「白湯のような映画(いい意味で)」サン・セバスチャンへ、ようこそ 村山章さんの映画レビュー(感想・評価)
白湯のような映画(いい意味で)
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この映画の話をするのに、ウディ・アレンとディラン・ファローの問題についてはさておく(とはいえ自分なりに意見は持っているが)。といいつつ、告発のあとアメリカではほぼ干された状態でスペインで撮った映画、という裏事情は、当初の主演予定が降りてしまって急遽ウォレス・ショーンが登板したことからも伺えるわけで、ウォレス・ショーン主演作という地味さが興行的に足を引っ張っていることもわかる(ウォレス・ショーンは大好きな訳者ですけども)。
しかし内容といえば、実にウディ・アレンらしいいつもの「愚かなおっさんの惑いの話」なのだが、ちょっといつもとは勝手が違う。アレンは『カフェ・ソサエティ』でもなんともならない人生の悲哀みたいなものを前面に出していたが、こちらはもっとそこはかとない、どうじたばたしたところで人生は進んでいくしそのうち終わる、という達観した境地が基調にある。
よって、なにが起きようとも、主人公がバカげた失態を晒そうとも、大局的にはなんの影響もない。主人公夫婦は離婚もするし、それぞれのキャラクターの人生にはいろんな事情があることも匂わせているが、それもまた人生であり、とりたてて騒ぎ立てることでもないのだ。
と、結局アレンを取り巻く問題に話が戻ってしまうのだが、今の状況でここまでさらりと、白湯のように達観した映画を作ってしまうあたりに、アレンという作家の哲学性を感じずにはいられないのです。
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