コラム:下から目線のハリウッド - 第20回

2021年10月22日更新

下から目線のハリウッド

ハリウッドが「映画の街」になった理由と歴史的背景とは?

沈黙 サイレンス」「ゴースト・イン・ザ・シェル」などハリウッド映画の制作に一番下っ端からたずさわった映画プロデューサー・三谷匠衡と、「ライトな映画好き」オトバンク代表取締役の久保田裕也が、ハリウッドを中心とした映画業界の裏側を、「下から目線」で語り尽くすPodcast番組「下から目線のハリウッド ~映画業界の舞台ウラ全部話します~」の内容からピックアップします。

今回のテーマは、世界的な映画の聖地・ハリウッドがどのように「映画の街」になったのか、その変遷を解説。よく知られたエジソンの影響と、もうひとつ外せない大事な世界史的なポイントを語ります!


三谷:今回は、「ハリウッドはなぜ映画の街になったのか」という話なんですが。

久保田:おー。それは興味ある。いつから映画の街になったんですか?。

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三谷:それを話すには、映画の歴史についても触れておきたいので、まずはそこからの話になるんですけど、いいですか?

久保田:もちろんもちろん。映画の歴史も全然知らないなぁ。いつできたの?

三谷:映画はいつ発明されたのか、というのは通説として「この年」というのがありまして「1895年」だと言われています。1895年に何が起きたかご存じですか?

久保田:下関条約が締結した年ですね。

三谷:そうですね(笑)。

久保田:日清戦争が終わった後の1895年に下関条約で活躍したのが陸奥宗光で、清国側の講和使節全権として日本に派遣されたのが李鴻章ですね。

三谷:よく間髪入れずにスラスラ出てきましたね(笑)。その1895年に映画というものが誕生したと言われています。

久保田:なるほど。下関条約と同じ年って覚えればいいね。

三谷:歴史に詳しい人ならそう覚えてもらえれば(笑)。で、映画が生まれた文脈は2つあると言われていて、ひとつはフランスで生まれたもので――これが今の映画の形に近いものなんですが――「シネマトグラフ」と呼ばれる、壁やスクリーンに映像を投影して、一度にたくさんの人に見てもらうタイプのものになります。これが1895年にフランスのリュミエール兄弟によって発明されました。

久保田:たしかにその形は今の映画っぽいね。

三谷:で、もうひとつは今回お話しするアメリカで生まれた映画の源流の文脈ですね。それは、箱の中で動いている映像を覗きこんで見るタイプのものです。

久保田:なんですかそれは?

三谷:これは「キネトスコープ」と呼ばれるもので、箱の中でフィルムをぐるぐる回して下からの光に透かして、それを上からのぞくような仕掛けのものです。こちらは1890年頃にエジソンが発明しました。(註:キネトスコープの特許出願は1891年8月24日と言われている)

久保田:おー、発明王・エジソンだ。

三谷:ただ、正確にはエジソン個人が発明したわけではなくて、実際にはエジソンの研究所にいた研究所員のひとりがつくったと言われています。

久保田:へー、そうなんだ!

三谷:そんなエジソンは、じつはけっこう野心的なビジネスマンの顔も持っていて、この発明でさまざまな特許を取得していくんです。当時、映像というものは最先端技術だったので、ほかの人たちが映像でビジネスをやろうとするときに許諾料をとれるようにして、支払わない人たちにはビジネスができないように取り締まりをしていったんです。

久保田:なるほどね。

三谷:それが当時の東海岸で起きていた映画の誕生と映像ビジネスの大まかな流れなんですが、そのエジソンの取り締まりから逃れていくような形で、西へ西へと移動してロサンゼルスを中心とした南カリフォルニアのあたりまで流れていった人たちがいたんです。

久保田:まさに、今のハリウッドがある土地だ。

三谷:で、その土地でビジネスを切り拓いていったのが、今のワーナーブラザースとかパラマウントとかコロンビア映画とか20世紀FOXとかの映画会社やスタジオの前身をつくった人たちだったんですが、その中に多くいたのが、東ヨーロッパからアメリカの東海岸に移住してきたユダヤ系の人たちです。

久保田:そうなんだ。

三谷:ハリウッドが「映画の街」になった理由として、「エジソンのビジネス支配から逃れて、気候も良くて撮影に適していたりさまざまな環境が整っていたりする西海岸に流れて行って、多くの人がそこで映画をつくるようになった」というストーリーはよく知られているのですが、その中心になった人たちは、今も映画業界に多くいる東欧からのユダヤ系移民だったというのは特筆に値するポイントだと思います。

久保田:へ~。ちょっと世界史的な流れがあるんだね。

三谷:そうなんです。たとえば、ユニバーサルピクチャーズという会社は、ドイツからのユダヤ系移民のカール・レムリさんという方が1912年につくっています。パラマウントは、ハンガリーのユダヤ系移民だったアドルフ・ズーカーさんが1916年につくっています。

久保田:ユダヤ系の人というと、金融とかIT業界でも名を馳せる人は多いんですけど、でもそれは狙ってそうなったというよりも結果論だったりするんですよね。

三谷:たしかに。ユダヤ系の人は、歴史的にも土地を追われるということを何度も強いられてきた民族ということもあるので、たとえば、「農場を持ってその土地で商売をして」とか「手に職を持って、ひとつの土地でコツコツと」みたいなことが――もちろん、そうやって成功した人もいますけれど――多くの人にとっては難しかったというのはあるでしょうね。

久保田:だから、今の資本主義経済の中では――金融であったりITであったりもそうですけど――ハリウッドに象徴される映画産業はひとつ大きな経済圏を築いていて、その中心にいるからその産業に向いていたって思われがちですけど、土地を転々とするなかでできるビジネスがそういうものになっていったという側面もあるんですよね。

三谷:そうですね。

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久保田:ちょっと世界史的な話になっちゃいましたけど。映画の話に戻すと、それだけ特定の人種が多い業界だとコミュニティ性が強くなったりはしないんですか?

三谷:コミュニティ性はあります。よく「ハリウッドや映画業界はジューイッシュ(Jewish:ユダヤ教徒/ユダヤ人の)の世界」と言われることがあって、人によっては「だから、他の人種は入っていきにくい世界だ」なんていう人もいますけれど、実際にはそんなに排他的なことはないと思います。

久保田:そうなんだ。

三谷:あ、でも、実際にユダヤ系の人が多いなというのは名前とかでわかったりしますね。

久保田:名前で?

三谷:たとえば「なんとかバーグ」という人はユダヤ系にルーツを持つ人であることが多いです。スティーブン・スピルバーグ監督(ウクライナ系ユダヤ人の家系)とか、プロデューサーのジェフリー・カッツェンバーグ(東欧ユダヤ系の血筋)もそうですね。

スティーブン・スピルバーグ
スティーブン・スピルバーグ
ジェフリー・カッツェンバーグ
ジェフリー・カッツェンバーグ

久保田:他にもユダヤ系の人に多い名前ってあるんですか?

三谷:フィルムスクール時代には「アダム」が3人いましたね。

久保田:「アダム」ってそうなんだ。

三谷:旧約聖書に出てくるようなファーストネームの人は、ユダヤ系だったりその血筋の人であることが多いですね。たとえば、「アイザック」とか「アブラハム」とか、「ヨセフ」とか「ジョシュ」とか。「太郎」って言ったら日本人、みたいな感覚ですね。

久保田:へ~。全然知らなかった。

三谷:フィルムスクールのクラスメイトの男子が12人くらいいたんですけど、そのうち半分くらいはユダヤ系の人でしたね。けっこう多くてびっくりしました。

久保田:全然関係ない話をしてもいいですか?

三谷:はい、なんですか?

久保田:僕はラジオが大好きなんですけど、ラジオのスタートって1925年なんですよ(註:日本では1925年にラジオ放送の始まりと言われており、1920年にアメリカで開局したKDKAが世界最初のラジオ放送局と言われている)。

三谷:へぇ!あ、でもそれはしっくりくるかも。トーキー映画(映像と音声が同期した映画)が導入されたのが、1927年くらいだと思うんですよ。

久保田:そうなんだ。いや、映画のほうがラジオより新しい印象あるけど、映画のほうが先なんだなって思って。

三谷:そうですね。もうちょっと映画の歴史の話をしますと、映画の元になっているテクノロジーってまずは写真だと思うんですよ。で、写真の歴史は1800年代前半くらいからだと言われてるんですが、1870年代に有名な「マイブリッジの実験」というものが行われるんです。

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久保田:全然知らない(笑)

三谷:これは、エドワード・マイブリッジさんと、スタンフォード大学の創設者のリーランド・スタンフォードさんが――。

久保田:え、スタンフォード大学ってスタンフォードさんがつくったの?

三谷:そうですよ。というか食いつくところ、そこじゃないです(笑)。

久保田:初めて知ったわ、今回は勉強になるなぁ(笑)。

三谷:であれば何よりですが(笑)。えーと、そのマイブリッジさんとスタンフォードさんが、「馬は走っているときに、4本の脚の全てが地面から離れる瞬間があるかどうか」という賭けをしたんです。当時は、肉眼で見る以外方法がなかったので賭けになったんですが、それを証明しようとマイブリッジさんは12台のカメラを並べて、馬が走っている様子を撮ったんですね。結果、4本の脚の全てが地面から離れる瞬間が写真に収められて、賭けはマイブリッジさんの勝利になったという話がありまして。

久保田:へ~。

三谷:で、この賭けによって、図らずも「動きを捉えることができるのでは?」ということが生まれて、今の映像や映画につながっていったんです。

久保田:そこから、映画が1895年に生まれて、今年(2021年)で126年になるわけだ。

三谷:その映画の誕生から、アメリカでは東海岸から西海岸のハリウッドに流れていった人たち――多くのユダヤ系移民の人たちが、今のハリウッドの礎を築いたと、そういう話でございます。

久保田:ちなみに、ハリウッド以外に世界で「映画の街」って呼ばれるような場所はないんですか?

三谷:あー、なるほど。たとえば、インドの「ボリウッド」とかありますよね。あちらも映画が盛んですから。あとは「ノリウッド」というのも最近言われます。

久保田:どこですか「ノリウッド」って。

三谷:ナイジェリアです。アフリカのほうで映画が盛んな国ということで。

久保田:「ノリウッド」はなんで「ノリ」なんだろう?

三谷:「Hollywood」の「h」を「n」にして、「Nollywood」なんだと思います。「ボリウッド(Bollywood)」も、ムンバイの旧称「ボンベイ」の頭文字からそう呼ばれているので。

久保田:でも、ハリウッドありきの呼び名だってことを考えると、やっぱりハリウッドが名実ともに世界一の「映画の街」なんだね、やっぱり。

三谷:そうですね。


この回の音声はPodcastで配信中の『下から目線のハリウッド』(#37 ハリウッドはなぜ「映画の街」になった!? キーパーソンは「エジソン」と「◯◯◯人」?)でお聴きいただけます。

筆者紹介

三谷匠衡のコラム

三谷匠衡(みたに・かねひら)。映画プロデューサー。1988年ウィーン生まれ。東京大学文学部卒業後、ハリウッドに渡り、ジョージ・ルーカスらを輩出した南カリフォルニア大学の大学院映画学部にてMFA(Master of Fine Arts:美術学修士)を取得。遠藤周作の小説をマーティン・スコセッシ監督が映画化した「沈黙 サイレンス」。日本のマンガ「攻殻機動隊」を原作とし、スカーレット・ヨハンソンやビートたけしらが出演した「ゴースト・イン・ザ・シェル」など、ハリウッド映画の製作クルーを経て、現在は日本原作のハリウッド映画化事業に取り組んでいる。また、最新映画や映画業界を“ビジネス視点”で語るPodcast番組「下から目線のハリウッド」を定期配信中。

Twitter:@shitahari

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