劇場公開日 2024年6月7日

「世の中には正しい判断でも、それは最善とはならず、最悪の結果を招くことになりかねないことを強く印象づけられました。」あんのこと 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0世の中には正しい判断でも、それは最善とはならず、最悪の結果を招くことになりかねないことを強く印象づけられました。

2024年6月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

 2020年6月に新聞の小さな三面記事に掲載された、ある少女の壮絶な人生をつづった記事に着想を得て制作された作品です。
 機能不全の家庭に生まれ、虐待の末にドラッグに溺れた少女が人情味あふれる刑事や更生施設を取材する正義感を持つ週刊誌記者といった人たちに出会い、生きる希望を見出していく姿が描かれます。

●ストーリー
 21歳の主人公・香川杏(河合優実)は、ホステスの母親春海(河井青葉)と足の悪い祖母恵美子(広岡由里子)と3人で暮らしてきました。幼い頃から母親に暴力を振るわれ、小学4年生から不登校となり、12歳の時に母親の紹介で初めて体を売ることを強要されました。そんな過酷な人生を送ってきたのです。売春を強制されるなかで、客からシャブ中毒されてしまい、覚醒剤をやめられない身体になってしまったのです。
 ある日、覚醒剤使用容疑で逮捕されて、多々羅保(佐藤二朗)という人情味あふれる刑事から、取り調べを受けます。釈放後に多々羅から「薬物をやめるための自助グループ」の参加を勧められます。
 大人を信用したことのない杏でしたが、なんの見返りも求めず就職を支援し、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていくのでした。「自助グループ」では頻繁に顔を出す桐野達樹(稲垣吾郎)と知り合います。彼もまた杏の身を案じ、勉強を教えたり仕事を紹介するなどのサポートをすることで、就職も決まり、住まいも探し始めて、まっとうな生活への道を歩き出すのです。
 けれども桐野は、週刊誌の記者でした。多々羅に近づいた本当の理由は彼に関する疑惑を突き止めるためでした。「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていたのです。
 多々羅は、グループに通う女性に関係を持とうとした疑惑があり、刑事である立場と薬物を利用したことで前科のある立場を利用して関係を迫り、さらには彼女以外にも同様の手口で関係を持ったことが桐野の取材によって明らかになります。
 もちろん記事になり、多々羅は刑事をクビになり、さらには逮捕までされてしまうことに。その結果、杏の甦生の拠り所だった「自助グループ」も解散。さらに追い打ちをかけるように突然のコロナ禍によって、仕事も失い、杏がやっと手にした居場所や人とのつながりは、あっという間に失われてしまいます。行く手を閉ざされ、孤立して苦しむ杏。そんなある朝、身を寄せていたDV被害者らのためのシェルターマンションの隣人三隅紗良(早見あかり)から思いがけない頼みごとをされるのでした。

●解説
 映画の前半、トントン拍子に事が運びます。多々羅は業務の外で薬物中毒者を更生させる団体に杏を誘い、社会復帰のために役所と掛け合います。杏は理解ある経営者に出会って介護の仕事に就き、行政の支援を受けて母親からも独立することができました。意志あるところに道ができるもの、世の中は捨てたものではありません。他人のために本気になる人たちに胸が熱くなるし、杏が抱く夢を観客も共有し、応援したくなるような展開です。希望がすぐそこに見えていたはずでした。
 ところが後半、杏を取り巻く環境はことごとく反転します。コロナ禍の職場で、杏のような非正規雇用者は真っ先に雇い止めにあい、行き場を失います。夜間中学は休校。母親にも見つかってしまうのです。そして希望を打ち砕く一撃が加えられ、杏は再び社会の底へと沈んでゆくのでした。貧困、虐待、売春、薬物中毒と現代の問題がズラリと並び、格差社会の底辺に落ち込んだ弱者の再起がいかに難しいか、その立場がどれだけもろいか、端的かつ印象的に示されます。しかし一方で、明暗の転換があまりに劇的。特に多々羅の変身は極端で、映画の流れとしてはご都合主義的とも思えるほどでした。
 ところが、杏のたどった運命や登場する人物の背景など、基本的に事実だというのです。物語自体は虚構とはいえ、現実の残酷さに別の衝撃を受けることになります。映画なら杏を救う結末も可能だったはずでしょう。入江悠監督ら製作陣は、あえてこの、やり切れない結末を選んだのでしょうか。もう一人の杏を生まないために何ができるか、見る側にも切々と問い掛けている作品です。

 監督・脚本は「SRサイタマノラッパー」で話題を集めた入江悠。今回はオーソドックスな落ち着いた演出で、杏の身に起こったことを描き出します。無駄な台詞を極力排し、彼女の優しい心根、感情をていねいにすくいとっていきました。時にカメラを激しく動かして臨場感を高め、ドキュメンタリー的な効果も生み出しています。特筆すべきは、河合優実の喜びや痛みを込めた気迫あふれる存在感。心の変化を映す「思い」の力に圧倒されます。
 河合は撮影前、入江悠監督と共に、主人公のモデルとなった女性について取材を重ねたといいます。そうして役と一体化したからこそでしょうか。想像していた以上に杏の痛みと苦しみが胸に迫り、生きる力を得ていく姿がまぶしいのです。もはや演技の域を超えていると言ってもいいほどなのです。ドラマ「不適切にもほどがある」で演じたネアカで親の愛に恵まれた不良娘の対極にある底辺のリアル。この河合の振り幅はすごかったです。 また、人懐っこさとだらしなさが共存する刑事役の佐藤二朗。情熱的でありつつ、風変わりで笑いも誘う多々羅は、演じる佐藤の個性も相まって、とても魅力的に映りました。 人情とジャーナリズムの間で苦悩する記者役の稲垣吾郎は、だれかを断罪しても胸は晴れないコロナ禍の空気を体現しています。

●感想
 どん底の境遇にいる少女が、支援者の献身と本人の努力で立ち直る。そんな物語なら、どんなによかったことでしょうか。実際の出来事をモデルにしたとはいえあまりに重く、そしてだからこそ切実に社会のひずみを突きつけるのです。
 生活保護、特別養護老人ホーム、薬物更生の施設や自助グループ。更にDV被害者らのためのシェルターマンションや、夜間中学での日本語学習など、杏の生活や行動に即して様々な制度や活動が紹介されます。しかし、それらがいかにもろいシステムか、新型コロナの登場で歴然となるでした。
 杏が置かれた状況は言葉を失うほど過酷で、コロナ禍で彼女が追い込まれていく結末には胸がつぶれる思いがしました。けれども、最も印象に残ったのは、未来を切り開こうとした瞬間の杏の表情です。河合がモデルとなった女性の人生を尊重し、懸命に前を向いた人として演じた証しでしょう。年齢よりもあどけなく、はにかんだ笑顔が忘れられません。杏が救われるチャンスは何度もありました。個人だけではなく社会ができることは何か。彼女がつないだとも言える命を映し出すエンディングが投げかけるものは大きいです。 結局一番の悪者は、私たちの隣にいてもおかしくない杏への「無関心」という魔物なのかもしれません。

 物語のターニングポイントは、何と言っても桐野の正義感。刑事ともあろう者が、助ける代わりに見返りを求め、さらには性的な強要までしているという職権濫用を暴いたわけだから、桐野の行ったことは確かに正しいと思います。
 しかし、桐野の暴露記事で多々羅が解雇及び逮捕されたことによって、これまで支えとしてきた自助グループの面々は、これからどうなってしまうでしょうか。
 薬物に依存したくなる強い衝動に対して、一つ一つの日々の積み重ねが大切であると強く語ってきた多々羅の言葉、そしてデトックスのため多々羅の指導で定期的に続けてきたヨガも、胸の内を語るグループセラピーも、自助グループに集っていた者たちにとってどれだけの励みになっていたことでしょうか。
 それがなくなってしまうことで明らかに心身のバランスは崩れたに違いありません。もしかしたら再び薬物に手を出してしまうことだって考えられます。
 杏もまたその1人であり、せっかく太く繋げてきた糸がプチンと切られたかのような絶望感を抱いていくのでした。
 すべてが終わった後に、うずくまる桐野。自分の記事がすべてをぶち壊したことを、獄中の多々良にぶちまけます。そして自分は本当に正しかったのかと尋ねるのです。
 本作のもう一つのテーマは、桐野の懺悔を通して、「正義」というものを考えさせられることです。世の社会復帰のために役所と掛け合います。杏は理解ある経営者に出会って介護の仕事に就き、行政の支援を受けて母親からも独立することができました。意志あるところに道ができ中には正しい判断でも、それは最善とはならず、最悪の結果を招くことになりかねないことを強く印象づけられました。

流山の小地蔵
ttさんのコメント
2024年6月9日

世の中の常識が必ずしも正しいとは限らない。物事には表と裏がある。その中でようやく生きている人々がいる。

tt