「おかあさん」「大人は判ってくれない」 : 芝山幹郎 テレビもあるよ

ホーム > コラム > 芝山幹郎 テレビもあるよ > 「おかあさん」「大人は判ってくれない」
メニュー

コラム:芝山幹郎 テレビもあるよ - 第29回

2011年9月22日更新

映画はスクリーンで見るに限る、という意見は根強い。たしかに正論だ。フィルムの肌合いが、光学処理された映像の肌合いと異なるのはあらがいがたい事実だからだ。

が、だからといってDVDやテレビで放映される映画を毛嫌いするのはまちがっていると思う。「劇場原理主義者」はとかく偏狭になりがちだが、衛星放送の普及は状況を変えた。フィルム・アーカイブの整備されていない日本では、とくにそうだ。劇場での上映が終わったあと、DVDが品切れや未発売のとき、見たかった映画を気前よく電波に乗せてくれるテレビは、われわれの強い味方だ。

というわけで、毎月、テレビで放映される映画をいろいろ選んで紹介していくことにしたい。私も、ずいぶんテレビのお世話になってきた。BSやCSではDVDで見られない傑作や掘り出し物がけっこう放映されている。だから私はあえていいたい。テレビもあるよ、と。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

「おかあさん」

田中絹代の映画である。田中絹代がいなければ成り立たなかった映画である。

そもそも「おかあさん」というタイトルが臆面もない。母ものが苦手で、家族映画に冷淡な私などは、最初から眉に唾をつけて見てしまう。

にもかかわらず、「おかあさん」は不快感を与えない。目頭を熱くさせるわけではないが、これは私が冷たいためではなく、成瀬巳喜男の演出に節度があるためだろう。

舞台は終戦後間もない東京の郊外だ。JRが省線と呼ばれ、石ころまじりの泥道の脇には用水が流れ、荷台のついた重たい自転車がぎしぎしと走っていた時代の話だ。

おかあさん(田中絹代)の家は小さなクリーニング屋を営んでいる。胸を病んでいる長男(片山明彦)は、映画がはじまってすぐに死ぬ。しばらくすると、夫(三島雅夫)も死ぬ。おかあさんは、長女(香川京子)と次女と、妹から預かっている甥っ子を抱えて細々と家業をつづける。夫の友人だった木村(加東大介)という男が店を手伝ってくれる。

いくらでも暗くできそうな話だが、成瀬は暗く撮らない。田中も暗い芝居をしない。小柄で、なで肩で、顔立ちも地味なのに、田中の顔と姿は見る者の眼に焼きつく。

この人はたじろがない。この人の視線は強い。子供たちを見守り、親戚や隣人に眼を配る一方で、自分自身のことはまず歯牙にかけない。それも、うわべだけではなく、実に平然と自分を無視するのだ。お、クールじゃないか、と私は思った。これだけ人死にが出ても、愁嘆場や葬儀の場面は映画に出てこない。記憶に残るのは、淡い光に包まれた、乗り物の場面やピクニックのシーンばかりだ。成瀬の見切りは、やはり渋い。
_________________________________________________

おかあさん

BSプレミアム 10月16日(月) 22:02~23:41

監督:成瀬巳喜男
脚本:水木洋子
出演:田中絹代香川京子岡田英次加東大介三島雅夫片山明彦
1952年日本映画/1時間39分

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「大人は判ってくれない」

トリュフォー、27歳での鮮烈な長編デビュー作。左がアントワーヌに扮したジャン=ピエール・レオ トリュフォー、27歳での鮮烈な長編デビュー作。
左がアントワーヌに扮したジャン=ピエール・レオ
(C) 1959 LES FILMS DU CARROSSE [拡大画像]

アントワーヌ・ドワネルの名前を知らない映画好きはいない。彼は最初から鮮烈な存在だった。いや、登場の仕方がなによりも鮮烈だったというほうが適切かもしれない。出てきた映画は「大人は判ってくれない」。当時、アントワーヌ(ジャン=ピエール・レオ)は13歳の少年だった。

少年は、パリの狭苦しいアパートに両親と暮らしている。正確にいうと、実母と継父だ。親は彼に冷淡だ。継父は薄情だし、実母は生活苦や仕事先の男に気を取られている。

アントワーヌは学校が嫌いだ。勉強が苦手で、早く働きたいと思っている。いたずらをして立たされ、嘘をついて学校をさぼり、友達のルネと街をうろついている。

よくある話じゃないか、といわれればそのとおりだ。が、「大人は判ってくれない」は「よくある映画」ではない。

理由のひとつは撮影の素晴らしさだ。アンリ・ドカエのキャメラは、アントワーヌとともに50年代末のパリへ出ていく。映画館には人が群がり、赤信号の手前ではシトロエン2CVが何台も止まり、体育の授業では隊列を作って街を駆ける子供たちが、2人また3人と列を離れて路地へ逃げ込んでいく。

印象的な場面はほかにも多い。バルザックの写真を飾った小さな祭壇で蝋燭の火が布に燃え移る場面。警察の護送車に入れられたアントワーヌの眼に映る夜の街路。監督のトリュフォー(公開時、まだ27歳だった)は、どの場面でも気を抜いていない。ロングショットの多用という手法は無鉄砲に見えるかもしれないが、この映画の主役は「少年が接する外部の空間」なのだ。つまり、正しい。

ちなみに、成人したアントワーヌの姿は、「夜霧の恋人たち」、「家庭」、「逃げ去る恋」といった作品群でたしかめることができる。
_________________________________________________

大人は判ってくれない

WOWOW 10月2日(日) 10:00~11:40

原題:Les Quatre Cents Coups
監督・脚本:フランソワ・トリュフォー
撮影:アンリ・ドカエ
出演:ジャン=ピエール・レオ、アルベール・レミー、クレール・モーリエ、ジャン=クロード・ブリアリ、ギ・ドコンブル
1959年フランス映画/1時間40分

[筆者紹介]

芝山幹郎

芝山幹郎(しばやま・みきお)。48年金沢市生まれ。東京大学仏文科卒。映画やスポーツに関する評論のほか、翻訳家としても活躍。著書に「映画は待ってくれる」「映画一日一本」「アメリカ野球主義」「大リーグ二階席」「アメリカ映画風雲録」、訳書にキャサリン・ヘプバーン「Me――キャサリン・ヘプバーン自伝」、スティーブン・キング「ニードフル・シングス」「不眠症」などがある。

このページの先頭へ

最近チェックした履歴

映画の検索履歴

他の映画を探す

映画館の検索履歴

他の映画館を探す
Jobnavi
採用情報