「『市子』の続編ではないのに…」52ヘルツのクジラたち グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
『市子』の続編ではないのに…
キナコは強い。
たぶん、この映画の鑑賞直後の感想としては、えっ、どういうこと?みたいな感じだと思いますが、以下、その理由について。
・キナコの身体的感性が第二の人生で覚醒
キナコの強さは身体的感性の素直さにある。
安吾が終わらせてくれた第一の人生の中では、心身ともひたすら耐えるのみであったが、第二の人生では、ビールの味、焼肉の味、セックスの味というように身体的快楽を通じて〝生〟を実感していった。
なんだか『哀れなるものたち』のベラと似てないか?
・甘ったれのクズ専務の暴力表現について
結婚生活と愛人関係が両立できると考えてる時点で、その幼稚さは明白。また、酒に溺れたり、キレると暴力的になるステレオタイプなダメ男ぶりをわざわざ描いていたが、興信所の調査結果を使っての卑劣な所業や遺書を燃やしてしまう短絡的な思考だけで、キナコが専務を見限るのに十分な理由となる。暴力が殊更に目立ってしまうとキナコの感性の繊細さ、つまり、本人の心の傷や安吾への寄り添いと後悔よりも顔に残された表面的な痣のほうが印象づけられてしまう。
だが、キナコの心はクズ野郎の暴力などでは折れない。
クズ専務がやっていること(男の支配欲で女を従わせる)は、実は『哀れなるものたち』の男どもの所業と本質的に同じではないか?
・性同一性障害に関する安吾の葛藤について
性同一性障害の方にとって肉体的な壁がどれだけ恋愛関係を構築する上での妨げになるのか。
生まれついての肉体は男だが心は女という人の場合、子宮がないことで、恋愛は諦めるのか。
性が肉体と心で一致している男女であっても、なんらかの理由で性的な関係が結べないことはある。
もちろん、性同一性障害の人だって、それぞれ別の人間なのでひとくくりにパターン化することなどできない。
人間の感情は決して合理的に割り切れるものではないからこそ、「愛することをやめた」安吾の心の複雑さと変遷をもう少し丁寧に描いて欲しかった。
自殺の直接的な原因(キッカケ)は、母親からもそれを〝障害〟と言われたことだったが、橋の上でキナコから拒絶された時、肉体上の快楽を与えられない自分について、あらためて思い至ったことも無関係ではない。
従来の男どもに染みついているさまざまな〝哀れさ〟まで、一緒に纏う必要はないのに、恋をしてしまった時、そして哀れさの象徴である新名に出会ってしまった時、ピュアで優しくて繊細な感性が、哀れさに耐えきれず壊れてしまった。
安吾の死は、とても悲しくてやりきれないことだが、同時に弱くもある。
身体的強さとは、セックスで快楽を与えることだけではない。ハグしたり、一緒に食事を楽しんだり。
52ヘルツの鯨たちの声を聞いてあげられることは、とても強いこと。
それを〝身体的な強さ〟のひとつとして(本人にそんな自覚はなくても)、イトシを守ろうとするキナコはやはり強いと思う。
コメントありがとうございます。
「店長が〜」はタイトルが強烈で、どんな話し?!とワクワクしながら読みました。
「ソクラテス」は伊坂先生ってすごいな!これからもついて行こうと思いましたw
きっと、飲み屋さんの江國先生ファンのお嬢さんにも、素敵な出会いの本になったと思います。
それから以前コメントでいただいた
アンデシュ・ハンセン
「スマホ脳」「運動脳」
◯◯◯脳。。
色んな脳が、ありましたw
手にはしたものの、そっと元に戻しました( ・∇・)
「成瀬は〜」は未読でした。
すぐ読みます!!
あ!本作は。
本当だ!「哀れ〜」に通じる所がありましたね。
仰る通り、私もキナコは強いと思いました。
グレシャムさん返信くださりありがとうございます。
そうですね。確かに専務は幸せにすることはできないとわかりきっていた。だからこその呵責の念、非力さへの絶望…
あぁ、なんだかまた辛くなってきました🥹
安吾についてしばらく考えていました。自分だけは孤独なクジラのままおわったのか。彼が遺書に〝僕にも幸せはありました。(貴瑚との出会いが)豊かにしてくれた。彼女を幸せにして…〟と表すことが精一杯の貴瑚への愛情の示し方だったと考えるとその孤独はもはや越えれない壁で彼女の幸せだけが本望だった。専務の人格を察知しあのような行動に出た時点で貴瑚を守ることの引き換えに「孤独なままの命」で責任をとる覚悟だったように思うのです🥲
確かに、「哀れなるものたち」との類似性も感じられる映画ですね。
私も、安吾が身体性を乗り越えられなかったのがとても悲しく、残念に思いました(当事者の苦しみはとても想像できないのですが)。
humさん、ありがとうございます。
〝世界で一頭だけの孤独なクジラ〟なのにタイトルはクジラたちという複数形。
この語義矛盾に込められた原作者の意図を想像してしまいますよね。
(原作読まなきゃ、と思ってます)
安吾はキナコをクジラからクジラたちにしてあげたのに、自分だけは孤独なクジラのままで終わってしまったのでしょうか。
トミーさん、ありがとうございます。
確かにそのクリニック、心のケアとか心療内科の紹介とかちゃんとフォローしてるんだろうか、とかとても気になりますよね。
おはようございます。
安吾の葛藤について、私も同じように思いました。後で貴瑚も語るように、〝つながり〟はそれだけではなく。場合によってはもしかしたら、それ以上のものが見出せたかも知れないがそこで自分を越えることがなかった。たしかに難しいけど、自信が持てない、踏み出せない〝複雑さと変遷〟の部分を知りたかったですね。とても深い考察でまた考えるきっかけになりました。ありがとうございます。
共感ありがとうございます。
「哀れなるもの」との共通部分のご指摘、成程なあと思いました。トランスジェンダーの人の肉体部分での葛藤はあまり描かれた事がないと思い、考えさせられました。
しっかし、薬袋の◯◯トランスジェンダークリニックは酷い! 原作もこうなんですかね。