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主人公リュカは17歳かぁ、‥‥
そして、原題はフランス語で、「高校生」なのですね。
Make no mistake, adolescence is a war.
No one gets out unscathed.
Harlan Coben
思春期は戦争です。
誰も無傷ではいられません。
ハーラン・コーベン
(アメリカの推理小説作家)
極めて文学的な、青春の、というか17歳という思春期の終わりの、危うさや揺らぎを見事に形象化した映像作品だと思います。
寄宿舎暮らしのリュカは、すでにゲイとしての自己認識は確立している。
ステディと言えるようなパートナーではないと意識しながら、特定の同級生との間でセックスライフも謳歌している。
だから、本作は、昨年後半に集中した、ゲイ(の少年)と社会との対立や抑圧を描いた作品ではありません。
しかし、彼は、まだ経済的、社会的、心理的に家族から自立した存在=「大人」には成りきれていない。
父親からの、母親からの「承認」なしには、自分というアイデンティティを維持できない、‥‥
そんな時に、自分という存在を支える柱であった(と認識さえできていなかった)父親を突然失ったら、どうなるのか、‥‥
そういった17歳の「危機」を描いた作品です。
本作は、クリストフ・オノレ監督(1970- )の半自伝的な作品であることもあって、主人公はゲイの少年ですが、これがヘテロ(異性愛者)だろうと、少女だろうと、また個々人によって細部の相違こそあれ、「17歳の危機」自体は、きっと普遍的なものだろうと思います。
きちんと個人という特殊なあり方に迫ることで、普遍的な何ものかを伝えようとするのは、すぐれて文学的な営みです。
本作では、突然の交通事故によって、家族たちのもとから姿を消した父親の死因について、
たとえ終盤近くで、リュカが、
「父さんは事故じゃなかったのかも知れない」
と言い出して、母親から平手打ちを喰らっても、そのこと自体の真相は一向に明らかにされません。
劇中、序盤で、オノレ監督本人が演ずる父親の確かな姿を見せ、その喪失を伝えれば、本作で描きたかったこととしては充分だからです。
リュカ(ポール・キルシェ)にとっては「突然の父の不在」が、妻イザベル(ジュリエット・ビノシュ)にとっては「突然の夫の喪失」が提示されれば、問題は視聴者に投げかけることができるからです。
最近作ではジュスティーヌ・トリエ監督の『落下の解剖学』(2024.3.23 レビュー投稿)の結末で、
真相が明らかにされないのは納得できない、
だからフランス映画は苦手だ、
などというレビュー(ある意味、正直で好感が持てます)が多かったのに驚きました。
小生の理解は、そちらのレビューを参照いただきたいのですが、それはあくまで個人の見解。
そもそも劇中後半の裁判の法廷であらゆる論点が提示され、判決も出ているのだから、その上、何の説明が要るというのでしょうか。
本作も、たまたまフランス映画。
そして、きわめて文学的な作品だと言いました。
何も確かな結論めいたことは示されない。
しかし、ひと言で表されるような「結論」や、つまらない「事実」よりも、もっと豊かな、主人公の矛盾や揺らぎが描かれている。
そこから観る者は、おのおの自分の身に引き寄せては、さまざまな想いをめぐらす。
それで充分ではないですか。
それが文学というものではないですか。
難しかったら、わからないと悩めばいい。
わからなければ、結論を急がずに、考え続ければ良いだけのことです。
主人公リュカを演じた新鋭のポール・キルシェ(2001.12.30- )、素晴らしかった。
母親イザベル、名優ジュリエット・ビノシュ(1964- )が演じていて驚きました。
とても感情豊かな、そしてラストでは独りバスケットボールと戯れる若さも見せる魅力的な演技でした。
その他、観ていて気になったことを記しますと、
◯一般人の葬儀の場に、精神科医が立ち会うというのは、普通のことなのか?
◯父親は無信仰なのにカトリック教会で葬儀が行われ、主人公が立腹するシーンがあるが、無宗教葬儀はフランスでは難しいのか?
◯病院にもチャペルがあり、生活のあらゆるところにカトリック教会が浸透しているらしい。
◯主人公も、パリの教会で神父に悩みを相談している。
‥‥と、教会がらみ、カトリック信仰がらみのエピソードが案外多いな、と思いました。
ある意味、終盤、リュカがリストカットしながら、その回復の過程で、元気を取り戻すというプロセスは、キリストの復活に重ねているように作劇されているようですし。
オノレ監督、オペラやミュージカルの演出でも実績があるようです。
機会があれば、是非ともオノレ監督演出の舞台も観てみたいものです。
※Filmarksレビューを再投稿