コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第234回
2013年8月8日更新
第234回:アシュトン・カッチャーが新境地に達した「スティーブ・ジョブズ」
昨年、日本でもベストセラーなった本人公認の評伝「スティーブ・ジョブズ」の映画化権をソニーが獲得したと聞いたとき、二つの疑問が脳裏に浮かんだ。まず、あれほどドラマチックな人生をどうやって2時間でまとめるのだろう、という点。まあ、脚色を手がけるのが名手のアーロン・ソーキン(「ソーシャル・ネットワーク」「ザ・ホワイトハウス」)だから、きっとテーマや時期を絞り込んで、面白いアングルで描いてくれるんだろうと期待していた。もうひとつの疑問は、いったい誰がスティーブ・ジョブズを演じるのか、という点だった。いまでも彼のルックスは多くの人の記憶に焼きついているから、どんなに似せようとしてもきっと無理が出てしまう。それなら、ルックスよりも演技力で勝負できる俳優を起用すべきかもしれない。関係者でもないのに、こんなことを勝手に考えていた。
ソニーの企画はその後進展がないのだが、別のスティーブ・ジョブズ映画がはやくも全米公開となった。「スティーブ・ジョブズ」と名付けられたこの作品はインディペンデント映画で、アップルの誕生秘話を中心に描かれている。驚くのはそのキャスティングで、共同設立者のスティーブ・ウォズニアック(ジョシュ・ギャッド)から、ジョブズをアップルから追放することになるジョン・スカリー社長(マシュー・モディーン)まで、実在の人物に似ている役者を配役している。
なかでも大胆なのは、アシュトン・カッチャーをジョブズ役に抜擢したことだろう。カッチャーはたしかに若いころのジョブズに似ているし、スター性もある。でも、果たして彼にこんな大役をこなせるのかどうか疑問だった。カッチャーというと、かつてはドッキリ番組「パンクト」をやっていたり、最近では新興のIT企業につぎつぎ投資を行ったりしているので、演技に真剣に打ち込んでいるイメージがない。最近の映画作品もお手軽な恋愛映画ばかりだ。
しかし、カッチャーは相当なプレッシャーを背負って、この役に望んだらしい。ありとあらゆる映像素材を入手して、クランクインの3カ月前から徹底的に研究したと、本人は証言する。
「僕はスティーブ・ジョブズには2つの面があることを発見した。ひとつは、プレゼンテーションを行うときの、偉大なエンターテイナーとしてのジョブズだ。ステージに立って、素晴らしい基調演説をする。一方、プライベートで、自分がカメラに映っていると気づいていないときは、いつもか細い声で話す繊細な人物だった。このプライベートでのスティーブ・ジョブズを、僕は目指したんだ」
努力の甲斐もあって、この映画ではルックスだけでなく、物腰までジョブズになりきることに成功している。今回の映画をきっかけに、たとえば「ソーシャル・ネットワーク」でシリアス俳優としても認められたジャスティン・ティンバーレイクのように、今後、仕事が増えることになるのではないかと思う。
「スティーブ・ジョブズ」は、11月公開予定。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi