「私を変えたこと」あんのこと 暗幕庵さんの映画レビュー(感想・評価)
私を変えたこと
2024-6-16 午後のイオンシネマ 観客21人
妻は観ない事を選んだ。 観終わって、この作品のどこまでが真実なのかが気になった。 妻には、「観なくて良かったと思うよ。」と伝えた。
未見の人はここまで。
帰宅し夕飯を食べる。 大河を観、日曜ドラマを観る。 寝たが夜中に目が覚め寝付けない。 普段書かない感想を書き留めた。 それ以外に何もできなかった。 この映画を観た事、考えた事を忘れぬために。
作中の転換点はいくつもある。 社会的にはあの感染症によって職場・学校・更生サークルとの繋がりが無くなった時。 だがそれよりも彼女にとって重要と考えられるのは、ぼったくられた上の初任給で迷った末に買ったヨガマットを母にクシャクシャにされ給料まで取られた後、雨の夜、橋の下でうずくまって絶望していた彼女を刑事が救護してくれた時。 また、家から脱出してシェルターマンションに住み始めた時。 更生サークルで自分の事を話せるようになった時。 連れ戻しに職場に来た母親を施設長が追い返した後、いたたまれず出ていこうとする彼女を施設長が「いて下さい。」と言ってくれた時。 毎日日記に〇を付ける時。
そして更生サークルを利用した刑事の性加害記事を、協力者と思っていた記者に見せられた時。 幼児を見知らぬ女に押し付けられた時。 自分さえも大切に思えなかったのに、子供第一になっていく日々。 幼児を母に人質にとられ売春をすることになった時。 帰った朝、母の電話で幼児が児相に連れていかれたと知った時。 母を刺そうとしてできなかった時。 シェルターの部屋で絶望し、また覚せい剤を打ってしまい、〇を付けられなくなった日記を燃やそうとした時。 ようやく知ることのできた大きな未来達が、全て、永遠に、失われてしまったと思った時。
誰かに、何処かに助けを求めれば救われたかもしれない。 しかしそんな事を彼女は知らなかったのではないか。 貧しく食べるためにスーパーで万引きを繰り返し、ばれて学校にいられなくなったのが小学4年。 児相にも良い印象がないのではないか。 人や社会は彼女を救うことなく無視するか利用しようとする。
祖母は殆ど歩けず、母は娘をままと呼ぶ。 アル中なのは間違いないが知的障害もあるかもしれない。 家庭が崩壊しているのに今まで生活保護を受けていなかったのは、申請すらできなかったからかもしれない。 福祉課の対応を見れば相当の知識と交渉力が必要なのはみてとれる。 親を叩けば胸がすく、という話ではない。
刑事の行動にも思うところはある。 善意を施す者はより慎重に己の身を顧みなくてはならぬ。 だが彼の行為の全てが悪行の為とは到底思えない。 彼女を保護した時の彼の行動は欲望とは対極のものだった。 我々はどうか。 己の身を顧みなくて良いのか。 見て見ぬふり、他方を向いて耳を塞ぐ事は悪行と言えぬと断言できるだろうか。 刑事の様に直接手を伸ばすことはとても難しい。 しかし苦しみ悶える人を救う法律を作るために、知恵を出し声を上げる事はできるのではないか。 もしそれを阻もうとする者がいるとするなら、それこそが悪行と呼ぶべきものではないのか。
日本では彼女が最底辺ではないかもしれない。 世界には更なる惨禍があふれているのだろう。 それらを知らないことにすれば我々には安息が続くのかもしれない。 観客の少なさがそれを物語る。 それでも少しずつでも我々は前に、希望に向かって進みたい。 それが人間だと信じたい。
最後に、日本世界に共感を得るには難しい映画かもしれないが、先ずは制作・配給してくれた関係者に感謝したい。 また違和感のない演技をしてくれたキャスト、それをそのまま伝えてくれたスタッフに感謝したい。 そしてこの映画を観た人たちに期待し、自分へは戒めとしたい。
翌朝妻には、「やはり観たほうが良い。 いや観るべきだ。」 と伝えた。
2024-6-29 イオンシネマ 観客33人
2週間ぶりに観る。 1日1上映だからか観客は前回より多い。 今回は妻も同席である。 私自身は八割位の確率で再見することになるとは思っていたが、妻が同席を決めたのは前日だった。
私は映画を観る時、いつも時間を気にしてしまう。 この話が後どれ位で、どのような結末を迎えるのか気になってしまうのだ。 だが今回はもう進行が分かっているので、スクリーンに映し出される内容を見聞きすることに集中できる。 自分の思い違いや新たな発見があり、より深くこの作品の中に入り込めた気がした。
ドキュメンタリー様な間も多いが、シナリオの組み立てや演出演技、小物にも緻密な気配りが感じられ気が抜けない。 見落としがもったいない。
冒頭、夜の街を虚ろに歩く何も無い杏。
取り調べ室で多々羅刑事がいきなりヨガを始めると、杏が横上目で苦笑している様な顔をする。 ヤバくてばかばかしいものを見るその顔、この辺りから雰囲気が明るくなる。
介護施設では、杏に「水飲みますか?」と聞かれて頷いた老婆が、コップが置かれた直後に払い落とす。 拭き掃除する杏が薄く笑っているように見えた。 顔色が良くなり髪も短くなった。 自信の無さげな動きと痩せた体からミドルティーンに見える。
橋の下で刑事に保護された過呼吸気味の彼女は、確かに救われた。
カラオケで「どんぐりころころ位歌えるだろ?!」 と言われても歌えない杏。 後に押し付けられた子供に聞かせるのはこの歌だ。
初め母親には知的障害があるのかとも思ったが、強かだった。 子供のうちから娘をママと呼び保護意識を強制させ、言うことを聞かなくなったを思えばテメェ呼ばわりして殴る。
母親に売春を強要され、冒頭と同じ夜明けの街を歩いて帰る杏。 積み重ねたものは一晩で崩れて元に戻る。
子供を失った部屋で過呼吸になった彼女を救うものは誰もいなかった。
焼け焦げた日記から丁寧に破り取られ、彼女が最後まで手にしていたもの。
彼女が全てを失うときに、ブルーインパルスが飛んでいく。 東京五輪が始まる。
杏が亡くなった後に、関係者が語るシーンなどは不要とする意見もあろうが、これらは亡くなった人を悼む供養の祈りだと思う。 失われた命に対しては祈る事くらいしかできないのだ。 祈りの要不要は論議そのものが不要だ。 だがまだある命に対してはやるべき事がある。 先ずは忘れぬ事、そして考え続ける事。
忘れぬ為に2度目を観たわけだが、同時に私はもう一度会いたかったのだ。 スタッフ・キャストが彼女の人生を復元し、観客は観る度毎に蘇った杏を感じる事ができるのだ。
薬物依存からの脱却は極めて困難だという。 多々羅が最後に繰り返す叫びがそれを表している。 幾つもの困難な積み重ねをしてきた杏に祈りを捧げたい。
妻は、子供を預けた母親が許せないと言った。
こんにちは。
〝しかしそんな事を彼女は知らなかったのではないか。〟
私もそう思います。
救世主のようだった多々羅刑事に会うまでは。
その後の杏の絶望感を思うとかなしいですね。