コラム:メイキング・オブ・クラウドファンディング - 第21回
2022年3月17日更新
「たまらん坂」読書体験を可視化した、唯一無二の映画体験
「たまらん坂」は、武蔵野大学・武蔵野文学館の協力のもと、黒井千次氏の短編集を映像化した長編劇映画です。「ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ」や「フリーダ・カーロの遺品 石内都、織るように」で知られる小谷忠典監督が4年の制作期間をかけ、静謐なモノクロ映像で撮りあげました。マルセイユ国際映画祭、ニッポン・コネクション、シンガポール国際アートフェスティバルなどへ出品され、世界各国の映画祭で高い評価を受けている本作が、いよいよ2022年3月19日から新宿K's cinemaで公開されます。
2月下旬に小谷忠典監督、映画初出演にして主役を演じた渡邊雛子さんと鼎談を行い、映画の制作経緯やクラウドファンディングを通した発見などについて伺いました。
■学生と共に作り上げた、チャレンジングな長編劇映画
大高健志:とても魅力的でチャレンジングな作品だと思いました。小谷監督は大学で教えていらっしゃるとのことですが、まずはこの映画を制作した経緯を教えてください。
小谷:武蔵野大学で映画監督が教える映像表現の特別授業が組まれていて、その中で制作をしました。本作のプロデューサーの土屋忍先生が武蔵野大学文学部の教授で、黒井千次さんが書かれた「たまらん坂」という小説を研究されているということもあり、「この作品をテキストにして映像の授業をやってもらえませんか?」という依頼がありました。「たまらん坂」は「武蔵野短編集 たまらん坂」と言う文庫本の中の一編で、武蔵野に実在する多摩蘭坂、お鷹の道、千元山などの場所が題材となった連作短編集です。
大高:小説を読まれた印象はいかがでしたか?
小谷:どの短編でも主人公は定年を目の前に迎えた男で、彼らは土地の名前と巡り会うことによって青春の記憶を呼び覚ましていきます。作者である黒井さん自身も15年間のサラリーマン生活を送った後に小説家になったので、内容がすごくサラリーマン的と言うか、勤め人の内側から滲み出る悲喜交交の人生観の描写がすごくリアルでした。サラリーマンの人生に対する感傷的な態度が小説ににじんでいると思います。黒井さんは多摩蘭坂を車で通りかかった時、たまたま目にした駐車場の「たまらん坂」と言う言葉を目にしたことがきっかけで、その言葉に引き寄せられるようにしてこの連作を書き始めたそうです。僕はそこにもっとも興味を持ちました。僕はこれまでドキュメンタリーをずっと撮っているので、そのようなリアルなところから小説が始まったということは、すごく共感します。
渡邊:最初に小説を読んだのは高校3年生の時で、大学の入学前課題で出されていたのでとにかく読みました。武蔵野の土地のことはよく分からなかったけど、人物の感情に惹かれていきました。家族に対する疎外感というか、一緒に暮らしていてずっと一緒にいるはずなのに、その人の知らない部分があって、突然その人が分からなくなるような感覚が描かれていて、そこにすごく共感しました。
大高:渡邊さんはこの映画で初めて演技をしたとのことですけど、出演するという前提で授業に参加したんですか?
渡邊:違います! その授業はスタッフとして学生を募集していて、私はカメラをやってみたくて参加しました。そんなに映画を観る方ではなかったんですけど、なんか面白そうだったから参加したんです。
小谷:この人が主演になった理由があるんですよ。ちょっとした勘違いというか、間違えて入ってきたというか(笑)。
渡邊:私は文学部なんですけど、もともとは小説が書きたくて大学に入ったんです。「たまらん坂」という小説を映画にしますという講義概要を受けて、作者の黒井千次先生に会えるのかと思って参加しました。最初の授業で生徒全員に動機を聞いていて、「黒井先生に会いたくて入りました」と答えたら「会えないよ」って言われて(笑)。「会えないんですか!?」ってなりました。
小谷:一応、映画監督が教える授業っていうのが売りだったんですけど、僕からしたら失礼な人だなという印象でした。「俺ちゃうんかい」って(笑)。
渡邊:すみません(笑)。
小谷:集まった学生は15人くらいだったけど、渡邊さんだけが1年生なうえに1人で来ていました。あまり目立つ存在ではなかったのですが、でもその「黒井千次さんに会いたくて入りました」という勘違いがすごいおもしろいなと思ったんです。それで彼女を主演にして、実際に黒井さんとお話しするシーンも映画の中に取り入れたんですけど、この勘違いがなかったら生まれなかったシーンですね。
大高:そうだったんですね! それもあってか、非常に読書的な感覚を得られる不思議な映画でした。どういう意図で全編モノクロにしたんですか?
小谷:小説は1982年に発表されたものですし、小説内で昭和初期や江戸時代の描写も出てきます。とにかく映画の中で色々な時代を行き来するので、統一性を持たせる意味でモノクロにしました。それに加えて、予算的なところも大きいですね。カラーにしてしまうと、セットや衣装や小道具にお金がかかってしまいますので。
大高:制作は全て生徒さんで行ったのですか?
小谷:最初の段階では、全て学生でやっていました。ただ、プロの俳優さんに参加してもらうと決まった時に、学生だけでは力不足なので、技術スタッフもプロに入ってもらいました。なので、制作体制としてはプロと学生が混在していました。1年目は授業でやっていたけど、2年目からは有志の学生が来ていました。2年目からは単位がないので来なくなっちゃった人もいましたが、最後まで残っている人は最終的に映像業界に進んだ人もいましたね。
大高:単位がないのに最後までやり切った渡邊さんや生徒さんたちは、すごく偉いし尊いと思います。僕だったら、途中から行かなくなってしまいそう(笑)。でも授業で映画を作るということは、通常の商業映画のようなお金の集め方はしないし、制作の流れも違いますよね。どういう風に制作をしていったのですか?
小谷:この映画は4年間の制作期間がかかっていて、大きく3つの段階に分かれています。まず1つ目は、朗読の声を風景に合わせるというものでした。これは授業の最初のコンセプトにもなっています。先ほども話しましたが、もともとの小説が実在する場所を描いているので、その場所を撮って、そこに音を重ねる程度にしようと思っていたんです。小説散歩的な。なのでその名残から、映画の冒頭の方は人物が不在で風景の映像がずっと続いていて、古舘寛治さんの朗読が流れています。
小谷:ただ、それだけだと物足りなくなったので、渡邊さんを主演にして、彼女が小説を読んでいるという体で、彼女の心の内で展開している読書体験を可視化してみようと思いました。それが2つ目の段階です。風景と読書をしている渡邊さんの映像を撮った後に、3つ目の段階として彼女自身の物語も浮かんできたので、それも取り入れることにしました。その3つを、時間をかけてゆっくりと撮っていきました。
大高:なるほど。最初は本当に動かない画面に朗読が被さっているという、人間の不在を描いているシーンでしたよね。それがあったからなのか、その後に会話が始まっているだけなのにものすごくドラマティカルに感じられて、集中力を持っていかれるというが不思議な体験でした。渡邊さんの状況や学生生活も、ある種ドキュメンタリー的に反映されていたんですか?
小谷:そうですね。本当に1年生の入りたてから卒業するギリギリまで撮影をやっていたので、86分の中に1年生から4年生までの4年間の渡邊さんが入っています。繋いでみたら、意外と分からないものですね(笑)。
大高:リチャード・リンクレイターを彷彿とさせる。
小谷:髪型も一切変えられず、4年間を過ごしてもらいました。かわいそうでしたね。
渡邊:でもちょっと短くなっているところとかあって、結構怒られたりしましたけど(笑)。
小谷:肩までって言ってたのに、耳くらいまで短く切ってきたこととかありましたからね。
■4年の制作期間だからこそできた、ドキュメンタリー的なフィクションの作品
大高:文学的な世界に浸っていた中で、渡辺真起子さんの就活指導のシーンは急に現実的になりましたよね。あそこは渡邊さんの就活体験が下敷きになっていたりしたのですか?
渡邊:あのシーンを撮っていた頃は、まさに就活とかを考えなくてはいけない時で、悩んでいた頃ではあったと思います。
大高:あんな就活指導をされるのは嫌ですよね。「生産的であれ!嘘をつけ!」みたいな(笑)。
一同:笑い
小谷:渡辺真起子さんも「本当にこんなこと言う教授いるの?」とおっしゃってました。プロデューサーの土屋忍先生は脚本も担当していたんですけど、実際にあんなふうに指導をする先生がいたそうです。そうした現実に対するアンチテーゼとして作り出したキャラクターです。
大高:渡辺真起子さんの隣にいるロボットは映画的にはどういう存在として登場しているのですか?
小谷:「80年代のサラリーマン小説を21世紀の女子大学生がどう読むのか?」という化学反応をこの映画でやってみたいという思いがありました。あえて現代を近未来にして描いてみたかったので、劇中にロボットやグローバルな図書館を出しました。あのロボットは、本来はTOYOTAの介護ロボット(HSR)です。実際にTOYOTAに連絡して、映画の中でAIロボットが必要だから貸してほしいと交渉し、快諾していただきました。
大高:不思議なシーンでした。渡辺真起子さんの横にあのロボットがいることで、彼女が本心で言っているのか、ロボットに言わされているのか、どっちが操っているのかが分からなくて、すごい近未来的な感じがしました。IT社会批評のエスプリが含まれている様にも感じるところと、たまらん坂周辺のシーンや読書のシーンとのギャップが面白かったです。
大高:よく聞かれることかもしれませんが、ドキュメンタリーと比べて、今回は撮影や制作の中で違いやおもしろかった点はありましたか?
小谷:ドキュメンタリーは、撮影した後に物語を書きます。300時間とかの膨大な映像素材があって、それを2時間前後に構成するんですけど、その時間に収まる物語を作っていく。だから、如何様にも物語ができるのです。フィクションはそれとは逆で、物語が最初に脚本という形でしっかりあって、基本的にそれに準じた形で撮っていく。だから、ドキュメンタリーの作業とは逆なんですね。今回は4年間かけて渡邊さんと色々なお話をしながら、インスピレーションを得ながら作ってきたという意味では、あまりドキュメンタリーの手法とは大差ないと思っています。撮って考えて、撮って考えてということを繰り返しながら制作していたので、僕の中ではドキュメンタリー的なフィクションの作品だと捉えています。