コラム:編集長コラム 映画って何だ? - 第82回
2025年10月1日更新

5人目のビートルズを描いた映画と、ジョン・レノンを「ダライ・レノン」に昇華させた男の著書
レッド・ツェッペリンに関するマイブームが一段落し、今度はビートルズのヘビーローテーションに突入しています。あくまで、個人的な話です。
2025年9月26日から公開中の「ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男」は、ビートルズをいち早く発見し、そのデビューの頃から4人のマネージャーとして彼らの大成功に伴走したブライアン・エプスタインの半生を描いた映画です。

(C)STUDIO POW (EPSTEIN).LTD
「5人目のビートルズ」と呼ばれる人物は複数存在しましたが、ブライアン・エプスタインはその筆頭格と言って間違いないでしょう。映画の原題は「Midas Man」といって、すべてを黄金に変えるミダス王にちなんだタイトル。エプスタインの家系はユダヤ系の商人一家で、ブライアンもその商才を存分に発揮したことを表しています。

(C)STUDIO POW (EPSTEIN).LTD
ビートルズを演じる4人の俳優たちもけっこう印象的です。4人それぞれがうまく特徴をつかんでいて、かつモノマネ芸的なイヤらしさがありません。キャスティングディレクターは素晴らしい成果を上げたと思います。
一点だけ、残念だったというか、然もありなんと思ったことには、使われているビートルズの楽曲がたった1曲だけだったこと。果たして、どの曲が採用されたのかは本編を見てのお楽しみですが、オリジナルではないものの、彼らに縁のある選曲も随所に散らされていて面白かったです。1曲あたりの権利料金が数千万円から数億円と言われるビートルズナンバーですから、製作者も苦労しますよね。

(C)STUDIO POW (EPSTEIN).LTD
さて、この映画で個人的に印象的だったのは、次の2カ所です。「ジョージ・マーティンが出てくるところ」そして、「アビーロードスタジオの、階段のある第2スタジオが登場するところ」です。
何故その2カ所かと言えば、この映画を見た同じタイミングで、たまたまこんな書籍を読んでいたからです。

「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」という書籍。原題の「Here, There and Everywhere: My Life Recording the Music of the Beatles」が内容を端的に表しています。図書館でだいぶ前に予約していて、私の手元に届いた段階で、ご覧のようなくたびれ加減。2016年に河出書房から出版された本ですが、もともとは2009年に白夜書房から出ていたもの。
ビートルズの楽曲のほぼすべてをプロデュースしたのは、ジョージ・マーティン(この人も「5人目のビートルズ」と呼ばれています)。本書は、ビートルズが所属していたレコード会社EMIで、マーティンの下で働いていたレコーディング・エンジニア、ジェフ・エメリックが、ジャーナリストのハワード・マッセイとの共著で執筆したものです。
分厚いので、読み始めるのになかなか勇気がいるなと思ってめくっていったのですが、次のくだりでハートをわしづかみにされました。エメリックが、チーフ・エンジニアになって初めてビートルズのレコーディング現場に出勤した日のエピソードです。
ジョン・レノンがジョージ・マーティンに向かって指示を出します。
「……それとオレの声を、何マイルも向こうの山のてっぺんから、ダライ・ラマがうたってるような感じにしてほしいんだ」
皆さん、これ、何の曲だか分かりますか? 山のてっぺんで歌うダライ・ラマ。
答えは「トゥモロー・ネバー・ノウズ」です。アルバム「リボルバー」のスタジオワークは、最終トラックとなるこの曲のレコーディングから始まったのです。
ジョン・レノンの無茶振りに対し、ジョージ・マーティンは「わかった。わたしとジェフとでなにか手を考えてみるよ」と安請け合い。ジェフ・エメリックはスタジオにある機材を見渡した上で、熟考を重ね、「ちょっとためしてみたいアイディアがあるんです」とマーティンに持ちかけます。そして、アンプと回転するスピーカー「レズリー・スピーカー」2基を使って、ドップラー効果のようなエフェクトをかけることを提案します。……ジョンのリクエストも相当な難問ですが、対する答えがまた相当にトリッキーなアイディア。
以下引用;
フィルがループをプレイバックする。リンゴがそれに合わせてドラムを強打し、目を閉じたジョンは、顔を上向きにしてうたいはじめた。
「Turn off your mind, relax and float downstream.(心を遮断し、力を抜いて、下流にただよってゆけ……)」
レノンの声は、それまでとはまったくちがっていた。奇妙な浮遊感があり、遠く離れて聞こえるのに、耳を捕らえて離さない。
(中略)
ガラスの向こうで、ジョンがにっこりしはじめた。最初のヴァースが終わると、やったぜというように親指を突き出し、ポールとジョージ・ハリスンはおたがいの背中を叩きはじめた。
「ダライ・レノンだ!」ポールが叫んだ。
……引用終わり。

この時点で、まだプロローグです。第一章にも入ってない。読みながら、とにかく「トゥモロー・ネバー・ノウズ」を聞きたくなる衝動に駆られます。さっそく、Spotifyで「リボルバー」を検索してみると、「Revolver (Super Deluxe)」なるアルバムがあり、その「Disc2」に「Tomorrow Never Knows -Take 1」というバージョンが収録されているではありませか!
このバージョンが、「ダライ・レノン」バージョンであることは間違いないでしょう。完成版の「トゥモロー・ネバー・ノウズ」は、カモメの声やらストリングスの逆回転みたいなエフェクトが加わってかなりアレンジ濃厚な状態になっていますが、「Take 1」はシンプルで、しかし見事にサイケデリックな原曲といった佇まい。
ジェフ・エメリックのことはまったく認識していませんでしたが、この本を読んで彼がビートルズサウンドにもたらした功績が、嫌というほど分かりました。全部で600ページぐらいありますが、もうイッキ読みです。ビートルズの4人の役割分担や、作詞作曲演奏に関する驚きの事実や、エメリックなりの「ビートルズ解散の原因」に関する考察も、非常に納得感のある内容です。
この書籍におけるアビーロードスタジオに関する記述も、個人的には新鮮でした。「スタジオ1」はフルオーケストラが収容可能な大箱で、ビートルズにはデカ過ぎた。彼らは「スタジオ2」というそれよりは小ぶりのスタジオをフランチャイズにしていて、このスタジオのコントロールルームは階段を上った2階にある。ジョージ・マーティンやビートルズの面々は、この階段を上り下りしてレコーディングしたサウンドを確かめていた……。
このスタジオ2におけるレコーディングの様子が、映画「ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男」でちゃんと再現されているんですね。もしかしたら、本物のアビーロードスタジオでロケしているのかも知れません。

(C)STUDIO POW (EPSTEIN).LTD
ビートルズの4人が、非常に才能あふれる若者たちだったことは言うまでもありません。そして彼らの周辺には、これまた極めて有能なスタッフが集まっていたことが、これらスピンオフ作品から改めて浮き彫りになります。
ブライアン・エプスタインやジョージ・マーティンは、ともに「5人目のビートルズ」と呼ばれていたほどで、ビートルズファンなら誰もがその名前や功績を知っているはず。一方、今回の個人的な発見はジェフ・エメリックです。彼の行ったエンジニアリングの数々を知って、ビートルズの楽曲やアルバムに対する考え方が劇的に変わりました。Spotifyで、完パケ前のバージョンをたくさん聞けるという発見も大きい。ビートルズ沼は、想像以上に深くてズブズブです。これは、一生抜けられない沼なんでしょうね。
筆者紹介

駒井尚文(こまいなおふみ)。1962年青森県生まれ。東京外国語大学ロシヤ語学科中退。映画宣伝マンを経て、97年にガイエ(旧デジタルプラス)を設立。以後映画関連のWebサイトを製作したり、映画情報を発信したりが生業となる。98年に映画.comを立ち上げ、後に法人化。現在まで編集長を務める。
Twitter:@komainaofumi