異人たちのレビュー・感想・評価
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評価難しいな……
大林版はずっと以前に見ていたので、本作を見る前に大まかな話の流れはわかっていました。
が、比較的あっさりとした描写が多く、原作や大林版を知らない人は、どんな話なのか少なからず戸惑ったのでは?
また、セクシャリティの話が入ってくることで、本題といえる「会えるはずのない両親との再会」がボヤけてしまっている気もします。加えて、このプロットでドラッグの要素を入れることで、すべてが孤独なアダムが見た妄想なのか、原作同様のファンタジーなのかも理解しにくくなっています。
バブル期の日本の小規模マンションに居住者が二人なのと、少なからず大規模で古くはないアダムの住むマンションで他の居住者がハリーだけなのでは、飲み込みにくさも違います。
突きつけてくるメッセージのシビアさに比べると、お話全体がやや消化不良だった気がします。
クィアな蹉跌の苦悩
前触れもなくいきなりゲイの世界が展開され正視できなかった。
中座したいところを山田太一とアンドリュー監督の作品だと言い聞かせ、
伏目しながら聴き耳を立てて鑑賞した。
残念ながら、英国はできないので卑猥な音声がなくなったらスクリーンを目を写しながらの鑑賞なので正確な鑑賞ではないことをお断りしておく。
幼少の頃からゲイと見破られるアダムが、12歳の頃、両親を交通事故で無くしてしまう。
その後は祖母に養育され、40歳となりロンドンの高層マンションに住むが、そこには殆ど住人は居なく近所付き合いもなく過ごしていたある日、6階の住人らしき青年が訪ねてきた。
二人とも髭面の四十過ぎの外人に見えるが、初老と青年と言う大事な設定には見えないのは私だけだろうか?
そんな中、クィアな世界は一瞬で見破られる。
そして、数日後には目を伏せるようなそんな関係となり、アダム大兄さんに幻影が出始める。
そして、生まれ故郷である実家に帰省したら、あのまま残っていて、家に入るとあの頃の両親が、年取ったアダム大兄さんを迎えて、事故以来の生活や一緒に住んでいた頃の話を沢山するのだ。
あの頃の両親と年取ったアダム大兄さんの対話で、
両親の自分へ思いや考え、自分がゲイで虐めにあっていたことや、こんな自分をどう思うか?
案外、両親は知らなかったり、少し気づいていたり、慰めて貰いたかったり、なかなかの本音での対話をしながら妄想の中で三人家族の交流を深めて行く解決案が提示されていたりする。
そうクィアな世界について、
死んだ両親との告解がアダムの好きなクリスマスを通して行われるのだ。
いや、勉強になりました。
この両親との対話は実に良かった。
特に、ゲイをよく思わない母親との対話とこの役者は最高に良かった。
当然のことなのだが、
原因には触れことなく、全ての結果に寛容だった。
何しろ自作自演なのだからだ。
また、この映画は、懺悔であり告解なのだから、生きとし生きるものには慈悲があるのだ。
死んでしまった両親にゲイであることを告白でき理解されたアダムはマンションに帰宅し、
パートナーの青年直ぐにこの喜びを伝えるべく部屋に入ると、
彼にもこの廃墟のような高層マンションでの出来事を告白しなければならない懺悔が待っていたクィアな世界が始まる。
( ̄▽ ̄)
異人たち
劇場公開日:2024年4月19日 105分
日本を代表する名脚本家・山田太一の長編小説「異人たちとの夏」を、「荒野にて」「さざなみ」のアンドリュー・ヘイ監督が映画化。
1988年に日本でも映画化された喪失と癒やしの物語を、現代イギリスに舞台を移してヘイ監督ならではの感性あふれる脚色と演出で描き出す。
12歳の時に交通事故で両親を亡くし、孤独な人生を歩んできた40歳の脚本家アダム。
ロンドンのタワーマンションに住む彼は、両親の思い出をもとにした脚本の執筆に取り組んでいる。
ある日、幼少期を過ごした郊外の家を訪れると、そこには30年前に他界した父と母が当時のままの姿で暮らしていた。
それ以来、アダムは足しげく実家に通っては両親のもとで安らぎの時を過ごし、心が解きほぐされていく。
その一方で、彼は同じマンションの住人である謎めいた青年ハリーと恋に落ちるが……。
「SHERLOCK シャーロック」のアンドリュー・スコットが主人公アダム、
「aftersun アフターサン」のポール・メスカルがハリー、
「リトル・ダンサー」のジェイミー・ベルと「ウーマン・トーキング 私たちの選択」のクレア・フォイがアダムの両親をそれぞれ演じた。
異人たち
劇場公開日:2024年4月19日 105分
亡父を思い、主人公の孤独に共感
12歳で両親を一度に喪うという強烈な体験は想像すらできませんが、私も数年前に父を亡くしたので、意外にも外国人で異性の、さらにゲイである主人公が身近に思えました。
いじめに遭っていた主人公に歩み寄れなかった過去を悔い、涙する今は異人の父親。これは切ない話で少しホラーではあるけれど、癒やしの物語でもあるのですね。
今の自分と同じ年齢の父と映画を見に行きたかったなという思いがこみ上げてきました。疎遠であったのに。映画なんて生前は思いつきさえしなかったというのに。
異人なのに息子がゲイと知って普通に動揺したり、毛深くない息子を観察する母親が面白かった。死は解脱ではなく、伝統や慣習にこだわらなくなるわけではない。現代のハリーの母も反応は変わらないのですね。
中年男性が郊外に家族と暮らすという枠から離れ、都会のタワーマンションに独り暮らしというのも、今では珍しくもないでしょう。
しかしラストでそんな暮らしの目を逸らすことのできない現実を知らせたところがさすがだと思いました。
悲しい結末に思えて
興味深く鑑賞できました。
が、自分にはあのラストが何処となく後ろ向きな印象を受けたので少し低めの星になりました。
作品全体に漂うなにかが非常に内向的に感じられたので・・
時間を遡るように、主人公が逆行する列車に乗って空洞を埋めていく行為は良いのですが
異人との触れ合いでこれから何処へ向かうのか、向かおうとするのかを見たかったです。
この作品の場合、主人公が癒やされるだけでは何故か満足できませんでした。
あと、対面した父親が勧める紙タバコなんかは、すでに時代を表現するアイテムになっているところは少し感慨深いかったです。
見事なリメイク
原作小説は山田太一の『異人たちとの夏』で、1988年に脚本・市川森一、監督・大林宣彦ですでに映画化されている。このリメイク作品を劇場で観てから本家の邦画をアマプラ・ビデオで観比べた。順序が逆になったけど。
先に邦画の話をしてしまうと、当時の主役は風間杜夫、同じマンションの別室の恋人を名取裕子、浅草に住む両親を片岡鶴太郎と秋吉久美子が演じていて、さすがにみんな若いなー。
脱線しますけれど何と言ってもお母さん役の秋吉久美子が素敵すぎる。
確か僕が高校生の頃に『赤ちょうちん』(1974年)でブレークしてて、4歳年上の元祖プッツン系で個性的な女優さんはかなり気になった。
その後の作品は全然観ていなかったけれど、今回、34歳の彼女を観てちょっとクラクラ来ましたねー。
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さてイギリス版の今作では、アンドリュー・ヘイ監督は原作のストーリー展開とエピソードをかなり忠実に辿っていて、原作をとてもリスペクトしていることが良く分かる。
かつ、今作で翻案している重要なところは、主人公アダムをゲイ、恋人は男性という設定とし、性的マイノリティとしての少年時代のつらい過去や両親との複雑な思いを見事なトーン&マナーでストーリーに溶け込ませていて、比較鑑賞してみると今作のほうが良かったのではないか、とも思える。
これは、ヘイ監督自身がゲイであり、実際に自分が体験したであろう両親へのカミングアウトに伴う恐れや、自分は期待されたセクシュアリティとして愛されていなかったのではないか、という不安について繊細なタッチで演出しているからだろう。
そのセクシャリティについての両親への思いと両親からの愛情の確認が、「12歳のときに亡くなって以来断ち切られたまま」だった親子関係に重層的に込められていて、胸を打つ。
その点、原作小説に存在するかどうかまだ確認していないけれど、邦画での恋人・名取裕子との別れのシーンはちょっと安っぽいB級ホラー的な演出になり過ぎていて残念でならない。
この部分は間違いなく今作のイギリス版のほうが良い。
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ただし、『哀れなるものたち』や『オッペンハイマー』とも同じく、今作でも割と激しいセックスシーンが表現されているが、異性であろうが同性であろうが、どうにも僕はこうした映画の流れの中であからさまなものは苦手だし、そこまでの表現が本当に必然なのか疑問に思う。
例えば今年に入って観た作品で言えば、俳優が同じように裸になるシーンだって『ピアノレッスン』ほど綺麗でエロチックで胸がざわざわするものは他にない。
それは「あからさま」とはちょっと違うもので、語られていることの深さが違うからだろう。
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ともあれ、邦画も今作も、両親との最期の食事シーンは泣けてしまった。参った。
ここはやっぱり普遍的なものなんだろう。
同性愛者であるが故の孤独
"異人たちとの夏"という古い日本映画は僕にとって気になっている未見の作品の一つである。この映画はその作品のリメイクということである。
自分の人生がうまく回っていないと感じている主人公は、既に亡くなっている両親のことを題材にした話を書き始めた(主人公は脚本家である)。そして両親と一緒に過ごしていた懐かしい家を訪ねてみることにする。
彼は12才の時に交通事故で両親を同時に突然失っていた。また学校でゲイであること(女っぽい男の子だったようだ)が原因で酷い苛めを受けていたが、苛めを親に打ち明けることができなかった(本当は両親に助けてもらいかったに違いない)。同性愛という事実が親との溝をも作っていた。大人になったアダムは両親に自分がゲイであることを打ち明ける。両親はその事実に傷つくが、それ以上に自分達の息子が社会の差別や偏見に晒されるのではないかと心配している。これに対しアダムはLGBTに対する考え方が親が生きていた頃と今は違うんだよと発言している。当時の社会ではゲイであることの孤立感は今よりも深く酷かった。
しかし、同性愛者が生きずらいというのは今も同じである。現代に生きるアダムもまた同性愛者であるために家族との平穏な生活を営むことができず孤独であり、またパートナーになったハリーは孤独のなかで自ら命を断っている。「同性婚も認められるようになり子供も持てる」ともアダムは親に語っているがなかなかハードルは高いのだろう。
セクシャリティが原因ではない孤独な人は世間にはいくらでもいる。だからゲイというセクシャリティを特別視せずに孤独を抱えながら生きる者と死別した親や恋人との交流をテーマにした映画ととらえればいいのかもしれないが、この映画では同性愛というセクシャリティの部分はとても大きい。だから同性愛者が主人公ではない"異人たちとの夏"とこの映画はまったく別の映画だと僕は思っている("異人たちの夏"は未見ですが)。
心のうち
アンドリュースコット演じるアダムが
長年クィア性というアイデンティティを抱えてきた様子が、言葉に、行動になって、立ち現れてくる。
母と父との会話、
カミングアウトから、受け入れる姿、
クリスマスの時の歌まで。
すべて宝物のようにみえた。
ポールメスカル、とても愛おしい
どんどん好きになっていく
鑑賞動機:(読んでもいないし観てもないけど)『異人たちとの夏』10割
そんなあっさり受け入れて馴染んじゃうの?という違和感がなくもないが、それだけ会いたかったのだと思えばいいか。
あのマンションなんであんなに人少ないのだろう。
自己肯定感大事
ラストはちょっと戸惑ったが、ゆっくり考えてみたら、別におかしくもないかという結論になった。
ただ、あちらとこちらの境がないというか、あちらがあまりにも普通で親に会えたことの感慨とか特別感がなくて、やっぱり違和感覚える。
キスシーンは濃厚
原作未読ですが、脚本はたしかに日本ぽいなと感じるところが多かったです。
不思議な物語ですが、こういう映画はカタルシスを得られるかどうかが評価の分かれ目になるのではないでしょうか。たとえば両親を早く亡くされた方などが観ると泣けるのではないかと思います。
キスシーンやベットシーンはなかなか濃厚です。
サバイバーの悲しみ
本家を観たのは少年時代にテレビで。これの何処が面白いの?でした。
子供でしたしねー。
秋吉久美子が可愛すぎて母親には見えなかったのと、名取裕子のホラー枠の方が楽しかった記憶。
子供でしたので。
旅立った両親との再会を、インナーチャイルドの癒やしの物語にした脚本を、山田太一なら評価しただろうな。
クイアを散々傷つけてきた歴史をなかったものにしようとしている、昨今の映画界へのアンチテーゼも感じましたね。
ゲイはあの時代を忘れちゃいないぜと。
常に死と隣り合わせで生きて来たあの時代が、葬り去られる事を許さない、監督の静かな怒りを感じました。
映画界で、両親へのカミングアウトはもう時代遅れのドラマ。
でも、実際は今だって。
アダムなんて名付けられた男の子にしてみたら、大変な事でしょ!多分。
これまでのゲイ男性を主人公にした映画で、父親の存在は無に等しかった。
ゲイの作家さんにしてみれば、そう簡単に俺は父親を許しはしないぜ!フィールドオブドリームスじゃあるまいし、みたいな感じでしょうか。
もう少し一緒に生きていられたなら、息子の苦痛に気づいていたはずの母親と、息子の苦悶に気づいていたのに、無関心だった父親。
母親から愛されている事は充分に理解していた。母親の独りよがりを責めるほどの子供じゃない。
でも、理想の息子にはなれない自分から、父親が興味を失っていったのは、癒やされない悲しみだったんだろうな。
とにかくお父さんとのシーンは2回とも泣きました。
そろそろ、お父さんも許してあげないとね、もう大人なんだから。
本家を観てたから、オチは解っていたんだけど
ラストシーンはどう解釈すればいいのー!?
もう一回観よう
同性愛に感情移入できませんでしたし、主人公の妄想と誘導するかのような演出に疑問です。
昨年亡くなった山田太一の小説「異人たちとの夏」を「さざなみ」「荒野にて」の英国のアンドリュー・ヘイ監督によって、リメイクされたのが本作です。
日本でも大林宣彦監督が映画にしていますが、今回は舞台を浅草からロンドンに移し、風聞杜夫と名取裕子が演じた役を、男性同士に設定し直したところが特徴です。
●ストーリー
ロンドンに暮らす売れっ子脚本家のアダム(アンドリュー・スコット)は、ロンドンのマンションに、ひとりで暮らしていました。 12歳を前に両親を交通事故で亡くし、以来、喪失感が消えません。もうひとつ。彼はゲイで、根強い偏見に悩まされてもいます。そのため、彼は誰からも心を閉ざしていたのです。
ある夜、同じマンションのハリー(ポール・メスカル)という青年が「一緒に飲まないか」とウイスキー持参で部屋をたずねて来ますが、突然だったので彼は断るのでした。
アダムは両親との思い出を本にしようと思い立ちます。ロンドン郊外の昔の住まいの近くで、彼はひとりの中年男の背中にさそわれて後を追います。なんと、その男は30年前に死んだ父(ジェイミー・ベル)だったのです。父に連れられて行ったのは、ありし日のわが家で、母(クレア・フォイ)がいました。なぜか両親は昔と変わらぬ姿で暮らしていて、アダムと同世代か年下に見えるのです。
その日から彼の人生の秩序は変わり、新しい輝きを帯びはじめます。彼は実家に足繁く通い、マンションで鉢合わせしたハリーを部屋に招く。ハリーとは息が合い、2人は同棲することになるのです。
●同性愛に感情移入できません。
同性愛に変更した点を朝日の映画記者は、今風でいいと高く評価していましたが、同性愛の思考がないノーマルな自分にとって、二人が激しく絡もうが、全く感情移入できませんでした。LGBTなどの性的マイノリティが持てはやされて、女子トイレなど女性の特有の安全安心が軽んじられるほどの世の中になってきています。個人の自由な恋愛観までは否定しませんが、こと映画のストーリーとなると別問題です。どうにも共感が持てませんでした。
また同性愛は、文明の病だと思います。何でも個人の権利や平等が持てはやされた結果、社会全体として同性愛が蔓延したら、出生率は劇的に低下して、人類は滅亡に向かっていくことでしょう。特にマスコミやエンタメで朝日のように同性愛を絶賛したら、今世違和感を覚えつつも、肉体が魂と異なる性別で人生修行しようと生まれてきた人であっても、ついつい世の中の風潮で同性愛に走ってしまうことになりかねません。同性愛が当たり前という風潮は、寝た子を起こすことになりかねないのです。
但し主演のアンドリュー・スコットは、自身がゲイであることを公式にカミングアウトしている筋金入りのゲイです。なのでハリーとの絡みのシーンも、ホントの恋人に見えるくらい熱が入ってました。本作はオリジナルの不思議さを越えて、同性愛を主張する作品に変わってしまったのかもしれません。
●『異人たちの夏』から夏をとったら意味がなくなる!
オリジナルの『異人たちの夏』のタイトルにある『夏』という表記には、特別な意味が込められています。なぜ主人公の原田の両親が、静かな夏の日に蘇ってきたのでしょうか。そんな疑問を持つとき、日本人なら誰でもすぐ「お盆」を連想することができます。けれどもイギリス人のヘイ監督には、そんな習慣はありません。そんな監督が『異人たちの夏』から『夏』をとって、ロンドンでリメイクしたとき、大きな問題に遭遇してしまいました。それはなぜ両親が事故の時のままも蘇ってきたのかという理由がなくなったままリメイクしたのです。その結果おこったことは、両親との再会がまるで時を遡ったかのようにリアルに描かれていて、蘇りとは思えなくしたことです。実際に見ていて、昔に戻ったようなシーンにも見えて、また心に問題を抱えるアダムが妄想しているようにも見えました。重ねてそれを助長するかのように、心を病んでいたアダムが、酒に加えて「薬」によって酩酊し、朦朧とするというのは、余計に妄想の方へ見る者を誘導してしまうことにつながってしまったのです。
これは物語が、ホラーや怪奇現象に振れすぎないようにするための配慮だったのかもしれません。しかし、オリジナルの大林演出で強く感じた、死別した人とまた会える感動、や哀惜の思いは、死んでいるのかどうか分かりにくくし、妄想の方へ誘導してしまう演出で、かき消されてしまったことは間違いありません。
やはり日本の夏は、昔から「お盆」という風習があるから、余計な説明がなくても、両親が蘇ってくることに違和感が感じられなかったのです。本作でもロンドンでリメイクするのであれば、英国ならではの両親が蘇ってくる理由付けが欲しかったです。
但し、霊的存在とも、記憶から引き出されたもともはっきりしないけれども、とにかく蘇った両親に、アダムが初めてゲイであることをカミングアウトするところは、チョット感動しました。やはりありのままの自分を肯定してくれるのは親しかいないものです。たとえ幻影であっても、目の前の両親がゲイであることを肯定してくれたことは、社会的な差別で苦しんできたも孤独なアダムの心を大いに癒すことになったのです。これは共感できました。
●オリジナル『異人たちの夏』について
1988年版のオリジナルは、山田太一の小説を、市川森一の脚色で大林宣彦が演出した異色作。元々、松竹からの大林への発注は夏に観客をぞっとさせるゾンビ映画だったのです。一人の女がいろんな人を惑わせて、都会のマンションでホラーを描くというもの。公開時に物議を醸したエンディングのCGはその名残りです。
《オリジナルのストーリー》
原田英雄(風間杜夫)は40歳、職業はシナリオライターです。妻子と別れ、今はマンションに一人暮らしをしていました。ある日、原田は幼い頃に住んでいた浅草に出かけ、偶然死んだはずの両親(片岡鶴太郎、秋吉久美子)に会います。二人は原田が12歳の時に交通事故で死亡しましたが、なぜかその時の年齢のまま、浅草に住んでいたのでした。原田は懐かしさのあまり、浅草の両親の家へたびたび通うようになります。一方で、原田は同じマンションに住む桂(名取裕子)という女性と、愛し合うようになっていました。
桂は英雄を気遣い、もう死んだはずの両親には会うなというのです。異人(幽霊)に近づくと、それだけ自分の体は衰弱し、死に近づいてしまうのでした。原田は桂の言葉で、両親と別れる決心をし、浅草にあるすき焼き屋で親子水いらず別れの宴を開いきました。 暖かい両親の愛情に接し、原田が涙ながらに別れを告げると、両親の姿は消えていきました。しかし、なぜか原田の衰弱は止まりませんでした。実はこれには、桂が関係していたのです。
体調の回復した原田は両親のもとに花と線香を手向け、静かな夏の日の不思議な体験を回想するのでした。
かなりダウナー仕上げ
随分前に観たきりですで多少記憶は曖昧ですが、作品として好印象をもっている大林宣彦監督の『異人たちとの夏(88)』のリメイクであり、IMDbやRotten Tomatoesの評価もとても高くとても楽しみにしておりました本作品。ただ、公開1週目のサービスデイ(平日)午前の回、TOHO日本橋Screen1はガラガラとは言わないまでも空いていました。
で、感想ですが、ちょっと期待しすぎたかな。。けして悪い出来てはありませんが、かなりダウナー仕上げとなっており、人によっては塞ぎ気味の時などは避け、心して鑑賞した方が良いかもしれません。
本作における「キーとなるギミック」は概ねにおいて変わりなくリメイクされており、親子再会から少しずつ「当時」の関係性へ不自然さなく戻り、且つ、「現在」の自分より若い両親と対して解り合う様はやはり素晴らしいと思います。特に私、母役のクレア・フォイの豊かな表情と眼差しが好きなのですが、本作でも裏切りません。
ただ、前述したように本作非常に暗く、舞台設定や視覚効果など全体的にホラー味が強め。自分の人生と特性を背景に敢えて「孤独」でいることを選んでいるようなところのあるアダム(アンドリュー・スコット)ですが、とあるきっかけで会う3名との急接近から、自分の人生を顧み、また想いを吐露することができることで解放され、話が進むにつれ「抑えていた感情が溢れる様子」は観ていて辛いものがあります。
また少々残念な点としては、現実と幻想の区別がつかない状況に対し、発熱、酒に加えて「薬」によって酩酊し、朦朧とするというのはやや安易と言うか、ファンタジーな要素を弱めてしまっていて残念な印象です。
とは言え、最後の展開は嫌いではないし、作品としては悪いわけではありません。特にキャスティングは素晴らしくハマっていますし、エミリー・レビネイズ=ファルーシュの音楽が作品を惹きたてています。劇場でなくても構いませんが、精神状態の悪くないときにご覧になることをお勧めします。
アンドリュースコット
初見ながら確かな演技力。写真より魅力的でプラス演技が確かなのでもっと作品見てみたいです。ポールメスカルとの見事な調和は、作品に深みを与えているが、山田太一さんの原作ぽくなかったし、本内容も未見。
日本版はいつもの様に会話がツボか。
両親との会話は印象的、かつ羨ましくもあり。
映画は両親が若いと言うだけで、映画の内容は推測可能、ただ結末がああなるとは思ってもいなかった。ポールとのラブシーンは映画を売る為どうしも必要と思うが、少し安易。
ポールメスカル需要が高い俳優、演技はお墨付き。彼の映画をもっともっと見たい。この映画ポール出てなければ行かなかったかな。
パンフレットの中にサントラ情報あり。
疑問
ポールメスカルが日本製のワインを勧める箇所のシーンは実際に生きていた設定なのか?またはもう既に?
リメイクではなく、インスパイア系で良いのでは
オリジナルは見ていないが、単体作品として感涙を期待して観に行きました。
残念ながら自分にはウルウルポイントはありませんでしたが、家族愛、クィア(ゲイ)の葛藤や、孤独感などが重なった時にグッとくるのでしょう。
主人公の寝落ちと海外作品に多いドラッグのキメシーンで、結局、現実ともただの妄想とも取れるファンタジー内容なので、信じるか信じないかはあなた次第パターン。主人公は物書きで、今は両親のことを題材に書いているというシーンから、より妄想処理に近い解釈だと思うのだが、どうなんだろう。
そもそも住んでいるマンションもあの大きさで廃墟でもないのに2部屋しか住んでないとか謎すぎるし、結局、仕事ほぼしていないし・・
絡みがリアルな感じがあるが、同性愛者にある程度の理解が無い人は偏見を持たずに観てほしい。
もう少し時間が経てばまた作品の見え方が変わる気がするので、いつか観返します。
残念としか言いようがない気がします
山田太一さん原作のリメイクと言うだけで期待倍増でした。
と言って原作を読んでもいないし、映画も見ていません。
原作の有る物を映像化した作品に対して様々な皆さんの意見を見ますが、僕は何も原作に忠実に作る必要は無いと思っています。
原作は原作であれば良いだけで、映像はそれを元にして創っているだけなのですから。同じじゃないのは当然です。
で、その上で思ったのは山田太一さんはこの作品をどう感じるのだろうと。
作品に対しての思いは人それぞれ、称賛もあれば批判も有り、それで良いのですが、今作は僕には合ってなかったようです。
日本人の書いた本を外国人の方が映画にするのだから、時代も違えば解釈も違うだろうけど何を表現したかったのだろう。
親子の絆?同性愛?孤独?
ただ一つ親の子に対する愛は理解出来ましたが、それ以外の描写の方が多かったかな。
この作品は僕には残念だったけど、オリジナルの「異人たちとの夏」を俄然見たくなりました
ヒネる必要はない…
日本版のオリジナルを見たのはもう40年近く前で、よく憶えていない。
風間杜夫が主人公というのは憶えていたが、監督は大林だったというのは調べてみて思い出した――。
本作は、設定を現代のイギリス、そして主人公の恋愛対象を同性(男)に設定しているのが違うが、子供の時に死別した両親が「異人」となって再会するという設定はそのまま踏襲している。
監督のアンドリュー・ヘイ自身がゲイであることから、主人公もそれに設定されている。
性描写も結構多く、イチモツが露出しそうでハラハラしたか、R15指定なのでそれはナシ(笑)。
主人公は、子供の時の記憶しかない事故死した両親の元を何度も訪れ、自身の近況を語るうちゲイである、ということも告白。異人である両親もそれを受け容れてくれる――。
親というものは、子のすべてを肯定する生きものなのだ。
そのあたりは、すごくジーンときて、見ていて涙が出た。
だがしかし、最終盤でちょっとミステリアスな味付けをしているため、「親子の情」という部分を台無しにしている。
ぼくには、かつて極めて親しい友人(故人)に同性愛者がおり、彼らのことはまったく否定するつもりはないが、やはり彼らの趣味・嗜好については自分は遠慮申し上げたい。その気分からすると、評価はあまりできない作品である。
主人公と深い関係になった彼氏に対して、もうちょっとわかりやすい形でまとめてくれれば、自分の感じ方も変わったかもしれない。ちょっと残念な作品
東京都心のシネコン、平日昼間の客入りは2割に満たない印象。山田太一の小説が原作だということで見に来ていたような熟年夫婦は「こんな話だったのか…」とその世界に入っていけなかったような感想を漏らしていたのが聞こえた。
立ち直れない喪失感
原作「異人たちとの夏」および、大林宣彦監督による映画化作品がめちゃくちゃ気になった。日本だと雰囲気も展開も全く異なるだろうし、イギリスに舞台を移し、更には同性愛者同士の物語に変更されているため、原作からかなり改変されているんじゃないかな。情緒あるイギリスの映像はすごく良かったけど、日本人なら日本じゃないとノスタルジーを感じられないし、断然その方が好きになれるだろうな笑
死んだはずの両親と奇跡の再会を果たした主人公・アダム。そんな奇妙な出来事から自身の心に残っていた〈しこり〉に気付き、離れていくことの恐怖を抱きつつ立ち直る勇気を振り絞る彼の様は、ファンタジーな設定ながらも再起の物語としてはかなりよく出来ており、後半は特に胸が打たれた。
ただ、中盤があまりにも退屈すぎる。
先日の「パスト ライブズ」もそうだったんだけど、物静かさが最大限生かされていないというか、多くを語らず、超スローペースで物語を展開していくこと自体を映画の美と捉えている作り方が、見ている側としてはものすごい眠気に襲われてしまう。冷たく、張り詰めた空気感を全編通して貫くのは非常にいいとは思うけど、やはり中盤でひとつ、大きな1歩を踏み出して欲しいもの。ゲイであることを公表している監督・主演俳優であるため、BL描写はかなり優れていた。それもあり、作りの甘さと演出の弱さは気になってしまった。予告からちょっと期待しすぎたかな笑
アンドリュー・ヘイの過去作全て好きなので めちゃくちゃ楽しみにして...
アンドリュー・ヘイの過去作全て好きなので
めちゃくちゃ楽しみにしていたのですが、
冒頭からハマらず、うーんと思いながら鑑賞。
話が飲み込みずらいし、テンポも遅い
(アンドリュー・ヘイの過去作どれも分かりずらい箇所があったり、スローペースなのだけれど今回は肌に合わない感じだった)
映画の色味とかカメラコントロールが過去作とも違うのがまずちょっと嫌。おそらくノスタルジー感を出す為だろうけど、過去作のちょっと引いた温度の低いカメラワークが好きだったので…。
大林版を未見なので、比較もできないけど
けっこうあんまりいい映画とは思えず、残念。
なんだろう、アンドリュー・ヘイの語らず見せる話運びが好きだったから、両親との会話で教科書的にクィアの問題を語りすぎてるのが嫌だったのかも。
原作とは別物かな?
原作では彼らが両親かどうかや、そもそも彼らが何者なのかについて主人公はかなり逡巡するけど、映画ではあっさり母親から両親であることを告げられ、それを疑問もなく受け入れてしまうことにちょっと違和感が。
主人公がゲイという設定や、それ故に同じビルに済む恋人が男性なのはいいとして、日に日にやつれていくという原作ではキモになる設定がすっとばされていたのは「マジか?」という感じだった。
そしてラスト、恋人の正体が判った後がハートウォーミングな展開にビックリ。
原作通りホラーな展開で最後にあっと言わされるとばかり思っていたので、、、やっぱ原作とは別物かな。
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