52ヘルツのクジラたちのレビュー・感想・評価
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子供はペットや無いんやで
想像力の欠如や無知がどれ程ひとを傷つけるか、想像力豊かな人がどれ程傷つき易いか、共感という過程を省略して善意(だと思い込んでるもの)や幸福観を押し付ける事が相手をどれ程追い詰めるか、観ていて胸が苦しくなる。
杉咲花の役へのハマり具合は凄みすら感じさせるし、発語できないという設定のお陰で子役に長台詞を当てずに済んで緊張感が途切れなかったのもいい。
不覚にも涙腺崩壊
原作は読んでないものの、出演俳優が注目の若手俳優陣だったため、急遽鑑賞。
5ヘルツのクジラの声は作中に詳しいが、孤独の中で叫び声を聴く一連のリレー。
ヤングケアラー、トランスジェンダー、児童虐待と、言葉にするのは容易いが、家族がいても孤独という共通の痛み、地の繋がらない家族のかたちを描いた作品。
出演者たちが豪華。
市子に続き難しい役どころを演じきった杉咲花や志尊淳をはじめとした朝ドラ俳優たち、限られたシーンでも、余貴美子や倍賞美津子を贅沢に配置。
一見の価値あり。
胸が痛くなったがいい映画だったとは思う
予告編の印象では主題歌の希望ある感じの曲調もあるため、きなこが安さんに出会い、救われて成長する希望の物語と感じていた。実際、一部それはそうではあったのだが本編の大半は胸が痛むような暗く重いシーンが多く続きます。
きなこの現在から始まり愛との出会い、そこからの過去の回想、安さんとの出会い、新しい人生を始め、歩んでいく中でまた悲しい出来事が起きてしまう。そこからたどり着いた今の生活で愛とまた新たな人生を始めていく物語です。
ここからは各役者の個人的な演技の印象を。
昨年の「法廷遊戯」でテレビドラマでは見たことがない役柄での演技に衝撃を受けた杉咲花さんは今回も回想シーンから現在に至るまでのさまざまな、その時代のきなこをしっかり演じてきっていてやっぱりすごいなーと思いました。
きなこが自死しようとするシーンは法廷遊戯の北村匠海との杉咲花の終盤のシーンと被りましたw
志尊くんもさわやかイケメンの印象が今までありましたが優しく温かい安さんの演技がすごくよかった。自分の勝手な思いになりますが安さんにはやっぱり生きていてほしかった。安さんのお母さんと同じ思いです。安さんときなこが性別や体がどうであれ共に生きていってほしかったなとすごく思ってしまいました。
宮沢氷魚さんは初めて見る方でしたが、最初からの胡散臭さと嫉妬DV男の演技が見ていて本当に憎たらしくなるほどで、かなりハマり役だったと思います。
同様に西野七瀬さんの虐待シングルマザー役もだいぶハマり役でしたね。1月公開だった「ある閉ざされた山荘」でも感じましたが彼女は昔に比べると演技がだいぶ上手くなったように思います。
真飛聖さんの虐待母役は現在放送中の某ドラマでも似たような役柄でしたが先週見た「マッチング」ではクールな女刑事を演じてたり、幅広く演じていてその演技力も特に今回の冒頭の診察室での狂いっぷりは凄かったですね。
小野花梨さんはとにかく可愛いくて明るくてよかった!大好きです!こんな彼女がほしいw
余貴美子さんや倍賞美津子さんは存在がさすがの大女優って感じで安定の演技力でした。
最後に内容として気になった点を。
作中には度々あからさまにサントリー商品が出まくるのが気になりました。
私もまんまとそれにハマり帰りにプレモルを買ってしまいましたw
あとはきなこのお母さんと義父についてはどうなったのか、あのシーンだけで絶縁したということなのだろうか。自分が福祉職をやってるため義父の介護はどのように繋いだのか気になっちゃいました。
ま、そんなこんなでいろいろ書きましたが本当に2時間ちょっとあっという間で「え、もう終わっちゃうの?もっと見たい!」って感じで見終えたので自分としてはなかなかいい映画だったかと思います。
52ヘルツのクジラ同士は互いの歌が聴こえるのか…、と考えてしまう一作
同名小説を未読のまま鑑賞した観客による感想です。『市子』(2023)で素晴らしい、というかすさまじい演技を見せた杉咲花が、本作でも圧倒的な存在感を放っています。
登場人物の心情を反映したような映像が強く印象に残ります。暗く沈んだ心を表すような、青味の強い映像、あるいは夜明け前の鮮やかな空を背景に、シルエットで浮かび上がる登場人物など、一つ一つの映像が入念な計算と意図に基づいていることが画面から伝わってきます。かつてのテレンス・マリックや、最近のトレイ・エドワード・シュルツを連想するような画調ですね。
作中に明らかになる様々な事実は、それ自体物語を解き明かすうえで重要な意味を持っているため、ここで内容について具体的に触れる訳にはいかないのですが、冒頭で登場人物の一人が語っているように、「家族」そのものが苦しみの要因となっている人々の物語、ということはできると思います。
その縛りを解き放とうともがく姿、あるいは逃れようにもどうすることもできず苦しむ彼らの心を代弁するのが、「52ヘルツで歌うクジラ」です。52ヘルツの歌を歌うクジラは孤独かもしれないが、同じ波長で歌う者同士は互いの存在を分かり合えるかもしれない、そんな希望も垣間見ることができました。
結末にはある種の爽快感があるものの、上映時間の都合なのか、「苦しみの元凶となってしまった人々」の背景についてはそこまで掘り下げてなかった点が少し心残りでした。この辺りは原作小説には描写があるのかな?と、むしろ原作を読みたい気持ちが強まりました。
本作で杉咲花が演じた貴瑚の役どころが、塚本晋也監督の『ほかげ』の主人公とちょっと似てて、「あれ、『ほかげ』の主演って、杉咲花だっけ?(実際の主演は趣里)」という雑念が終始付きまとってたのが、個人的に残念なところ!
どういう気持ちで観るか
33本目。
重そう、でも切ないなと感じる始まり。
でも、重く切ないと思い観るのと、切なく重いと観るのとでは、自分の中での負担違うかなと。
い?市子?、市子もこんなんじゃと中々思い出せない記憶に年を感じるも、それはそれで、一旦リセット。
構成上、ちょっとそこはと言うのはあるし、包丁のシーンで、ちょっと気持ちが切れてしまう。
それってもう、明らかにでしょと。
でもそれ以上に、杉咲花、志尊淳の芝居に観いってしまうと言うのが、本当の所かな。
絶妙な展開と満足度の高いストーリー
ベストセラー小説を映画化したヒューマンドラマ。家庭に問題を抱えて育ってきた主人公が同じ境遇の子供と出会い絆を深めていく物語。
現在と過去の映像が交互しながら主人公の交流関係を巧みに描いていて、ストーリーが進むに連れて少しずつ主人公に共感していく満足度の高い作品。
2024-36
評価がやや分かれるが、個人的には良い作品という感想
今年86本目(合計1,178本目/今月(2024年3月度)4本目)。
(ひとつ前の作品「ポーカー・フェイス 裏切りのカード」、次の作品「ARGYLLE アーガイル」)
本作品は原作品があるので、それを無視することはできない状況です。
その前提で本作品のレビューの対象となる論点というのは、多くの方が書かれている通り「扱う範囲が広すぎて回収不足の点が否めない」「大分市が出てくる割に(大分市は後援扱い)、大分市ネタがほぼ出ない」という点であろうと思います。
特に前者に関しては、多くの方が書かれている通り、児童虐待、LGBTQほか色々な分野を扱ったのですが、それが「盛りすぎ」であり(ほかにも多数あります。2020~2024年で社会問題とされているものはほぼ入っているくらい)、理解は可能でも「この放映時間内にすべてを巻き取るのは難しいのでは…」というところです。ただ、おそらく原作小説のある部分からある部分まで(あるいは、本1冊単位)を忠実に扱ったためにこうなったと思えるフシもあり(中には映画の展開上、問題提起だけはされるが以後一切出てこない論点もある)、ここはかなり評価の取り方が難しいです。
また、映画の舞台が大分県であることは中盤でわかりますが(瀬戸内海(豊後水道)や、「とり天」などからもわかるが、ある程度の知識が必要。後述)、そこまでは、瀬戸内海がバックにあるので、広島、山口、福岡という可能性も考えられ、「~しちょる」の方言から山口方言の可能性は捨てきれないので(「凪の島」参照))、ここを正確に取れるのはある程度最初の段階では推測の知識が必要です(かつ、大分市が舞台なのに、市内や大分市が舞台であることのヒント(特急ソニックほかの描写)がないので、かなりわかりづらい)。
原作小説をそのまま忠実にしたものだと思うし、映画を鑑賞すれば「52ヘルツ~」が何を指すのかもわかりますが、「やや扱う範囲が広すぎて時間に対して回収しきれていないかな」といったところです。
採点に関しては以下の通りです。
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(減点0.3/映画で扱う範囲が広く、時間の関係で拾えていない論点もある)
・ 介護問題ほかの問題が代表的ですが、原作小説あり、重視の立場もあるので、そこはもう仕方がないのだろうと思います。この0.3もかなり「いじったもの」で、原作小説重視であろうということ、また、「極端に多すぎる」わけでもないので、この程度です(換言すれば、原作に出る限り映画で扱って描写がある以上、「そういう問題がリアル日本に存在する」ということを常に頭の中に入れておくことができる作品である、といえる)
(減点0.1/(緊急)事務管理の性質)
・ 通常の事務管理は、本人の意思がわかるか推知できる場合、それに従う必要があります(民法697条)。
(減点0.1/心裡留保と身分行為)
・ 心裡留保は身分行為に適用がありません(判例)。
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まったく感情移入出来ません。
導入と話の作りが雑すぎます…。
話の初めに水商売の話をするデリカシーのなさ、いきなり出てくる死んだ彼氏、雨に打たれて大人と子供の傷跡を見せるシーン、なんの背景もなく流れる52ヘルツの鯨の鳴き声、ちょっと出て来てすぐ死ぬ父親、人となりもわからぬままキレる母親、運命的な出会いの彼氏さん…。
話の背景に深みが全然なく、登場人物をアイコン的に配置しているだけのように感じました。
比べてはいけないのかもしれませんが、やはり『市子』と比べると演技も見劣りしてしまっています。
綺麗な背景と主演女優の杉咲さんで2点です。
原作もの故の弱さ
2021年本屋大賞を受賞した町田そのこさんの同名小説の映画化作品。原作は2020年8月に読了済みだが、非常に大雑把なストーリーしか覚えていなかった。とてもよかったという印象だけは残っていたが……。
タイトルは「他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴く世界で一頭だけのクジラ」から「たくさんの仲間がいるはずなのに何も届かない、何も届けられない」という意味がある。転じて、虐待の被害者や性同一性障害で苦しむ人たちの声なき声を表している。
という前提に立って映画を観れば、主人公キナコが声を出せない少年を保護する過程は理解できる。アンさんがキナコを救い出すのも同様だ。ただ、弱者が弱者を庇い合うという構図ではない。彼らを助ける人たちもたくさんいる。その意味ではクジラよりも恵まれているのかもしれない。
原作ではわからなかった(ネットで探して聴いた)「クジラの声」も、映画ではリアルタイムで聴くことができてよかった。反面、虐待されていた割に健康そうな外見に違和感を覚えたり、芝居臭い演技に辟易したりと、映像ゆえの欠点も散見した。
映画の印象が消えないうに、積読している文庫本で再読することにしよう。
もっと活かして欲しかった…
堅実なストーリー運びに、役者陣の素晴らしい演技、なのになんだこのテレビドラマみたいな凡庸な演出は。
成島出って、こんなもんだっけ…?
なんでクジラの鳴き声に音楽を被せるのか?
彼の最後のあのシーンはあまりにも型どおりじゃないか、女優二人があれ程の芝居をしているのに?
他の良いシーンも凡庸な音楽使いで台無しになっていたし…
杉咲花の圧倒的な芝居、志尊淳も彼である必然があったし、シーンは少ないながら余貴美子の情感。
もっと上手く活かして欲しかった…
聴こえる人だけに届く心の叫び
原作は読みました。とても良かったです。
作品の中に没入する体験をしました。
原作にとても忠実な映画化だと思いました。
テーマは現代の現実にある問題点。
《毒親、ヤングケアラー、児童虐待、DV、トランスジェンダーなど、》
【あらすじ】
主人公の貴湖(きこ=杉咲花)は、傷ついた心と身体を休めるために、
東京から北九州の海辺の町に移り住んだ。
そしてすぐに虐待されて声を出せず話せないムシと呼ばれる
少年と知り合う。
そして3年前の過去へとストーリーは戻ります。
母親が再婚した義理の父親は3年前から寝たきりになり、
貴湖(杉咲花)が介護を担っている。
母親は働き手で家計の面倒を見てくれるので、貴湖は
ヤングケアラーの現実を受け入れている。
しかし父親が誤嚥して入院した時、母親は激怒して、
「お前が死ねばよかった」と、暴言を吐き暴力を振るった。
心と身体に限界が来て、街で車に飛び込みそうになったの時、
岡田安吾(志尊淳)が助けてくれる。
安吾は「52ヘルツの鳴き声を出すクジラの話」をしてくれる。
52ヘルツの鳴き声を出すクジラは、
どんなに泣いても仲間にも誰にも
気付いてもらえない。
アンさんの聴かせてくれたクジラの声は貴湖の悲しみに寄り添うような
響きだった。
アンさんには貴湖の声なき叫びが届いたのだと思う。
病気の父親を介護士や行政に任せる手続きをアンさんが手伝ってくれて、
貴湖は配送センターの仕事に就く。
そして専務の息子の新名主税(宮沢氷魚)と知り合い、愛されて
同居するようになり、幸せを実感する。
しかし主税が父親の意思で取引先の娘との結婚を決められる。
主税は貴湖を愛人として近くに置きたいと言う。
しかし思いも寄らない事件が起きる。
安吾(アンさん)が主税の父親に貴湖という恋人がいる事を
手紙で告げたのだ。
その結果、主税の結婚は破談になり主税は専務を辞めさせられる。
荒れ狂う主税は貴湖に暴力を振るう。
安吾の身辺調査をして、アンさんがトランスジェンダーで
生まれた時の性別は女性だと突き止める。
主税に激しい言葉で責められたアンさんは
浴室で自殺してしまう。
そしてアンさんの主税当て遺書を読みもせずにガスの火で燃やす主税。
それを見た貴湖は自らの腹部に包丁を突き刺す。
そして最初に戻り
現在。
貴湖の親友の美晴(小野花梨)も海辺の家に長期滞在してくれている。
少年(ムシ)の親戚探しもうまくいかず、実母(西野七瀬)は、
我が子を見捨てて町を出て行く。
貴湖は福祉制度を勉強して愛(いとし=ムシの本名)の行き場を
探し始める。
貴湖は苦労して養子縁組をして愛を引き取る。
52ヘルツの音を聴き分ける者たち。
人の痛みに耳を傾ける者たちが身体を寄せ合って生きる。
原作で感動したのですが、映画は丁寧だけれど、
そんなには迫ってきませんでした。
アン役の志尊淳。
健闘しましたが難しい役どころ。
残念だけどもう少しトランスジェンダーに見える何かがあれば、
本物のトランスジェンダーに見えたかと思いました。
そして初の悪役でしょうか?
宮沢氷魚の迫力ある演技には驚きました。
暴力でか弱い杉咲花が吹っ飛ぶシーンは真に迫り、
男の暴力の凄まじさに心底怖かった。
演技力に自然さがあり、そして育ちが良さげなので、役にぴったり
ハマりました。
貴湖はこれから仕事に就き、自活して行くのだろう。
苦しみを一人で抱え込まない事。
そして助けてくれる人の存在が大事だと思いました。
現代の現実にある病巣や闇に斬り込んだ佳作でした。
杉咲花の圧倒的な存在感
母親から虐待されて育った三島貴瑚は、義父が要介護になると母から介護を押し付けられ、全く自由のない人生を歩んできた。母親から死ねと言われ、フラフラと車の前を歩き自殺を図った時、アンさんに助けられ、母親から逃げることが出来たが、ある事件のあと東京から海辺の一軒家へ引っ越してきた。彼女は、そこで母親から虐待され、声を出すことが出来なくなった少年と出会った。貴瑚は少年と接するうちに、かつて自分が虐待されていた時救い出してくれたアンさんのことを思い出した。貴瑚の過去とは、少年はどうなる、という話。
貴瑚の毒親、少年の毒親とも酷いなぁ、って観てた。貴瑚役の杉咲花は本作でも圧倒的な演技をみせていて、他の女優で代わりの出来る人が思い浮かばないほどの存在感だった。そして、貴瑚を救ってくれたアンさんがなぜ貴瑚の事が好きなはずなのに、付き合おうとしないのかが不思議だったが、ちゃんと伏線回収されて納得した。専務役の宮沢氷魚は、黒島結菜を妊娠させたのに結婚しないという、謎の行動をしてる私生活のイメージとダブり、身勝手なDV男が似合ってた。
しかし、この専務もだが、貴瑚と少年の母親たちなど、どいつもこいつも自分勝手で、すぐに弱い女や子供を殴って憂さ晴らししてるのは気分が良いものではない。あんな毒親たちが世の中には多くいるのだろうと思うと悲しくなる。
それと、貴瑚は海辺の街に引っ越してきてから働いてる様子が無く、どうやって生活してるのか不思議だった。
クジラの鳴き声聴いてみたくなった。
NEW LIFE
東京から大分の海辺の田舎雨に降られ町へやって来た若い女性の過去と、彼女の知り合った虐待されている様子が見て取れる幼い少年の話。
防波堤で雨に降られた際、腕に痣のみられる喋らないロン毛坊やに傘をさしだされて出会い、そして雨に打たれた服を脱がせたら全身痣だらけ、その少年を捜して巻き起こっていくストーリー。
自身が抱える辛い数々の過去やそこからの変化と絡んだ人たち、そして現在進行系で痛みを抱える少年を重ねてみせていき、哀しい群像劇的なつくりで、風呂敷を広げすぎてちょっと拾いきれていない感じはあったけれど、悲しくキツく温かく、とても面白かった。
宮沢氷魚がなんだかキャラが合っていないのか、荒くれるところやなんでだよー(棒)の演技があまりハマっていなかった気がした。感情を昂らせたことのないボンボンとしてみたら正解なのかな…。
志尊淳の女子高生は尊い
なんか全ての部分が中途半端?な感が…
尺やコンプラのせいもあるんだろうけどね。
氷魚くんは結構頑張ってだと思う。
お金持ちの坊ちゃんって地じゃね(笑)
原作が良いだけに映像に入り込めなかった。
時間軸の動かし方もイマイチだったし…
杉咲花の演技は固定化?って感じるのは俺だけか?
全部乗せ、化調(セリフ)たっぷりラーメン
現代日本の社会問題と不幸を全部乗せました、こういうので泣くのお好きでしょう、さあ召し上がれって感じの映画でした。ラーメンじゃないんだから全部乗せればいいってもんじゃない。
雑な脚本の割にそこそこ食えるモンになってたのは役者たちの頑張りでしょうか。杉咲花はいつもの逆境に生きる幸薄い女を上手く演じてます、既視感のある芝居ではありますが。
あと内面描写をセリフで喋る、喋る。子供相手に、ユーレイ?相手に、遺言状読ませて、等々。ラジオドラマじゃあるまいし映画なんだからもっと映像に語らせてよ。
それから最後の出来の悪いCGのクジラのシーン、あれ要るかなあ。これもそのあとオバハンにセリフで補足説明させてたし。
杉咲花とアンサンブル、バランス
広い空と海に向かって突き出したバルコニー。こんな家に住みたいと思った。
原作未読。物語は小説向きなのか、2時間の映画には盛りだくさんな印象。それとたとえば名前を52というのは字面ではありだけど口に出すとおかしいと思うのが普通の感覚では。最近の小説映画化作品で時々思うことでした。
ワンカット長回しの中で自然に変化する杉咲花の表情の凄さにまたも感動する。物語とは別の感情カモ。一方で志尊淳や小野花梨や西野七瀬や宮沢氷魚のごく普通の演技・セリフ回しが見劣りしてしまう弊害も。それと説明的文語的すぎるセリフが演技を邪魔している。そこまで長セリフ言わなくても伝わってるってば...。てなことを感じてしまいました。宮沢氷魚、初めて見た嫌なやつも良かったな。
それにしても、言いにくいけどLGBTQテーマが世界中で渋滞中。少数派だからドラマチックになるということか。
キナコにも、アンさんにも、共感することができない
はじめは、児童虐待をテーマにした物語なのかと思っていたが、トランスジェンダーであることに苦しむアンさんの生き様が、むしろ強く心に残った。
ただ、彼が、キナコの52ヘルツのSOSを聞くことができたのは、彼自身に、家族のことを「呪い」と感じ、逃げ出した過去があったからだろうと想像したのだが、母親との再会のシーンで、そうしたことが明確に示されなかったのは、やや物足りなかった。
それに、いくらキナコのことを思っての行為だとしても、彼が、キナコの恋人にした仕打ちは、単なる「告げ口」でしかなく、あまり同情することができない。
さらに、彼の最期にしても、いくら想いを寄せる人と結ばれないということに悲嘆したのだとしても、あるいは「告げ口」をしてしまった自分自身を許せなかったのだとしても、自死という選択には、どうしても同意することができなかった。
主人公のキナコにも、なかなか感情移入することが難しい。
キナコは、アンさんのことを好きなはずだったのに、いくら一度振られたからと言っても、そのアンさんから「不幸になるから恋人と別れろ」と言われて、逆ギレするとはどういうことだろう?
社長の御曹司である恋人には、あれほど「嫌な奴」フラグが立っていたのに、それでも「私は彼と幸せになる」と言い切ってしまうキナコには、まったく男を見る目がないと言わざるを得ず、セレブな生活に目が眩んでいるとさえ思えてしまう。
案の定、恋人が暴力を振るい始めても、キナコの自業自得にしか思えないし、ラストで、キナコが、「真実を知っても、アンさんへの気持ちは変わらなかったのに•••」と呟いても、「何を今さら」と、白々しさしか伝わってこない。
愛(いとし)を救い出そうとするキナコの行動にしても、同じように親から虐待されていた自分と彼とを重ね合わせる気持ちは理解できるものの、児童相談所にも相談せず、どうして自分だけで問題を解決しようとするのだろうか?
この手の物語にはよくあることなのだが、社会には(決して十分とは言えないかもしれないが)それなりのセーフティ・ネットが整備されているのに、それを知らなかったり、信用していなかったりで、個人的に突っ走る主人公の姿には、やはり違和感を覚えざるを得ないし、場合によっては観客をミスリードする恐れさえあると思えるのである。
働いてないけど大丈夫なの?
杉咲花が不幸過ぎて逆に入りこめませんでした。
いつもながら演技が素晴らしいですが、それ故に不幸な役しか回って来ないのでしょうか。
たまには明るい役の彼女も見てみたいですね。
虐待を受けた子どもは、自身も虐待する親に成りやすいと聞きます。負の連鎖を何とか止めて貰いたいです。
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