「老いたウディ・アレンはただの老人になってしまったのか?」サン・セバスチャンへ、ようこそ 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
老いたウディ・アレンはただの老人になってしまったのか?
ウディ・アレンに以前のような輝きはない。老いて、ひたすら過去を振り返っているように見える。この映画には、これと言って新たなことは出てこないが、例のスキャンダルに関する弁明もしている。
主人公のモート(ウォーレス・ショーン)は監督本人を反映し80歳前後、彼の名前 (mort) は、この映画の主題だろう。以前は大学で映画のことを教えていたが、今は誰も書けなかった文学作品に挑んでいる設定。妻のスー(ジーナ・カーション)(60歳くらいか)の名前は、彼の妻の名(スーン=イ)の反映か。スーはフランス人の売れっ子の映画監督フィリップの広報担当者としてサン・セバスチャン映画祭に出かけ、モートはそれに同行する。スーは予想されたように、フィリップとの仲を深めてゆく。モートがフィリップの映画を気にいるわけもない。二人の仲を目の当たりにする度に、モートはモノクロの夢を見る。彼がこよなく愛し、大事にしているヨーロッパ映画の一場面を出発点として。まず、フェリーニ、フランスのヌーヴェルヴァーグ。モートは、トリュフォーの「突然炎のごとく」や、クロード・ルルーシュの「男と女」の一場面の中に入り込んで行く。「ミッドナイト・イン・パリ」みたいに。それでも、彼の心の傷は癒えず、胸の痛みを覚えるようになり、紹介されて現地の内科医を受診する。ジョーと聞いていたのに、実際はジョアンナという美貌の医師(40歳代か)。監督のこよなく愛しているマンハッタンやパリにも縁があって話が弾み、心臓に問題はなかったが(逆流性食道炎とか)、ことあるごとにクリニックを訪れるようになる。誘われて出かけたドライブの時のサンセバスチャンの情景が美しかった。
夢には、イングマール・ベルイマンの「仮面 ペルソナ」が出てきて、スーとジョアンナがスウェーデン語で会話する。モートが一度は気に入った女性が彼の実の弟と結婚し、自分のことを揶揄するのを立ち聞きする白昼夢あり。彼は自分が他の人から浮いていることは知っているわけだ。彼が好きな日本映画、稲垣浩の「忠臣蔵」や黒澤明の「影武者」もスノブか。ルイス・ブニュエルの「皆殺しの天使」の一場面から取られた、意気投合したモートとジョアンナが部屋の外に出ようとするのに、出られなくなってしまうところが象徴的。それにしても、圧巻はベルイマンの「第七の封印」からの場面に、あの怪優が死神として出てくるところだろう。おそらく一番重要なセリフは、死神の宣う
Human life is ultimately meaningless, but doesn’t need to be empty.
人生には結局のところ意味はないが、だからといって空っぽである必要もない(拙訳)。おそらく幾つかのベクトルが勝手に働いて、力を打ち消しあってしまうのだろう。意味がないとは言え、逆に何をしてもよいわけだ。とすれば、ウディ・アレンは、これからも映画を作り続けるしかない。実際、彼の次の映画はもうできているようだ。Coup de chance とか。
ウディ・アレンは、確かに自身老いているが、老いて心が病んだ者に、生き方を教えてくれているのだ。次の映画も是非、観てみたい。