コラム:佐藤久理子 Paris, je t'aime - 第39回
2016年9月29日更新
フランソワ・オゾン&グザビエ・ドラン タイプの異なる新作が仏で好評
勝手な見解だが、わたしにとってフランソワ・オゾンとグザビエ・ドランは、新旧世代を代表する兄弟のようなイメージがある。オゾン、48歳。ドラン、27歳。ふたりとも早くからキャリアをスタートさせた早熟な才能に恵まれ、多作でありながら一作ごとに異なる挑戦を果たしている。女性に対する憧憬と冷静な視点が混ざり合い、それが多面的な人物像や斬新な物語を生み出す。奇しくもそんなふたりの、まったくタイプの異なる新作が、フランスで順次公開された。
オゾンの「FRANTZ」は、先のべネチア国際映画祭でヒロイン役のポーラ・ビールが新人に与えられるマルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞して話題になったばかりだ。かつてエルンスト・ルビッチが「Broken Lullaby」(1932)で取り上げたモーリス・ロスタンの戯曲をもとにしながら、ルビッチ版とは異なり、ドイツ人女性の視点から物語が描かれている。
第1次大戦直後のドイツの小さな街。戦死したフィアンセ、フランツの墓を弔いに来たアンナは、見知らぬ若きフランス人に遭遇する。アドリアン(ピエール・ニネ)と名乗る男はフランツがパリに留学していた時代の友人だった。アンナはこの傷ついた青年に心を開き、はじめはフランス人を毛嫌いしていたフランツの父親も、やがて心を許す。アドリアンが語る息子の思い出に浸るうちに、一家は彼を息子のように受け入れるようになる。だが、ここからがオゾンの真骨頂だ。真実をめぐって物語は紆余屈折を帯びる。今回初めてモノクロに挑戦した監督は、まるで絵画のように精緻な構図による厳格な美しさを表出させた。さらにときおり若さを象徴する柔らかなカラーのシーンを挿入し、その眩しさ、儚さを謳う。撮影監督はオゾンの「17歳」「彼は秘密の女ともだち」を担当したパスカル・マルティだ。もはや円熟の域に達したオゾンの、叙情的で非の打ちどころのない作品だ。
一方、ドランの新作「イッツ・オンリー・ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド(英題)」は、つい先日、アカデミー賞外国語映画賞候補に向けたカナダの代表に決定した。これまで自国カナダをベースにしてきたドランが、フランスのオールスター・キャスト(ギャスパー・ウリエル、マリオン・コティヤール、レア・セドゥー、バンサン・カッセル、ナタリー・バイ)を揃えて撮った作品だ。12年前に家を出た主人公が、あることを告げるため家族のもとを訪れる。それは12年ぶりの再会を祝う感動的な団欒となったかもしれない。だが現実に彼を待っていたものは。
舞台劇の脚色ではあるが、セリフはみごとに「ドラン節」にアレンジされている(たとえば言葉を反復したり、妙なところで区切ったり)。何よりセリフの多さ、その激しい応酬とクローズアップの多用が、思いきり過剰さを演出する。そんな窒息状態のなかで主人公はひとり追い詰められ、絶望と孤独が加速する。この過剰な演出に耐えてドラマにのめりこめるか否かが評価の分かれ目だろう。今年のカンヌ映画祭で披露されたときにはフランスの批評が良く、海外の評価が厳しいという印象だったが、フランス公開時の評価は概ね高い。代表的なものとしては、全国紙ジャーナル・デュ・ディマンシュが、「ドランはここで、愛し合うこと、話し合うことの難しさを、これまでで最高の演技を見せる5人の俳優とともに描き、力強く美しいドラマに仕立てた」と記している。いずれにしろ、これまでとは異なるアプローチで強烈な人間ドラマを奏でるさまに、この監督ならではのオリジナリティが刻まれている。
オゾンとドラン、このふたりが今後もどんな変貌を遂げながら映画界を活気づけてくれるのか、楽しみで仕方がない。(佐藤久理子)
筆者紹介
佐藤久理子(さとう・くりこ)。パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato