弟は僕のヒーロー

劇場公開日:

弟は僕のヒーロー

解説

イタリアで暮らす高校生ジャコモ・マッツァリオールがダウン症の弟ジョーを主人公に据えて一緒に撮影した5分間のYouTube動画「ザ・シンプル・インタビュー」から生まれたベストセラー小説を映画化。

初めての弟の誕生を喜ぶ5歳の少年ジャックは、両親から弟ジョーは「特別」な子だと聞かされる。ジョーがスーパーヒーローだと信じるジャックだったが、やがて「特別」の意味を知り、思春期になると弟の存在を隠すように。ある日、好きな子を前についた嘘が、家族や友だち、さらには町全体をも巻き込んで大騒動へと発展してしまう。

「僕らをつなぐもの」のフランチェスコ・ゲギが主人公ジャック、実際にダウン症でもあるロレンツォ・シストが弟ジョーを演じ、「盗まれたカラヴァッジョ」のアレッサンドロ・ガスマン、「パラレル・マザーズ」のロッシ・デ・パルマが共演。本作が初長編となるステファノ・チパーニが監督を務め、「人生、ここにあり!」のファビオ・ボニファッチが脚色を手がけた。

2019年製作/102分/PG12/イタリア・スペイン合作
原題:Mio fratello rincorre i dinosauri
配給:ミモザフィルムズ
劇場公開日:2024年1月12日

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映画レビュー

3.0きょうだいがいるってこんなに素敵なことなんだ!

2024年4月8日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

笑える

幸せ

イタリアの家族の結びつきの強さ、おおらかさと愛にまずは心があったかくなる。そして家族全員(叔母も祖母もみんな)が新しい子どもの到来を待つ気持ちは御子イエスを待つかのようだった。

ダウン症の子どもは愛嬌があってとてもかわいらしい。モデルになっている人もいる。でも親含めて家族の気持ちを考えると辛くなる。ダウン症でなくとも何らかのプレゼントを神さまから生まれつきもらっている子は人間世界・社会では辛い状況におかれる。どんな家庭にもいる。見えなくしているだけだと思う。

可愛いね。カギ十字Tシャツを着て、お兄ちゃんに「だいすきだよ」と言うスーパーヒーロー!ここはもう誰でも泣けてしまう。

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talisman

4.5産まれてきた弟がダウン症で、弟を大切にしつつ、周囲の人々とどう接す...

2024年3月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

難しい

幸せ

産まれてきた弟がダウン症で、弟を大切にしつつ、周囲の人々とどう接するか逡巡する、兄の様子。

最初は些細なウソをついたつもりが、ウソに上塗りを再三重ねてゆき、
街中を巻き込んだ大騒動にまで。
自業自得でもあるでしょうし、思春期の機微でもあるでしょうし。

一方で、
イタリアらしく、家族を大切にして会話が多いところ。
その明るさ、懐の広さに、救われる印象でした。

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woodstock

4.0青春映画いいよね

2024年3月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

楽しい

興奮

わかっちゃいるけど引き込まれる展開で楽しく見れた。それに私にはイタリアの高校生と田舎町が珍しかった。

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syouganeko

4.5兄ちゃんがヒーローになるまでの成長物語

2024年2月20日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

ジャコモ・マッツァリオールが記した《自身の弟と自分のついての著書》を、ステファノ・チパーニ監督が映画化。

映画が終わって、館内が明るくなってお客さんたちが立ち上がったとき、
(僕以外には2人ずつのお客さんが二組、つまり館内には5人の客がいたわけだが) 、
みんな無言で立ち上がって顔を見合わせていた

面白かった?
わかった?
うーん・・
という表情。。 僕も含めて。

予告映像や、観に来た我々の期待に反して
弟くんの出番よりも兄ジャックの心象風景が、たくさんのエピソード群となっていたからだ。

《兄ひとりの物語》が、この作品の中心を占めている。
兄の姿に映画のほとんどの尺が費やされている。
弟よりも兄が描かれている。
なるほどと思った。
そこが終演の瞬間、あてが外れて本作のテーマがよくわからなかった理由であり、意外ではあるのだが、
そここそがこの映画の(原作の) 主題なのだと、あとから判った。

この映画、弟はほとんど出演しないのだ。

・・・・・・・・・・・・・

「迷った時期」、これは僕ら誰しも覚えがあるだろう。

ダウン症の弟と距離を取るために、町の高校には行ってみたものの、まったく馴染めずに相当の無理をしている兄ジャックの様子が、この映画の「核」。
街での彼は「心、ここにあらず」で、
「ただ弟からも、両親からも、姉たちからも距離を持ちたい」と願うだけの、兄の心象風景なわけだ。

たぶん原作者ジャコモ・マッツァリオールは、自らの実体験を家族小説に著したのだろうけれど、文才としては少し未熟かな。
そして長編映画は今回初めて手掛けたという、ステファノ・チパーニ監督も、映画作りの編集の腕としてはまだまだなのだろう。



でも
観終わって、ひと晩たってから映画の構造がわかった
①導入:弟の誕生
②主題:回避と逃亡
③副主題:両親
④結:ジャック

で、
②の《主人公の街の高校での生活》が、
尺が長い。とてつもなく長い。
だから観客は戸惑った。
しかしある意味ではそのエピソードなんてどうでもいいことなのだ。
主人公ジャックの《目》は
・マリファナに奪われ、
・初めて見るタイプのガールフレンドに目を奪われ、
・ロック・バンドの世界に奪われ、
・環境破壊への抗議活動に奪われている。
あの時間は冗長で散漫で、観る側は疲れるし、飽きてくる。
でもその個々の内容はどうでもいいことなのだ。
あれは思春期独特の、ジャックの目に映っていた光景だから。
だから
観客は目を閉じていても良いし、薄目で流し見して飛ばしてしまっても構わない。

要は、目の焦点が合わなくなっていて、自分がどこに居るのか分からなくなっているひとりの高校生の、永遠に続くのかと思われる、「終わらない迷いの時間の塊」がそこにある。

・・・・・・・・・・・・・

ジャックを見つめる両親と叔母がいる。

「大人になったな」とジャックに告げる父親。
「許すのは親の義務だ」とも。
よく出来た両親だけれども、あの大人たちも、実は、成人した僕たちレビューアーがここまでかかってようやく体得してきたように
あの両親もたくさんの試練と挫折に鍛えられて、やっと「大人になった」その境地に至っているはずだ。
逃げた過去も、逃げたかった辛い現実も、嘘をついたことも、迷ったことも、
両親たちも経てきたはずなのだ。

親として、
ジョーの誕生や、
上の娘やジャックへの配慮や、
必ず思春期の成長過程においてはその人生に躓くであろう息子の成長を受け止められるだけの広い胸。
それが培われてきたのだ。

そういえば
僕が高校生のとき
「僕にはなんにも無い、僕は空っぽなんだ」と悲痛に叫んだとき、母が
「そうかも知れないが、お前には『無』が満ちている」と言ってくれたことを思い出す。

「大人になったな」とジャックに告げる父親。
「許すのは親の義務だ」とも。

演説をして自らの嘘を告白する息子に呆れ果てて失望し、息子を独り置いて帰ってしまった両親が
またスタンスを整えて息子の元へ戻ってくる。
見落としてしまいそうだが、親たちの物語としても優れている。

ジャックも大人になって親になった時、この言葉を子供たちにかけるに違いない。

ドキュメンタリーではなく、あとから味わい深く、観客の共感が湧いてくる「青春文学作品」だったのだね。

ダウン症の家族を持つ家族が、その心持ちをわかり合う映画。
ダウン症の弟がほとんど出演しない不思議な映画。

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きりん
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