達も学校に来なくなる。
・校長が、フアレス先生を説得し何とか外に連れ出すシーン。彼らは浜辺に有った”パロマと書かれた小舟”を浜辺を引きずって、海に浮かべるのである。
ー 今作の中身を暗喩した象徴シーンだと思う。ー
<今作は、メキシコの貧困、犯罪、家族環境など学びには障害が山積みの中、生徒達に”自らの可能性を想像させる授業”を行う気概ある先生と、先生により学びの楽しさ、素晴らしさに目覚めていく生徒の姿を描いた作品なのである。>
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