コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第55回
2017年11月17日更新
第55回:悪魔祓い、聖なる儀式
これは驚くべき映画である。てっきり映画の中のフィクションだと思っていた悪魔祓いが、ドキュメンタリ映画として現実に記録されているのだ。これは本当なのだろうか? クエスチョンマークが頭の中に点灯しっぱなしになり、途方に暮れる作品だ。
「悪魔祓い」「エクソシスト」というと、カトリック教徒ではない私たち日本人の頭に浮かぶのは、1973年のアメリカ映画「エクソシスト」だろう。ウィリアム・フリードキン監督の映画史に残るこの傑作では、少女が悪魔に憑かれて空中に浮かんだり、緑色の粘液を吐いたり、お腹に「HELP」の傷跡を浮かび上がらせたり、首が360度ぐるりと回ったりする。単にグロテスクだけじゃなく、心理的な怖さが充溢していて緊張感溢れるホラー映画だった。
本作「悪魔祓い、聖なる儀式」を観ていちばん驚くのは、悪魔に憑かれた人たちの様子が映画「エクソシスト」にそっくりなことだ。いやもちろん、空中に浮かんだり首が回ったりはしない。でも獣のような唸り声をあげ、聞くに耐えない罵りを口走り、教会の床を転げまわる。そのあたりの描写はまったく同じだ。
悪魔祓いをとりおこなうカトリックの神父を、1973年の映画では名優マックス・フォン・シドーとジェイソン・ミラーが陰鬱に演じていた。本作はドキュメンタリなので、シチリア島の教会にいる本物の神父が出てくる。しかし悪魔に向かって突きつける言葉は、同じだ。
「キリストの名において汝に命じる。この者から出て行け!」
これはいったいどういうことなのだろうか。ひょっとしたら1973年の映画が流行りすぎたおかげで、それに影響されて人々が同じような悪魔憑きを演じてしまうようになったのだろうか? それとも映画「エクソシスト」が現実の悪魔祓いを忠実に再現していたということなのだろうか?
本作を予備知識なしにまっさらな頭で見ると、そういう混乱の中に突き落とされる。
そこで少し予習をしておきたい。本作のパンフレットには、ノンフィクション作家の島村奈津さんが「公式エクソシストの間でも物議を醸した問題作」という解説を寄稿している。島村さんは小学館のノンフィクション賞優秀賞を受賞した「エクソシストとの対話」(1999年)という傑出したノンフィクションを著している。この解説や書籍が、本作には格好の副読本になるだろう。
島村さんによると、イタリアの悪魔祓いは単なるオカルトではなく、れっきとしたカトリック教会公認の制度だ。なぜそんなことになっているかと言えば、聖書の中に悪魔祓いのシーンが幾度となく出てきて、イエスでさえも悪魔祓いを行なっているからだという。だからバチカン直轄の大学では今も年に一度、「エクソシスト養成講座」(なんと!)が開かれていて、2016年末で世界には404人の公式エクソシストがいるのだとか。
なんというか、ビックリとしか言いようがない。
そして島村さんが「公式エクソシストの間でも物議を醸した」と題しているのは、本作の内容がインチキだからではない。カトリックの典礼書には「公衆の面前で行うべきではない」と書かれているのに、登場するエクソシスト神父が教会で公衆の面前で行い、撮影まで許しているからだ。
ということは、やっぱり本物じゃないか!
では、登場する人たちは本当に悪魔に取り憑かれているのだろうか? 単に精神を病んでいるだけじゃないのだろうか?
これに答えはないが、前出の島村さんの本「エクソシストとの対話」には、10年以上もフルタイムで悪魔祓いに従事し、これまで3万回以上も手がけたというアモース神父という人の話が出てくる。島村さんが彼に「そのうちどのぐらいが本物だったのですか?」と聞いたところ、簡潔にして明快な返事がかえってきた。
「84人です」
確率にすれば2.1パーセント。アモース神父の師で、高名なエクソシストだった故カンディド神父は生前、「97パーセントは精神の病だ」と断言していたという。二人の話を合わせれば、2~3パーセントは本当に悪魔に取り憑かれた人たちだということになる。
これを信じるかどうかは、本作を観るあなた次第だ。悪魔祓いは単なるオカルトや催眠療法なのかもしれないし、実はそうではない無限の恐ろしい事実を孕んでいるのかもしれない。
自己啓発やスピリチュアルばかりが流行り、宗教なき時代と言われる。でも人間の精神の奥底には、まだ解明されない異様な闇がどこかに潜んでいる。獣のように叫び、うなる人々の映像を見ていると、その「闇」に私たちはどこかで触れているのかもしれない。それは恐ろしいが、しかしどこかで根源的なものへの憧れを掻き立てるようでもある。
■「悪魔祓い、聖なる儀式」
2016年/イタリア=フランス
監督: フェデリカ・ディ・ジャコモ
11月18日からシアター・イメージフォーラムほかにて全国順次公開
⇒作品情報
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao