「解釈はそれぞれだと思うけど、重すぎて、生々しいのが難点」一月の声に歓びを刻め Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
解釈はそれぞれだと思うけど、重すぎて、生々しいのが難点
2024.2.15 アップリンク京都
2024年の日本映画(118分、G)
3つの場所を舞台にして、女性の性的被害の悩みを綴ったオムニバス映画
監督&脚本は三島有紀子
物語は、北海道・洞爺湖、東京・八丈島、大阪・堂島を舞台にして、3部+@のオムニバス形式になっている
洞爺湖パートでは、次女・れいこを亡くした父マキ(カルーセル麻紀)の元に、娘の美砂子(片岡礼子)、その夫・正夫(宇野祥平)、孫のさら(長田詩音)が帰省する場面が描かれていく
マキの作るおせち料理がメインで、重苦しい会話が続いていく流れになっていた
八丈島パートでは、酪農家の誠(哀川翔)と友人の龍(原田龍二)の会話に、誠の娘・海(松本妃代)が加わっていく様子が描かれていく
海は妊娠していたが、その相手から「婚姻届と離婚届が同時に送られてきて困惑している」という相談が始まっていく
堂島パートでは、元カレの葬式で母・真歩(とよた真帆)と再会したれいこ(前田敦子)が描かれ、その後にレンタル彼氏のバイトをしているトト(坂東龍汰)にナンパされる様子が描かれていく
流れでベッドインする二人だったが、れいこはトトに「自分が6歳の時に性被害にあったこと」を告白し、その現場に連れて行って、その時の状況を生々しく語っていく
それぞれにれいこが登場し、洞爺湖のれいこは娘が同じような性被害に遭って亡くなっていて、自身も性自認に悩みがあったことが仄めかされる
八丈島パートでは、性被害こそないものの、結婚に至るかわからない性交があったことが仄めかされていて、そんな男と結婚すべきか、せずに出産すべきかを悩んでいる女性が描かれている
れいこは登場しないが、もしかしたら誠の亡き妻の名前なのかもしれない
映画がなぜ3話形式のオムニバスになっているのかはわからないが、洞爺湖と堂島は「もしもの世界」として繋がっているように思える
八丈島パートだけが毛色が違う感じになっていて、この解釈が結構難しいものになっていた
本作は、監督の実体験をベースに作られていて、それぞれのパートはこれまでの人生の転機になった出来事であると推測される
その意味が観客に伝わっているかは置いておいて、この構造には意味がある
パンフレットの「はじまり」の項では、幼い頃の性被害を普通に語れるようになったと綴られていて、それが映画作りのきっかけになっていた
どうして普通に話せるようになったのか
それが本作の中に隠されている、という構図になっていたのだろう
実際のところは本人以外に知る由はないのだが、映画を観た印象だと「洞爺湖は事件が表面化した際の畏れ」「八丈島は事件が表面化した際の望み」「堂島は実際に経験したこと」だったように思えた
彼女が受けた性被害を当時に親が知り得たのかとか、そう言ったことはわからないものの、もしかしたら自殺していたかもしれないとか、親身になってくれる親は頼もしいとか、時間が経ったことで変わったことがある、というような過程を寓話的に組み込んでいるように思える
洞爺湖パートの父の仕草がじっくりと描かれているのは、幼い頃の父(あるいは母)の印象だと思うし、八丈島のどこか牧歌的なところは、こうあって欲しかったという願いにも見える
ラストの堂島パートの性被害描写が生々しいのは、それが体験談であり、それを語れる事になったきっかけを描いているからだと思う
実際にナンパされて流れで致したのかはわからないが、行為が先にあって、その後に語れるようになった順序というものは体験談なのではないだろうか
いずれにせよ、この内容が面白いかと言われれば、重たすぎて意味がわからないのでキツい映画だと言わざるを得ない
この構成になっている理由がすんなりと入ってこないのも難点で、商業映画として成功するとは思えない
それでも、これを作ることで、世界中のどこかにいる同志の心が軽くなるという意味合いはあると思うので無駄ではないのだろう
これ以上のことを書く立場にはないのだが、いち観客として、この居心地の悪さを作らないことは異性としての役割なのかな、と感じた