コラム:挑み続ける男 大友啓史10年の歩み - 第6回
2021年5月4日更新
お金と海外と旅をキーワードに大友啓史の思考回路に触れる
10回連載の特別企画【挑み続ける男 大友啓史10年の歩み】。第6回は、「るろうに剣心」でがっつりタッグを組んだ佐藤健を全く別の役として迎えた「億男」について。また「ハゲタカ」とは異なるマネー哲学、そしてモロッコでの大規模な海外ロケ、NHK時代の海外留学で得た経験も振り返り、お金と海外と旅をキーワードに大友監督の思考回路に触れていきます。(取材・文/新谷里映、撮影/根田拓也)
──「るろうに剣心」であんなに格好いい剣心を演じた佐藤健が、「億男」では謝金まみれで家族もバラバラ、おまけに宝くじで当たった3億円を親友に持ち逃げされる役を演じていて新鮮でした。この企画のどんな点に惹かれて監督を引き受けたのでしょうか。
親友が3億円持っていなくなってしまったという取っ掛かりは、映画として何か面白くできそうだなと思ったんですね。「ハングオーバー!」みたいにね。時代的にも新しいマネー哲学が生まれつつあって、僕の中に「ハゲタカ」のときのリサーチのストックもあったし、それが今どのように変貌しているのか知りたい思いもありました。「ハゲタカ」制作の時にヒントにした言葉ですが、アリストテレスが遺した言葉の中に──お金を使う動物は人間だけで、社会的な動物としての人間の特徴は経済活動をすることだという名言があって。そもそもお金って、欲望とか業とかに直接関わる、とても人間くさいテーマなんですよね。ただ「ハゲタカ」のような、自分たちが暮らすなかでリアルに起きている出来事と結びつく、そういう僕がやりたいプロジェクトとなかなか出会えなくて。
──「億男」の企画との出合いが、大友監督のやりたいことと結びついたと。
原作は、お金をめぐるリアルなストーリーというよりも、お金を巡るファンタジーになっているので、僕が求める物語とは少し違う世界観ではあったんです。でも、ちょうどそのタイミングで世の中に仮想通貨が出てきたり、「ハゲタカ」に取り組んでから10年以上経って、お金の考え方が大きく変わってきているなと感じていて。僕が子どもの頃、昭和の時代は、お金=現金はいろんな人の手を渡ってきているから汚いものだと教えられて、その汚い=不衛生という捉え方から、人前で公然とお金の話をするのは不浄というか、あまりしてはいけない話というか……そんな雰囲気がまだまだありましたからね。
──日本人は特にお金の話は後回しというイメージもありますね。
でも、仕事をしたら報酬を得るのが当たり前、ビジネスは対価を求める行為ですからね。2007年以降、「ハゲタカ」をやったこともあって、僕のなかでお金に対する感覚はずいぶん変わりました。ちょうどその頃、ホリエモン(堀江貴文氏)をはじめとするヒルズ族が時代の寵児として続々メディアに出てきたこともあって、お金について話すことは当然のこと、悪いことではないんだ、という風向きに変わっていった。さらに現金での支払いではなくIT決済もどんどん出てきて。きっと近い将来はIT決済すらいらなくなる時代がくるかもしれないですよね。金融システムのなかで単なる数字でしかないお金はもっと手ざわりのないやりとりになっていく。そこに新しい物語を生み出せるのかもしれないと思ったんです。
──たしかに、今の私たちの生活のなかにあるお金は数字の移動ですが、この映画が示すお金の価値、対価とは何かが、一男(佐藤健)と九十九(高橋一生)のモロッコの旅のなかにはっきりと描かれています。
そう、この企画をやってみたいと思った理由はモロッコが物語の舞台のひとつになっているので、モロッコに行ける!というのも大きかった。映画のなかにも出てきますが、モロッコの市場は商品に値段が付いていない、交渉で値段が決まっていくんですよね。売る側と買う側のやりとりのなかでモノの価値が決まっていく。まさに、「今」っぽいうというか。メルカリのようなシステムも含めて、個々にとって適正な対価を、個人が自らの意思で決めていく。そういう新しいマネーゲームやお金にまつわる哲学、ビジネスへの興味を「億男」という物語で描けるのではないかと。
──映画はモロッコの砂漠や市場の雑踏の風景から始まりますが、実際の撮影もモロッコパートからスタートしたそうですね。モロッコの撮影で得たものも大きかったのではないですか。
モロッコパートの撮影のスタッフの半分は現地スタッフです。モロッコはハリウッド映画の大掛かりな撮影をしているので、機材は揃っている、やり方も分かっている、現地スタッフとの仕事はとてもやりやすかった。そういえば、ロケハンでサハラ砂漠に行ったとき面白いことがありました。夕陽が沈む一番良い場所を案内してもらったのですが、その場所へ行くには、砂漠の民ベルベル人の案内が必要でラクダに乗って行く。目的地から戻る途中でしたが、いきなり彼らは、何やら包みを広げてそこで商売を始めるんですよ。買っても買わなくても自由だけど、買わない選択をするとどうなるか、砂漠のど真ん中に置いていかれるのではないか、そんな可能性が、なぜかふと頭をよぎるわけです。しかも値段はついていないから交渉しなくてはならない。彼らの商品を買うか買わないか、買うとしたら、向こうの言い値のまま高めに買った方がいいのか? とか、なぜか向こうの意思を忖度し始める(笑)。完全にマウントを取られ、命の手綱を握られているわけですからね。そういう自分の心の動き方が面白いなって。
──そういう体験が作品全体に活かされているわけですね。九十九が一男を誘ってモロッコを旅した理由にも繋がりますが、旅をすると、特に海外を旅すると、人生観が変わると言われています。大友監督にとっての初めての旅はどんな旅でしたか。
初めての海外旅行は大学のときですね。友人と一緒にイギリス、スペイン、フランス……ヨーロッパを回る旅をしました。その友だちが帰国子女で、彼が昔住んでいたイギリスの家に行くというので、僕はただ付いて行っただけ。だからなのか、どんな所に行ったのか全然記憶になくて。覚えているのは、旅先のバーで飲んで、宿に帰って、その繰り返し(笑)。飲み過ぎてベンチで寝たこともありましたね。ちなみに、ちゃんと二十歳は超えてましたので(笑)。
──学生だからこその旅ですね(笑)。映画のロケ地をめぐったりしましたか。
いや、ぜんぜん。その頃は海外に対する憧れはなくて、映画もそれほど意識していなかったので、旅のなかに映画というキーワードはなかった。ただ、ロンドンのピカデリー・サーカスの映画館で「ブラック・レイン」(89)と「猛獣大脱走」(83)の2本が同時上映されていて、それを観に行ったのは覚えています。記憶が確かであれば、たしか白人と僕らの入口が違って……、差別的な扱いにまず驚いた。でも、松田優作さんの登場シーンで、彼が演じる佐藤が「あ?(何だって?)」って、目を見開いて振り向き、ナイフで相手の喉元を掻っ捌くシーンあるじゃないですか。そのシーンでイギリス人の観客たちが「なんだ、この日本人俳優は!」って感じで凄くザワついたんですよね。入口の一件があったので「どうだ、日本の松田優作すげえだろ!ざまー見ろ!」って誇らしい気持ちになったのは、よく覚えていますね。もともと東映の遊戯シリーズとか「探偵物語」とかは見ていましたが、改めて松田優作さんに惚れこみました。初めての海外の旅は、初めての風景に流されてあまり記憶にないけれど、あの旅のなかで、あの映画館で観た「ブラック・レイン」は鮮明に覚えています。
──海外への興味がないなかで、その後、NHK時代にハリウッド留学を選びますよね。
上司のプロデューサーが3年間ハリウッド留学をしていて、お前もどうだと、背中を押してもらったのがきっかけです。実は当時、ドラマの助監督生活に限界を感じていて、ドキュメンタリー制作に戻ろうかと考えていたタイミングでもあって、どこか逃避の気持ちもあったんですよね。一方、ドラマに限界を感じていたとはいえ、留学して2年間のブランクを作ってしまうことに対する不安な気持ちもあった。でも、新しいことへの興味が勝って留学を選びました。
──どんな2年間でしたか。
いざ行ってみると、最終的に、できればそのままここで仕事をしたいと思うほど帰りたくないって思っちゃったんですよね。やっぱり、ハリウッドという場所は映画を作ることが社会のメインストリームですから、映画に関わっているだけで祝福されているムードを感じられた。最初USC(南カリフォルニア大学)のフィルムスクールにインターンのような形で参加していたんですが、途中からUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のナイトスクールにも通い始めました。オープンキャンパスなんですが、業界のプロもキャリアアップのために通うようなスクールで、脚本やプロットのクラス、撮影や劇伴音楽を作るためのクラス、宣伝・マーケティングのクラス……、映画制作のために必要なクラスが細分化されていて。そこで知り合った方を頼りに撮影現場を見学したりしながら、自分の撮りたい脚本を書くという生活を送っていました。でも、結局この異国の地で、自分で映画をゼロから創り上げるには、ネイティブでない限り、やはり3年から5年はかかると実感しました。それで映画ビジネスの仕組みにも目を向けて、多くの方から話をうかがい、日本の業界にはない方法論やシステム、思考のツールを学びましたね。
──そこで学んだものを日本に持って帰るわけですが、帰りたくない気持ちはどう変化したのでしょうか。
そのままハリウッドにいたいという気持ちは変わらずありましたが、ハリウッドにやって来て活躍している人たち──例えば、その頃ハリウッドでお会いしたジョン・ウー監督もそうでしたが、彼らは本国でキャリアを作って、そしてハリウッドに呼ばれて来ている。だからハリウッドで仕事がしたいなら、まずは母国でしっかりとキャリアを作る必要があると思いました。そのまま残って戦っても、競争率が高く、今のままの無名の自分では話にならないと。
──大友監督が手掛ける映画の多くがビジネス的に成功している背景には、その時の学びが大きく影響しているわけですね。
改めて大きな学びだったと思うのは、NHKという大きな組織にいながら、外からその組織を見ることができたことですね。ハリウッドという、才能がランク付けされ、脚本が億単位で取り引きされる世界では、良くも悪くもすべて“マネー”という対価で(作品の)価値が明示される。もちろんお金では計れない価値もあるはずだけれど、綺麗ごとには収まらない熾烈なエンターテイメントビジネスの片隅に身を置くことで、自然と自分の作る作品の価値についても考えるようになりました。当時はまだオンデマンドのない時代なので、レンタル稼働率を気にするようになったり、公共放送と言えども視聴率は無視できないと、自分のキャリアの将来を見つめるようになりました。お金を払って、わざわざ劇場に足を運んでまで観たいと思える作品を、自分は作れるかどうか。映画に対するそんな挑戦を具体的に考え始めたことも、独立しようと思った理由のひとつかもしれませんね。
【次回予告】
第7回は、大友監督の故郷、岩手で撮影した「影裏」を題材に、地元への想い、役者との関わり方についてのインタビューをお届けします。
筆者紹介
新谷里映(しんたに・りえ)。雑誌編集者を経て現在はフリーランスの映画ライター・コラムニスト・ときどきMC。雑誌・ウェブ・テレビ・ラジオなど各メディアで映画を紹介するほか、オフィシャルライターとして日本映画の撮影現場にも参加。解説執筆した書籍「海外名作映画と巡る世界の絶景」(インプレスブックス)発売中。東京国際映画祭(2015~2020年)やトークイベントの司会も担当する。
Twitter:@rieshintani/Website:https://www.rieshintani.com/