コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第105回
2008年9月2日更新
第105回:白昼夢のようなデビッド・フィンチャー監督への取材
住所を間違えたのかと思った。
新作映画「ベンジャミン・バトン/数奇な人生」の取材で、デビッド・フィンチャー監督の単独インタビューをすることになったのだが、彼のオフィスがあるという場所に到着しても、それらしきものが見あたらない。住所の場所には3階建ての古びた商業ビルがあるのだが、閉じたシャッターに落書きが幾重にも重なっているところを見ると、ずいぶん前からテナントが入っていないらしい。そもそも、いまどきハリウッドのど真ん中にオフィスを構える映画監督なんてほとんどいないし、とりわけ治安が悪いエリアをわざわざ選ぶ物好きもいまい。
担当者に電話で確認しようと思って、とりあえずビルの前に車を停めた。すると、自動車用のゲートが音もなく開いた。建物に沿って小道が伸びている。おずおずと先へ進むと、奧は駐車場だった。
そこからの眺めにぼくは舌を巻いた。瀟洒なオフィスビルがそこにあった。正面から見ると単なるボロビルだが、裏から見ると、いかにもフィンチャー監督らしいセンスの良い建物になっている。ゲートをくぐった人にしかその実体を拝むことができない仕掛けになっているのだ。
オフィスに入ると、さっそく編集中のフッテージを見せてもらった。
「ベンジャミン・バトン」は、老人として生まれ、成長とともに若返っていく主人公(ブラッド・ピット)の物語だ。障害を抱えた主人公の年代記であることや、自由奔放な女性デイジー(ケイト・ブランシェット)に恋い焦がれる点など、「フォレスト・ガンプ」と共通点が多い(脚本はどちらもエリック・ロス)。しかし、こちらのほうがファンタジー色が強く、しかも、不可避である死に向かってストーリーが進んでいくから、もの悲しい雰囲気に満ちている。28分間ほど映像を見せてもらった限りでは、ファニーで切ない感動作、という印象を受けた。豪華キャストということもあり、今後の賞レースで注目を集めるに違いない。
その後、フィンチャー監督との取材に入った。撮影に150日も要したという「ベンジャミン・バトン」の苦労から、ブラピと良好な関係を維持するコツ、CMディレクターとしての仕事(iPhone 3Gもフィンチャーの仕事だ)、待機作までたっぷりと話を伺った。あっという間に約束の45分が過ぎてしまったのだが、「まだ、聞きたいことがあるんだろ?」と、さらに15分も延長してもらえた。尊敬する監督にこれだけの機会を与えられて、興奮しないわけがない。それからどんな話をしたのか、まるで覚えていないほどである(幸い、録音はしてあるが)。
夢心地でオフィスをあとにしたのだが、ゲートの外に出たとたん、現実に引き戻された。ハリウッド・ブルヴァードは車の往来が激しく、カーステレオから流れるさまざまな音の断片が襲いかかる。アルコールを茶色い袋で隠し持った男が、千鳥足で近寄ってきたので、ぼくは車を急いで発進させた。
バックミラーでフィンチャー監督のオフィスを確認すると、そこには古いオフィスビスしかなかった。
ぼくは夢を見ていたのかもしれない。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi