コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第38回
2016年5月26日更新
第38回:マイケル・ムーアの世界侵略のススメ
「世界侵略のススメ」というのはおだやかではないタイトルだが、マイケル・ムーア監督の考えた設定は「外国を侵略して、石油や富ではなく別のものを奪う」ということらしい。ヨーロッパや北アフリカを「侵略」のために訪れたムーアは、さまざまな国のさまざまな良い試みを学ぶ。そういう学びをアメリカに持って帰ろうよ、というお話である。
イタリアには8週間もの有給休暇があり、消化できなかった休暇は翌年に持ち越せる。昼休みは2時間。
フランスの小学校の給食は、美味しそうなフレンチのフルコース。コカコーラなんてだれも飲んでいない。
フィンランドの学校には宿題がない。なのに学力は世界一。
よくスロヴァキアと間違われるスロベニアは、大学の授業料が無料。英語の講義も多いので、アメリカで授業料を払えなくなった若者たちがこの国に来て学んでいる。
ドイツは週の労働時間がわずか36時間。退社後に上司が部下にメールや電話をすることは法律で禁じられている。
ポルトガルでは、麻薬が禁止されていない。
ノルウェーは刑務所の環境がすばらしい。死刑はなく、懲役刑の最高は21年。なのに再犯率は世界最低。
チュニジアは中絶費用が無料で、イスラムのスカーフをするかどうかは本人の判断。
アイスランドには、世界初の女性大統領。完全な男女平等が実現している。
こうやって並べてみるとわかるけれど、わたしは本作を見ているあいだ「ずるいなあ」とちょっと思った。イタリアやポルトガルなどの南欧は失業率が高く、経済が破綻しかかっていて、ギリシャの後を追っている。ドイツは厳しい緊縮財政で、国民の不満が高まっている。北欧は一見すると天国に見えるけど、移民やイスラムに対する排斥運動が非常な勢いで高まっていて、政権さえとりかねない状況だ。そしてチュニジアは確かにイスラム圏のなかでは唯一民主化に成功したけれど、他の「アラブの春」の国々はエジプトにしろシリアにしろ無残な状況だ。
そういうところに目を向けないで、どうして良いところばかりを紹介するんだろう?と思ったのだ。それはまるで、「ヨーロッパでは」「アメリカでは」と日本をけなすことに熱中している在外日本人と同じじゃないか、って。「ボウリング・フォー・コロンバイン」「華氏911」「シッコ」「キャピタリズム」など、辛辣な皮肉を笑いとともに描く映画をつくってきたムーアにしては、ずいぶん無邪気すぎるじゃないかと感じたのだ。
しかし本作を見終わってみると、感想はかなり変わった。世界が理想を失い、目標が見つからずに漂流している時代に、だからこそ理想を再度めざすって大事なことなんじゃないだろうか、と思ったのだ。マイケル・ムーアが映画の中で見せる無邪気な感動や感銘が、とても美しく思えたのだ。
彼もインタビューで、まさにこう答えていた。このコメントに全面的に賛同したい。
「この映画を見て『なぜイタリアの高い失業率は無視するんだ?』と言われたら、良い部分のみを撮影しに行ったからだと答える。欠点に注目する人がいれば、わたしは逆に良い部分に注目しそのコントラストを見せたいんだ。特にアメリカ人に対して。まあ、世界中の人に対して、とも言えるが。みんな十分に事実は知っているわけだから、その物事がどうやってこんなにひどくなったか、なんていうドキュメンタリーは見に行く必要がないわけだ。それをよくするために何かに刺激を受けて何かを実行する、これが必要なんだ」
■「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」
2015年/アメリカ
監督:マイケル・ムーア
5月27日から全国公開
⇒作品情報
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao