「映画の記憶は誰のもの?」瞳をとじて yanpakenさんの映画レビュー(感想・評価)
映画の記憶は誰のもの?
神隠しのような感じで行方不明となった人物と遭遇する、という物語が、戦争など現代の歴史の中で描かれるが、基本は神話や民話の類いの話の現代版だと思う。実際、「失踪」した理由や背景は全く描かれない。謎を解き明かす映画ではなく、謎が存在する状況をつきつける。
本人の記憶喪失が悲劇として語られる一方で、映画監督である主人公の精力的な努力(執念)とそれにつきあう相棒の人の良さが強調される。物質である膨大な映画のフィルムが記憶の手がかりとして描かれるが、結局、そのフィルムは記憶の手がかりとして役に立たないことが強調されている。それが、悲劇として描かれているのが印象的だった。
映画を描いた映画だと思うが、監督の意図が今ひとつよくわからなかった。特に、記憶喪失者に問題の映画を見せる場面。なぜ、座席を指定するのか?しかも事務的に指示するだけ。実際の映画撮影での指示を真似た演出だという解説を目にしたが、この映画にそういうオタク的な演出が必要か?もしかして、この映画の監督が映画オタクなのか?
映画の手法に凝ったせいなのか、途中で少し、眠くなった。テレビと映画を対比させようとした点も、逆効果ではないかと思った。現代の殺伐とした状況と過去の映画全盛期の状況をノスタルジックに語っただけの映画だろう、と言われたら、そのとおりだと監督は開き直るかもしれない。
まぁ記憶喪失者に自分の最後の映画を観せてみようとトンデモに取り憑かれてしまった監督(ミゲル)が、試写のいつもの配置にまでこだわったんだと思いました。フィルムを持って来て映写までやる友人、駆けつけたTVスタッフやシスターたちの監督(ミゲル)に対する優しさで、とことんやれ!みたいな感じに見えました。